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2026年2月17日火曜日

書評『タクトは踊る 風雲児・小澤征爾の生涯』(中丸美繪、文藝春秋、2025)― 日本人ばなれした行動力で駆け抜けた生涯を多面的な視点から描いた評伝

 

わたしもまたそうであるが、とくに熱心なクラシックファンというわけではなくても、小澤征爾という名前を聞いたことのない日本人は少ないのではないだろう。オーケストラの指揮者として、トップを走り続けた「世界の小澤」である。 

小澤征爾がボストン交響楽団の音楽監督であった時代、ちょうどわたしもアメリカ東海岸にいたこともあって、なんどかボストンに行く機会があったにもかかわらず、一度もコンサートに行くことができなかったのは残念な記憶として残っている。 

小澤征爾が亡くなったのは、いまから2年前の2024年、享年88であった。その最後まで走り続けようとしたエネルギーと執念、驚くばかりである。 

ボストン交響楽団時代の小澤征爾についてもっと知りたいと思って、『タクトは踊る 風雲児・小澤征爾の生涯』(中丸美繪、文藝春秋、2025)という本を読んでみた。没後に最初に出版されたこの評伝である。 

オーケストラの指揮者という実力主義の世界でトップにいつづけるためには、つねに走り続けなくてはならない。その厳しさはアスリートとおなじであるが、クラシック音楽を生み出した欧州の出身ではない日本人の奮闘ぶりは、読んでいて恐れ入るばかりだ。 

とはいえ、小澤征爾の生涯でもっとも興味を引かれるのは、38歳でボストン交響楽団の音楽監督に就任すあるまでの前半生である。 

尋常ではないエネルギーと執念、失敗を恐れない胆力。父親が名づけた征爾という名前に体現されているように、戦前の満洲に生まれ、幼少期を過ごした大陸的な人物であり、英語が不得意にもかかわらず海外に飛び出していった、日本人ばなれした行動力には目を見張らされる。 

本書は、クラシック音楽関係で数多くの評伝をものしてきた著者による最新作で、音楽関係者のみならず、小澤征爾を支援してきた経済人など、さまざまな関係者への精力的な取材によって、外側から小澤征爾の全体像を浮き彫りにしようとした試みである。 

個人的には、もっとボストン時代について深掘りの記述を期待していたのだが、小澤征爾がボストンに腰を据えることなく、日本を含めて世界中を飛び回っていたこともあって、思ったより少なかったのが残念であった。 

小澤征爾自身が文筆家ではなく、表現活動のほぼすべてをパフォーマンスとしての音楽にかけていたこともあり、小澤征爾の内面を知るには限界がある。パフォーマンスそのものは一回限りのものであり、まったくおなじものを再現することはできない。 

1935年(昭和10年)生まれの小澤征爾は、わたしからみたら父親と同世代の人物である。大学学部時代の恩師もそうだったし、石原慎太郎など、この世代の日本人たちが戦後日本にはたした役割のひとつとして、小澤征爾の名は記憶にとどめていくべきだろう。 


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目 次
プロローグ 
第1章 スクーターと貨物船で 
第2章 N響事件 
第3章 二つの恋 
第4章 日本フィル分裂事件 
第5章 新日本フィルとボストン響 
第6章 サイトウ・キネン・フェスティバル 
第7章 世界の頂点へ 
第8章 初心に戻る 
小澤征爾 年表 
あとがき 
参考文献 

著者プロフィール
中丸美繪(なかまる・よしえ)
斎藤秀雄没後50年の2024年、『斎藤秀雄 レジェンドになった教育家―音楽のなかに言葉が聞こえる』(決定版)を刊行。原本となった『嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯』(1996年刊行)で日本エッセイスト・クラブ賞、ミュージック・ペンクラブ賞。2009年『オーケストラ、それは我なり―朝比奈隆 四つの試練』で織田作之助賞大賞。慶應義塾大学卒業。日本航空勤務を経て東宝演劇部戯曲研究科9期(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2013年11月22日金曜日

JFK暗殺の日(1963年11月22日)から50年後に思う(2013年11月22日)



冒頭に掲載したのはアメリカを代表する週刊誌 TIME(タイム) の今週号の表紙です。The Moment That Changed America とあります。「アメリカを変えた瞬間」、いや「世界を変えた瞬間」から、そうか、もう50年もたったのか・・・。

1963年11月22日、JFKことケネディ大統領がテキサス州ダラスで暗殺されたのでした。スナイパーによる狙撃の瞬間、飛び散った脳漿をかき集めようとする動揺したジャクリーンの映像はいまみても衝撃的すぎます。このシーンは日本でも衛星中継をつうじて日本でも視聴した人が少なくなかったようです。

すでに生まれていたとはいえ、もちろんわたしの記憶にはありません。ですが、ケネディを尊敬していた父親からは、ケネディの話はよく聞かされたものです。たとえば、ケネディ家では食卓でいつも食事をしながら議論をしていたとか、ボウル一杯のサラダを食べていたそうだ、とか。

先日(11月15日)に着任した愛娘のキャロライン・ケネディ駐日大使は、この日本で「その日」を迎えることになるわけです。アメリカ国内はもとより、世界的にも注目度の高い「ケネディ神話」がまさにここ日本でも復活するのを感じるのはわたしだけではないでしょう。

なにより証拠に、アメリカ大統領からの信任状をたずさえて皇居に馬車で向かったキャロライン大使をみるために数千人が集まったというのですからすごいものです。

1960年の安保闘争前後、若き日にケネディに代表される理想主義にひかれた人が日本にも多かったであろうことは容易に想像できます。敗戦国のナショナリズムの発揚と理想主義が、当時は両立していたわけです。

JFK暗殺関連の情報は2039年に解禁されるようですが、「その日」をわたしは迎えることができるのかどうか? ぜひ「真相」を知りたいと思います。


歴史的ディベイトとされるケネディ対ニクソンのTV選挙戦

ジョン・F・ケネディの就任演説もまた名言をのこしています。Ask not what your country do for you, ask what you can do for your country. (国があなたにしれくれることではなく、自分が国のために何ができるか尋ねてほしい)。これは1961年のものです。

この演説も音声できくと理想主義にあふれ格調高く、英語学習教材としても定番のものですが、大統領選挙戦におけるケネディ対ニクソンのTVディベートもまた、これ以上のものはないと言われるほど有名なものです(写真を参照)。これは1960年に行われたものです。



わたしはこの4回にわたっておこなわれたTVディベートで英語を勉強しました。通勤電車のなかでほとんど内容も覚えてしまうくらい何度も何度も繰り返し繰り返しウォークマンでテープを聞きこみました。大学を卒業して社会人になった1980年代後半のことです。テープから iPod などに媒体が変化しようとも、いまでも英語の勉強法はこれに尽きると考えています。  

この教材は音声教材なので、ラジオでの視聴のような感じです。たしかに弁護士出身でプロの政治家であったニクソンは説得力がありますが、ややだみ声のニクソンに対し、声質にかんしてもケネディのほうがフレッシュなだけでなく、チェンジ(変化)を求めるアメリカ国民に訴えるものが大きかったのではないかという印象をもったものです。

もちろん、その後のウォーターゲート事件で大統領を辞任することになったニクソンのことを知っているのでバイアスがかかっているのかもしれませんが・・・。

"I have a dream."(わたしには夢がある) のキング牧師とケネディは同時代のアメリカ人で、理想肌であったことも共通しています。もちろんケネディについては国家の最高のポジションに就いていた大統領でしたから、実際は汚い側面にも関与していたようですが、それはここでは問いません。

この二人がともに凶弾に倒れたことは、まさに「アメリカの悲劇」としかいいようがありません。


愛娘のキャロラインもまたリベラル派

リベラルがネガティブに語られることが多い現在の日本ですが、そもそもアメリカという人工国家は、旧世界から自らを解放した人々がつくった国だということは忘れないほうがいいでしょう。

リベラルのもともとの意味は左派ではなく、自由派ということです。JFK自身もリベラルではありましたが同時に現実主義者でもありました。ベトナム戦争に本格介入したのは大きな問題ではありましたが。

もちろん1958年生まれの愛娘キャロラインも JFK の衣鉢を継ぐ存在でしょう。その点がオバマ大統領と価値観を同じくするところなのでしょう。オバマ大統領自身、チェンジ(変化)を訴えて大統領に選出された人です。

政治家経験も外交経験もないことを問題視する評論家も少なくありませんが、コロンビア大学のロースクール卒業で弁護士としてのキャリアをもつ人ですし、その点は心配する必要はあまりないと思います。

弁護士は短時間で膨大な資料を読み込み、訴訟戦略を策定して実行するのがその職業の根幹にあるからです。キャロラインもその能力をフルに発揮することでしょう。実務に精通した優秀な「ナンバー2」やスタッフたちに恵まれれば、予想を超えた働きをする可能性だって否定できません。すでに公式ツイッターでは日本語版まで発信されています。

意外とタフニゴーシエーターかもしれませんよ。たんなるお飾りの "プリンセス" だと思ったら大間違いではないでしょうか。


「ケネディ次期駐日米国大使から日本の皆さんへ」 というビデオメッセージが着任前に公開されています。着任前にビデオメッセージを作成し公表するのは初めてだそうです。わかりやすい英語で(*日本語字幕つき)、好感度の高いビデオメッセージです。



なお、画面中央ではなく画面の右寄りで、しかもすこし斜めにすわっているのは、威圧感を与えないとの配慮だそうです。

着任前から話題になっていたキャロライン駐日大使。「ケネディ神話」は現在でもやはり生きていたわけですね。ここのところあまりしっくりとはいっていない日米関係ですが、キャロラインを駐日大使に選んだ作戦は、まずは初戦でオバマの勝ちといったところでしょうか。

キャロライン自身、日本には多大の関心をもっているということですが、JFK自身も太平洋戦争では帝国海軍の駆逐艦と衝突して大破した米海軍魚雷艇の艦長として危機を乗り切ったリーダーシップを発揮した人です。ブッシュの父もまた海軍パイロットとして日本軍に撃墜された人であったことを思い出させます。そもそもケネディ家はボストン出身ですから、日本との縁はきわめて深いファミリーなわけです。

日米関係がよりよい方向に発展することは、日米双方にとって重要なことですね。おおいに期待したいと思います。「ケネディ神話」復活によって、わたしもアメリカへの関心がふたたびよみがえってきたのを感じています。






<関連サイト>

SHOCKING: Video unreleased JFK assassination
・・ビデオがはじまってから6分前後で狙撃の瞬間がカラー映像で見れます。ショッキングな映像です。
The 1st Kennedy/Nixon Presidential Debate - Part 1/4 (1960)
・・ケネディ対ニクソンのTVディベート映像

ケネディ次期駐日米国大使から日本の皆さんへ
・・ビデオ・メッセージ(YouTube)

キャロライン・ケネディ駐日米国大使 キャロライン・ケネディ駐日米国大使
認証済み twitter アカウント @CarolineKennedy

対中国外交でも生かすべき米「リベラル・ホーク」人脈執筆者(「フォーサイト」、青柳尚志 2013年11月28日)
・・キャロライン・ケネディもまた「リベラル・ホーク」(リベラル・タカ派)であることが書かれている


PS ブログ記事執筆から3ヶ月後に記す(2014年2月19日)

なぜオバマ政権の大使は「無知」なのか-米国の外交に暗雲をもたらす選挙功労人事 (古森義久、JBPress、2014年2月19日)
・・「2009年から現在までの、オバマ政権における大使の政治任用は全体の53%という高い水準を記録した。ブッシュ政権では30%、クリントン政権では29%、先代ブッシュ政権では30%、レーガン政権は38%である。これらの数字で明らかなように、オバマ政権がキャリア外交官を大使に選ばず、外部からの政治任用者を登用する比率は異様に高い」  

このブログ記事を書いてから3カ月、最初の三カ月は蜜月(ハネムーン)として見守るものだが、さすがにキャロライン・ケネディ大使の資質に疑問符がつくようになってきいた。 和歌山県太地町のイルカ漁反対、その他もろもろ。上記の古森義久氏執筆の記事を読むと、オバマ政権の突出した異常(?)ぶりが明らかになる。古森氏は「大使人事が“カネ”の額で左右されている」と書いている。恩賞人事の最たるものである。  (2014年2月19日 記す)。


(追加)

「JFK-その生涯と遺産」展(国立公文書館)に行ってきた(2015年3月25日)-すでに「歴史」となった「熱い時代」を機密解除された公文書などでたどる

(2015年3月26日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

キング牧師の "I have a dream"(わたしには夢がある)から50年-ビジョンをコトバで語るということ

映画 『ハンナ・アーレント』(ドイツ他、2012年)を見て考えたこと-ひさびさに岩波ホールで映画を見た
・・映画には直接でてこないが、イスラエルでアイヒマン裁判が行われたときアメリカではまさにケネディ大統領時代であった

書評 『ランド-世界を支配した研究所-』(アレックス・アペラ、牧野洋訳、文藝春秋社、2008)-第二次大戦後の米国を設計したシンクタンクの実態を余すところなく描き切ったノンフィクション
・・冷戦時代の1960年代はまた「合理主義」全盛時代でもあった

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業
・・ハーバード大学の行政大学院はケネディを記念してその名をつけている

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-
・・ボストン美術館の日本美術担当キュレータをつとめた岡倉天心。そもそもボストンは幕末以来、貿易をつうじて日本との深い縁がある。貿易をつうじて蓄積された富が美術館やオーケストラなど各種の文化遺産の背景にある

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた

Two in One, Three in One ・・・ All in One ! -英語本は耳で聴くのが一石二鳥の勉強法

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した!
・・ラジオによる声のチカラ

書評 『小泉進次郎の話す力』(佐藤綾子、幻冬舎、2010)-トップに立つ人、人前でしゃべる必要のある人は必読。聞く人をその気にさせる技術とは? ・・オバマ演説の秘密についても一章をさいて解説

シビリアン・コントロールということ-オバマ大統領が政権批判したアフガン駐留の現地司令官を解任

冬の日の氷雨のなか、東京のど真ん中を走る馬車を見た
・・プリンセスと呼ばれることの多いケネディ新大使と馬車はよく似あっていた

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい


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2012年5月18日金曜日

「特別展 ボストン美術 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた(2012年5月18日)



「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた。

おそらく土日や祝日はそうとうな混雑になることは間違いないので、それを避けて今週水曜日の午後の早い時間に行ってみたのだが、それでもそうとうな人出だった。

ボストン美術館、日本美術、里帰り・・・。これらのキーワードに反応するのは、けっして熱心な美術ファンだけではあるまい。そう考えるのが自然というものだろう。このテーマにかんする一般日本人の関心の高さがうかがわれる。

今回の里帰り展は30年ぶりの規模であるという。ボストン美術館が所蔵する日本美術の名品を一堂に展示する大規模な里帰り展である。

先日NHK・Eテレの「日曜美術館」で取り上げられていたが、日本文学者のロバート・キャンベル氏が言うには、ボストン美術館でも、日本美術をこれだけまとめて見ることのできる機会はないそうだ。その意味では、絶対に見逃してはならない美術展である。

ボストン美術館そのものは名古屋に分館があって、所蔵品の一部を展示する機能を担っている。名古屋ボストン美術館では、東京国立博物館のあと、前期・後期の二回にわけて大規模な展示が行われるようだ。


ボストン美術館といえば岡倉天心、そしてフェノロサ

まず、来場者を迎えてくれるのは、釣り竿をもった岡倉天心の立像である。

岡倉天心は『茶の本』で有名な思想家と世の中では知られているだろうが、ボストン美術館に招聘されて、中国・日本美術部長を務めた人でもある。『茶の本』は、もともと The Book of Tea というタイトルでボストン在住時代に英文で 出版された。

道教の道士のような恰好は晩年の姿。「3-11」の大津波で流されたがさきほど修復が完成した五浦(いづら)の六角堂で過ごし、晴釣雨読の日々を過ごしていた頃のものだ。

その岡倉天心(1863~1913年)と同志であったのが、お雇い外国人として来日した哲学教師の米国人アーネスト・フェノロサ(Earnest Fenollosa: 1853~1908年)、そして同じく米国人で元医師の大富豪ウィリアム・スタージス・ビゲロー(W.S. Bigelow: 1850年~1926年)

この三人がボストン美術館の日本美術部門の基礎を築いたトリオである。


(左からフェノロサ、岡倉天心、ビゲロー)


特筆すべきなのは、あまり知名度が高くないが、ボストン美術館の日本美術部門の収集品の基礎となった作品群を自費で購入したビゲローである。ボストン・ブラーミン(=ボストンの上流階級)出身の彼は大富豪でもあり、しかも日本文化に心酔したあまり、キリスト教から天台宗に改宗したほどであったという。そこまでの情熱の持ち主であったことを知っておきたい。

ボストンはニューヨークが米国経済の中心になる以前は、国際貿易で繁栄した港町なのである。富が集積するところに、美術品も集積する。こと美術品の集積にかんしては、米国では西海岸が東海岸に見劣りするのは経済発展のタイムラグによるものも大きい。幕末から明治のはじめにかけて来日したビジネスマンはボストン出身者が多かったのである。

日本美術にかんしては、まずフェノロサが「発見」し、帝大時代の弟子であった岡倉天心とともに調査研究し、日本と日本美術にぞっこんとなった大金持ちビゲローが大量に購入してボストンに持ち帰ったのであった。

フェノロサや岡倉天心の思想が反映しているためバイアスはあろうが、収集当時はまったく顧みられなかった曾我蕭白の作品群などを評価し保存して功績はきわめて大きいと言わねばなるまい。


岡倉天心については、このブログで 「アジアは一つ」(Asia is One)という名言とともに詳しく書いておいたので、岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-を参照されたい。

また、アジア美術としてインドにもかかわっていたことも重要だ。この点については、日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた でも触れておいた。

「アジアは一つ」とは、インドと中国に発する東洋美術の流れが極東の日本で一つになるという意味である。これがもともと岡倉天心が意図していたことだ。仏教について考えてみれば、すぐにわかることだと思う。アジアにおいては、多様性をもった統一性なのである。

ボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)は、わたしは米国留学中の 1991年に一回いったきりだが、機会があればぜひ再訪したい美術館である。岡倉天心を記念した庭園が美術館にあり、ミュージアムショップも充実している。

わたしはボストン美術館ミュージアムショップで The Book of Tea のペーパーバッック版を購入した。岡倉天心の本名は岡倉覚三である。





■この美術展の歩き方-なんといっても曾我蕭白の傑作を!

なんといっても曾我蕭白(そが・しょうはく)の展示が圧倒的だ。この展示を見るためにだけでも万難を排して出かける意味がある。

「奇才・曾我蕭白」と題された展示は、第二展示室の最後の展示になる。通常の展示とは異なり、いちばんスゴイのがいちばん最後に待っているわけだ。

まずは、ざっと見てから曾我蕭白のコーナーまでいってじっくりと観賞し、それから最初に戻ってこれだけは見ておきたい作品を見るというのが、無駄に体力を消耗せずに、好きな作品を鑑賞する方法である。

曾我蕭白の傑作が、美術展のパンフレットの表紙にもつかわれている「雲龍図」(1763年)という屏風絵(上掲)である。これは思っていたよりも」はるかに大きな作品で圧倒される。こんなに大きな屏風だったのか!!!




龍の目玉が人間のアタマほどの大きさがあるのだ。龍の目はひんがらめになっているので、ほとんどマンガである。

龍の大きなツメの恐ろしさとは対照的な龍の目のひょうきんさ。しかも、恐ろしいはずの龍のツメも、あまりにも大きくてクチバシの長い鳥が4羽集まっているようにも見える

これが奇才の奇想というものだろう。見る人次第で、違ったものに見えるわけだ。




現在は龍頭と龍尾しか残っていないが、本来は龍の胴体もあったらしい。現存しているものだけでもスゴイから、もし全部あったとしたらいったい・・・。しかし、この屏風もビゲローが発見して購入した際はかなり痛んでいたらしい。今回の初公開の前に修復されて屏風に仕立てられたとのことだ。そのおかげで、じっくりと観賞できるわけなのだ。

展示会場を出る前に、雲龍図の絵はがき(150円)とマグネット(500円)とペーパーウェイト(2,100円)を買って帰ることとした。わたしのお気に入りの屏風絵である。

なぜ、フェノロサやビゲローが曾我蕭白を大量に収集したのかを考えてみるのも面白いことだ。明治時代のはじめには、すっかり人気がなくなっていた曾我蕭白を「再発見」したのが彼らだったのだ。この点にかんしては、かれら米国人に感謝してしかるべきだろう。もし再発見されなかったら、消えていたかもしれないのだから。

現在、千葉市美術館での「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」をあわせてみれば、曾我蕭白をこれほどまとまって見れる機会はないだろう。「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた を参照されたい。

千葉市美術館の展示は5月20日まで、そのあとは、曾我蕭白ゆかりの地である三重県美術館に巡回される。


日本にあれば国宝級の絵巻物二点にはすごい人だかり

今回の展示の目玉である、「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻」という、日本にあれば間違いなく国宝級の絵巻物二点もすばらしいが、いかんせん、あまりにも多くの人が展示ガラスケースの前にへばりついているので、敬遠してしまう。




美術の教科書にはかならず取り上げられている「平治物語絵巻」の燃え上がる炎のシーンだけは万難を排してでも見ておいた。これは見逃してはいけないのだ。

展示のはじめのほうにある仏画や仏像には、あまりにも多くの人がへばりついていて見る気が失せてしまうので、ざっとチラ見して通り過ぎる。ただし、快慶作の黄金の仏像だけはじっくりと拝観する。

なぜこれだけ大量の仏画や仏像が海外に流出したかについては、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈について考えておかねばならない。仏教が否定され、仏画や仏像が二束三文で売り払われたのだ。庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ に書いておいたので参照されたい。

そのようにして売り払われ、美術品として持ち帰られた仏画や仏像に、宗教性がまったく失われているのも当然といえば当然なのだ。

だから、そういった展示品はスルーして素通りしてもまったくかまわないとわたしは考えている。

もっとも屏風の類も、本来の用途が失われて美術品として観賞される対象となってしまったのであはある。だからほんとうは、畳の部屋で正座するなり、あぐらをかいて屏風絵は見るものなのであるのだが。

現代人にとっっての日本美術とはいったい何かという問いに至ってしまうが、そんなことを考えていてはキリがないので、ここらへんでやめておこう。

今回の大規模な里帰り展は、けっして日本美術の入門編とは考えないことだ。それが目的だとすると、あまりにも混雑しすぎているからだ。平日の午後でもすごい人出だ。週末はもっとすごいのだろう。これは東京のあとにつづく巡回展示でも同じだろう。

万難を排してでも見に行かねばならない絵を絞り込んでから出かけるのがいい。いままであげたもののほかに、伊藤若冲の「鸚鵡図」や尾形光琳の「松島図屏風」や長谷川等白の龍虎図屏風なども逸品である。

いずれにせよ、絶対に足を運ぶべき美術展であることはここに断言しておきたい。


(尾形光琳の「松島図屏風」 18世紀前半)


<関連サイト>

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)

海を渡った超傑作!~ボストン美術館 日本美術の名宝~(NHK・Eテレ 日曜美術館で5月6日放送)



PS 岡倉天心とフェノロサ、ビゲロー3人の関係について


フェノロサやビゲロー、そして岡倉天心は、ほぼ同時期に天台宗の桜井敬徳阿闍梨から「菩薩戒」を受けて、正式に在家仏教徒になっている。そして、その遺言によってフェノロサもビゲローも分骨という形で三井寺に埋葬されることになった。

岡倉天心だけでなく、アメリカ陣のフェノロサとビゲローも文字通り日本に骨を埋めることになったのである。

(2025年9月1日、2026年6月30日 記す)

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PS2 なぜボストン美術館に日本美術の名品が集まっているのか


大森貝塚を発見したエドワード・モースの来日から説き起こし、モースとフェノロサ、そしてやビゲローの3人が明確な意図をもって収集に注力したこと、その結果ボストン美術館が世界最高の日本美術の集積場所となったことを明らかにしている。これら「ボストン人脈」の延長線上に、東洋美術部門の責任者となった岡倉天心がいるわけである。

ボストン美術館だけでなく、大富豪フリーアや御雇い外国人キヨッソーネのように収集品を美術館として散逸を防いでいる例浮世絵の名品をフランスから買い戻した松方幸次郎(・・フランス印象派の作品の収集でも知られる)などが紹介され、美術品の海外流出の是非を考える材料を提供している。(2026年6月30日 記す)

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<ブログ内関連記事>

・・モース、フェノロサやビゲローといった「ボストン人脈」、そしてかれらと密接な関係をもっていた岡倉天心




・・フランク・ロイド・ライトはまた浮世絵の愛好家でありディーラーであった。最晩年にいたるまで浮世絵を愛しており、その延長線上にプライス氏の若冲コレクションがある

(2026年6月30日 情報追加)


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