「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 貝塚 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 貝塚 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年12月11日金曜日

かの有名な「加曽利貝塚」(千葉市若葉区桜木町)に初めて行ってきた(2020年12月11日)-貝塚として初めての「特別史跡」のは保存活動の長い歴史があった

 
かの有名な「加曽利貝塚」に初めて行ってきた(2020年12月11日)。

「加曽利貝塚」は、千葉県民ならもちろん、関東在住者なら一度は耳にしたことがあるのではないかと思う。加曽利といえば貝塚という連想ができあがっているはずだ。それほど有名な貝塚であり、縄文時代後期の縄文遺跡なのである。

そもそも「加曽利」という名称が珍しい。「加曽利」は当て字であろう。「かそり」というのがもともとどういう意味だか知らないが、他では聞いた事がない地名である。

千葉市若葉区に加曽利町という地名がある。たまたまその近くに用事があったので、ついでに加曽利貝塚までいってみた。

「加曽利って、もしかしてかの有名な加曽利貝塚の?」と自分のなかで自問自答してスマホで検索したら、やはりあの加曽利であった。そんな機会でもなければ、千葉市の住民ではないので行く機会はなかなかないだろう。

(貝塚のある縄文集落の全体像)

加曽利貝塚は、2017年に国の「特別史跡」に指定されている。貝塚としては初めてのことであるという。加曽利貝塚が最初に発見されたのは1907年のことであり、すでに100年以上も前のことになる。

加曽利貝塚は現在では整備された公園になっている。小高い丘の上にあるのは、その他の縄文遺跡とおなじだが、それはかつて「縄文海進」という状況があって、貝塚のある縄文集落の近くまで海が迫っていたからだ。

最終氷期の最寒冷期後(約19,000年前)から始まった海水面の上昇のため、縄文時代には海が陸地を浸食していたからである。現在の千葉湾は貝塚からだいぶ離れているが、それはかつて海だった場所が土砂の堆積によって陸地となっているためである。

(公園内の右奥に「復元集落」を望む)

残念なことに、現在は公園が改修工事中(・・2021年3月末まで)で公園内に入ることができなかった。時間がたっぷりあったわけでもないので、遠目で「復元集落」を見るにとどめた。「北貝塚」には、「竪穴住居跡群観察施設」と「貝層断面観覧施設」もあることはあとから知った。まあ、ここ以外でも多数見てきたのでよしとしよう。

(博物館の入り口)

公園内には、「千葉市立加曽利貝塚博物館」がある。入場無料である。この博物館の展示内容をざっと見て回った。縄文土器が中心だが、なかには「加曽利式」と命名されたタイプもある。このほか、土製品・土偶、貝製品・骨角歯牙製品、石器・石器製品、食料資源などのハ発掘物が展示されている。

(「加曽利式」を含む縄文土器)

加曽利貝塚について知っておくべきなのは、保存のための住民運動の長い歴史である。第2次大戦後の高度成長時代、あわや宅地開発されて破壊されてしまうという瀬戸際にあったのだ。高校教出会った一人の郷土史家が先頭に立って始まったこの運動についても、展示資料で知ることができる。

(石棒や土偶)

いまでこそ、サステイナブルがキーワードになるなど乱開発の時代は終わっているが、開発か保存かという問題は、とくに地価の高い都心部や市街地では、現在でも関係者が大いに苦慮する状況にある。その点、加曽利貝塚は、都心部からはずれているので保存に成功したとは言えるだろう。もちろん、保存活動に携わった方々の熱意には頭を下げなくてはならない。

日本列島の先住民が縄文人であったこともあり、日本列島のどこでも縄文遺跡があるのだが、有名な「大森貝塚」をはじめ、貝塚はとりわけ東京湾周辺に集中しているようだ。個人的には、船橋市海神にある「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」のほうがコンパクトにまとまった縄文遺跡と博物館のセットとして好ましく感じているが、規模的には加曽利貝塚は、はるかに大きな集落が保存されている点は特筆すべき点だ。

機会があれば、一度は訪れる価値はあるといえよう。加曽利といえば、貝塚なのだから。だが、加曽利貝塚は千葉市若葉区加曽利町にはない。行政区域としては千葉市若葉区桜木町にある。そこらへんの事情については、どうなっているのだろうか?




<関連サイト>



<ブログ内関連記事>





 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)


   
(2012年7月3日発売の拙著です)

 





Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end


2016年5月22日日曜日

「縄文多空間 船橋市飛ノ台史跡公園博物館」(船橋市海神)にはじめていってみた(2016年5月21日)-海辺の小高い丘に居住していた縄文人たちの痕跡。7000年前の「縄文早期」に思いをめぐらす



「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」(船橋市海神)にはじめていってみた(2016年5月21日)。船橋市に住んでいながら、縄文遺跡があることに最近まで知らなかったのだが、なんと7000年前(!)の居住跡と出土品の展示があるというなら、そりゃあ見に行かねばなるまい。

縄文遺跡というものは、縄文人は日本列島の先住民であったわけだから、考えてみれば北は北海道から南は沖縄まで、日本全国いたるところにあるものだが、そうはいっても自分の居住する地域の近くにも縄文遺跡があるというのはうれしいことではないか! 歴史のロマンとかなんとかというやつでなく、痕跡がすこししか残っていないからこそ、想像力をいたく刺激されるのだ。

さて、「船橋市飛ノ台史跡」とは、千葉県船橋市海神にある縄文時代早期の縄文遺跡のことだ。最初に発見されたのは1932年(昭和7年)、日本で初めて炉穴(ろあな)が見つかったことで注目されたらしい。

(住居跡と炉穴群 公園内の遺跡 筆者撮影)

炉穴(ろあな)とは、住居の外に近接して設けられた煮炊きを行う窯(かま)のようなものである。縄文中期以降は住居の中に移動するが、縄文早期には住居の外にあったのだ。飛ノ台遺跡の発見以降、このタイプのものは「炉穴式」とされるようになった。

この遺跡があるのは船橋市海神。海神(かいじん)という地名からわかるように、船橋は現在でも東京湾では有数の漁港で、海とはきわめて縁の深い土地柄である。

博物館に展示されている「縄文海進」を示した地形図によれば、地球温暖期の縄文早期には、この遺跡のすぐそばまで海があったようだ。この遺跡は海抜15mの小高い丘の上にあるから、海進の影響を受けなかったわけだ。

(貝塚はこんな形で出土 公園内に保存された遺跡 筆者撮影)

この遺跡の目玉は、先にも触れた炉穴(ろあな)を除けば、なんといっても貝塚(かいづか)だろう。

貝塚には貝殻以外にも魚の骨や獣の骨が捨てられて堆積しており、当時の縄文人の食生活を知ることができる。赤貝の一種のハイガイ、ハマグリ、マガキなどの貝類のほか、スズキやクロダイなどの魚類、ウサギやシカやイノシシなどの獣肉、そして木の実や木の芽などの植物。

(博物館のパンフレットより)


じつに豊富な海の幸と山の幸である! しかも、炉穴では縄文土器で火を使った煮炊きもされていたわけで、現代人からみても、素材にかんしては、かなりぜいたくな食生活を送っていたと想像されるのだ。

海辺の小高い丘という地の利を考えれば当然といえば当然だが、いまもむかしも東京湾は豊富な水産資源に恵まれており、現在でも船橋はアサリのほか、外来種のホンビノス貝などが有名である。スズキにかんしては水揚げ高日本一である。

(遺跡からみた博物館 筆者撮影)

このほか、縄文土器や装身具などについては、この遺跡以外でもよく知られたことなので省略するが、縄文犬について触れておきたい。

縄文犬は日本犬の原型であるが、この遺跡の発掘からわかったのは、縄文人たちはイヌを大事に扱っていたという事実だ。脚の骨を折った老犬を丁重に葬っていることから明らかになった。

ほんと縄文時代というのは、知的好奇心を刺激される存在だ。なんといっても日本列島の先住民というだけでなく、現代に生きる日本人の DNA にも、程度の違いはあるにせよ、かれらの DNA が間違いなく継承されているからだ。現代の日本人は先住民の縄文人と、渡来人の弥生人の混血である。

博物館の入場料は大人が100円(子どもは50円 月曜定休)。来場者は学習目的の児童が多いのだろうが、近くに住んでいる人なら大人でも訪れるべきだろう。

縄文時代は現在1億5千年までさかのぼるとされているが、7000年前でも「縄文早期」なのだ。そんな時代から人が住んでいたという事実を確かめるために。





<関連サイト>

飛ノ台史跡公園博物館(船橋市ホームページ内)

千葉県博物館協会「船橋市飛ノ台史跡公園博物館」
・・「飛ノ台貝塚は、約7千年前の縄文時代早期の遺跡として古くから知られていた。また、飛ノ台貝塚は海と山の両方の幸に恵まれた最高の環境に立地しており、 当時は、周辺の遺跡に先駆けて定住生活を始めていたことが過去の発掘調査において確かめられている。 その後数回にわたり大規模な発掘調査が行われ、平成5年には合葬人骨も発見され、全国的にも注目された。
現在までに住居跡25軒(竪穴住居跡21軒、小竪穴4軒)、 炉穴およそ430基、貝塚約40ヶ所が発見されている。」


<ブログ内関連記事>

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「縄文美術」の発見者である岡本太郎の日本文化論

秋が深まり「どんぐり」の季節に

書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み
・・ただし、この本でベースとなっている「縄文海進」については、鵜呑みにしないほうがいいだろう

船橋漁港の「水神祭」に行ってきた(2010年4月3日)

「下野牧」の跡をたずねて(東葉健康ウォーク)に参加-習志野大地はかつて野馬の放牧地であった
・・時代はずっとくだって鎌倉時代から江戸時代にかけての話


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end