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2013年6月9日日曜日

「倫理」の教科書からいまだ払拭されていない「西洋中心主義」-日本人が真の精神的独立を果たすために「教科書検定制度」は廃止すべし!



いま高校では「倫理」が必修ではないらしい(?)という未確認情報を耳にしました。

その情報の真偽は定かではありませんが、「倫理」の教科書はいまどうなっているのか興味をもった次第です。

そこで、取り寄せてみたのが 『もういちど読む 山川 倫理』(小寺聡=編、山川出版社、2011)。定評のある山川の教科書 『現代の倫理 改訂版』 をベースにを一般向きに読みやすく編集したものです。構成や取りあげられた項目や人名は教科書に準拠しているのでしょう。

「一般常識」としての思想や哲学のさわりについて復習してみたい人には、手頃な読み物になっているといっていいのではないかと思います。

わたしの高校時代は『倫理社会』という名称で、略して「倫社」といっていたものですが、この『山川倫理』をざっと見たところでは、内容的にも構成的にも大きな変更がないようです。

だが、それが問題なのだ!

どういうことか、まずは構成がどうなっているか見ておきましょう。わたしが太字ゴチックにした個所に注目してみてください。

もくじ:ふたたび倫理を学ぶみなさんへ
序章 現代社会と自己への道
プロローグ 自分を探す旅
  1 自己の発見
  2 他者との出会い
  3 社会に生きる自己
  4 人生の意味を求めて
第1章 思索の源流
  1 哲学と思索
  2 宗教と祈り
第2章 西洋の近代思想 
  1 人間の尊厳
  2 近代科学の考え方
  3 民主主義の考え方
  4 近代の理性的な人間像
  5 人間と働くこと
  6 幸福と創造的知性
  7 真実の自己を求めて
  8 生命の尊厳とヒューマニズムの思想
  9 新しい知性と現代への批判
第3章 日本の思想 
  1 日本の風土と文化
  2 古代日本人の心
  3 日本人と仏教
  4 儒教とさまざまな思想
  5 日本の近代化と新しい思想
第4章 現代の倫理的課題
  1 科学技術の発達と生命
  2 地球環境問題と私たち
  3 情報社会とその課題
  4 国際化と異文化理解
  5 世界の平和と人類の福祉
エピローグ 命の星に生きる

この「もくじ」をみて、なにも感じないひとがいたら、それは大きな問題です。

わたしにはまったく理解できないのは、なぜ「第2章 西洋」が先に来て日本は第3章として後回しになっているのかということ。

あたかも、明治維新以前には、日本には思想も哲学もなかったのかというような印象を受けるではありませんか?

「いま、ここ」に生きている日本人にとっての「倫理」になっていないのではないでしょうか?

たしかに、古代ギリシアもキリスト教も仏教も、その源流を押さえておくことは重要です。まずは仏教、そして儒教・道教、そしてキリスト教が日本人のものの考え方に大きく与えてからです。

だが、なぜ西洋思想が日本思想の前にくるのか、わたしにはまったく理解できません。

どうも、科学技術に限らず、「近代化」が「西欧近代化」からはじまった日本は、明治維新からすでに150年近くもたっているのに、いまだに「近代主義」も払拭できず、かつ「西洋中心主義」からも離脱できていないようです。

この国はいまだに「精神的植民地」という無意識の固定観念から、みずからを解き放つことができていないのかもしれません。

しかし、それは一般人の発想ではないでしょう。一般人にとっては、まずなによりも食うために稼ぐということがもっとも重要であり、「いま、ここに」生きている世界は日本という現実の場に生きているからです。

わたしには、「教科書検定制度」が諸悪の根源のように思われてなりません。

教科書検定は文部科学省が管轄していますが、文部官僚という国家エリートには「西洋中心主義」というテーゼが固定観念としてこびりついているという印象を受けるのです。この国のエリートは、一般人から遊離し、西洋近代と一体化した上昇志向のきわめてつよい「階層」なのです。

たしかに、日本は近代化、つまりは西欧近代化することによって、弱肉強食の競争世界のなかでサバイバルしてきました。その意味では日本は近代化の優等生であったわけです。

しかし、すでに近代は終わり、国際世界のなかで日本と日本人が生き残っていくためには、まずなによりも日本人がみずからのアイデンティティを明確にすることから始めなければならないのです。

グローバル化しているからこそ、日本人の自覚が不可欠となるのです。日本人はみずからの足元を掘り下げなくては独自性をもった存在として生きていくことはできない状況にあるのです。

そのためには、まず日本人がこれまでなにを考えてきたのか、それこそ徹底的に知らねばならないのでないでしょう。そして教科書の記述としては、日本人がこれまでどんな思想や哲学の影響を受け、みずからの思想を主体的につくりあげてきたのかという内容にしなくてはならないのではないかと、と。

高校教科書における「西洋中心主義」、これもまた明治維新以来の官僚制度の大きな問題です。教科書という形で行われてきた「思想教化」の問題点がここに集中的にあらわれていると言わねばなりません。

わたしは、教科書検定制度は廃止し、教科書は完全に自由化するべきだと考えます。そうでなければ、日本人の「精神的独立」は達成できないでしょう。

もういいかげん、「近代はすでに終わっている」ということを認識しなくてはならないのです。

とはいえ、この 『もういちど読む 山川 倫理』 はよくできた本なので、高校倫理の復習をしたい人にはよい手引きとなるでしょう。ただし、この教科書をつかうにあたっては、問題点については認識しておくべきではないか、と思うのです。





<関連サイト>

『もういちど読む 山川 倫理』(山川出版社のウェブサイト)

「できる!」とネイティブに思わせるのに英語は要らない-劣等感の3重構造を崩す(林則行、日経ビジネスオンライン 2013年6月11日)
・・英語が苦手の日本人には、いまだに根強い「舶来志向」があることが指摘されている語られる。2013年になっているというのに・・・


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ETV 「日本人は何を考えてきたのか」 第8回「人間復興の経済学をめざして-河上肇と福田徳三」は見るべき価値のある番組




(2012年7月3日発売の拙著です)





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