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2013年12月19日木曜日

書評『新渡戸稲造ものがたり ― 真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)― 人のため世の中のために尽くした生涯



東京・銀座に教文館という本屋がある。一階と二階は一般書籍を扱っているが、三階はキリスト教の専門書店になっている。もともとはそちらが出発点であり業務の中心である。

わたしはたまに教文館の三階にいってみるのだが、あるとき中高一貫のミッションスクールの受験案内特集コーナーがあり、そのなかの恵泉女学園のコーナーかその近くだったと思うが、この『新渡戸稲造ものがたり』が平積みになっていた。

取り上げてパラパラとページをめくってみると、写真がひじょうに多く、内容もしっかり書きこまれているようであった。「ジュニア・ノンフィクション」と銘打ってあるが、大人でも十分読める内容と思われた。

新渡戸稲造の伝記はすでに太田雄三氏の『太平洋の橋としての新渡戸稲造』(みすず書房、1986)をはるか昔、アメリカ留学する前であったからすでに四半世紀以上前に読んだことがあるのだが、あらためて新渡戸稲造の生涯を振り返ってみたいと思い、買って帰ることにした。

一冊の本の出会いというのは、こういう形のときもある。リアル書店にもときには足を運ぶ必要があるというのはこういうことだ。人との出会いもまた。

新渡戸稲造というと『武士道』の一冊だけで語られがちだが、じつはそれだけではない。あまりにも多方面にひろがるマルチな活躍をした人なので、目次を紹介するのがいいだろう。本書の目次がそのまま新渡戸稲造の年譜になっているからだ。

目 次

1. 幼少時代-1862年(誕生))~1870年(8歳)
2. 東京-1871年(9歳)~1876年(14歳)
3. 札幌農学校-1877年(15歳)~1881年(19歳)
4. 東京大学/アメリカ留学-1882年(20歳)~1886年(24歳)
5. ドイツ留学/結婚-1887年(25歳)~1890年(28歳)
6. 札幌農学校教授/遠友夜学校-1891年(29歳)~1897年(35歳)
7. 世界的な名著『武士道』-1898年(36歳)~1900年(38歳)
8. 台湾の砂糖産業と植民地政策-1901年(39歳)~1905年(43歳)
9. 第一高等学校の校長-1906年(44歳)~1913年(51歳)
10. 東京帝国大学教授/拓殖大学学監/東京女子大学学長-1914年(52歳)~1918年(56歳)
11. 国際連盟事務次長-1919年(57歳)~1926年(64歳)
12. 平和の使徒として-1929年(65歳)~1933年(71歳)
13. 没後 稲造が遺したもの

まさに絵にかいたような「国際人」である。かつて五千円札に肖像画が採用されたことによって新渡戸稲造が「復活」したのだが、現在は女性を採用ということで樋口一葉になっている。それでも、新渡戸稲造がふたたび知られるキッカケになったことは間違いない。

その証拠に、英文で発表された『武士道』(Bushido)が現在でも世界中で読まれているだけでなく、日本でも誰もが知るタイトルとして新渡戸稲造の名前と結び付いた。これはたいへん喜ばしいことだ。


(裏表紙には『BUSHIDO』(1900年)の初版本)


本書にもくわしく書かれているが、押さえておきたいのは、クエーカー派のキリスト教徒であった新渡戸稲造が、日本の武士道を西洋のキリスト教と倫理という点においては同等であると言明していることである。

専門の植民政策(・・現在は国際経済学)の直弟子であり、しかも内村鑑三の無教会主義の影響を受けたキリスト教徒でもあった矢内原忠雄が訳した訳文が岩波文庫として現在も発行されているが、格調高いものの訳文が古臭いのが残念。とはいえ、カーライルの影響を受けた原文の英語もこれまたやや古風である。

いわゆる「英語名人世代」はその時代のみが生み出した稀有な存在であったわけだが、新渡戸稲造のほかに札幌農学校で同窓であった内村鑑三、そして横浜生まれの岡倉天心は、それぞれ英語の文体がまったく異なるのは面白いので、関心のある人はネットで検索して英文を比較してみるといいだろう。

国際連盟事務次長4人のうち、ただ一人の非欧州人としては抜擢されたのは、英語力や学識だけではなく、きわめて実際的な手腕を前提としたものであったことは特筆してよいのではないだろうか。ちなみに、国際連盟に日本から派遣された人に民俗学者の柳田國男がいるが、かれはもともと農商務省(・・現在の農林水産省+経済産業省)の役人であった。

新渡戸稲造は日本の女子教育に多大な貢献を行った人としても記憶されるべきだろう。自分自身もそのメンバーであったクエーカー(=フレンド派)が日本につくった普連土学園、津田梅子の女子英学塾(・・のちの津田塾大学)、東京女子大学、そして先に名前を出したが弟子の河井道(かわい・みち)が創立した恵泉女学園などなど。いずれもキリスト教精神にもとづき「人格」を重視した教育を根幹に据えたものである。

ことし2013年夏に日本でも公開された映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)の原作は『陛下をお救いなさいまし』(岡本嗣郎)であるが、日本側の主人公が河井道である。映画のなかではずいぶんデフォルメされてしまっているのが残念であるが・・・。

本書は、「真の国際人」として生きた新渡戸稲造の全体像を知るのために、ひじょうによくまとまった伝記である。「江戸、明治、大正、昭和」をかけぬけた新渡戸稲造は、最後は満洲事変後の日本の立場を国際世論に説明するための遊説中にカナダで斃れたのであった。

それにしてもじつに多岐な分野にわたって、求められるまま人のため社会のため、国のため、そして「太平洋のかけ橋」として尽くした新渡戸稲造の生涯逆境につぐ逆境を乗り越えた人生を圧縮して250ページの本にしているが、いかに手がかかっている作品となっているかは読んでいてよくわかる。

「ジュニア・ノンフィクション」の一冊として出版された本であるが、すでにジュニアではない大人でも十分に読んで得るところの多い伝記である。ぜひ手にとって読んでほしいと思う。


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目 次

はじめに
1. 幼少時代-1862年(誕生))~1870年(8歳)
2. 東京-1871年(9歳)~1876年(14歳)
3. 札幌農学校-1877年(15歳)~1881年(19歳)
4. 東京大学/アメリカ留学-1882年(20歳)~1886年(24歳)
5. ドイツ留学/結婚-1887年(25歳)~1890年(28歳)
6. 札幌農学校教授/遠友夜学校-1891年(29歳)~1897年(35歳)
7. 世界的な名著『武士道』-1898年(36歳)~1900年(38歳)
8. 台湾の砂糖産業と植民地政策-1901年(39歳)~1905年(43歳)
9. 第一高等学校の校長-1906年(44歳)~1913年(51歳)
10. 東京帝国大学教授/拓殖大学学監/東京女子大学学長-1914年(52歳)~1918年(56歳)
11. 国際連盟事務次長-1919年(57歳)~1926年(64歳)
12. 平和の使徒として-1929年(65歳)~1933年(71歳)
13. 没後 稲造が遺したもの
感謝のことば-あとがきにかえて
年表
新渡戸稲造博士の主な著作
新渡戸稲造博士と関わった主な人々
参考資料
写真協力・写真もくじ
記念館紹介

著者プロフィール

柴崎由紀(しばざき・ゆき)
成城大学文芸学部ヨーロッパ文化学科卒業後、アメリカ・コロラド大学ボールダー校でB.A.取得(International Affairs)。スイスの金融機関、国際コミュニケーシヨン会社を経て、現在、銀の鈴社で企画・編集(非常勤)、フリーランスで取材・執筆活動中。「文藝春秋特別版」(平成18年8月臨時増刊号)などに外国人インタビュー記事を寄稿。鎌倉ペンクラブ会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

・・詳細な目次がある 

新渡戸稲造博士の足跡を訪ねて(著者のブログ)



PS   新渡戸稲造と「修養」

新渡戸稲造も一般人向けに数多く「修養書」を書いている。現代風にいえば「自己啓発書」であるが、『逆境を越えてゆく者へ』(新渡戸稲造、実業之日本社=編集、実業之日本社、2011)もまた、「教養」の根底に「自己修養」があることを気がつかせてくれる良書である。

目 次
第1章  境を越えてゆく者へ(『修養』第十章より)
第2章 人生の危機は順境で起こる(『修養』第十一章より)
第3章 決心を継続していくということ(『修養』第四章より)
第4章 四つの力を貯蓄する(『修養』第八章より)
第5章 臆病を克服する工夫(『自警』第五章より)
第6章 人生の決勝点(『自警』第十一章より)

中村天風もいいが、新渡戸稲造も捨てがたい。むしろより一般向けであるといえるかもしれない。新渡戸稲造の生涯は逆境につぐ逆境、しかしそれを乗り越えた人生だ。



<ブログ内関連記事>

映画 『終戦のエンペラー』(2012年、アメリカ)をみてきた-日米合作ではないアメリカの「オリエンタリズム映画」であるのがじつに残念
・・「原作は『陛下をお救いなさいまし』(Save the Emperor)。河井道(かわい・みち)という女性は、『BUSHIDO』の著者で教育家の新渡戸稲造の薫陶を受けた日本人キリスト教徒。恵泉女学園を創設した教育家でもある」

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

『鉄人を創る肥田式強健術 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)』(高木一行、学研、1986)-カラダを鍛えればココロもアタマも強くなる!
・・肥田春充もまた日本型キリスト教の人脈に連なる人

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場に立つが「実学」と「実践」の重要性を説いた講演である

岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・新渡戸稲造も一般人向けに数多く「修養書」を書いている。現代風にいえば「自己啓発書」であるが、「教養」の根底に「修養」があることを気がつかせてくれる良書である

書評『民俗学・台湾・国際連盟 ー 柳田國男と新渡戸稲造』(佐谷眞木人、講談社選書メチエ、2015)-「民俗学」誕生の背景にあった柳田國男における新渡戸稲造の思想への共鳴と継承、そして発展的解消

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2012年11月11日日曜日

書評『秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと』(片上雅仁、アトラス出版、2008)--「坂の上の雲」についての所感 (5)



陸軍騎兵隊生みの親である秋山好古(あきやま・よしふる)と、海軍参謀としてバルチック艦隊殲滅の作戦を立案した秋山真之(あきやま・さねゆき)の秋山兄弟。

この兄弟が日露戦争を勝利に導いたことは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の読者やそのドラマ化をみた人なら誰もが知っていることだろう。

熱心なファンのあいだでは、では秋山真之と秋山好古のどちらが好きかといった話題になることがある。

どうしても「天気晴朗なれど波高し」の名文句を残した天才参謀・秋山真之ファンが多くなるのは当然だが、わたしは『坂の上の雲』を読んで以来の秋山好古ファンなのである。

その理由は、人もうらやむ陸軍大将まで昇進しながら、退役後は郷里の松山に帰って中学校の校長を務めたという生き方にある。何物にも恬淡(てんたん)として執着せず、乞われたら天命をまっとうするという生き方人間の生き方としては、じつにすばらしい

これに賛成してくれる人もいなくはないことを知った。間違いなく秋山好古ファンは存在するのだ。

先日のことだが、2012年10月25日から11月3日まで、「西日本縦断ツアー」と銘打って、拙著 『人生を変えるアタマの引き出しの増やし方』(こう書房、2012)のプロモーションを兼ねて、鹿児島から京都まで高速バスをつかった長旅を行った。

その際、広島から瀬戸内海をフェリーで渡って松山に入ったのだが、まさにNHKドラマ『坂の上の雲』の世界そのままであった。海軍に入った主人公の一人・秋山真之が、休暇を利用して呉から船で松山に帰省するシーンがドラマには何度か登場する。

そして、城下町松山は秋山兄弟と正岡子規が少年時代を過ごした土地である。


(坂の上の雲ミュージアム)

松山での短い空き時間のあいだに「坂の上の雲ミュージアム」に立ち寄ってみたのは、当然といえば当然だろう。

ただ、ミュージアムは建築家・安藤忠雄によるコンクリート打ちっ放しというワンパターン建築で、内容展示にかんしても、やや物足りなさを感じさせられたのがちょっと残念ではあったが。

「坂の上の雲ミュージアム」から坂をすこしあがったところに、国重要文化財の萬翠荘(ばんすいそう)がある。

第15代松山藩主にあたる久松定謨(ひさまつ・さだこと)伯爵の別邸として建設された洋館である。その一階の売店で『秋より高き 晩年の秋山好古と周辺のひとびと』(片上雅仁、アトラス出版、2008)をみつけて即購入を決めた。地方出版は、なかなか入手しにくいことがあるからだ。


(萬翠荘 筆者撮影)


その久松定謨(ひさまつ・さだこと)伯爵とは、秋山好古が補導役としてフランス留学のお供をした松山藩の旧主君である。かれらはともにサンシール陸軍士官学校に学んでいる。初期の陸軍将校にはフランス派が多かったことはアタマのなかにいれておきたい。

この本は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』にはくわしく描かれなかった「その後の秋山好古と松山」である。

司馬遼太郎は秋山好古の臨終シーンを書いていたが、本書はその前の北予中学校の校長として過ごした6年間こそ、秋山好古の本来の姿に近かったのかもしれないということがわかる好著であった。

学問好きで並の教養人以上の知識人であり、しかも軍務をつうじて海外経験も長い秋山好古は、やはり明治の軍人であったというべきだろう。比較文学者の島田謹二は弟の秋山真之とおなじく海軍の広瀬武夫をとりあげて評伝として描いたが、陸軍の秋山好古が取り上げられなかったのは残念なことだ。

薩長ではない佐幕の松山藩の下級武士の家に生まれて刻苦勉励の末、陸軍大将まで昇進した秋山好古であったが、高いポジションについたといっても、物静かで大声を出さず、誰とでもわけへだてなく接する、けっして上から目線になることのない人であった。

その秘密が、若い時に読んだ福澤諭吉の『学問ノススメ』であったことを知ったのは、本書を読んだ最大の収穫であったといっていい。経済にも明るく、合理主義を貫いた思考方法は、福澤諭吉の影響であたようだ。

明治維新の敗者である会津藩出身の陸軍大将・柴五郎とともに、記憶に刻み込んでおくべき明治の清廉潔白な国際人としての陸軍軍人であった秋山好古。陸軍大将になるのは人生の目標ではなく、結果としてそうなったに過ぎないのである。

軍人本来の合理主義に貫かれた柔軟な思考と国際的視野。これが郷里の松山の教育者として乞われた理由であったようだ。秋山好古は、本質的に生涯をつうじて教育者だったのであろう。


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目 次

1. 校長就任
2. 北予中学校の揺籃とパリの縁
3. 無休主義
4. 温厚と平等
5. 人間的吸引力
6. 校長の責任
7. 生徒は兵隊ではない
8. 松山高校の紛争を調停
9. 運動競技は各国民の品位を代表する
10. 温泉、ヘボ碁、都々逸
11. 天皇の見方
12. 経世の道
13. 自治と科学的精神
14. 関東大震災、朝鮮、中国
15. 自分の劣勢を認める勇気
16. 私学的自由の尊重
17. 若き日に「必ずしも艶聞なきにあらず」
18. 同志たち (1) 加藤恒忠
19. 同志たち (2) 新田長次郎
20. 同志たち (3) 白川義則
21. 舞台まわしは井上要
22. 校長はすでに老いて
23. 自己教育
24. 銅像は見ている
あとがき
秋山好古略年譜
参考文献

著者プロフィール

片上雅仁(かたかみ・まさひと)

昭和30年(1955年)、愛媛県松山市生まれ。一橋大学経済学部卒業。朝日新聞愛媛版短歌投稿欄選者。愛媛県県立高校地理歴史・公民科教諭。平成18年度まで、好古が校長を務めた北予中学校の後身である松山北高等学校に勤務したことから、朝日新聞愛媛版に「晩年の秋山好古」を連載し、好評を博した。 


<関連サイト>


坂の上の雲ミュージアム(愛媛県松山市)

萬翠荘(ばんすいそう)(愛媛県松山市)


<ブログ内関連記事>

瀬戸内海を広島から松山までフェリーで渡り、高速バスで瀬戸大橋を渡って岡山へ(2012年10月30日~31日)-物理的な距離感と心理的な距離感に違いについて


陸軍と騎兵

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた

「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった ・・日本騎兵隊の父・秋山好古は陸軍騎兵第一旅団長として、日露戦争開戦前は習志野にいた


フランス派の陸軍将校

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!
・・砲兵科出身の柴五郎は、おなじく砲兵のドレフュスとは同時代人


明治時代と「坂の上の雲」関連

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) 

「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ-「坂の上の雲」についての所感 (4)

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!

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