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2012年11月25日日曜日

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談


現代に生きる日本人が日本語で仏教について考えるとはいったいどういうことなのか、それについての試みであるといってよい。

仏教の内部にいながら特定の宗派には属さない宮崎氏仏教の外側にありながら古今東西の思想につうじている呉氏の対談は、特定の宗派の宗論ではない仏教論として知的に面白い。

「知的唯仏論」とは、言うまでもなく「史的唯物論」のもじりであろう。ある一定以上の年齢層ならピンとくるはずだ。史的唯物論とは唯物史観ともいう。

「唯仏論」とは「ただ仏陀のみ」という意味で、呉智英氏はつかっている。そのとおりである。団塊世代の呉氏のことであるから、「唯物」のもじりであるということは自覚的であろう。

本書にはまったく言及がないが、わたしが「唯仏論」という文字をはじめて目にしたのは、角川文庫に収録されている名著でロングセラーの『般若心経講義』'高神覚昇)を大学時代に読んだときであり、すでに30年近く前のことになる。『般若心経講義』'の初版は1947年であるが、呉智英氏が知っていたのかどうかは知らない。

それはさておき、儒者を自認していた呉智英氏が仏教に本格的に取り組んだということはオドロキであった。

『バカにつけるクスリ』以来の読者であるわたしは、呉氏の思考や発想には慣れ親しんでいたが、まさか仏教を論ずるとは。それは前著 『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房、2011)として発表されている(・・わたしは読んでいない)。

一方、宮崎哲弥氏はTVでもよく目にする気鋭のコメンテーター。わたしと同年齢、つまり同世代の人間だ。仏教についての造詣が深いことは、かなり以前から知っていたが、宮崎氏の仏教関連の著作を読むのは始めてだ。

世代の異なる二人の評論家が仏教をテーマに、マンガから思想まで語り尽くすといった趣の対談集である。まずはわたしが読んでいない宗教マンガの傑作について語られるあたり、マンガ評論では大御所の呉氏らしいし、それについてくる宮崎氏もサブカル論者らしい。

二人の論者はともに、本来あるべき仏教、本来そうであったはずの原始仏教(=初期仏教)に焦点を据えて論じている。しかし、仏教は時代とともに変容し、日本の大乗仏教においては、原始仏教とはほど遠い状況にあるのが現状だ。だからどうしても日本の大乗仏教の各宗派には批判的なトーンとなるのは当然である。

とはいえ、宮崎氏は大乗仏教の立場であることを明言しておられる。そのうえで、原始仏教という原点から論じる姿勢には共感を覚える。原始仏教から異なる発展をとげた上座仏教についての言及がほとんどないが残念だが。

かなりラディカル(根源的)な発言の応酬がつづく対談なので、伝統的な日本仏教に親しんでいる人にとっては理解不能な面も多々あるのではないだろうか。ただし、日本人仏教徒の多数を占める浄土真宗とキリスト教徒の親和性などの議論もあるので参考になるかもしれない。

たとえば、「人生は苦である」という認識。仏教はすべてここから始まる。生きるということは修羅である。意識するしないにかかわらず、修羅場をくぐりぬけてなんとか生きているというのが実態なのだ。

「3-11」後、仏教ブーム(?)が到来しているといわれる日本だが、果たして仏教はただしく捉えられているのか? そもそも仏教というものがいったいなにを指しているのかよくわからないというのが、いまこの日本における現状だろう。

根源的な立場からの批判でもある本書は、はたして日本で仏教が生き残っていくことができるのかどうか、そしてそのためにはどうあるべきなのかの模索でもある。

仏教を知的に考えてみたい人にはぜひ薦めたい。




*2015年11月に新潮文庫から文庫化された。(2015年11月29日 記す)。





<付録> トークショーに参加(2012年11月23日)

『知的唯仏論』(サンガ刊)刊行記念イベント 宮崎哲弥 × 呉智英 トークショー&サイン会(
2012年11月23日(金) / 蔦屋書店1号館 1階 総合インフォメーション)に参加してきた。 http://tsite.jp/daikanyama/event/001289.html
しゃべり過ぎの呉氏に対して、ややイラつき気味の宮崎氏でありましたが、本になっている対談のほうが、内容についても校正されているのでライブのトークショーよりもよいと思います。

(共著者のサイン会)

目 次

第1部 仏教をめぐる、やや通俗的な入り口
 仏教とは 
 宗教を描く
 輪廻の解釈学とオカルト批判
 宗教家の力;ブッダと日本仏教)
第2部 宗教と「この私」
  仏教学と体験性
 神秘体験と救済
 実存を問う病
 愛と渇愛
 現代人の四苦
第3部 仏教と社会
 善悪の彼岸)


著者プロフィール 

宮崎哲弥(みやざき・てつや)
1962年、福岡県生まれ。評論家。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。政治哲学、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

呉 智英(くれ・ともふさ)
1946年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。評論家。マンガ評論、知識人論等の分野で執筆活動を展開。日本マンガ学会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

英文般若心経(Heart Sutra)



<ブログ内関連記事>

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)

書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)

「法然セミナー2011 苦楽共生」 に参加してきた-法然上人の精神はいったいどこへ?




(2012年7月3日発売の拙著です)





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