「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル キャリア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル キャリア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2021年3月5日金曜日

書評『CIAスパイ養成官 ― キヨ・ヤマダの対日工作』(山田敏弘、新潮社、2019)― 米国で「ガラスの天井」を破った知られざる日本女性の人生

 

『CIAスパイ養成官-キヨ・ヤマダの対日工作』(山田敏弘、新潮社、2019)を読んだ。米国でキャリアを全面開花させた、知られざる日本女性のライフストーリーであり、情報活動をつうじた日米関係の「戦後史」でもある。  

セキュリティ問題を主たるテーマに取材活動を続けている国際ジャーナリストによる本だ。この人が発掘しなければ、キヨ・ヤマダという米国籍の日本人の存在そのものが知られることはなかったであろう。 

なぜなら、彼女はCIAの職員だったからだ。CIAにおける勤務実態については、現役中は当然のこと、リタイア後も基本的にディスクローズされることはない。現在進行形の活動に多大な支障を来すからだ。それはCIAにおけるポジションがいかなるものであるかにかかわりない。 

キヨ・ヤマダ・スティーブンスン(=山田清:1922~1999)は、46歳から77歳までの32年間にわたって、日本語教官としてCIAに勤務しただけでなく、対日情報活動にも携わっていたのである。教官時代には、何度か極秘に来日もしているらしい。 

「戦前」の日本に生まれ、日本社会に違和感を感じていた彼女は、日本から脱出したいと願い続けてきた。日本女子大卒の彼女は、湘南白百合高校で英語教師をしながら「フルブライト奨学金」による米国留学のチャンスをつかみ、語学教育法では有名なミシガン大学で修士号を取得する。

米国空軍軍人と結婚したことで米国籍を取得することになったが、広大な米国だけでなく駐留軍のあるドイツにも及ぶ、国内外で転勤の多いのが軍人であり、その結果、じっくり腰を据えて仕事をすることは難しかった自分が専門とする分野でキャリアを構築することが長年にわたってできなかったのだ。

そんな彼女が46歳でつかんだのが、専門を活かすことの出来るCIAの日本語教官というポジションだった。遅咲きのキャリア開始であるが、以後の32年間の勤務のなかで「ガラスの天井を破った」のである。 

この本は、情報公開がけっしてされることのない、そんな日本女性の知られざるライフストーリーを、細い糸をたぐり寄せながら取材し、再構成したものだ。 

CIAという情報機関について、海外の情報活動において不可欠な実用語学について、個人の生き方とキャリアについてなど、いろんな読み方が可能であろう。面白い本だった。 


 (画像をクリック!


目 次
プロローグ 墓碑銘がない日本人CIA局員
第1章 「私は CIA で、ガラスの天井を突き破ったのよ」 
第2章 語学インストラクターと特殊工作 
第3章 生い立ちとコンプレックス 
第4章 日本脱出 
第5章 CIA入局 
第6章 インストラクター・キヨ 
第7章 最後の生徒 
エピローグ 奇妙な「偲ぶ会」


著者プロフィール
山田敏弘(やまだ・としひろ)
国際ジャーナリスト、米マサチューセッツ工科大学(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信社、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリー。数多くの雑誌・ウェブメディアなどで執筆し、テレビ・ラジオでも活躍中。『ゼロデイ-米中露サイバー戦争が世界を破壊する』(文藝春秋、2017)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)


<関連サイト>



<ブログ内関連記事>






(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2014年10月18日土曜日

マンガ『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、1995)― 人気TVドラマを生み出してきた現役プロデューサーがみずから描いた仕事マンガ



プロデューサーとはどんな仕事か知りたいと思っても、意外なことに就活本などを除けば、そのものずばり語った本というのがあまりない。

ずいぶん前のことだが、大型書店の元祖である東京駅前の八重洲ブックセンターのアート関連コーナーで本をさがしていたときに、ここで取り上げる『プロデューサーになりたい』(磯山晶、講談社、2004)に出会った。

おお、これこそまさに現役のTVドラマのプロデューサー本人がみずから描いたマンガであった! わたしはこのマンガを読んで、はじめてプロデューサーの仕事がどういうものかよくわかった。

著者の磯山晶(いそやま・あき)氏は、『池袋ウエストゲートパーク』、『木更津キャッツアイ』、『マンハッタンラブストーリー』などの人気TVドラマをプロデューッサーとして関与してきた人である。2013年の国民的ドラマとなったNHKの朝のテレビ小説『あまちゃん』で知名度が全国レベルになった、いまをときめくドラマ脚本家の宮藤官九郎を世に知らしめた立役者でもある。

もともとは、小泉今日子にあやかったペンネームの小泉すみれ名義で1995年に出版されたもののようだ。冒頭に掲載したカバー画はわたしが入手した新版もので、2004年の新版では作者名は本名になっている。


■TVドラマのプロデューサーは番組制作というプロジェクトのマネージャー

マンガを本職としているわけではないが、その仕事のすみずみまで熟知している現役のプロデューサーがみずから描いたマンガである。

あえて取材したわけではなくても描ける世界。だが、仕事にコミットしながらも、同時に距離をおいて自分も相対化してしまうという視点ができないことだ。社会学や人類学でいう参与観察法を無意識のうちに実践しているといってもいいだろう。

わたしはこのマンガを読んで、はじめてプロデューサーの仕事がどういうものかよくわかった。プロデュースやプロデューサー、ディレクターというカタカナコトバは、日常的によくつかう割には、意外とその中身がよくわかってないものだ。

プロデュースとは、さまざまな分野の専門家をまとめたチームとして、プロジェクトチームとして仕事を遂行することを指している。このマンガの場合は、TV局に所属するプロデューサーがTVドラマを作成するのが仕事である。、

番組制作ごとにプロジェクトが組成され、完了すれば解散する「番組製作チーム」として仕事が行われる。プロデューサーとはある意味ではプロジェクト・マネージャーでもある。

プロデューサーは、出演タレントのキャスティング、資金調達と予算管理も行う。タレント事務所や個人事務所との折衝、事前の取材や番組制作協力の取り付け、ロケ地の選択と確保など、仕事はじつに多岐にわたっている。

制作サイドでは、プロデューサー、ディレクター、音声、撮影、録画、デザイナーなどなど。外部の独立した専門家である脚本家、演出家、メイクアップなどなど。できあがった作品を広告宣伝するマーケィングや営業、広告代理店などなど。それぞれ異なる知識とスキルをもった「専門家」をまとめて、プロジェクトをスムーズに進行させるのがプロデューサーの役割である。

いわば「異質性のマネジメント」が求められる仕事である。同質性が前提とされてきた日本型組織とは異なるのである。

もちろんTV局のプロデューサーと、番組製作会社のプロデューサーでは違いもある。番組制作会社は、外部の業務委託先(=サブコントラクター)の位置づけであり、TV局と製作会社の関係はゼネコンのビジネスモデルと似ているようだ。

プロデューサー自身が番組制作のことを「モノづくり」という表現をするように、映像作品もまた「モノ」と捉えると、プロジェクトで仕事をすることが求められる傾向が強まりつつ現在、TVの世界以外でも応用可能な面もあるだろう。


女性マンガ家による仕事マンガは面白い

雑誌編集者の世界を描いた『働きマン』(安野モヨコ、小学館、2004~2007)についてはすでにこのブログでも取り上げた。また、マンガ雑誌編集者の世界を描いた『重版出来』(松田奈緒子、小学館、2013~)も面白い。

ほかにも取り上げるべき仕事マンガは多々あるのだが、なぜか女性マンガ家の作品が大いにことに気がつく。書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか? が取り上げた作品以外にも、『お仕事です』(柴門ふみ)や『おたんこナース』(佐々木倫子)などの作品も面白い。

男性よりも女性のほうが、働くということの意味について深く考える立ち位置にいるためだろうか。それとも仕事にコミットしながらも、のめり込みしすぎずに同時に周囲を観察することに長けているためだろうか。

男脳と女脳の話に還元してしまうのはあまりにも陳腐だが、主体的にコミットしつつ、自分からも距離をおいて冷めた観察を行うという参与観察法は、男性よりも女性のほうが得意なのかもしれない。すくなくとも女性は無意識にいつも実行しているのではなかろうか。

マンガとは直接関係ないが、そんなことも考えてみる。




著者プロフィール

磯山晶(いそやま・あき)
1967年10月7日東京生まれ。フェリス女学院高校を卒業後、1986年上智大学文学部新聞学科入学。1990年TBSテレビ入社。現在、TBSエンタテインメントに在籍中。プロデューサーとしては、’96年『Campus Note』を皮切りに、’97年には、自作漫画『プロデューサーになりたい』を自らプロデュースし、ギャラクシー賞を受賞。その後も、『池袋ウエストゲートパーク』『木更津キャッツアイ』『マンハッタンラブストーリー』などの人気ドラマを手掛ける。また、“小泉すみれ”のペンネームで漫画家としても活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<ブログ内関連記事>

プロデューサー関連

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない

映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた-いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ
・・音楽産業とプロデューサーとの関係

書評 『世界の子供たちに夢を-タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡-』(但馬オサム、メディアックス、2013)-タツノコプロのアニメ作品を見て育ったすべての「子供たち」は必読!
・・アニメ作家とプロデューサー

書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)
・・「文化プロデューサー」として地方で活躍した人


ミッション(=仕事の目的)が明確なプロジェクトチーム型の仕事

「サッカー日本代表チーム」を「プロジェクト・チーム」として考えてみる

映画 『はやぶさ / HAYABUSA』 を見てきた-この感動を多くの人たちと分かち合いたい!

書評 『飛雄馬、インドの星になれ!-インド版アニメ 『巨人の星』 誕生秘話-』(古賀義章、講談社、2013)-リメイクによって名作アニメを現代インドで再生!


「仕事マンガ」関連

書評 『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか?

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

『重版出来!①』(松田奈緒子、小学館、2013)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!


参与観察法

書評 『村から工場へ-東南アジア女性の近代化経験-』(平井京之介、NTT出版、2011)-タイ北部の工業団地でのフィールドワークの記録が面白い

書評 『搾取される若者たち-バイク便ライダーは見た!-』(阿部真大、集英社新書、2006)-バイク便ライダーとして参与観察したフィールドワークによる労働社会学

マンガ 『アル中病棟(失踪日記2)』(吾妻ひでお、イーストプレス、2013)は、図らずもアル中病棟で参与観察型のフィールドワークを行うことになったマンガ家によるノンフィクション


その他

書評 『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、ハヤカワ文庫、2010 単行本初版 2008)-「アフター1995」の世界を知るために
・・「第7章 宮藤官九郎はなぜ「地名」にこだわるのか-<郊外型>中間共同体の再構成」が面白い。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台は岩手県久慈市


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2013年12月29日日曜日

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘 ― 津田梅子と大山捨松について



1871年(明治4年)、日本初の国費による「女子留学生」として「岩倉使節団」とともに渡米した5人の少女たち。日本の「近代化」推進のため、先進的な教育制度に学ぶべく男子留学生たちとともにアメリカに送り出されたエリート候補生たちであった。

北海道開拓長官となった薩摩藩出身の黒田清隆の思いつきで発案されたのが「女子留学生」である。だが急募ということもあり、日本全国から「女子留学生」に応募したのは、たった5人(!)しかいなかったという。

たとえ国費による留学であるとはいえ、自分の娘を10年間(!)も遠い異国にやる親など、現在でもまずいないだろう。いまから140年前は、インターネットでリアルタイムにつながる現在からはまったく想像もできない時代だったのだ。

応募したのは、いずれも「維新の負け組」となった士族の娘たちである。応募者があまりにも少なかったので全員渡米することとなった。10年間の修学予定であったが、年長の2人はホームシックで体調を崩して初年度に帰国を余儀なくされる。結局、最後までアメリカで勉強をつづけたのは3人だけであった。

まずは英語を身につけなくてはアメリカでは生きていけない。そのため、3人一緒ではなく、べつべつにアメリカ人の家庭に預ける必要があると、薩摩藩出身で駐米代理公使であった森有礼(もり・ありのり)はホストファミリー探しに奔走した。在米留学生の監督がその主要任務であったからだ。

英語を日本の「国語」にせよなどという主張を行い、極端な「欧化主義者」であったとして過激な「国粋主義者」によって暗殺されることとなった森有礼。ネガティブなレッテルが貼られたままの森有礼であるが、英語が堪能でキリスト教の影響を深く受けていた彼がアメリカ東部のエリート層のあいだに築いたネットワーク、彼を中心に形成された日本人留学生ネットワークが日本近代化に果たした役割はきわめて大きい

「女子留学生」としてミッションを果たした3人の女性にとっても森有礼の存在と、渡米の際に途中まで行動をともにした「岩倉使節団」の一員であった長州藩出身の伊藤博文の存在は、日本帰国後に意味をもつのである。伊藤博文もまた幕末に密航して英国留学した経験をもつ開明派であった。



■津田梅子と大山捨松の勉強と帰国後の「逆カルチャーギャップ」

「女子留学生」のなかでもっとも有名なのが津田塾大学の創立者・津田梅子(1864~1929)であろう。

梅子が渡米したのはなんと満6歳(!)成長期の11年間をアメリカで過ごし、ハイスクールを終え18歳で帰国した頃には、すっかり日本語を忘れてしまっていたという。日本の家族とのコミュニケーションにも難儀したらしい。日本語は学び直さなくてはならなかったようだ。

11歳で渡米し名門ヴァッサー・カレッジをアジア人女性としてはじめて卒業(!)した会津藩家老の娘・山川捨松(・・のちの大山捨松 1860~1919)である。

捨松のほうは、もう一人の「女子留学生」益田繁子(・・のち瓜生繁子 1862~1928、三井物産初代社長・益田孝の妹)とヴァッサーカレッジで同窓で、イエール大学を卒業した兄・山川健次の厳命で毎日1時間は日本語会話する習慣をつづけていたので日本語を忘れることはなかったようだ。だが、生涯にわたって日本語の読み書きには苦労したらしい。

ちなみに、益田繁子はヴァッサーでは実技系の音楽を専攻し、卒業にこだわった梅子や捨松よりも一年前に帰国し、おなじくアメリカ留学組で、のちの海軍大将・瓜生外吉男爵と結婚している。帰国後はピアニストとして活躍していたようだ。

わたしは大学院時代にアメリカで教育を受けたが、英語でうけた教育内容は英語で理解していたものなので、それを日本語でどう表現するのかときに悩むことがある。日本帰国後もしばらくは苦労したことを思い出す。

20歳代後半の2年間ですらそうなのだから、多感な10代の時期に10年間もアメリカにいて英語漬けになっていた「女子留学生」たちの帰国後の苦労は、想像を越えたものと言わざるを得ない。

国費で留学した彼女たちはアメリカで勉強した成果をもって、祖国に貢献したかったからアメリカにとどまり続けるつもりはなかったのだ。そもそも出発前には皇后陛下(・・没後は昭憲皇太后)から激励されて送り出されたのである。

その彼女たちが日本帰国後に体験したのは、まさに浦島太郎のようなものだったのだろう。アメリカ流も英語もつうじない日本での苦労と苦闘がしのばれる。


(ヴァッサー・カレッジ時代の捨松 アーカイブより)

近代化が開始された頃に渡米してアメリカで教育を受けた女性たちの生涯を追っていくと、140年前のこととはいえ、まったく別世界の話という感じがしない。

異文化に適応しても帰国後に味わうことになる逆カルチャーショック、慣れ親しんだ英語と日本語とのコミュニケーションギャップ・・・。まさに「帰国子女」を先取りした存在といえるだろう。「帰国子女」は、当時でも現在でも日本社会においてはマイノリティの存在であることに変わりはない。

自分の思うこと、考えることが伝わらないという焦り、苦しみ。国費で留学して、いざ祖国日本のために貢献しようと意気揚々と帰国したのに、まったく期待されていないことを知った時の落胆、挫折感

同時期の男子留学生たちが官僚や学者としてエリートコースに乗っていったのと違い、戦略性のない単なる思いつきで送り出された女子留学生たち。日本帰国後の彼女たちがみずからの進む道を見出すまでは、失望以外のなに感じることができなかったのは痛いほどわかる。



みずからの内面は親しいアメリカ人に英語で語っていた

梅子や捨松が、みずからの心の内面を親しいアメリカ人にあてた手紙で英語で(!)つづっていたのは当然といえば当然だろう。英語なら自由に自分を表現できるが、日本語では意思疎通に問題があったからだ。

だがそれだけではない。明治初期においてはいまだ「国語」としての日本語、つまり「標準語」が確立していなかったのだ。大河ドラマではそれぞれが方言を喋りながらも意志疎通ができているという設定になっているが、はたしてじっさいはどうだったのだろうか。しかも、口語体でものを書くというスタイルは確立していなかったのだ。

ちなみに言文一致による日本初の小説『武蔵野』(山田美妙)が発表されたのは明治20年(1888年)のことである。森有礼が英語を日本の「国語」にせよなどという主張を行ったり、おなじく「明六社」メンバーの西周(にし・あまね)が日本語のローマ字表記化や日本の郵便制度の父・前島密が日本語のかなもじ表記を主張したり、日本語の表記体も確立していなかった時代でもあった。

ローマ字入力で漢字かな変換できるワープロ機能のある現在なら、梅子や捨松も比較的ラクに日本語を書くことができたであろう。わたしも日本語を学習した外国人とは、ローマ字化された日本語でやりとりすることもある。

だが明治初期は、英語をはじめとする西欧語の概念を日本語化するために、ローマ字化を主張した西周などの「欧化主義者」の啓蒙家たちによって、「和製漢語」が大量に作り出された時代でもある。

戦後の「国語改革」を経た現在の漢字仮名交じり文からは想像できないほど難読語の使用が多く、そうとう勉強をしなければ読み書きが自由にできない時代でもあった。

そういう時代であったこともまた、英語で教育を受けた彼女たちにとっては、英語のコミュニケーションのほうが、はるかに自分の内面や意志を伝えやすかったと考えてもまったく不思議ではない。

梅子や捨松の手紙が日本語の著作のなかで読むことができるようになったのは、関係者による伝記執筆によるところが大きい。

『津田梅子』(大庭みな子、朝日文芸文庫、1993 単行本初版 1990)は、1984年に津田塾大学の物置のなかから偶然発見された、ホストファミリーの育ての母ともいうべきアメリカ人女性にあててつづられた、膨大な量の英文の手紙をもとに執筆された伝記文学だ。

『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松-日本初の女子留学生-』(久野明子、中公文庫、1993 単行本初版 1988)は、忘れ去られていた大山捨松の生涯を探索するなかで発見されたアメリカ人の親友にあてて書かれた英文の手紙をもとに執筆された伝記だ。

ほぼ同時期に出版された二冊の本だが、『津田梅子』の著者の大庭みな子氏が津田塾の卒業生であるなら、『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松-日本初の女子留学生-』の著者の久野明子氏は大山捨松のひ孫にあたる人。ともに女性で、ともにそれぞれの人物にゆかりの人である。




NHK大河ドラマ『八重の桜』の登場人物でもあた大山捨松(=山川捨松)と津田梅子。せっかくの機会なので、買ったまま20年間(!)読まないままになっていた『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』と、ついでに入手した『津田梅子』をあわせて読んでみた。

はじめて気がついたが、似たような素材をもとに再現された二人の女性の生涯であり、文庫化されたのも1993年とまったく同じ年だ。しかも。津田梅子と大山捨松のあいだにはアメリカ留学に出発して以来、40年ちかく親しく付き合いのあった仲でもある。当然ながら二人で話すときは英語であったようだ。

『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松-日本初の女子留学生-』を1993年に新刊として購入したのは、わたしが1992年にMBAを取得してアメリカから帰国した頃だったからだろう。



津田梅子と大山捨松の帰国後の「キャリア」(=軌跡)

『モダンガール論』(斎藤美奈子、文春文庫、2003)の単行本初版(2000年)は、副題に「女の子には出世の道が二つある」とあった。

立派な職業人になることと、立派な家庭人になること。職業的な達成(労働市場で自分を高く売ること)と家庭的な幸福(結婚市場で自分を高く売ること)は、女性の場合、どっちも「出世」なのである。したがって、女の子はいつも「二つの出世の道」の間で揺れてきた(単行本 P.8)

この分類にしたがえば、職業的な達成を目指しその道を切り開いたのが津田梅子であり、後者の家庭的な幸福を選択したのが大山捨松(=山川捨松)ということになる。

アメリカで芽生えた女子教育を日本で行うという捨松の夢は、帰国後の日本では実現にはほど遠いことを悟らざるを得ず、現実的な戦略に切り替える。

現実的とは、陸軍高官の大山巌と結婚し、上流階級の婦人として社会的な存在となり、そのポジションをつうじて利用してできることをキャリアとしたということだ。上流階級の一員として明治国家を支える形での貢献に姿を変えて自己実現をはかったといえるだろう。鹿鳴館での活躍もその一環であった。思い通りの人生とは言い難いものがあったにせよ。

そして本来の自分の夢は、津田梅子の志を陰に陽に助ける形で実行されることになる。ある意味で、それは「内助の功」といえるのかもしれない。今回この2冊の伝記を読まなかったら、その重要な事実を知らないで終わっていたかもしれない。陰徳というものは見えにくいからだ。

日本の女子高等教育における津田梅子の功績はあまりにも大きいが、いわば「内助の功」として陰に陽に支援を惜しまなかった大山捨松の貢献がいかに大きなものであったか。

アメリカで教育を受けた人ならではの高い「貢献意識」に打たれるものがある。What can you contribute ?(=あなたはなにを貢献できるのか?)という問いは、耳にたこができるほどアメリカで叩き込まれる

『モダンガール論』(斎藤美奈子)でも指摘されているが、「良妻賢母」は前近代のものではないのだ。あくまでも「近代イデオロギー」の産物だということには注意しておく必要がある。「良妻賢母主義」を国是とすべしと提唱したのは、伊藤博文内閣で初代文部大臣となった森有礼である(1885年)。

そもそも儒教が武士の倫理規範を越えて全国民的なものとなったのは、明治時代半ばの教育勅語と軍人勅諭の施行以降である。だからこそ、戦後日本では儒教道徳はあっけなく消え去ったのである。


(1871年 一番右が山川捨松10歳、ひざ上に津田うめ6歳 wikipediaより)


大山捨松と津田梅子は、ともに武士の娘である。そして、ともに家庭内で西洋と接する環境にあった。

捨松は会津藩国家老の娘、捨松の長兄・山川浩は幕末に幕府の使者と同行してロシアへ渡航、ヨーロッパ諸国を見聞して世界の大勢を知っていた人。次兄・山川健次は会津戦争後、捨松に先だって国費でアメリカのイエール大学に留学、物理学を専攻。

梅子の父・津田仙は幕臣、蘭学が奨励されていた佐倉藩士として生まれ、洋学や砲術を学び、その後は娘の影響でキリスト教徒となり青山学院大学の設立にもかかわった人。同志社大の創始者新島襄、『西国立志編』の翻訳で有名な中村正直(敬宇)とともに、“キリスト教界の三傑”とうたわれた、という。

大山捨松と津田梅子、ともに大学では生物学を好んで学んでいる。

捨松はヴァッサーカレッジではリベラルアーツを修めたが、生物学と生理学の授業を多くとっていたという。ヴァッサーカレッジはニューヨーク州のポーケプシーにあるが、この地名はおなじくニューヨーク州の州都オルバニーに近いトロイにいたわたしには懐かしい響きである。ハドソン川沿いの風光明媚な土地だ。

津田梅子は二度目のアメリカ留学でフィラデルフィア郊外のブリンマー・カレッジ (Bryn Mawr College) で生物学を専攻している。ブリンマーもリベラルアーツ・カレッジだが、のちにノーベル賞を受賞することになる教授と「カエルの卵の細胞分裂」について論文を執筆しているのだそうだ。

大山捨松と津田梅子、ともにアメリカでキリスト教の洗礼を受けている。

捨松は、森有礼の奔走でニューヘイブンの名士であった理想肌の会衆派(=コングレゲーションナル)の牧師ベーコンの家庭をホストファミリーとし、キリスト教の洗礼を受けている。牧師の娘アリスとは生涯にわたって親友として付き合いつづける。捨松が英語の手紙を送っていたのはアリスあてであった。

梅子もまた、森有礼の部下であったワシントン近郊ジョージタウンのアメリカ人家庭をホストファミリーとし、特定の宗派に属さないフィラデルフィアの独立教会で洗礼を受けている。梅子の父も洗礼を受けているのは、もともと蘭学をつうじて西欧文明に精通していたこともあろう。

捨松・梅子・アリスの3人は後々までも親友として、また盟友として交流を続け、日本の女子教育の発展に寄与していくことになる。1900年に梅子が私塾の女子英学塾を立ち上げ塾長となったとき、捨松は顧問として梅子を助けアリスは教師として2年間無給で(!)梅子を助けたのであった。


(左から梅子・アリス・瓜生繁子・捨松 1900年の日本での再会)


大山捨松と津田梅子は、「英語・アメリカ・キリスト教」、という三位一体的なフレーズで要約することも可能だろう。欧州諸国とは別個に、この太い流れが幕末と明治初期から一貫していることをあらためて知るべきなのだ。

日本ではキリスト教は洗礼を受ける者は少ないので、ある意味ではキリスト教の神は「見えざる神」として存在し続けているといえるかもしれない。

近代になってアメリカ発のキリスト教が日本にもたらしもののなかで特筆すべきものは、「人格」と男女平等」という概念であり、それを前提にした「女子教育」であったといえるのではないだろうか。

その理念を実学教育として実践したのが女子英学塾であり、のちに梅子を記念した津田塾と改名されることになる。



津田梅子と女子「英学」塾(=津田塾)-「実学」と「教養」

『津田梅子』を書いた大庭みな子という小説家のことは名前は知っていたが、これまで一冊も読んだことがなかった。

なぜか日本経済新聞社から全集が出版されたことは、ビジネスマンで日経新聞を読んでいたのでアタマの片隅にあったが、大庭みな子(1930~2007)という作家が1949年に津田塾に入学した卒業生であったことは、この本を入手するまでまったくしらなかった。、

文庫版にある「巻末エッセイ 二つの世界の人」で、評論家の鶴見俊輔氏は以下のように書いている。

生涯つづけた学習にもかかわらず、その日本語の力は、どれほどついたか。私はうたがいをもつ ・・(中略)・・ 彼女は、その生涯の終りまで、英語世界を内面にもって、一個のコスモポリタン=ナショナリストとして、日本でくらした人ではなかったか。

みずからも15歳から20歳という若年時にアメリカに滞在し、ハーバード大学を卒業している鶴見俊輔ならではの見解だろう。


(津田塾創立100年記念に制作されたCD 梅子の英語スピーチ音声が収録)

たまたま、津田塾創立100年記念」として2000年に制作されたCDを津田塾関係者からいただいて所有しているのだが、CDにはSPレコードに吹き込まれた梅子の肉声が復元されて収録されている。内容は以下のとおりである。


1. 卒業生への塾長式辞(5"57") The Principal's Address to the Graduates (1913) 津田梅子
2. 詩 The Building of the Ship の末節(1'50") 朗読: 津田梅子
3. 女子英学塾校歌 アルマ・マータ Alma Mater (2'46")  作曲: 不明(イギリスの民謡) 作詞: アナ・ハーツホーン 合唱: 一橋大学・津田塾大学混声合唱団ユマニテ女性有志

2000年にこのCDをいただいてさっそく聞いてみたとき、津田梅子のスピーチが英語だったのは、津田塾大学の英文科では、卒論は英語で執筆してタイプ打ちするのだと、大学在学中に津田塾の学生から聞いていたので、そういう背景なのだろうと思っていた。

津田梅子の肉声は YouTube などでは公表されていないのが残念だが、CDに収録された英語スピーチと詩の朗読の音声を聞くと、じつに流暢でうつくしいアメリカ英語であることがわかる。

英語による卒業式の式辞をレコードに吹き込んでも、日本語のものを遺さなかったのは、鶴見俊輔氏が書いているように、梅子が生涯にわたって日本語に自信がなかったためかもしれない。

女子英学塾は、女性の職業としての英語教師を養成するという実学志向の学校として出発、日本で女子教育を普及させるという津田梅子の夢を実現したものであった。

大庭みな子の『津田梅子』によれば、津田塾大学と梅子が二度目のアメリカ留学で学んだブリンマー・カレッジはよく似ているのだそうだ。郊外の小規模リベラルアーツ女子大学というコンセプトだけでなく、、キャンパスの雰囲気も似ているのだという。

津田塾大学のウェブサイトによれば、津田塾の建学理念は All-round Women だという。その心は、「1900年、創立者の津田梅子は開校式で専門知識を身につけることの大切さとともに、幅広い視野をもち、自立して社会に貢献できる「オールラウンドな女性であれ」と語りました」。

つまり英語を中核においた「実学」であり、実学をささえるのは幅広い「教養」(=リベラルアーツ)ということなのだ。

(1871年 外交官として米国駐在時24歳!の森有礼 wikipediaより)

さきにも触れたが、津田梅子のホームステイ先はワシントンの、初代代理公使として駐在していた森有礼の部下のアメリカ人の家庭であった。森有礼は、教育の重要性をひじょうに深く認識しておりのちに初代文部大臣となったことはすでに述べたとおりだ。アメリカ駐在から帰国後の1875年には、のちの一橋大学になる「商法講習所」の生みの親となっている。

商法講習所は、恩師の歴史学者・阿部謹也先生によれば、「日本を商慣習の点から近代化する」というミッションを実現するためにつくられた私塾であり、初期においては教育はすべて英語で行われていた。

一橋大学と津田塾大学は東京都小平市にあって近隣校として交流が深いが(・・現在は一橋大学前期課程は国立市に移動)、この両者のつながりが、そもそも1871年のアメリカにあったことを知ると、いろいろな感慨をもつのである。

津田塾と津田梅子についてはそれなりに知っているつもりであったが、津田梅子と大山捨松が自分の内面世界を英語で書きつづった手紙を読み解いた伝記を読んだことで、元祖「帰国子女」の日本人女性たちが生きた時代と、彼女たちが背負うことになった特異な人生を知ることができたのは幸いであった。

津田梅子、大山捨松(=山川捨松)、そして森有礼(・・洗礼は受けていなかったようだ)は、「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点をもっている。あたらしい物事は、このような狭い人間関係のつながりのなかから生まれるものだろう。

かれらが「欧化主義」の側にありながらも、盲目的な西洋崇拝とは無縁な明治のナショナリストであったのは、いずれも士族出身者であったことも影響しているのであろう。当時の「小国日本」のために尽くした生涯を送っている。

津田梅子、大山捨松(=山川捨松)、そして森有礼という3人の名前は、ぜひセットとして記憶しておきたいと思う。



<関連サイト>

津田梅子大山捨松森有礼については、wikipedia の記述は正確でかつ充実している。とくに会津藩家老の娘である大山捨松については、山川きょうだいの一人であることもあって、じつによくまとまった読み物になっている

津田梅子については津田塾の創立者であり、津田塾大学のウェブサイトにさまざまな資料がある

Vassar College (捨松が卒業したヴァッサー・カレッジのウェブサイト)
・・このサイトから Sutematsu Oyama を検索するとアーカイブ資料を見つけることができる。ヴァッサーカレッジは、現在でも最難関のリベラルアーツ・カレッジである。1969年に女子大から共学化された。著名な卒業生にはメリル・ストリープ(女優)、ルース・ベネディクト(人類文化学者)など多数

Princess Oyama (Vassar Encyclopedia)
・・ヴァッサー・カレッジ卒業生(class of 1882’s)であった大山捨松(Stematz Yamakawa)にかんする詳細なバイオグラフィーがあり、アメリカ的な視点で滞米中の捨松を身近に感じられる内容になっている。

以下のような記述もある。

Several classmates claimed that she and Shige practiced their native language frequently, but she herself wrote in an essay on her return to Japan that she had nearly forgotten her Japanese and took a month to recover it. What is certain that she wrote home to her mother every day and also communicated with a sister at the Japanese embassy in Russia, though those letters were in French. 

この記述によれば捨松は、日本語は繁子とつかっていたが、帰国後に日本語を思い出すのに一カ月かかったこと、捨松は母親あての手紙と在ロシア日本大使館にいた妹あての手紙はフランス語で書いていたとある。

Sutematsu (Yamakawa) Oyama, Vassar Class of 1882, the first Japanese woman to receive a Bachelor of Arts degree; Vassar College Archives, Archives and Special Collections Library, Vassar College. 
・・ここに大学時代のポートレートがある


敵と同じくらい味方を作る、強烈な無邪気と情熱【悪姫 #2】  明治の女とは思えない天才・津田梅子、そのぶっ飛んだグローバル女子ぶりとは。(渥美志保、COSMOPOLITAN、 2017年5月19日)

(2022年3月6日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

アメリカ留学関連

書評 『アメリカ「知日派」の起源-明治の留学生交流譚-』(塩崎智、平凡社選書、2001)-幕末・明治・アメリカと「三生」を経た日本人アメリカ留学生たちとボストン上流階級との交流
・・森有礼がアメリカで築いた人的ネットワーク、日本人アメリカ留学生とのあいだに形成され人的ネットワークの意味について

レンセラー工科大学(RPI : Rensselaer Polytechnic Institute)を卒業して20年
・・RPIはわたしが卒業した大学。ヴァッサーカレッジと同じくニューヨーク州のハドソン側沿岸にある。この地帯は水運が交通と物流の中心であった頃、先進地帯として発展の最中にあった

アンクル・サムはニューヨーク州トロイの人であった-トロイよいとこ一度はおいで! ・・ニューヨーク州トロイにあるRPIは1824年創立のアメリカ最古の工科大学。この町にあるトロイ・アカデミーにて目賀田種太郎(・・専修大学の創設者の一人)などの日本人留学生が勉強していたという


日本語と表記法

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (1) -くもん選書からでた「日本語論三部作」(1987~88)は、『知的生産の技術』(1969)第7章とあわせて読んでみよう!

梅棹忠夫の「日本語論」をよむ (2) - 『日本語の将来-ローマ字表記で国際化を-』(NHKブックス、2004)

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・西洋音階の導入により音声としての日本語を標準化し日本語を確立する課題を追求

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!
・・「あるいは書生が「日本の言語は不便利にして文章も演説もできぬゆえ、英語を使い英文を用うる」なぞと、取るにも足らぬ馬鹿をいう者あり。按ずるにこの書生は日本に生まれて未だ十分に日本語を用いたることなき男ならん。国の言葉はその国に事物の繁多なる割合に従いて次第に増加し、毫も不自由なきはずのものなり。なにはさておき今の日本人は今の日本語を巧みに用いて弁舌の上達せんことを勉むべきなり」(十七編 人望論) 
明治初期はこういう時代であった。だが、日本語の表現能力に限界があったことは確かなことで、その後、啓蒙主義の運動のなかで漢字語が大量につくられることになる


「英語・アメリカ・キリスト教」

書評 『西洋が見えてきた頃(亀井俊介の仕事 3)』(亀井俊介、南雲堂、1988)-幕末の「西洋との出会い」をアメリカからはじめた日本

NHK大河ドラマ 『八重の桜』もついに最終回-「戦前・戦中・戦後」にまたがる女性の生涯を戊辰戦争を軸に描いたこのドラマは「朝ドラ」と同じ構造だ

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実
・・アメリカ留学組の国家官僚・伊澤修二はキリスト教の影響を最小限にとどめようと努力した

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・津田梅子の父・津田仙は佐倉藩士の子として生まれ、のち養子として幕臣になった人。蘭学から英学に切り替えた人である。そういう家庭に育ったのが津田梅子であった

この父にしてこの娘あり! ― 津田梅子の父親・津田仙もまた「英語・アメリカ・キリスト教」の人であり、「農業近代化」に尽くした佐倉藩出身の実践的啓蒙思想家であった

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点だけでなく、「女子留学生」とはアメリカで直接の知り合いであった新島襄

書評 『新渡戸稲造ものがたり-真の国際人 江戸、明治、大正、昭和をかけぬける-(ジュニア・ノンフィクション)』(柴崎由紀、銀の鈴社、2013)-人のため世の中のために尽くした生涯
・・「英語・アメリカ・キリスト教」という共通点でつらなる人脈

内村鑑三の 『後世への最大遺物』(1894年)は、キリスト教の立場からする「実学」と「実践」の重要性を説いた名講演である

書評 『岩倉具視-言葉の皮を剝きながら-』(永井路子、文藝春秋、2008)-政治というものの本質、政治的人間の本質を描き尽くした「一級の書」
・・岩倉具視は息子をアメリカに留学させている


アメリカの本質

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録
・・メインストリームのキリスト教とアメリカ人の関係を知らなければアメリカを理解したことにはならない

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

「人生に成功したければ、言葉を勉強したまえ」 (片岡義男)
・・「人生に成功をおさめるためにぜったいに欠かせない最大の条件は言葉に習熟することだ、という伝統的な考え方が、アメリカにはある。この考え方は、いまでもつづいている」(片岡義男・日系三世)

(2025年8月25日 情報追加)


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2013年9月22日日曜日

書評『仕事マンガ!-52作品から学ぶキャリアデザイン-』(梅崎 修、ナカニシヤ出版、2011)-映画や小説ではなくなぜ「仕事マンガ」にヒントがあるのか?


仕事マンガは面白い。なぜなら、わたし自身がいまでも働いている一人の人間だからだ。しかも専門が組織変革なので、仕事やキャリアにかかわる内容であれば、なおさら面白く感じる。

だがなぜ、映画やドラマ、小説よりもマンガのほうが、こと仕事やキャリアというテーマでは面白く感じるのか?

映画やTVドラマは、どうしてもキャラの立った主人公とドラマチックな盛り上がりがなければ成り立たない。とくにTVドラマは初回で視聴率がとれないとそのままずるずると低迷し、最悪の場合は打ち切りという事態だってありうる。なによりも製作費が小説やマンガとはケタ違いに違うからだ。

もちろん、マンガや小説だって最初の「つかみ」は重要だ。この点は映画やドラマと変わりはない。

だが、マンガがその他のジャンルに対して優位性をもっているのは、登場人物たちの内面をさまざまな形で表現する技術が確立していることにあるのではないか。

五感ということにかんしては動画や音声の入る映画やTVドラマのほうがうえである。だが、映画やTVドラマは、どうしても演じる俳優という生身の人間に印象が左右されてしまう点がある。だから原作者や製作者の意図を100%再現できているかどうかはべつの問題だ。

小説の場合は、文字だけなので読む側にイマジネーションが要求される。マンガの場合は文字にくわえて絵で表情や内面まで表現できるから、媒体的には小説と映画やTVドラマの中間に位置するものだろう。

この本の著者は、こと仕事マンガにかんしては、一般的な理解とはべつのところに優位性があるのではないかとしている。

ビジネス映画やビジネス小説と比べると、仕事マンガでは普通の人の普通の日常が描かれることが多い。これはマンガという表現形式の結果というよりも、歴代のマンガ家たちが積み上げてきた蓄積なのである。マンガという表現を選んだ表現者たちの関心が日常に近いところにあるのだと思う。(P.169)

たしかに著者もいうように、マンガのほうがより日常生活に近い等身大の世界を描く傾向がつよい。少年漫画誌、青年漫画誌、レディースコミックといいうマーケティングのセグメンテーションにもとづく媒体の区分があるので、それぞれの年齢層や性差におうじた日常生活の描き分けも可能である。

マンガ家自身の体験も描きこみやすいだけでなく、TVドラマもそうだが、綿密な取材のうえで作品をつくっているので読んでいてリアリティがあることも無視できない。

わたし自身のことについて語ると、小説をほとんど読まないが、マンガは読む人間である。小説は読んでも歴史小説くらいしか読まない。活字で読むのはノンフィクションが中心だ。

かつてサラリーマンであった頃には企業小説というジャンルを読んだ時期もあったが、いまではまったく読まなくなってしまった。日本的で、昭和的で、うっとおしいというのがその理由かもしれない。

だがマンガはいまでも面白い。とくに仕事マンガは面白い。


著者の着眼点は「キャリアデザイン」と「自律」

この本の著者は、労働経済学と人事労務管理論を専攻する経済学者である。

マンガ好きではあるのは当然として、マンガを素材にして働くということの意味やキャリアについてのヒントになることを見出したいという思いで読み込んでいるようだ。

著者は、仕事マンガをつうじて、登場人物たちの仕事経験を感じ取り自分の仕事人生を自分でデザインするためのヒントをつかむべきだと言う。自律とは教え込まれるものではなく、自分でつかみとるものだからだ。教育ではなく、主体的な学びに属する領域なのである。

この本に取り上げられたマンガは2007年から2008年にかけて連載され出版されたものが中心だが、この時期は2000年初頭から「キャリア教育」が大学を中心に急速に拡まってきた時期にあたる。その功罪について著者が考えてきたことが作品のセレクトに反映している。

「キャリア構築は自分で行う」という価値観。働き方にかんするこの価値観が定着しはじめたのは、「就職氷河期世代」(1993~2005)、いわゆる「ロストジェネレーション」(ロスジェネ)たちの世代からである。この事情については、書評 『仕事漂流-就職氷河期世代の「働き方」-』(稲泉 連、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-「キャリア構築は自分で行うという価値観」への転換期の若者たちを描いた中身の濃いノンフィクション を読まれたい。

日頃から大学生と接している著者は、 『キャリア教育のウソ』(児美川孝一郎、ちくまプリマー新書、2013)の著者と問題意識を共有しているように思われる。つまり、大学や高校における短期間の集合教育としての「キャリア教育」ではキャリアデザインも自律も身につかないということだ。これは企業におけるインターンシップも同様である。

キャリア教育やインターンシップよりもアルバイト体験のほうが意味があるという著者の意見にわたしも賛成だ。そのことは、アルバイトをちょっと長めの「インターンシップ期間」と捉えてみよう という記事に書いておる。

キャリアデザインとはキャリアを自分で構築するという思想であり、その思想にもとづいたマイドセットとスキルのことである。

そのためのヒントは、仕事マンガの等身大の主人公や登場人物たちの言動から感じ取るのがよいのではないかというのが著者の問題意識。

20歳代から30歳代にかけて、誰から言われるわけでもなく、じっさいにそうしてきたわたしもまったく同感だ。そういう人は多いのではないだろうか。


取り上げられた作品について

仕事マンガを読む試みはすでに 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)が行っている。この本は、サラリーマンというキーワードで歴史的推移をトレースしたもので、一貫性のあるたいへん面白い本である。

『仕事マンガ!』については、雑誌連載の文章をまとめたものなので、作品ごとの取り上げ方は5ページ程度でひじょうに短い。しかも全体の歴史的流れのなかに作品を位置づけるという描き方ではなく、テーマごとに作品を分類した描き方なので、人事管理をめぐる根本的な変化のなかに位置づけて読むには、上記の『サラリーマン漫画の戦後史』とあわせて読むべきだろう。

読んでない作品がたくさんあるが(・・というよりもマンガはあまりも出版点数が多すぎてとてもフォローしきれないし、個人的な好みではない作品も多々ある)、とくに女性を主人公にした仕事マンガは読む必要があるという著者の意見には大いに賛成だ。

というのも、女性にもキャリアデザインが必要とされている現在であるが、市場外労働とされる家事もふくめた、いっけんキャリアとは無縁のような仕事のなかにこそ、仕事のもつ本質的な意味があることに気がつかせてくれるからだ。営業アシスタントなど一般職の女性たちの仕事もまたそうである。

本書に取り上げられたマンガは52作品、TVドラマ化された原作などメジャーなものもあるが、レトロな名作も含めてマイナーな作品も多く取り上げられている。

作品のセレクトには著者の趣味も反映しているのだろうが、個人ガイドであるのだからそれは問題ない。読者は取捨選択して、このガイドから読んでみたい作品をさらにセレクトすればよい。

キャリア・デザインと自律的人材の意味について考えてみたい人は、考える素材がどこにあるかをしるうえで見ておいて損はない

仕事マンガにこそキャリアについて学ぶべきものは多いのだ。自己啓発書を読みまくるヒマがあったら仕事マンガを読んでいるほうがよっぽど役に立つ。

だが、いままさにキャリアデザインの渦中にあってもがき苦しんでいる若者たちと、すでに俯瞰的にものを見ることのできる立場にいる著者とでは、見えている現実と意識にはギャップがあっても当然かもしれない・・・





目 次

はじめに

第1章 自律はどのように学ぶのか
 1. 『たくなび』
 2. 『バンビーノ!』
 3. 『弁護士のくず』
 4. 『闇金ウシジマくん』
 5. 『ドラゴン桜』
 6. 『エンゼルバンク』
 7. 『最強伝説黒沢』
 8. 『賭博黙示録カイジ』
 9. 『まだ、生きてる…』
第2章 仕事の語りを聴く
 1. 『風子のいる店』
 2 『.ヘルプマン!』
 3. 『コンシェルジュ』
 4. 『どんまい!』
 5. 『大使閣下の料理人』
 6. 『あんどーなつ』
 7. 『キングスウヰーツ』
 8. 『営業の牧田です。』
 9. 『土星マンション』
第3章 職場ルールと個人のスキル
 1. 『編集王』
 2. 『CAとお呼びっ!』
 3. 『N's あおい』
 4. 『バーテンダー』
 5. 『リアル・クローズ、
 6. 『グッジョブ(Good Job)、
 7. 『現在官僚系もふ』
 8. 『医龍』
 9. 『ワーキングピュア』
第4章 ダメ、でもキャリア
 1. 『THE3名様』
 2. 『ギャンブルレーサー』
 3. 『僕の小規模な失敗』
 4. 『黄色い涙』
 5. 『バイトくん』
 6. 『ぼく、オタリーマン。』
 7. 『劇画・オバQ』
 8. 『お仕事しなさい !!』
 9. 『フジ三太郎』
第5章 普通から学び、普通に働く
 1. 『自虐の詩』
 2. 『極道めし』
 3. 『しんきらり』
 4. 『見晴らしガ丘にて』
 5. 『さんさん録』
 6. 『すーちゃん』
 7. 『OLはえらい』
 8. 『トーキョー無職日記』
第6章 社会の中のキャリアデザイン
 1. 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』
 2. 『俺はまだ本気出してないだけ』
 3. 『三丁目の夕日』
 4. 『団地ともお』
 5. 『のたり松太郎』
 6. 『上京アフロ田中』
 7. 『るきさん』
 8. 『へうげもの』

本書で紹介したマンガ一覧
あとがき

著者プロフィール

梅崎 修(うめざき・おさむ)
1970年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学博士)。法政大学キャリアデザイン学部准教授。専攻は、労働経済学、人事労務管理論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

<関連サイト>

澤本嘉光の「偉人×異人」対談(日経ビジネスオンライン 2013年3月~4月)
作家と編集者の「相性」が、軽く見られすぎてきた 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第1回
『宇宙兄弟』の秘密~「講演会」にヒットの芽あり 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第2回
我々はなぜマンガの人物に「リアル」を感じるのか 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第3回
このキャラを「コンビニのおにぎり」で説明せよ! 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第4回
・・CMプランナーの澤本氏が元講談社で現在独立してマンガ編集を行っている佐渡島氏に聞く対談


<ブログ内関連記事>

仕事マンガ

働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

『重版出来!①』(松田奈緒子、小学館、2013)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!

マンガ 『闇金 ウシジマくん ① 』(真鍋昌平、小学館、2004)

マンガ 『俺はまだ本気出してないだけ ①②③』(青野春秋、小学館 IKKI COMICS、2007~)

『シブすぎ技術に男泣き!-ものづくり日本の技術者を追ったコミックエッセイ-』(見ル野栄司、中経出版、2010)-いやあ、それにしても実にシブいマンガだ!

書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」

京都国際マンガミュージアムに初めていってみた(2012年11月2日)- 「ガイナックス流アニメ作法」という特別展示も面白い

書評 『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、ハヤカワ文庫、2010 単行本初版 2008)-「アフター1995」の世界を知るために
・・マンガもふくめた、2000年代以降のさまざまなサブカルチャーについて論じた気鋭の評論家のデビュー作


経験から学ぶキャリア論

書評 『キャリア教育のウソ』(児美川孝一郎、ちくまプリマー新書、2013)-キャリアは自分のアタマで考えて自分でデザインしていくもの

書評 『仕事漂流-就職氷河期世代の「働き方」-』(稲泉 連、文春文庫、2013 初版単行本 2010)-「キャリア構築は自分で行うという価値観」への転換期の若者たちを描いた中身の濃いノンフィクション

書評 『キャリアポルノは人生の無駄だ』(谷本真由美(@May_Roma)、朝日新書、2013)-ドラッグとしての「自己啓発書」への依存症から脱するために

アルバイトをちょっと長めの「インターンシップ期間」と捉えてみよう

Παθηματα, Μαθηματα (パテマータ・マテマータ)-人は手痛い失敗経験をつうじて初めて学ぶ

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2010年5・6月合併号「ビジネスが激変する「労働の新世紀」 働き方が、変わる。」(SPECIAL FEATURE)を読む

(2014年2月12日 情報追加&項目整理)



(2022年12月23日発売の拙著です)

(2022年6月24日発売の拙著です)

(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2013年9月21日土曜日

『重版出来!①②③④⑤~』(松田奈緒子、小学館、2013~)は、面白くて読めば元気になるマンガだ!


ひさびさに面白くて読めば元気になるマンガに出合ったという思いだ。テーマは女性の人生ドラマであり、仕事マンガである。

「重版出来」と書いて「じゅうはん・しゅったい」と読むのだそうだ。なにを隠そうこのわたしも、このマンガを読むまで「じゅうはん・でき」だと思い込んでいた。これでは、このマンガの主人公の黒沢心(くろさわ・こころ)のことはとても笑えない(汗)

「重版出来」とは、初版を売り切って(・・あるいは売り切るメドがついて)、第2刷に入ることを意味している。第3刷以降についても重版と表現される。マンガに限らず単行本の重版は、その出版物が成功したことを意味するのである。これほど出版関係者を元気にするコトバはないのである。

主人公の黒沢心は大学まで柔道一筋に頑張ってきた女性。怪我で柔道は断念、大学卒業後の就活では出版業界を目指す。こういう一本気で突破力をもったキャラを主人公に設定したことがこのマンガの成功要因であるのは間違いない。現在は青年マンガ誌を読む習慣はないが、もし読んでいたら連載開始から巻き込まれていたのは間違いないと思う。

マンガ出版の世界に限らず、出版界の斜陽化が言われて久しいが、デジタル化がいかに進んでも、仕事の内容はアナログな世界が基本であることに変わりはない。それはそれは人間臭い世界であり、ドラマにもなりやすいわけだ。

著者(・・マンガの場合はマンガ家)、担当編集者、営業担当者、そして書店員の四者を軸に、さまざまな人たちがかかわる出版の世界もまたチームでする仕事である。

出版の世界もビジネスである以上、「売れてなんぼ」なのである。売れ行きがよくなくてもいい作品もあるが、いい作品であればこそ売れてほしい、いや売りたい。その気持ち合致し共有されたとき、商品としてのマンガ単行本が売れることにつながるのである。

それは偶然の結果ではなく、主体的で能動的な働きかけの結果というべきだろう。会社組織を超えてかかわる人たちを巻き込むことによって。仕事は一人でするものではない。

舞台は出版社のマンガ編集と営業の世界。このマンガが連載中の「ビッグコミックスピリッツ」の版元は小学館だから内輪ものでもある。

週刊誌編集の世界を描いた『働きマン』というマンガもあるが、この業界特有の不規則な仕事による過労で主人公の女性は疲弊してしまう。最初は元気の塊のようだったのだが・・・

その点、『重版出来!』の主人公は女子柔道部員出身。体力と気力では誰にも負けないはずだから、たぶん乗り切っていくのだろう、と期待したいものだ。まだ入社して一年もたってない状態だし。

わたしが入手したのは第3刷、『重版出来!』というタイトルのマンガに重版がかからなかったら、それではシャレにならなかったわけだ。こんな面白いマンガなら、その心配はなかったかもしれないが、初版の発行部数との兼ね合いもあるので重版が絶対とは言い切れない。

中年が読んでも面白いが、「青年マンガ誌」の読者ではないだろう20歳代はじめの若者にこそ読んでほしいマンガである。

自分がいまやっている仕事に意味を見出し、仕事をつじて学び成長するとはどういうことかが理解できるはずだ。すくなくとも気づきを得ることはできるだろう。





作者プロフィール   

松田奈緒子(まつだ・なおこ)
1969年、生まれ。長崎県出身。 『コーラス』(集英社)に掲載された『ファンタスティックデイズ』でデビュー。代表作は『』レタスバーガープリーズ, OK, OK!』、『少女漫画』、『えへん、龍之介』他(wiki情報と単行本記載情報から作成)。



PS 『重版出来!』の第2巻をゲットし、さっそく読了。よりマンガ編集の世界に密着した内容。出版社の外部にある製版業者もまた「チームメンバー」だ。第3巻は2014年3月刊行予定とのこと。楽しみだ(2013年9月30日 記す)




PS2 『重版出来!』の第3巻をゲットし、さっそく読了。思わずのめり込んで読めるマンガ。第3巻も熱い! (2014年3月30日 記す)。




PS3  『重版出来!』の第4巻をゲットし、さっそく読了。読むにもけっこうエネルギーを要するマンガ。マンガ家という道を歩くことの厳しさ、働くと言うことの意味。第4巻も熱い! (2014年10月8日 記す)。




PS4 『重版出来!』の第5巻をゲットし読了。このマンガは主人公のキャラの設定が成功したため、まだまだ続いてゆくことだろう。ひきつづき内容が面白いので読むつもり。(2015年6月6日 記す)。



<関連サイト>

ビックコミックスピリッツ「重版出来!」特設サイト | 試し読み (小学館サイト)

重版出来! 1 | ビッグ コミックス | ビッグ コミックス系 | コミックス | 小学館 (小学館サイト)

クッキーまんが家インタビュー 松田奈緒子先生(集英社サイト)


澤本嘉光の「偉人×異人」対談(日経ビジネスオンライン 2013年3月~4月)
作家と編集者の「相性」が、軽く見られすぎてきた 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第1回
『宇宙兄弟』の秘密~「講演会」にヒットの芽あり 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第2回
我々はなぜマンガの人物に「リアル」を感じるのか 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第3回
このキャラを「コンビニのおにぎり」で説明せよ! 佐渡島庸平さん×澤本嘉光さん 第4回
・・CMプランナーの澤本氏が元講談社で現在独立してマンガ編集を行っている佐渡島氏に聞く対談


火曜ドラマ『重版出来』 公式サイト
・・2016年ドラマ化

「私が売らなくてごめんなさい」から始まった『重版出来!』 (編集長・高橋由里が会いたかったこの4人 Vol.3 松田奈緒子)(東洋経済オンライン、2016年7月)

(2016年7月16日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

『マンガ 重版出来』がドラマ化(2016年4月12日)-マンガが原作のテレビドラマはいまや主流だ


働くということは人生にとってどういう意味を もつのか?-『働きマン』 ①~④(安野モヨコ、講談社、2004~2007)

書評 『サラリーマン漫画の戦後史』(真実一郎、洋泉社新書y、2010)-その時代のマンガに自己投影して読める、読者一人一人にとっての「自分史」

本の紹介 『人を惹きつける技術-カリスマ劇画原作者が指南する売れる「キャラ」の創り方-』(小池一夫、講談社+α新書、2010)

書評 『キャリア教育のウソ』(児美川孝一郎、ちくまプリマー新書、2013)-キャリアは自分のアタマで考えて自分でデザインしていくもの

(2016年7月16日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)









Clip to Evernote 


ケン・マネジメントのウェブサイトは
http://kensatoken.com です。

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!



end