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2022年1月8日土曜日

「世界最小の東照宮」である「船橋東照宮」を参拝(2022年1月8日)-家康とは縁の深い船橋

 

初詣は意富比神社(=船橋大神宮)を参拝したが、その帰りに船橋東照宮にはじめて立ち寄ってみた。 

東照宮とは、死後に「東照大権現」として神となった徳川家康を祀った神社のこと。日光のものが世界的に有名だが、駿府(静岡県)にも上野(東京都)にもある。「人を神に祀る思想」は、戦国時代末期に生まれた新たな神概念である。信長がそれをめざし、秀吉が始め、家康が踏襲した。

(「東照宮」の額と葵のご紋 筆者撮影)

千葉県船橋市にも「東照宮」があることは知る人ぞ知る事実だろう(・・もっとも、近隣住民にとっては当たり前の話であろうが)。 

なぜ船橋かというと、家康が東金方面で行った鷹狩りの道中で休息する御殿が船橋につくられたからだそうだ。船橋は、御菜浦(おさいのうら)として魚介類を将軍家に献上する漁場のあった土地でもある。家康とは縁が深いのだ。 

(石屋に看板あり 船橋東照宮は Google map でも検索可能)

その御殿あとに鎮座ましますのが船橋東照宮。たしかに小さい。「日本一小さい東照宮」なのだろう。ということは、つまり「世界最小の東照宮」ということだな。見ざる聞かざる言わざるの「三猿」あり。 

(石像の三猿 筆者撮影)

寅年生まれの家康は虎好きだったという。日光東照宮には虎の浮き彫りがあるが、残念ながら船橋東照宮にはそれはない。とはいえ、寅年だからこそ、虎好きだった家康公を偲んで、近場で東照宮参拝を行った次第。




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2020年寅年の初詣は意富比(おおひ)神社(=船橋大神宮)へ(2022年1月8日)

 
2020年寅年の初詣は意富比(おおひ)神社(=船橋大神宮)へいくことにした。

すでに1月8日になっているが「初詣」に行った。1月6日の想定外の積雪による路面凍結もあるので遠出はせずに(・・といっても近場も日陰はまだまだアイスバーン状態)、近所の歯科で3ヶ月に1回の歯科検診のあと、船橋駅前で痛風外来内科の尿検査&血液検査を行い、そのついで脚を伸ばして(・・文字通り歩いて)、船橋大神宮に初詣。

(船橋駅方面から見た意富比神社 ウェブサイトの図を傾けた)


船橋大神宮は、「日本最小の大神宮」として有名(?)だ。境内の敷地面積が小さいからだ。ということは、つまり「世界最小の大神宮」ということだな。

本当の名前は意富比(おおひ)神社。かつては意富比大神宮と呼ばれていたようでもある。そんな石碑を今回はじめて見つけた。

(意富比大神宮と刻まれた石碑 筆者撮影)

意富比(おおひ)とは「大日」(おおひ)、つまり太陽神らしい。ということは、太陽神とはアマテラスのことで伊勢神宮系統。関東の下総の国は、日が昇る地域にある。かつてこの地は、伊勢神宮の御厨(みくりや)だったらしい。また、境内にはヤマトタケルの「白鳥伝説」由来の大鳥神社(・・いわゆる商売繁盛の酉の市)がある。 もちろん今回も参拝。


千葉県には、意富比(おおひ)神社のほか、麻賀多(まかた)神社など、聞き慣れない変わった音の響きの名をもつ神社がある。

さて、本題の初詣だが、JR船橋駅から京成船橋駅の高架をくぐり、左折して本町通りを歩く。すでに1月8日になっているが、参拝客はけっこう多かった。

(船橋大神宮の絵馬 干支の寅 筆者撮影)

境内には、お守りを買い求める人たち、絵馬を買い求める人たちが列をなしている。こういう風景は、お正月らしくてよい。 

船橋大神宮をお参りしたあとは、ふたたび歩いて船橋駅へ戻る(つづく) 



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・・前回の寅年も船橋大神宮に参拝していた






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2021年5月24日月曜日

船橋はかつて別荘地だった! ― 海の見える丘にある旧別荘地の「凌雲荘」(現在 東船橋花輪緑地)にはじめて行ってみた(2021年5月24日)

(「凌雲荘」の額が掲げられた正門 筆者撮影。以下同様)


船橋はかつて別荘地だった。このことを知ったのは、たまたま wikipedia で「船橋市」という項目を見ていたらときのことだ。はじめて知った事実だ。

こんな記述である。そのまま引用させていただくこととしよう(2021年5月24日現在のもの)。

明治以来、船橋では軍事施設が増えたため、軍の将校、外国の武官、留学生などの住宅が建てられた。1933年(昭和8年)、京成電鉄が海神駅北側の海神台や風光明媚な海神山(丘陵地)に開発した海神台分譲地(海浜別荘住宅地)が売り出された。花輪台(宮本6丁目周辺)では、明治40年頃に凸版印刷の創始者・伊藤貴志の別荘(伊藤別荘)が建てられ、大正期には東京両国で広く洋紙卸業を営んでいた山崎梅之助の息子・山崎鉦三が迎賓館的な使用を目的として山崎別荘(凌雲荘)を建てるなど「西の海神、東の花輪台」と呼称される別荘地・高級住宅街となった

なるほど、「西の海神、東の花輪台」と呼称される別荘地・高級住宅街」ねえ。

海神(かいじん)とはいかにも海辺の街にふさわしい由緒あるネーミングだが、なぜ花輪台と命名されたのかはわからない。開発後の命名か。「船橋では軍事施設が増えた」というのはもっぱら海軍のものだろう。

さっそく「凌雲荘」を Google map で調べてみると、東船橋にある船橋税務署からも近い。税務申告書を提出するついでに立ち寄ってみることにした。


この近辺は、わが母校の千葉県立船橋高等学校からも近いが、いまのいままで「凌雲荘」のことはまったく知らなかった。まことにもって迂闊なことである。

e-taxが推奨されているが、創業以来、税務申告書の提出は直接税務署で行うことにしている。東船橋駅から船橋駅まで歩くことで、環境変化を実感したいからでもある。この習慣は10年以上にわたってつづけている。

実質的に早い梅雨入りとなっている関東地方だが、月曜日のこの日は晴れていたので、いい散歩日和となった。

スマホの地図をたよりに移動していくと、石垣が目に入ってくる。おお、ここだな、と。




「凌雲荘」の額(ただし右から読む)の掲げられた正門(*上掲の写真)をくぐると、石畳の坂となる。




現在は建物は残っていないので、日本庭園となっている。




歩ききると、休憩スペースがあって、由緒書を記した「高札」が立てられている。




高札にはこう書かれている。そのまま書き起こしておこう(*スマホでスキャンして文字起こしした。ただし、読みかな太字ゴチックは私によるもの)。


凌雲荘の地は、 凸版印刷株式会社の創始者伊藤貴志(たかし)の「伊藤別荘」(明治40年頃)でした。その後、両国で大規模に洋紙卸業を営んでいた山崎梅之助が昭和2年に別荘地として取得し、その息子山崎鉦三(しょうぞう)とともに昭和1年から12年にかけ迎賓館的な使用を前提に木造3階建ての「凌雲荘」(通称「山崎別荘」)を建築しました。 
また、戦前は一時閑院宮(かんいんのみや)邸として使用され、 戦後は「観光荘」という名の料理屋になったこともありました。 
別荘の土地は、全体が砂地で崩れやすいことから、多摩川石や筑波石で砂山全体を覆ってお り、玉石を敷いた回遊路を設け、東側斜面には 岩石を何段にも組んだ滝や池も造られた日本庭園でした。 
なお、この地域は昭和初期に船橋町で区画整理が実施され「花輪台・はなわだい」と名付けられ別荘地として宅地分譲が行われた土地でありました。
市は、平成7年度に住宅地に残る数少ない緑地の保全を目的に取得しましたが、平成12年度に老朽化や構造上の問題もあり解体しました。
その後、平成26年度に当時の凌雲荘の領域を復元し、隣接する東船橋1号緑地と併せて日本風庭園に緑地として整備したものであります。


高校時代のことだからすでに40年前のことになるが、当時すでに「教員生活25年!」という数学教師のS先生が、「むかしは高校から海が見えました」と言っていた。

現在では船橋の海岸は三番瀬以外は埋め立てられて、京葉工業地帯の工場や倉庫群が並ぶ一帯となっているが、いまから60年近く前の1950年代から60年代にかけては、埋め立て事業も活発化されていなかったわけだ。

そう考えれば、この別荘地は「海を見下ろす丘の上の別荘地」だったということになる。おそらく往事には「風光明媚な別荘地」だったのであろう。


(坂の上から見下ろす形で石垣が続く)


別荘地は坂をあがっていた高台のうえにある。現在では石垣だけが残っているが、別荘地の跡地は「東船橋花輪緑地庭園」(船橋市)として整備されている。この周辺の住宅は、なるほど立派なものが多いことに気がつかされた。


(山吹の黄色が美しい季節であった)


船橋大神宮には明治時代初期の木造の灯台が保存されているが、海からこの灯台が見えたということを意味している。大神宮の近くまで海があったのだ。まさに海神である。

船橋ゆかりの太宰治の夾竹桃の碑が市民センターに建てられているが、太宰治が籠もって執筆していたという老舗割烹旅館の「玉川旅館」はコロナウイルス感染症(COVID-19)のなか、廃業となり解体されてしまった。


「凌雲荘」については、私の高校時代の40年前にはまだ取り壊されることなく、その場所に「凌雲荘」があったわけだ。平成12年(2000年)までは建物も残っていたのである。

毎日通っていた高校の近くにありながら、高校時代にはまったく知らなかったし、関心もなかった。自分の交友関係には、そんな話題に関心をもつ者もいなかったからムリもない話だ。

毎週土曜日には、高校から歩いて船橋大神宮を経由して西武百貨店船橋店の書店LIBROに通っていたのだが、その西武百貨店もいまはない

ああ、玉川旅館など風情のあった建築物が消えていく今日この頃の船橋。昭和は遠くなりにけり。



<関連サイト>


上記の「連載」をあわせて『娯楽する郊外』と題して1冊の単行本として2019年に出版されていたことを知った。船橋がいちばん最初におかれて、市川の前にくることを、船橋市民は喜ぶべき。もちろん「市川 軍隊と芸術で栄えた「東の鎌倉」」も面白い。このほか、千葉県内では「稲毛・谷津」「柏」が取り上げられている。(2023年12月17日 記す)


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<ブログ内関連記事>







・船橋の軍事施設は海軍。隣接する習志野市の軍事施設は陸軍(騎兵隊と鉄道部隊)



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2018年9月1日土曜日

8月最後の日に海を見に行く(2018年8月31日)-東京湾に残る貴重な浅瀬と干潟の船橋の三番瀬は「生物多様性」の宝庫

(三番瀬の干潟から沖合を見る 筆者撮影)

東京湾に面した船橋の三番瀬東京湾に残る貴重な浅瀬と干潟シーズン中は潮干狩りで大混雑だが、シーズン以外はじつに静かなものだ。

8月最後の日に海を見に行く。キラキラと光る海。押せては引いていく波のリズムと自分を同期させる。自然に身をゆだねる心地よさ

(砂浜に波が作り出した紋様 筆者撮影)

潮が引いた干潟を歩いてみる。 歩けばいろんな魚介類が打ち上げられているのを目にすることになる。

ワタリガニ、エイの子ども、カキ、アサリ、ホンビノス、そしてゼラチン質のかたまりであるクラゲ。

(波打ち際にワタリガニの死骸 筆者撮影)

(すでに干からびたエイの子ども 筆者撮影)

(カキの貝殻 筆者撮影)

(クラゲは夏の定番 筆者撮影)

いずれも死骸だが、東京湾の生物多様性(biodiversity)をかいま見させてくれる。

死骸しか見ないのは、もし生きていたら、即座に海鳥の餌食になってしまうからだ。海鳥も死骸には見向きもしない貝殻しかないのは、中身は食べられてしまっているから。

(海辺に群れる海鳥たち 筆者撮影)

東京湾に残る貴重な浅瀬と干潟の船橋の三番瀬は「生物多様性」の宝庫だ。機会があれば、ぜひ一度は訪れてみてほしい。





<ブログ内関連記事>

クラゲを英語で jellyfish というわけ-クラゲは円盤状で弾力性のある透明なゼラチン質のかたまり

Study nature, not books ! (ルイ・アガシー)

猛暑の夏の自然観察 (3) 身近な生物を観察する動物行動学-ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)




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2015年5月23日土曜日

「マリンフェスタ 2015 in FUNABASHI」 に行ってきた(2015年5月20日)― 海上自衛隊の「掃海艦つしま」にはじめて乗船

(千葉県船橋市の京葉埠頭に停泊中の掃海艦つしま)


千葉県船橋市の京葉埠頭で開催中の「マリンフェスタ 2015 in FUNABASHI」というイベントに行ってきた(2015年5月20日)。

自衛隊千葉地方協力本部の主催で、「海軍記念日」(5月27日)を記念して開催されるもの。場所は東京湾岸(Tokyo Bay)の千葉側にある京葉埠頭。本日は、「天気晴朗にして、波穏やか」な東京湾。潮風が心地よい。
       
「南極観測船しらせ」(二代目)が碇泊する隣に、海上自衛隊の「掃海艦つしま」が碇泊。本日(2015年5月23日)と明日(24日)の二日間、一般公開されて無料で乗船することができる。約1時間をかけて内部を見学した。


(「つしま」艦内から見た「しらせ」)


掃海艦(=掃海艇)は、機雷の除去を任務とする艦船「掃海艦つしま」は1991年に進水した旧型の掃海艦で、2011年には、日本のエネルギー安全保障にとって死活的な意味をもつペルシア湾にも派遣された実績をもつ。ペルシャ湾の地域大国イランが機雷を敷設する可能性がつねに存在するのである。

機雷除去という任務のため、つしまは艦全体が木造(!)である。樹齢200年から300年の米国産の松材から作られているという。日本では最大規模の木造船であろう。

艦内には当直士官たちが配置され、一般人からの質問に気軽に答えてくれる。さすがに東京湾内なので機雷除去の実演はないが、それでも実際に乗艦してみると、雰囲気を感じることはできる。


(掃海艦つしま)


海上自衛隊の掃海能力が米海軍からも高く評価されてきたことは『海の友情-米国海軍と海上自衛隊』( 阿川尚之、中公新書、2001)に記されている。

太平洋戦争の際、米海軍によって日本の周囲に機雷が敷設されていたのだが、その機雷の除去に敗戦後も従事したこともあり、戦前から途切れることなく任務にあたっているのが「掃海」なのである。


(習志野基地に配備されている地対空ミサイルPAC-3)

このほか、航空自衛隊のパトリオット地対空ミサイル(PAC-3)などの実物が展示されていた。82式指揮通信車、LAV、偵察用オートバイ、81式短SAM、93式近SAMなど。ふだんなかなか目にすることのできない自衛隊の装備を実見できるよい機会となった。
  
売店では早くもオスプレイのおもちゃが販売されていた。米国製である。


(オスプレイのおもちゃ)

なにごとも「百聞は一見にしかず」。一般市民(シビリアン)がミリタリーを知るよい機会である。子どもたちは装備に乗って喜び、若い女性たちも多く訪れている交流イベントである。

(マリンフェスタ2015 in FUNABASHI のポスター)



<参考>




(2026年3月22日 情報追加)



<関連サイト>

自衛隊千葉地方協力本部 

「マリンフェスタ 2015 in FUNABASHI」 イベント・プログラム

イランによる「ホルムズ完全封鎖」は非現実的-掃海部隊を中東に派遣する前提に誤り (文谷数重 :軍事ライター、東洋経済オンライン、 2015年6月1日)

(2015年6月2日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評『ペルシャ湾の軍艦旗 ― 海上自衛隊掃海部隊の記録』(碇 義朗、光人社NF文庫、2015)―「国際貢献」の第一歩は湾岸戦争終了後の1991年に始まった

海上自衛隊・下総航空基地開設51周年記念行事にいってきた(2010年10月3日)

祝! 海上自衛隊創設60周年-2012年10月14日の第27回海上自衛隊観艦式ポスターに書かれている「五省」(ごせい)とは?

陸上自衛隊「習志野駐屯地夏祭り」2009に足を運んでみた


海上自衛隊と米海軍の関係

「日米親善ベース歴史ツアー」に参加して米海軍横須賀基地内を見学してきた(2014年6月21日)-旧帝国海軍の「近代化遺産」と「日本におけるアメリカ」をさぐる

「YOKOSUKA軍港めぐり」クルーズに参加(2013年7月18日)-軍港クルーズと徒歩でアメリカを感じる横須賀をプチ旅行


「海洋国家・日本」

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論
・・「海洋国家」日本にとっての日米安保体制の意味

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み


巨大木造船

「夢の島」にはじめて上陸(2014年11月15日)-東京都江東区の「夢の島」に日本戦後史の縮図をみる
・・マーシャル群島で米国の水爆実験の死の灰を浴びて被爆した第五福竜丸が展示されている。第五福竜丸は総トン数140トン、全長約30メートル、高さ15メートル、幅6メートル。これだけ大きな木造船はなかなかない


しらせ

南極観測船しらせ(現在は SHIRASE 5002 船橋港)に乗船-社会貢献としてのただしいカネの使い方とは?
・・しらせは海上自衛隊の艦船である

(2026年3月22日 情報追加)


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