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2024年7月4日木曜日

「津田梅子のスピーチ」 ― その肉声は澄み切って美しいアメリカ英語

 

昨日(2024年7月3日)から新札切り替えが始まったが、壱万円札の渋沢栄一ばかりに脚光が浴びるのは、いかがなものかな、と。 

本日(7月4日)は「アメリカ独立記念日」(Independence Day)でもある。だからというわけではないが、5千円札の津田梅子にもっと関心を向けるべきだろう。


日本に帰国時には、日本語をほとんど忘れていただけでなく、その後も日本語の読み書きを再習得するには苦労したようだ。自分の思いを表現するには、日本語より英語のほうが楽だったらしい。当時の日本語は、読み書きにかんしては難しさは現在の比ではない。 

女子英学塾(現在の津田塾大学)を創設した津田梅子は、基本的にスピーチは英語で行っていたようだ。 1913年の第11回卒業生に向けてのスピーチが、肉声として残されている。The Principal's Address to the Graduates である。 

2000年の津田塾大学創設100周年を記念して製作されたCDには、SPレコードからの復元音声が収録されており、津田梅子の肉声を聴くことができる。 

当たり前ではあるが、澄み切ったきれいな発音でスピーチが朗読されている。ネイティブ並のアメリカ英語である。 戦前のハリウッド映画のセリフの発音のように明瞭だ。

英語をつうじて世界を知り、英語をつうじて独り立ちする能力を身につける。これはただ日本人女性にとってだけではなく、21世紀の現在においては、日本人男性にとっても必要なことではないだろうか。 


PS このCDはもらい物なので非売品だと思っていたが、そうではなく、津田塾大学で購入できるようだ。 ⇒ https://www.tsuda.ac.jp/aboutus/history/books.html 
YouTubeでの津田梅子の肉声の公開はないので、入手する価値はあると思う。 




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2023年1月29日日曜日

書評『幕末の先覚者 赤松小三郎 ― 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)― 「福澤諭吉」になりそこねた男の短い生涯

 

 幕末に非業の死を遂げた「先覚者」は、佐久間象山や坂本龍馬など数知れない。 

赤松小三郎という人もまた、非業の死を遂げた先覚者である。そのことは『幕末の先覚者 赤松小三郎 ー 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)という本で知った。  

おお、そんな人がいたのか! まったく知らなかった。 

赤松小三郎(1831~1867)は、信州の上田藩に生まれた下級武士。数学が得意で、遊学先の江戸で内田五観(いつみ)の私塾「瑪得瑪第加」(マテマチカ)で数学を研鑽、さらにオランダ語を習得し、のちには英語も身に付けた。勝海舟の従者として長崎で海軍伝習所でさまざまなことを学んでいる。 

だが、よく似た経歴をもつ福澤諭吉(1835~1901)とは違って、「万延元年遣米使節」には加われず、米国に渡航することはできなかった。すでに勝海舟の従者ではなかったからだ。「福澤諭吉」になりそこねてしまったのだ。 

その後は、さまざまな紆余曲折があったが、横浜に駐留する英国陸軍部隊(*)の大尉からナマの英語と英国の歩兵操典を学び、英国式兵学者として身を立てる途が開ける。
   
(*)英国は居留地における自国民の権益を守るため、幕府の許可のもとフランスとともに陸軍部隊を駐留させていた。「英仏横浜駐屯軍」という。
  
生麦事件など攘夷派によるテロが横行してきたことが背景にある。駐留期間は、1863年(文久2年)から1875年(明治8年)に及んだ。その規模は、英軍は1000人強、フランス軍は300人レベルであった。国家主権の観点から、日本の要求によって1875年に全面撤退することとなった。




「第2次長州征伐」に参加した上田の藩士として京都に駐留した小三郎は、帰国要請をかわしながら京都で兵学塾を開く。上田藩という小藩ではなく、日本全体を変革したい、そんな大きな野心を抱いていたからだ。 ちなみに、福澤諭吉も英語から「雷銃操法」「兵士懐中便覧」「洋兵明鑑」などを翻訳していることを付け加えておこう。

英語から翻訳した『英国歩兵操典』が評判となり、教えを請う者が続出。薩摩藩や会津藩などからも招聘され、教官として訓練にあたることになる。 

だが、これが「あだ」になったのだ。変転きわまりない情勢のなか、昨日の友は今日の敵となる。 

同盟を結んでいた薩摩藩と会津藩だが、関係が険悪化する。薩摩藩が倒幕に政策を転換し、長州と組むことで京都の治安維持にあたっていた会津藩を裏切ったのである。

軍事教官として双方に密接にかかわっていた赤松小三郎は、薩摩藩から幕府のスパイ扱いされ、抹殺されることになってしまったのだ。 

斬ったのは、人斬り半次郎こと中村半次郎(のちの桐野利秋)である。護身用のピストルを抜く暇もなく、叩き斬られたのであった。薩摩示現流の遣い手を前にしては、ピストルなどなんら用をなさなかったわけだ。暗殺の背後関係については不明なままだというが、薩摩藩の統一意思であることと考えるべきだろう。 

福澤諭吉の『西洋事情』にもインスパイアされ、議会制度の建白書を幕府にも提出(・・慶喜も目を通したらしい)し、なんとか内戦を回避したと願って奔走していたのだが・・。 

時代に先駆けた「先覚者」は非業の死を遂げる。36歳で死んだ赤松小三郎もまた、その例外ではなかった。 

幕府を倒す原動力になった薩摩藩の陸軍を教練した、「恩人」ともいうべき人物を葬り去った薩摩藩。非情なものである。存在すら知られることなく100年以上も経過していたのである。それだけ、薩摩藩による隠蔽工作が成功していたということだろう。
 
相楽総三もそうであるが、名誉回復をはかる動きが出てきているのである。消し去ってしまったはずの薩摩藩の「黒歴史」に、ふたたび光が当たり始めている。 

数学と英語が得意なこの人物は、もうすこし遅く生まれていたら、どんな分野であっても間違いなく成功を収めたことだろう。現代に生まれていたら、難関大学も突破しているはずだ。生まれる時代は、自分には選べない。 

とはいえ、こんな人物がいたのだということは記憶にとどめておきたい。 


(画像をクリック!)



目 次
プロローグ ― 幕末史から消されていた憂国の志士
第1章 上田藩に生まれる ― 学問に励む日々
第2章 勝海舟との出会い ― 長崎での日々
第3章 英式兵制と横浜居留地 ― 内戦の勃発
第4章 幕末政局の舞台・上方に向かう ― 薩摩藩の接近
第5章 憂国の志士として奔走する ― 雄藩の合従連衡
第6章 非業の死 ― 小三郎が夢見た新国家
エピローグ ― 赤松小三郎の遺産
赤松小三郎関連年表
参考文献

著者プロフィール
安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)
1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




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2021年11月15日月曜日

杉本鉞子の『武士の娘』は、山川菊栄の『武家の女性』とあわせて比較して読むべき本。原文の英語版で読んだほうがいいかもしれない

 


文庫本の帯にもあるように評論家の櫻井よしこ氏や、最近では「歴女」の女優・杏が愛読書として推奨している。購入してから10年以上たってようやくこの有名な本を読むことにしたのは、先に山川菊栄の『武家の女性』を読んだからだ。

著者の杉本鉞子(すぎもと・えつこ 1873~1950)は、長岡藩家老・稲垣氏の娘として明治6年に生まれた人。

越後の長岡藩といえば河井継之助だが、戊辰戦争において官軍と戦って敗れ去って「維新の負け組」となり、会津藩ほどではないが辛酸を舐めることになった。「米百俵」のエピソードがあるように、なによりも教育を重視した土地柄である。櫻井よしこ氏が推奨するのは、彼女が長岡出身であることも関係していることだろう。 

この本は、「武士の娘」として生まれ育った著者の半生記である。米国で実業家として活動していた日本人と結婚するため渡米し、現地で二人の娘をもうけながらも夫と死別した著者が、最初から英語で執筆したものだ。 

原本はニューヨークで1925年に出版された "A Daughter of the Samurai" (Etsuko Inagaki Sugimoto)。同時期には『グレート・ギャツビイ』と並んでベストセラーとなり、数カ国語に翻訳されたという。 


(wikisource より初版カバー)


この日本語訳は、現著者の協力にもとに作成され1943年(昭和18年)に初版が出版されている。日本語版の出版に至った時代背景にも注目したい。

ただ、読み始めて思ったのは、この日本語訳は、じつにまどろっこしい文体で、正直いって途中で読むのをやめてしまおうかと思ったことだ。 

まず最初に長岡藩の家老の生活が回顧されるが、先に読んだ山川菊栄の『武家の女性』とは、テイストがまったく異なるのである。後者が下級武士の話であったのに対し、前者が家老という上級武士の話だからだろう。

『武士の娘』だけを読んで、江戸時代の武士の生活がわかったと思うのはきわめて危険なことなのだ。また、江戸時代においては、武士が日本人を代表する存在ではなかったことにも注意しなくてはならない。 

著者の杉本氏は、その後、渡米準備のため東京で米国のメソディスト系ミッションスクール女学校で英語を勉強、そんな勉学の日々のなか洗礼を受けてキリスト教徒になる。

渡米後の生活で「異文化」との濃密な接触によるカルチャーショックと、日本人としてのアイデンティティを再確認する。配偶者の死後、日本人である娘の教育のため日本に帰国した際に体験する逆カルチャーショック。娘たちは「帰国子女」の走りといっていいだろう。 米国文化になじんでいた娘は米国に帰りたがっていた。

ここらへんの叙述は、文体はまどろっこしいものの、内容的には興味ぶかい。内村鑑三の How I Became a Christian (1895、日本語訳は『余は如何にして基督信徒となりしか』)の女性版といっていいかもしれない。内村鑑三もまた高崎藩士の息子であり、しかも米国体験の持ち主であった(・・ただし内村は米国社会に大きく失望して帰国している)。 

読んでいる途中でいろいろ調べてみてわかったのは、このちくま文庫版(1943年の日本語版初版と内容はおなじ)では、原文の Chapter XXIV  In Japan Again(ふたたび日本に戻って)がカットされていることだ。 

幸いなことに著作権切れの本なので、Wikisource に原文が掲載されているので、カットされた文章を読んで見ると、日本語訳ほどまどろっこしいものではない。印象がだいぶ異なるのだ。 https://en.wikisource.org/wiki/A_Daughter_of_the_Samurai 

この日本語訳は、著者自身も目を通しているので、ある意味ではオーサライズされたものであろう。そう考えると、意図的にカットした可能性がある。カットされた章に書かれている内容が、未亡人として帰国した著者の周辺に迷惑がかかると懸念したためだろうか。 

多くの著名な女性が推奨している本だが、わたし自身が女性ではないこともあろう、いまひとつ感情移入しにくいのは正直な感想である。やはり問題はまどろっこしい文体にあるのだろう。これはテイストの問題なので、いかんともしようがない。

最初から原文の英語で読むべき本かもしれない。 


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2021年11月9日火曜日

いまさらながら渡部昇一にはまってしまった ― ベーコンが導きの糸となった2021年の夏の記録



渡部昇一といえば、ベストセラーでロングセラーの『知的生活の方法』で有名な評論家だ。

 晩年には頑迷固陋な保守のイメージがすっかり定着しており、渡部昇一のことは敬して遠ざけてきた。ところが、その渡部昇一氏の著作にはまってしまったのだ。今年2021年6月から8月にかけてのことだ。

渡部昇一が亡くなってから、すでに4年もたっているのにもかかわらず、である。 

きっかけはベーコンである。先月出版された『超訳ベーコン 未来をひらく言葉』のためフランシス・ベーコンについて検索して調べているうちに、渡部昇一氏による文章が目にとまった。ベーコンの『エッセイズ』を紹介した文章だ。 




渡部氏にとって、英文法開眼のキッカケがベーコンにあったという。渡部昇一氏は、もともと英文法の研究者だったのだ。 

そのむかし、渡部昇一氏訳の『英語のなかの歴史』(バターフィールド、中公文庫、1980)を高校時代に読んでいたので、英語が専門であることは知っていた。

そんなこともキッカケになって、ネットでいろいろ調べているうちに『英文法を知っていますか』(渡部昇一、文春新書、2003)という本の存在を知った。渡部昇一氏の専門は、「英文法の歴史」だったのだ。英語英文学の研究者は多いが、英文法、しかも「英文法」の「歴史」を専門に研究する人などあまりいるものではない。

さっそく取り寄せて移動の電車内で読んでみると、これがじつに面白い。知的好奇心を大いに満足させてくれる内容だ。とはいっても「英文法の歴史」など、ふつうは読みたいという人などいないだろう。

案の定この本も「長期品切れ重版未定」状態になっているが、英文法の確立は17世紀に入ってからのことで、しかも最初はフランス語をモデルにしたのだという。そんな、よく知らなかったことが書いてある専門を踏まえた啓蒙書として、知的好奇心が大いに刺激された。渡部昇一氏の専門は英文法の歴史だったのか、とあらためて納得した。

そんなわけで、『英文法を撫でる』(渡部昇一、PHP新書、1996)や、『秘術としての文法』(渡部昇一、講談社学術文庫、1988 初版単行本 1977)も取り寄せて読んでみた。

ついでに、『講談・英語の歴史』(渡部昇一、PHP新書、2001) 、『英語の語源』(渡部昇一、講談社現代新書、1977)、『英語の学び方』(渡部昇一/松本道弘、ワニのNEW新書、1998 初版1980)、『ことば・文化・教育-アングロ・サクソン文明の周辺』(渡部昇一、大修館書店、1982)も取り寄せて読んでみた。 

ベーコンの『エッセイズ』は、渡部昇一氏のエッセイを読むと、その後の英文の模範になったことや、英語のつづりにかんしてはベーコンは慣用を重んずべきと主張したなども書かれている。なるほど、英語にかんしてもベーコンは「イギリス経験主義の祖」であったわけだ。まさに読むべき時に、自分の前に出現した一群の書籍群だったのだ。

またまたさらに、『日本語のこころ』(講談社現代新書、1974)を読んで、英語研究者だからこそ、日本語研究の専門家が気がつかない盲点を突くことができたことを知り、たいへん興味深く読んで、大いに納得した。

渡部昇一氏のじつに幅広い評論活動が、読書と体験に支えられた問題意識と旺盛な知識欲にあったことを知り、すっかりはまってしまったのである。このような知的考察と蓄積があってこそ、評論活動が可能になったのだ、と。



■ドイツに限定された「なんでも見てやろう」

さらに、英文法の歴史を研究するためにドイツに留学した記録である『ドイツ留学記 上下』(講談社現代新書、1980)にも手を出した。

たいへん意外で不思議なことに、英文法の研究は英国ではなく、もともとドイツがその中心だったのである! 

『ドイツ参謀本部』(中公文庫、1986)は、文庫化されてすぐに読んでいたが、なぜ渡部昇一氏がドイツについて書くのか、その背景がいまようやくわかった。英文法研究のためにドイツに留学してドイツ語を習得し、ドイツ語で博士論文を執筆したのである。 




 『ドイツ留学記 上 雲と森の青春遍歴』は、1950年代に西ドイツのミュンンスター大学に留学して、大東亜戦争中の勤労動員によって奪われた青春を取り戻すかのように、ドイツのじつに幅広い層の人に会い、ありとあらゆるものを自分の眼で見て、直接体験した記録である。小田実の1970年代のベストセラー『なんでも見てやろう』のドイツ版といっていいかもしれない。  

『ドイツ留学期 下 このキリスト教なる国』は、キリスト教を軸にするとドイツがよく見えてくるという内容だ。「留学記」と銘打たれているが、内容的には「考察編」というべきだろう。知的好奇心を刺激する内容で、こちらもじつに面白い。

北部が中心のプロテスタントと、南部が中心のカトリックとの違いが、生活や思考にも反映していることが、観察と実体験にもとづいて詳細に記述されている。もっと早くこの本を読んでおけばよかった、と思う。

ちなみに、上智大学にあこがれて進学した渡部昇一氏は、在学中に洗礼を受けてカトリックになっている。留学先であったミュンンスターは、カトリック地域にある。 

渡部昇一氏が留学した時代の1950年代の西ドイツは、「敗戦後」の新生ドイツとはいえ、いまだ「戦前のドイツ」が社会のあちこちに濃厚に残っていた時代であった。現在のドイツは大幅に変化して「古き良き時代」は完全に一掃されてしまったのは、「1968年革命」が断絶を生み出したためだ。その意味では、じつに貴重な記録になっているのである。

さらに、『語源でひもとく西洋思想史』(海竜社、2020 初版2009)や『アングロサクソンと日本人』(新潮選書、1987)を読み、渡部昇一氏の訳になる自己啓発書の『自分の時間 1日24時間をどう生きるか』(アーノルド・ベネット、三笠書房、1994)も読んだ。



■ついに 『知的生活の方法』まで手を出すことに

そしてついに、『知的生活の方法』(講談社現代新書、1976)にまで手を出してしまったが、この本は、まったく読んだことがなかったのだ。

タイトルはもちろんよく知っていたが、ベストセラーになっていた『知的生活の方法』を読まなかったのは、いろいろ理由がある。

「芥川龍之介を読んで痴漢になった少年」(笑)や、ベーコンの「知は力なり」を実践して家を巨富を手にしたサラリーマン」(笑)などという表現が書かれていると、いまは亡き親友から耳にしていたわたしは、この本をバカにしていたのだ。この固定観念がが約40年以上にもわたって続いてきたというわけなのだ。




ところが、じっさいにこの本を読むと、自分もまた「知的生活」を実現していることを確認する結果となった。たしかに、日本の夏の猛暑は、知的生活には最悪の状況である。『超訳ベーコン』の作業は、この猛暑に苦しめられたのだ。 なんと、消耗しきった体力が完全に回復するには、暑さが遠のくまで2ヶ月もかかってしまった。こんなことはかつてなかったことだ。

先にふれた親友から『知的生活の方法』の話を聞いたのは、1980年代前半のことだった。すでにベストセラーでロングセラー化していたが、出版から数年しかたっていなかったことになる。

1980年代は「一橋なら英語ができる」がゆらぎはじめた頃だ。社会に出てからも、「一橋なら英語できるよね」と言われることもしばしばあったが、「英語といえば上智」というブランドが形成されつつあった。 

英語好きなこともあって、高校時代には上智大学のピーター・ミルワード氏のものは多く読んでいたが、おなじ上智の渡部昇一氏のものは読んでことがなかったのは、なぜかよくわからない。社会人になってからは、「欠陥翻訳」を叩いて有名になった上智大学の別宮貞徳氏の本は何冊も読んでいたが、なぜか渡部昇一の本は読まずじまいだったのだ。 

さて、渡部昇一にはまってしまったわたしだが、読んで大いに感心したのは、いずれも渡部氏の30歳台から50歳台にかけての著作だ。 硬軟とりまぜた話題に、意外と柔軟な姿勢に驚いている。天性の啓蒙家というべきだろうか。いわゆる「教養主義」ではない。

本職の「英文法史」と関連のものをもっと読んでおけばよかったと思うとともに、あらたな発見を喜ぶ気持ちもある。 

言語学プロパーの論文やエッセイを読むと、政治観では対極にありそうな社会言語学者・田中克彦氏との共通点も見えてくる。渡部氏には「母語」という発想は皆無で、おそらく「母国語」という発想が保守思想の核になっていると思われるが、「民族語」の重視そのものは、ドイツの保守的な言語学者ヴァイスゲルバーの影響を受けている点が共通しているのである。

しかも、自分の歴史観は、渡部昇一氏の歴史観とかなり近いことがわかった。「英国保守主義」の伝統の上に立つ渡部昇一氏は、もともと穏健な発想の持ち主であることがわかる。

渡部氏の「英国保守主義」は、よくあるようなエドマンド・バークによるものというよりも、18世紀前半の世界初の首相となったウォルポール時代にあるような印象を受ける。その時代があったからこそ、哲学者で歴史家のヒュームなどがでてくる素地ができあがったのだということもわかってくる。晩年の頑迷固陋ぶり(?)は、老年ゆえの衰えがもたらしたものだというべきかもしれない。

何ごとであっても「食わず嫌い」はいかんな、と思う今日この頃である。 




■(付録)「英文法」と「英文法の歴史」についての渡部昇一氏の発言の趣旨(備忘録としての読書メモ)

渡部昇一氏の「英文法史」にかんする著作を読んで、いま愕然とした思いに囚われている(2021年6月に記したメモ)

国家意志で言語規範を上から強制したフランス語。民間事業である辞書の出版事業をつうじてデファクトな規範を確立した英語。渡部氏は、「購入をつうじた国民投票」と表現しているが、ビジネスパーソンならデファクトというところだろう。

アングロサクソン的な性格は、17世紀以降に形成され確立していったことがわかる。渡部氏は、17世紀イングランドの「国学」という表現をつかっている。「ゲルマン狂徒」(germanphile)という訳語は面白い。イングランド人の(ラテンに対抗しての)ゲルマン重視は、とくにドイツ出身のハノーファー朝時代には主流になったという。転換を余儀なくされたのは第一次世界大戦に突入してからであり、ハノーヴァー朝からウィンザー朝に改名。

スコットランド人にとって、イングランドの英語を身につけることの社会的意味。なぜスコットランド人の英語は規範的なのか、アダム・スミスもヒュームも、英語を意識的に身につけたことの重要性。現在に至るまで、スコットランドが辞書製作の主導となってきた背景にも共通するものがあったこと。

英国は「慣習」、フランスは「理性」と一般に捉えられているが、こと「国語の確立」という点にかんしては違った。フランスは宮廷内言語の「慣習」を規範化したのに対し、それに該当する宮廷語をもたなかった英国は「理性」によって行ったのである。だが、最終的に民間事業としての辞書出版が主導したことで「慣習」が勝利して、「イギリス経験主義」が確立していくことになる。18世紀前半に世界ではじめての首相となったウォルポールの時代に「経験主義」が確立。

17世紀半ばのイングランドは、ピューリタン革命によって誕生した共和制の時代には宮廷そのものが廃止されていたこと、17世紀末の「名誉革命」後の約1世紀は、ドイツ出身の英語が不得意な国王が君臨していた。このため「宮廷語」が模範とはなりえなかったのである。

戦前の日本の学校英語教育では、英会話の機会は稀だったと思うが、規範文法は行きすぎる ほど規範的であり、教室では英文の名文暗誦が行なわれ、英作文は入試でも重視されていた。

その伝統は昭和60年頃までは不動であったが、構造言語学やフリーズ教育法の導入と共に、教師の側に規範的英文法を教える自信が失われ、生徒の多くも文法を我慢して学ぶ気をなくして恥じることがなくなった。かのコベットも文法をマスターするには最低数カ月の我慢と忍耐 が必要だと教えている*。

*コベットの『若い人たちへの人生アドバイス』(三笠書房、1995)参照。原本は Advice to Young Men, And (Incidentally) to Young Women by William Cobbett 1830)。英文法を身につけて的確な英文が書けるようになったことで、農民階層からはいあがってジャーナリト、そして国会議員へと社会的上昇を実現することができた。コベットがさしているのは「規範文法」としての英文法である。


個人的な事情について記しておくが、幸いなことに、昭和56年(1981年)に高校を卒業した私は、高校時代にみっちり英文法の勉強をしていたので、英文読解や英作文の基礎は十分に形成されている。

米国の大学院時代、ライティングセンターで英文添削を頼んでみたら「これは自分で書いたのか?」と聞かれた。一瞬その意味がわからなかったが、誰かに書いてもらったのではない英文だと褒められたわけだと気がついた

論文添削の仕事をした際に、引用英文がまったく日本語になっていないことに愕然とした思いを抱いた。的確な日本語になっていないということは、英文が読めていないということである。そんな状態で博士号を目指すとは言語道断ではないか!
 
だからこそ、渡部昇一氏が主張する文法重視、語彙重視の英語学習には全面的に賛成である。この件については『英語教育大論争 』(平泉 渉/渡部昇一、文春文庫、1995)における渡部昇一氏の主張に軍配が上がるというべきだ。この本は一部読んでいる。



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・・「東部の名門でしっかりと猛勉強をしてきたアメリカ人の友人たちも、大学の勉強ぜんたいをとおして自分が得た最大のものは、言葉を使う能力を高度に身につけ、大学を出てからもずっと勉強をつづけていくための強固な土台をそれによって自分のものにしたことだ、とこたえてくれる。出世したり成功をおさめたり、トップにたつエリートになったりしたければ、アメリカで生きる場合まず最初にやらなくてはいけないのは、言葉の勉強なのだ。」



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