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2010年11月7日日曜日

書評『ドラッカー流最強の勉強法』(中野 明、祥伝社新書、2010)-ドラッカー流「学習法」のエッセンス




「学ぶ楽しみ」を満たすためのドラッカー流「学習法」のエッセンスを紹介

 「勉強法」に焦点をあてた「ドラッカー本」の一冊である。
 
 なんだまた、「柳の下のドラッカーか?」という気がなくもないが、けっして読んで損はないと思う。経営学者でも、経営コンサルタントでも、ビジネスパーソンでもない、著者のようなライターもまたドラッカーを使いこなしている、というのが本書のウリだろう。

 本書には、マネジメント関連の「ドラッカー本」とは異なる点が少なくとも一点ある。

 ドラッカー全体像の一部しか見ないという「マネジメント関連本」著者たちの視野狭窄(しやきょうさく)からは、著者が免れているという点だ。著書がマネジメントの専門家ではなかったことの、怪我の功名といってもいいだろうか。

 日本でのドラッカー・ブーム再燃は、いままさに飛ぶ鳥を落とす勢いのユニクロ柳井会長など従来からの熱心な読者によって、ドラッカーが米国以上にしっかりと受容されてきたという土壌があってこそのものである。

 その意味では、「経営学者」という側面だけではなく、「社会生態学者」と自称していたドラッカーの全体像を視野に入れている点は、大いに評価してしかるべきなのだ。

 本書で紹介されているドラッカーの「勉強法」についてコメントしておこう。とくに興味深いのが、「3ヶ月と3カ年勉強法」。同時並行的に様々な中期(3ヶ月)と長期(3年間)の「学習プロジェクト」を走らせていることだ。

 資格取得などの勉強にも応用は可能だろうが、むしろドラッカー自身は死ぬまで楽しんで取り組んでいたということが重要だ。「学習」成果がすべて著作として結実しているわけではないが、自分自身の「学習」成果を「目標管理」(MBO)していたことは参考になる。

 ただ私が思うに、ドラッカー自身は功利的な目的だけでなく、純粋に「知る楽しみ」として取り組んでいたように思われる。浮世絵の収集と研究も本業ではない趣味の領域である。
 おそらく出版社サイドの要請で、最近流行りの「勉強法」なんてタイトルになっているのだろうが、ドラッカーの意識としては「勉強」ではなく、「学習」(ラーニング)ではなかったかと思う。

 ドラッカー流「学習法」は非常に興味深いが、実際に実行するのはなかなか難しいものがありそうだ。ドラッカーを手近なロールモデルとするには、あまりにも多くの一般人とはかけ離れている存在だからだ。目指すにはいいが、あまりレベルのかけ離れた人をロールモデルにすると挫折することが多々あることは銘記しておきたいものだ。

 ただ、ドラッカー「学習法」のエッセンスを学んで、自分なりに工夫して応用することは大いに意味のあることであるといえよう。豊かな人生を送るためにも。


<初出情報>

■bk1書評「「知る楽しみ」を満たすためのドラッカー流「学習法」のエッセンスを紹介」投稿掲載(2010年10月16日)
■amazon書評「「知る楽しみ」を満たすためのドラッカー流「学習法」のエッセンスを紹介」投稿掲載(2010年10月16日)

*再録にあたっては、タイトルと本文の一部を修正・加筆した。





目 次

第1章 長距離型勉強のすすめ―「3カ月と3カ年勉強法」とは
第2章 勉強テーマはこうして決める―「価値観」「強み」「機会」の3要素
第3章 目標をマネジメントせよ―成果を上げる目標設定と自己管理
第4章 時間をマネジメントせよ―勉強時間を確保するための3つのステップ
第5章 「何をしないか」を決めよ―「選択と集中」と「フィードバック」で実行力を上げる
第6章 徹底的にインプットせよ―入手情報の「量」と「質」を上げる技術
第7章 勉強の成果はアウトプットで決まる―書きながら考える技術

著者プロフィール

中野 明(なかの・あきら)

ノンフィクション・ライター。1962年、滋賀県生まれ。関西学院大学、同志社大学の非常勤講師を歴任。執筆の柱はビジネス、情報通信、歴史の三分野(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<書評への付記>

 晩年のドラッカーの発言をリアリタイムで体験していた私には、この著者のように「経営学者」としてだけでなく、「社会生態学者」としてのドラッカー全体像を評価する姿勢が正当に映る。
ドラッカーは「経営者]ではなかったが、一貫して「偉大な教師」であったことには間違いない。
 
 私が 米国で M.B.A.コースに在籍していたと1990年当時ではすでに、米国のM.B.A.コースではドラッカーの「ド」の字もでてこなかったからだ。1980年代以降の経営環境の激変のなか、米国においてはドラッカー流の経営は主流ではなくなっていたのだ。この状況を自覚していたドラッカーは、非営利機関のマネジメントや年金問題などの社会問題で鋭い分析を行う「社会生態学者」として自らの立ち位置を再確立した。

 この点にかんしては、同時代に経営グルとして世界樹の経営者に大きな影響を与えてきた経営コンサルタント大前研一の記述を再録しておくのがいいだろう。『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)で以下のような貴重な証言を行っている。

ただし、ドラッカー哲学は1980年代に入ると、アメリカの経営トレンドのなかでは次第に人気がなくなりました。なぜなら、実際の経営者は彼が定義する優れた経営者像からはほど遠く、それでいてアップルのスティーブ・ジョブスやマイクロソフトのビル・ゲイツら、ドラッカーの法則に当てはまらない "自由奔放" な経営者が続々と登場したからです。・・(中略)・・ところが賢明なドラッカーはそれをいち早く察知して、経営哲学でお説教するスタイルからイノベーションに方向転換し・・・(後略) (P.106)


 『ドラッカー流最強の勉強法』に紹介された「学習法」に戻るが、なぜ3ヶ月なのか、なぜ3年なのか、が説明されていないこと、同時並行的に様々「学習プロジェクト」を走らせていたことを書くべきであった。

 おそらく3ヶ月は約100日、3年は約1,000日ということだろう。これについては、私はこのブログに 「三日・三月・三年」(みっか・みつき・さんねん) と題して書いている。

 重要なことだから何度もいうが、ドラッカー自身も「勉強」などという表現は使っていないはずだ。「学習」であり「学び」のハズである。
 強いて勉める「勉強」ではなく「学習」あるいは「研究」。学習とは Learning のこと。「学び」あるいは「学ぶこと」という表現の法がなおさらよい。
 
 『ドラッカー自伝』では、「学ぶ」楽しさと喜びを知り、それが生涯をつうじて持続したことが語られている。「勉強」ではない、「学び」まのだ、「学習」なのだ。

 余談になるが、本書でも触れられているが、ルター派とイエズス会が同時並行的に採用した「目標管理」制度(MBO:Management by Objective)について付け加えておけば、イエズス会では6年ごとに配置転換がある。6年は3年の2倍である。

 これについては、『明るい未来は自分で創ろう-キャリアのための戦術と戦略-』(亀田紀子、日本経済新聞社、2001)に書いてあったのが記憶に残っている。イエズス会の経営になるボストン・カレッジのビジネススクールで教鞭をとっているときに知ったという。イエズス会では、いかなる理由によるものかわからないが、6年ごとに職場配置転換が強制されている、と。


 それにしても日本語の「勉強」や「勉強法」というコトバにはうっとおしいものを感じる。
 たしかにいま「大人の勉強ブーム」(?)というものがあって、野口悠紀夫や和田秀樹といった「勉強大好き人間」たちによる「勉強本」が売れているのは確かだが、どうも好きなれないのだ。

 「勉強」が趣味の人たちは、勝手に「勉強」してればいい、といいたくなるが、実は「勉強本」の著者たちは、「勉強」ではなく「学習」について語っているのである。彼らはイヤで「勉強」しているわけではない。「勉強」が人生そのものになってしまっているのであって、その状態においてはすでに「勉強」ではなく、生きる楽しみとして「学習」、「学び」を行っているのだ。現在はまだ「勉強」のほうがとおりがいいので、そうしているに過ぎないのだろう。

 しかし、「勉強本」を手にする読者は、果たしてどこまで気がついているのだろうか?



<ブログ内関連記事>

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・・ドラッカーを経営学者と狭く捉えないこと!

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書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)
・・「好きこそものの上手なれ」

書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)・・ドラッカーと同時代に経営グルとして活躍した大前研一による貴重な証言

「三日・三月・三年」(みっか・みつき・さんねん)

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の「常識」から空白期間となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

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