かの有名な『ロビンソン・クルーソー』を筆頭とする漂流ものなど、サバイバルものに読ませる力があるのは、他者の体験を追体験してみたいという欲求が読者にあるからかもしれない。
日本人によるサバイバルものにも数々の名作があるが、『私は魔境に生きた』(島田覚夫、光人社NF文庫、2007 単行本初版 1986)という本もまた、読ませるものがある。文庫本で560ページをこす大著で、最初のうちはそうでもないが、サバイバル生活を開始してからの記述はじつに面白い。
副題の「終戦も知らず東ニューギニアの山奥で原始生活十年」というのが刺さるのである。日本が敗戦したことも知らずに10年間、太平洋戦争で激戦地となった、当時はオランダ領であったニューギニア東部の山中で10年間のサバイバルした元日本兵たちがいたのである。そんな存在は、小野田さんや横井さんだけではなかったのだ。
「魔境」とはニューギニアの山奥のことである。本文を読むとわかるが、現地住民すら、そこに足を踏み入れるのを躊躇するという「魔境」だからこそ、10年もサバイバル生活を送ることができたのである。しかも、熱帯雨林という環境のなかでである。
しかしそれにしても10年というのは気が遠くなるような長さだ。日本がすでに敗戦していることも知らず、山中で自給自足の生活を送りながら友軍が迎えに来るのをひたすら待つという人生。当事者である彼らも、まさか10年も「原始生活」を送ることになるとは想像だにしなかったようだ。
サバイバルは、肉体の問題ではあるが、精神の問題でもあるのだ。耐える、ということだ。単身ではなく、最終的には4人のチームだったからこそ、最後まで生き抜くことができたのであろう。小野田さんのような、陸軍中野学校で特殊な教育を受けた強靭な精神の持ち主ではない、ごくふつうの日本人兵士たちにとっては。
そしてまた知恵の問題でもある。知識も知恵なくしては生かし切れない。そもそも知識そのものも、自分たちにとって既知のものが中心となる。
なければないで済ますという態度。ないものは、あるものを使って加工する創意工夫。まったくの原始人ではなく文明人であったからこそ、文明世界ですでに体験していた文明の利器を、ありあわせの道具と材料で再現しようと試みた。これもまた、サバイバルの重要な要件であった。
サバイバル生活では狩猟と農耕が行われる。缶詰類が尽きたあとは、狩猟で動物性たんぱく質を摂取し、農耕で主食を確保することになる。自給自足生活である。サバイバル生活の終盤近くで原住民との接触が始まってからは、物々交換という交易活動も始まる。経済の原初形態である。
いわば「サバイバル型エコライフ(?)」とでもいっていいような生活を10年送ったわけだが、読んでいて思ったのは、はたして現在の日本人に可能だろうか、ということである。原始生活を送ったのは70年前の日本人である。
知識はすでに脳内にあるもの、つまり「アタマの引き出し」を中心に、サバイバル生活で試行錯誤して身に着けた知識と体験しか頼るものはないのだ。ちょっとネット検索して、なんて安直なことは期待できないのである。本すらない環境なのだ。そんな個人の集まりの集団生活では、個人の知恵と知識を持ち寄ったリアルな「集合知」が生きてくる。
著者は「あとがき」のなかで、「原文に忠実なまま」で出版を希望したと記しているが、あまりにも文章がなめらかで読みやすいので、じっさいには編集の手が入っているのではないかと思う。シークエンシャルに配列しなおすには、なかなか大変だったのではないかと思われる。
とはいえ、内容そのものを創作するのは困難だろう。描写があまりにも具体的だからだ。おそらく手記として執筆した原稿に編集が行われているのであろう。内容にかんしては、だれかニューギニアに詳しい人類学者などが、検証をしてくれるといいいのだが・・・。
サバイバルものが好きな人は、読んでみる価値は間違いなくある。大東亜戦争の戦記ものが中心の光人社NF文庫からの出版だが、戦記にかんする記述は全体の1割以下。その他の文庫からでていてもおかしくない内容だ。
関心のある人は、読んでみるといいだろう。
目 次
はじめに
流転(昭和17年12月~19年6月)
籠城(昭和19年6月~20年8月)
原始生活(昭和20年8月~23年1月)
石器時代(昭和23年2月~24年10月)
鉄器時代(昭和25年1月~26年12月)
隠棲発覚(昭和27年1月~28年2月)
原住民の風習・知恵(昭和28年2月~28年12月)
現地官憲に漏れて(昭和29年1月~29年9月)
生きて祖国へ(昭和29年9月~30年3月)
あとがき
著者プロフィール
島田覚夫(しまだ・かくお)
大正10年(1921年)5月、岡山県に生まれる。昭和10年(1925年)、尋常高等小学校卒業、所沢陸軍飛行学校に入校。昭和30年(1955年)3月、復員。郷里で桐箱製造会社に勤務、平成6年(1994年)工場長で退職。平成7年(1995年)1月歿 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<ブログ内関連記事>
Where there's a Will, there's a Way. 意思あるところ道あり
■日本人のサバイバルもの
書評 『江戸時代のロビンソン-七つの漂流譚-』(岩尾龍太郎、新潮文庫、2009)-日本人がほんらいもっていた、驚くべきサバイバル能力に大興奮!!
・・「無人島・鳥島(とりしま)に漂着して20年間生き抜いた男たち・・(中略)・・鳥島はかつてアホウドリの宝庫であった。漂流民たちはアホウドリを捕獲して、食いつないで生き抜いたのだ。渡り鳥アホウドリの肉は干し肉にして保存し、雨水で渇きを癒し、アホウドリの羽衣を身にまとって・・・」
■電気に頼らない文明
電気をつかわないシンプルな機械(マシン)は美しい-手動式ポンプをひさびさに発見して思うこと
「アタマの引き出しは生きるチカラ」だ!-多事多難な2011年を振り返り「引き出し」の意味について考える
・・「アタマの引き出し」がすぐにつかえる状況にあれば、電気をつかう情報機器がなくてもサバイバル可能!
動物は野生に近ければ近いほど本来は臆病である。「細心かつ大胆」であることが生き残るためのカギだ
■ニューギニア戦線
水木しげるの「戦記物マンガ」を読む(2010年8月15日)
・・ニューギニア・ラバウル線線で視線をさまよった経験をもつマンガ家の水木しげる。爆撃で左腕を失った水木氏は、原住民と深いレベルでの交流をもった人でもある
■オランダと東インド植民地
書評 『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)-オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか
書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・日本占領時代のジャワ島の捕虜収容所が舞台
書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
・・文化人類学者の山口昌男は、アフリカのつぎにインドネシアの島々で本格的なフィールドワークを行っている
(2015年9月3日、6日 情報追加)
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