『その後の慶喜-大正まで生きた将軍』(家近良樹、ちくま文庫、2017)を移動中の電車内で読了。 2005年に出版された講談社メチエ選書の文庫化。NHK大河ドラマにあわせて2021年に重版となったようだ(第2刷)。
徳川慶喜(1837~1913)は、77歳まで生きた「最後の将軍」。30歳で将軍になったものの、「大政奉還」によって将軍職を退いた。在職期間は、わずかに1年未満だ。「戊辰戦争」では「朝敵」の汚名を被り、政治の表舞台から消えることになった。謹慎と求められたからだ。
つまり31歳から77歳までの46年間という、じつに長い、あまりにも長すぎる「晩年」を過ごすことになったわけだ。これほど長いリタイア生活を送った人は、そういるものではない。
人生の半分以上が「晩年」であった、 そんな慶喜の「長すぎる晩年」を正面から取り上げたのが本書。あまりにも長い晩年をどう過ごしたのか、なぜそのような生活を長きにわたって続けたのか。
慶喜による「大政奉還」によって誕生することになったのが「近代天皇制」だが、それとのかかわりのなかで、最後の将軍を位置づけることで見えてくるものがある。「尊皇」の水戸藩出身である慶喜にとって皇室との関係と距離の取り方はきわめて重要なものがあった。 多趣味であった「晩年」の慶喜だが、それだけで語るのは不充分というべきなのだ。
歴史書だけに資料への言及などが、やや煩瑣な感がなくもないが、歴史家の著者は史料にもとづいて、想像もまじえながら「その後の慶喜」について記しており、じつに興味深い読み物となっている。
今年2021年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」は渋沢栄一の生涯を描いているが、渋沢栄一について語ることは、必然的に慶喜について語ることにつながる。公式には主従関係を解消したものの、最後の最後まで両者は深い交わりを持ち続けたからだ。
慶喜なくして渋沢栄一なし。逆に渋沢栄一なくして「その後の慶喜」なし。大河ドラマをより深く楽しむためにも読んで損はない1冊だと思う。
目 次
プロローグ 表舞台から姿を消した徳川慶喜
第1部 静岡時代の徳川慶喜
第1章 恭順表明から静岡に至るまで
第2章 言動を律する趣味人-明治初年代
第3章 取り戻されたゆとり-明治十年代
第4章 身内・知己の死と新しいものへの関心-明治二十年代
第2部 東京時代の徳川慶喜
第5章 修復された皇室との関係-公爵授与以前
第6章 老いと自分史への協力-公爵授与以後エピローグ 家範の制定と慶喜の死あとがき文庫版あとがき参考文献索引
著者プロフィール家近良樹(いえちか・よしき)1950(昭和25)年、大分県生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。専攻は幕末史を中心とした日本近代史。現在、大阪経済大学教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<関連サイト>
デジタル版 「実験論語処世談」 渋沢栄一が『論語』をテーマに実体験を語る(渋沢栄一記念財団)
・・検索をつかって慶喜についての記載を読む
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