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2010年1月5日火曜日

初詣は船橋大神宮で参拝、そして境内にある"木造の灯台"を見学してきた(2010年1月3日)




 今年の初詣は、船橋大神宮(=意富比神社:おほひ・じんじゃ)にいってきた。正月三ヶ日の最終日の1月3日(日)である。

 新春から華人ネタばかり書いてきたが、日本人としての"おつとめ"はきちんとこなしておりますよ!
 昨年、久々に千葉県に戻ってきてから、船橋大神宮にはたびたびお参りしている。氏子ではないし、またとくに熱心な神道信者というわけではないが、体力維持のためのウォーキングを兼ねてお参りに行くのである。

 このブログでも「奉納相撲」の話と「酉の市」の話についてはすでに書いている。
 
 関東では初詣というと、年末年始のTVでさかんに広告宣伝活動を行っている佐野厄除大師や、浅草浅草寺(あさくさ・せんそうじ)、明治神宮などが定番であろう。
 千葉県でいえば何といっても成田山新勝寺(なりたさん・しんしょうじ)である。
 神社ありお寺あり、なんでもありは日本的だが、それはそれでよい。初詣は参拝することに意義がある(!)のであって、御利益(ごりやく)があるかどうかは、それこそ神(あるいは仏)のみぞ知る、ということだ。
 初詣はどこにいっても構わないのだが、今回あえて船橋大神宮にいったのは理由がある。船橋大神宮の境内には、一年のうち正月三ヶ日のみ一般公開される、木造の灯台(!)があるのだ(右上の写真)。

 というわけで、2010年1月3日午後から曇って寒くなったが、船橋大神宮に向けて約一時間の道のりを歩き出した。
 船橋大神宮は正月も三日目だというのに、えらい混雑である。参拝するのに、列をつくって並ばされた。
 まったくもって驚きだなあ、警備員が交通整理しているのだ。高校時代、毎週土曜日は大神宮の前を通って国鉄船橋駅(当時)まで歩いていたのだが、こんなに混雑しているのは見たことも体験したこともなかった。もっとも初詣で来たのは初めてであるが。
 不況だから神頼み、というわけではあるまい。例年そうなのだろう。

 警備員の指示のもと、四列に並んで参拝待ち、ジャランジャランと鈴を鳴らしてから鳥居をくぐり、お賽銭入れて二礼二柏手一礼。 
 参拝を済ましたらなんだかスッキリしてしまい、あやうく何しに来たのか忘れてしまうところであった。初詣もさることながら、木造の灯台の見学に来たのではなかったのか!
 あぶねえ、あぶねえ、アルツハイマーかよ。いやそうではなく、次の予定でアタマが一杯になっていたからなのだ。
 木造の灯台は、境内のなかの小高い丘にある。正式には、「浅間山灯明台」(せんげんやま・とうみょうだい)という。説明書きがあるので、引用しておこう。

県指定文化財(有形・民俗)      
昭和37(1962)年5月1日指定
管理者 船橋大神宮灯明台保存会

 かつて、船橋沿岸を航行する船は、意富比(おほひ)神社(船橋大神宮)境内にあった常夜灯を目印にしていました。
 この常夜灯は慶応4(1868)年の戊辰(ぼしん)戦争で、社殿とともに焼失しました。明治13(1880)年に現在の灯明台が再建され、明治28(1895)年に停止するまでのあいだ、政府公認の私設灯台として利用されました。
 標高27mの丘の上にあり、浅間神社(せんげん・じんじゃ)のあった場所に建てられたので、「浅間山灯明台」といいました。
 建築様式は和洋折衷の「擬洋風建築」で、1階・2階は和風、3階の灯室が西洋式灯台の意匠を取り入れた六角形のつくりになっています。
 光源は石油ランプ3基に錫(すず)製の反射鏡3基を組み合わせ、光の到達距離は約6海里(約11km)あり、その当時の最新式の設備でした。
 船橋市教育委員会

 漁師町・船橋では、実際に使われていた灯台だったのだ。

 さっそく中に入ってみる。急斜面の石段を上がり、木造建築物のなかへ。
 思ったよりもはるかに小さい。2階へあがる階段がものすごい勾配である。見学者がいけるのは2階まで。畳敷きのえらく狭いスペースである。
 部屋の真ん中には3階の灯台ランプ室が見える。下からのぞき込むと(右下写真参照)、木組みの建造物である。三重の塔の最上部の形状は正六角形で、なにやら不思議なことに、あたかもイスラーム寺院であるモスクに付随するミナレット(塔)のようにも思える。

 前にも書いたが、高校時代の数学教師が昔は海が見えた、といってたが--この発言は30年くらい前なので、いまから考えると50年くらい前ということか--この灯明台からも当然のことながら、海が見えたのだろう。そしてまた沖からも、漁船はこの灯明台の明かりを目印にしていた、ということだ。

 階段を下りて1階にいくと、床の間がある。その横の壁に「灯明台100年祭」のポスターが貼ってあった。なるほど、これだと灯台らしいなあ。
 古びたポスターをよく見ると、「点灯式 56年1月14日午後4時半」と書いてある。56年というのは、昭和56年のことか、つまり西暦だと1981年となる。もうすでに29年前のことである。それ以来、点灯式は行われていないようなかんじだ。次の点灯式はいつになるのだろうか? 「灯明台150年祭」まであと21年も待たないといけないのかねえ。

 船橋市も、東京湾の内湾に残る漁師町のイメージをもっと全面にだしたらいいのに。どうも東京湾で漁師町というと、房総半島か三浦半島しかでてこないが、船橋沖の三番瀬は江戸前の魚がとれる漁場なのだ。アサリや海苔だけでなく、カレイやイワシもサバも水揚げされることを知ってもらいたいものである。
 そのためには、この「浅間山灯明台」の保存修復に予算をつけて、毎年1回以上は点灯式をやるべきではないだろうか。「地域起こし」が必要なのは、新興住宅地や地方都市だけではないと思うのだが。
 船橋市は、元祖のららぽーと TOKYO-BAYIKEA船橋 で潤っているから、「地域起こし」なんか関係ねーのかな。

 「下り坂」の時代なんだから、ノスタルジーがウリになるはずなんだけどねー

        


PS 公式サイトが2013年に開設されていた!

意富比神社 船橋大神宮 公式サイト


(2016年1月2日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)





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