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マンダレーから南下する一般道をクルマで走ると、基本的にミャンマーが農業国であることを確認することができる。そして農村がまさに「古代」そのものであることも。
古代というのは言い過ぎじゃないか? ミャンマーにも中世があり近世があるはずだ、という声もあるだろう。
もちろん、私自身はビルマ史に精通しているわけではない。しかし、実際の農耕作業を自分の目でみている限り、古代そのものとしかいいようがないのである。事の当否は別にして、農業の近代化は一部の農園を除けばほとんど進んでいない。
具体的にいうと、いまだに水牛やコブ牛に鋤を引かせて畑を耕している(写真参照)。機械化農業の進んだタイとは異なり、いまだトラクターなどの農業機械はほとんど普及していない。効率化農業はほとんどないに等しい。馬車(観光用ではない!)、二頭立ての牛車(!)が現役の交通運輸手段として農村では活躍している。
大半は有機農業ではあるが、進歩的な意識から取り組んでいるのではなく、化学肥料を導入する資金を欠いた小規模零細農家が大半なためである。
今回のミッションで見学できた農園は比較的規模の大きなもので、こういった農園では中国産の袋詰めの尿素(・・これは重慶で生産されていたことを確認・・・まさに21世紀の「ビルマルート」は大戦中とは逆方向に、重慶から雲南を南下して仰光(ヤンゴン)に向かう!)や、タイのCP社の化学肥料などが使用されているのを見たが、それらは例外で、小規模農家では戦前の日本と同じく堆肥を使用しているようだ。
また、農薬すら使用していない農場もある。意図せざる有機農業、周回遅れの有機農業である。
しかし、だからこそミャンマーの農産物はうまいのだ。完全な手作り、自然の恵みそのもの、だからだ。
タイでは、すでに農村もグローバル資本主義に飲み込まれており、Kubota のトラクターや、Isuzu のピックアップトラックが大人気であり、かなりの程度普及している。1970年代から始まった近代化農業によって、農村から水牛が消えていった。
フランス現代思想に精通した社会哲学者の今村仁司は『タイで考える』(青土社、1993)の中で、この状況をさして「古代経済から近代経済へのジャンプ」と表現している。古代的な生産様式と生活様式を保ってきたタイ東北部(イーサーン)の農村を、友人の社会人類学者の案内で訪ねたときの観察結果に基づいた発言である。
この本は、ミャンマー再訪する前にバンコクに立ち寄った際、行きの飛行機の中で12年ぶりに再読してみたが、グローバル資本主義という形の近代主義に巻き込まれると、単に経済だけではなく、政治、宗教、イデオロギーが複合的にからまって人々の意識をいやおうなく変容させてゆくことがアジアで観察できることを強調しており、おそらく読んだ人はほとんどいないだろうが、私は東南アジアの現状を見る上で貴重な指針と捉えている。
タイと比較すると、ミャンマーの状況を非常に理解しやすい。
コブ牛に鍬を引かせる耕作方法は、私が1995年に訪問した北インドとまったく同じである。釈尊ブッダが生きていた2500年前と変わらない。
ミャンマーに限らず、東南アジアのタイ、カンボジア、ラオス、そしてまた南アジアのスリランカの人々の思考や心性を内在的に把握するためには、上座仏教(テーラヴァーダ仏教)の理解がかかせないが、タイと比較した場合、ミャンマーのほうがより仏教徒としての生き方が自然に身についたものとなっていることが容易に観察される。
生活様式がいまだ資本主義化=近代化に巻き込まれていないためだろう。これがミャンマー農民にとっていいことなのか、悪いことなのかは一概にはいえない。
しかしながら、たとえばお茶栽培農家が新しい原木を導入するなどの更新投資を行う際には、資金不足が妨げになっていることは否定できない。ファイナンス機能をもった健全な中間流通業者が不在なこともその原因の一つであると考えられる。
農業国としての強みを活かした、サステイナブルな形での経済発展がいかにしてミャンマーで可能であるか、今のうちから考えておく必要がある。
ミャンマー再遊記(7)に続く
<ブログ内関連記事>
「ミャンマー再遊記」(2009年6月) 総目次
「三度目のミャンマー、三度目の正直」 総目次 および ミャンマー関連の参考文献案内(2010年3月)
(2015年10月4日 項目新設)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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