三年間にわたって放送されたNHKスペシャルド 『坂の上の雲』 が先日ついに完結した。
あらためて日本と日本人の底力を感じた人も少なくないと思う。今年2011年に放送した第三部は意図したわけではないだろうが、「3-11」後に生きる日本人にあらためて自らの内なる勇気を再確認させたことになったのではないか。
ただ、日露戦争をささえたのは、主人公である秋山兄弟や東郷平八郎、そして乃木希典や児玉源太郎といった表舞台にたった軍人たちだけではない。
政治家は言うまでもないが、経済人もまた戦争遂行に死活的な意味をもつ軍費調達において多大な役割を果たしたことは 高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) で書いたとおりだ。
しかしこういった指導者たちだけが戦ったのではない。『あゝ野麦峠』(山本茂実、1968)で克明に描かれたように、名もない女工さんたちが身を粉にして働いた絹織物が輸出されて貴重な外貨を稼ぎ、そのカネで海外から軍艦を買ったという事実も思い出さなくてはならないだろう。
司馬遼太郎が言う「まことに小さな国」だっただけではなく、「まことに貧しい国」であったわけだ。同時代の英国植民地のインドよりも、国際水準でみた労働コストは低かったのだ。その当時の日本は、まったくもって発展途上国だったのだ。
それを考えれば、自衛のための死にものぐるいの戦争だったとはいえ、身の丈を遙かに超えた無謀な戦争だったのである。
歴史というものは政治史や軍事史だけではない、こういった裏面史、あるいはオルタナティブな歴史をとりあげなくては、ほんとうの意味で全体像をつかんだことにはならない。
日露戦争の「成功者」であったはずの秋山真之は、司馬遼太郎は語らないが、日本海海戦のあと宗教に向かってしまったことは知る人ぞ知ることである。国家の命運が彼一人の頭脳にかかっているという重圧のもと、責任を果たしたあと虚脱状態になってしまったのであろうか。現代風にいえばバーンアウト(=燃え尽き)たということだろうか。
日露戦争においてはきわめて多数の死傷者がでただけではない、じつに多くの人たちが巻き込まれ、人生を翻弄されているのである。
この時代を知るためには、「失敗者」として生きることを余儀なくされた日本人についても知るべきだろう。
■日本人なら石光真清という明治人を知っておかねばならない
ここで取り上げる「失敗者」とは、石光真清(いしみつ・まきよ 1867~1942)のことである。
その長男である石光真人氏がまとめたのが『石光真清の手記 四部作』が 中公文庫から出版されている。 『城下の人』、『曠野の花』、『望郷の歌』、『誰のために』。
石光真清とは何をした人か? 一言で言えば、民間人にやつしてスパイ活動をおこなったインテリジェンス・オフィサーである。
わたしはこの四部作をいまから25年前に読んだが、じつに深い読後感を抱いたのであった。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだのはその後だが、司馬遼太郎は人生の明るい面しかみようとしない人だったのだなとつくづく思うのは、『石光真清の手記 四部作』をすでに読んでいたためでもあろう。
『城下の人』の文庫版のカバー裏に書かれた編者・石光真人氏の文章をそのまま引用しておこう。
私の父は明治元年に熊本城下に生まれ、稚児髷に朱鞘の刀をさして神風連、西南の役動乱のさなかをとび廻った。長ずるに及び軍人となり、やがては大津事件や日清戦争にあい、またロシア帝国の南下政策におびやかされる弱小国の一人として熱心にロシア研究を志し、ついに身をもって諜報活動にその一生を捧げる境涯に立ち至ったのである。 石光真人
まさに明治時代を生きぬいた日本人による手記なのである。
もともとは発表するためにつづったものではなく、死期にあたって著者みずからが焼却を図ったという。しかし幸いなことに、こうして整理編集されて、後の世に生きるわれわれも読むことができるのは、まことにもって幸いである。
内容は目次を一覧するのがいちばんだろう。
『城下の人』
夜明けの頃
神風連(しんぷうれん)
鎮台の旋風
熊本城炎上
戦場の少年たち
焦土にきた平和
父の死
自分の足で歩む道
東京
若い人々
天皇と皇后
出征の記
コレラと青竜刀
周花蓮
夢と現実
『曠野の花』
ウラジオストックの偽(にせ)法師
アムールの流血
異境の同胞たち
血の雨と黄金の雨
私のお願いとお君の願い
散りゆく人々
曠野の花
まごころの果て
哈爾浜(ハルビン)の洗濯夫
お花の懺悔録
めぐり逢いの記
お米の失踪
秘密計画
逃亡日記
お花の恩返し
人の運命と国の運命
志士と文士と密林の女
この日のために
『望郷の歌』
泥濘(ぬかるみ)の道
親友の死
老大尉の自殺
黄塵の下に
文豪と軍神
失意の道
海賊稼業創立記
二つの遺骨と女の意地
海賊稼業見習記
望郷の歌
家族
『誰のために』
大地の夢
弔鐘
長い市民の列
粉雪と銃声
日本義勇軍
生きるもの・生きざるもの
闇の中の群衆
三月九日の朝
亡命
野ばらの道
再起の歌
渡河
分裂
誰のために
残された道
解説-森銑三
明治維新の激動期から、日清日露の大戦を経て、シベリア出兵へと、ひたすら大陸での戦争、戦争とつづいていた時代の生活史でもある手記。日露戦争の前後や、ロシア革命後のシベリア出兵当時の満洲、極東ロシアの記述はじつに興味深い。
日本人、ロシア人、中国人、朝鮮人と、多くの民族が入り乱れていたのが大陸である。
軍人ではないが、軍の指揮下に入った民間人の軍事探偵として日露戦争の戦場にいた人物に中村天風もいた。だが、石光真清の人生は中村天風のような最終的な「成功者」とはあまりにも異なる。
日露戦争後も生きた石光真清の手記を読むことで、司馬遼太郎が描かなかった、描けなかった日本近代史を知る必要があると思うのだ。
明るい面だけみて暗い面を避けて通るのではなく、暗い面を見て知っていながらも明るく振る舞うことこそが、人間の生き様としては正しいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。
なお、編者の石光真人氏は、『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)も編集している。
賊軍とされて明治維新の敗者となった会津藩士たちとその家族は人生の辛酸をなめることになるが、柴五郎(1860~1945)は、新政府において最終的に陸軍中将まで出世している。石光真清とは友人関係があり、晩年もお互い行き来していたという。
だが、二人のあいだでは、日露戦争のことなど一度も話題になったことがないのだとか。明治の男というものは、そういうものだったのか。
『石光真清の手記 四部作』は一度、仲村トオル主演で連続ドラマ化されている。NHKの「BSドラマスペシャル・石光真清の生涯」(1998年)である。
わたしはこのドラマは見ていないのだが、ぜひ再放送してほしいものだと思う。『坂の上の雲』だけでは、複眼的なものの見方はできないからだ。
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書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門
『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!
・・「石光真清の手記 四部作」の編者である石光真人氏によるもう一冊の日本人必読書!
いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説
『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった
(2014年1月15日、3月28日 情報追加&再編集)
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