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2014年10月14日火曜日

書評『仏教学者 中村元 ― 求道のことばと思想』(植木雅俊、角川選書、2014)― 普遍思想史という夢を抱きつづけた世界的仏教学者の生涯と功績を "在野の弟子" が語る

(カバー写真は中村博士がもっとも讃えていた初転法輪像)


中村 元(なかむら・はじめ、1912~1999)は日本語読者にとっては、なによりも岩波文庫から出版された『ブッダのことば』などの初期仏教経典の翻訳者として知られているのではないだろうか。

「お経」というと、なんだかよくわからないむずかしい漢字が羅列された、聞くだけであくびがでてくるようなものというイメージがあるが、そのお経を耳で聞いてもわかるような平易な日本語で訳した功績はきわめて大きい。その一方で、「ありがたいお経」から神秘のベールをはいでしまったという非難もまたあるようだ。毀誉褒貶あいなかばする存在でもある。

だが、もし中村元という「知の巨人」が日本にいなかったなら、日本人の多くは原点であるブッダその人の思想を知ることなかったかもしれない。日本仏教は、ブッダその人の思想よりも、鎌倉時代に登場した宗祖の教えを最重視する「新仏教」だからだ。中村元は、お寺の出身ではないので、特定の宗派に片寄ることなく、教義学からの距離を保つことができたのである。

本書『仏教学者 中村元  ―  求道のことばと思想』(植木雅俊、角川選書、2014)は、若き日に物理学を専攻し、人生の悩みの解決を仏教に求め、中村元が東京大学退官後の1973年につくった東方学院で学んだ、在野の篤学の仏教思想研究者が描いた「中村元入門」ともいうべき本である。

東方学院は、アカデミズムの枠を超えて、学びたい人が学ぶことのできる「場」をつくるという「夢」を実現したものである。多くの大学から学長として招聘されたがそれらをすべて断り、第二の人生の活動拠点をおいた寺子屋。学問は、世のため、人のためにあるという仏教精神にもとづいた使命を実現したものでもある。学校法人ではなく、あえて財団法人としたのは、活動が制約されるのを嫌ったからだという。

中村元には、『学問の開拓-「勉め強いること」に徹して-』(佼成出版社、1986 ハーベスト出版から2012年に復刊)という自伝がある。わたしもかなり前に単行本版で読んでいたが、残念ながら1986年から没年の1999年までが書かれていない。

ブッダその人もそうであったが、中村博士もまた最後の最期までリタイアということのない人であった。『中村元選集』全40巻(!)という偉業を完成させたのち亡くなったのである。しかも、心血を注いで完成した原稿を出版社が紛失したのち、再び書き上げたという『仏教語大辞典』の改訂作業も進めていたという。その最後の10年を、東方学院の熱心な聴講生として過ごしたのが著者であった。最前列に座り、中村元の講義を一言一句も聞き漏らすまいと筆記していた著者ならではの伝記である。

死の床にあってもなお学問に精進し、昏睡状態のなかで右手を動かして文字を書く動作をしていただけでなく、訪問看護師しかいない病床で昏睡状態で45分間の「最終講義」を行ったというエピソードが本書に紹介されている。やるべきことをやり遂げた生涯だが、それでもなお精進は止むことはなかったのである。

学問が好きで好きでしょうがない、そしてその学問を世のため、人のために役立てたいという熱い思いが伝わってくる。学者とはこういう人のことをいうのだ。87歳の長寿と膨大な業績は、中村元という人が、いかに強靱な精神力と体力をもちあわせた人であったかを示している。研究対象のインドには何度も訪れながら、まったく健康に問題がなかったという。

本書はまた中村元の人を元気にさせるコトバが満載である。

40歳で仏典に使用されているサンスクリット語を本格的に学び始めた著者を励ますコトバがいい。

植木さん、それは違います。人生において遅いとか、早いとかいうことはございません。思いついたとき、気がついたとき、そのときが常にスタートですよ。

物理学を専攻した著者に対して、逝去の一年前にはこんなコトバをかけられたという。

仏教学しかやっていない人には見えないものがあります。異なることをやってこられたからこそ見えるものがあります。それによって仏教学の可能性も開かれます。だから博士号を取りなさい。

異分野だからこそ見えてくるものがあること、肩書き社会の日本では博士号が必要なことをこのような形で励ましたのだという。

本書のタイトルには「仏教学者」とあるが、ほんとうは仏教研究とインド研究をベースにして、比較思想研究をつうじて普遍思想を探求した哲学者というのが、中村元という人の本質であった。本書を読めばそのことがよく理解できる。

独創的な研究、排他的な偏狭さを排したジャンル横断型知性。サンスクリット語、パーリ語、チベット語、ギリシア語、漢文、英語、ドイツ語その他多数を駆使していた語学の達人。この点においては、同時代を生きたイスラーム研究者で哲学者であった井筒俊彦と比較されるべき存在である。

東方学院という寺子屋をベースにした権威とは無縁の姿勢。制度としてのアカデミズムにもセクショナリズムにも囚われない在野の精神。「大乗非仏論」を唱えた18世紀大阪の独創的な町人学者・富永仲基(とみなが・なかもと)を、中村元も大きく評価していたことを本書で知ったが、富永仲基は官学の藩校ではなく、町人が有志でつくった懐徳堂(かいとくどう)という私塾で学んだ人であった。

地球レベルで生きる現代人のために、東西思想を超えた「普遍思想史」という「夢」を追った「知の巨人」の生涯。仏教でもっとも重要な「慈悲」をその中心においていた人生観。

膨大な業績のごく一部しか読んでいないわたしが言うのもおこがましいが、本書は「中村元入門」として読むことをすすめたいと思う。中村博士の業績が、今後ますます重要性をもってくるのは間違いない。


 
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目 次
はじめに
第1章 生い立ちと学問への目覚め
第2章 東京帝大入学から博士論文の完成まで
第3章 『東洋人の思惟方法』で世界へ
第4章 念願のインドの大地へ
第5章 原始仏教の研究に見る中村の独創性
第6章 『佛教語大辞典』と「中村元選集」の刊行
第7章 「比較思想」の提唱
第8章 東方研究会・東方学院にかける理想
第9章 中村元と足利学校
第10章 研究の集大成
第11章 中村元の遺志の継承
第12章 この夫人ありて、中村元あり
あとがき
読書案内-中村元の主な著訳書
参考文献
中村元 略年譜


著者プロフィール
植木雅俊(うえき・まさとし)
1951年、長崎県生まれ。九州大学理学部。九州大学大学院理学研究科修士課程修了。理学修士。東洋大学大学院文学研究科博士後期課程中退。文学修士。79年からジャーナリストとして学芸関係の執筆・編集等に携わり、仕事の傍らで仏教学を研究。86年東洋哲学文化賞受賞。91年から東方学院で中村元博士からインド思想・仏教思想論などを学ぶとともに、サンスクリット語を受講。91年、インド・ニューデリーで行なわれた『法華経』についてのシンポジウムに参加。92年、小説『サーカスの少女』でコスモス文学新人賞受賞。93年、中村元博士の紹介で日本印度学仏教学会に所属。2002年9月30日、学位請求論文「仏教におけるジェンダー平等の研究──『法華経』に至るインド仏教からの考察」でお茶の水女子大学から男性としては初の人文科学博士(博乙第179号)の学位を授与される。日本ペンクラブ会員。日本印度学仏教学会会員。仏教思想学会会員。比較思想学会会員。(著者自身のサイトから)


<関連サイト>

仏陀の国(植木雅俊氏が管理人のサイト)

公益財団法人 中村元東方研究所 東方学院
・・「設立の目的: 当研究所は、東京大学名誉教授・日本学士院会員の故中村元博士によって創立され、「東洋思想の研究およびその成果の普及」ために活動する文部科学省所管の特例民法法人です。今日その活動は広く認められ、「特定公益増進法人」の指定を受けています。
基本理念: 創立者中村元が掲げた当研究所の独自性は、以下の3点です。 1. 生きた学問としての東洋思想研究 2. セクショナリズムを越えた東洋思想研究 3. 自発的・自立的な東洋思想研究」

中村元記念館 (島根県松江市)
・・「中村元記念館は故中村元博士の生誕100周年を記念して、博士の業績の顕彰、博士によって進展した東洋思想・文化の研究、啓発普及に寄与することを目的として設立されました。博士の生誕地松江市で、命日である10月10に開館しました。 故中村元博士のご遺族から寄贈された蔵書約3万冊を中心に多くの方々から寄贈された書籍を収蔵する図書館と、博士の著作と遺品を展示する展示室の運営と、博士の著作の販売を行っています」(公式ウェブサイトより)





<ブログ内関連記事>

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ
・・中村元訳の『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波文庫、1958)の紹介

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・井筒俊彦の最後の著書は『東洋哲学覚書 意識の形而上学-『大乗起信論』の哲学-』(中央公論社、1993)である

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」)

書評 『知的唯仏論-マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う-』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)-内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ

書評 『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)-近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達
・・中村元による原始仏教経典解説を読んで開眼した養老孟司氏と初期仏教のスマナサーラ長老との対談

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)-「社会起業家」というコトバを日本に紹介した原典となる本
・・日本人には「コンパッションが欠如しているのではないか」という痛切な指摘を受けた体験を「あとがき」に記している著者。「慈悲」の精神は、仏教国・日本には不在なのか!?

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる


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2014年8月28日木曜日

書評『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)― 近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達



2006年に新書化されたこの本は、もともと2004年に単行本として出版されたものだ。新書版の出版後さっそく読んだのは、それ以前から養老孟司氏の本を文庫や新書で読んでいたからである。

正確には覚えていないが、スリランカ出身のスマナサーラ長老の本を読んだのはこれは最初かもしれない。この本は、2014年7月には文庫化もされているロングセラーである。

新書版の『希望のしくみ』(アルボムッレ・スマナサーラ/養老孟司、宝島社新書、2006)の帯には、「仏教と科学。賢者は「真理」で一致する」、とある。このキャッチコピーに惹かれて購入したのである。

そして読んでみて、解剖学者の養老孟司氏が自分のアタマで考えつくして到達した地点と、ブッダの教えを現代日本人に伝えるスマナサーラ長老が説いているところが、ほぼ一致していることに驚いたのである。8年ぶりに読み返してみて、あらためてその感を強くした。


「はじめに」(養老孟司)から引用してみよう。

私は近代科学を学んで、いまに至ります。
ですから、中村元(なかむら・はじめ)先生がお書きになった原始仏教経典の解説を読んだときには、びっくりしました。
「なんだ、俺の考えていたことは、お経じゃないか」
そう思ったのです。近代科学の方法を使って自分の頭で考えたら、2500年前にお釈迦さんが同じようなことを言っていた。私が驚くのも当然でしょう。


「おわりに この上もないお力添えをいただいて」(スマナサーラ)から。

来日以来、この国のことをできるだけ理解しよう、ブッダの言葉を伝えようと、自分なりに頑張ってきましたが、耳を貸す人は多くはありません。真理のコトバは核心を突き、世界を変える。それがいかに素晴らしき変化であっても、変わらない自分にしがみつく人には、やはり受け入れがたいことなのでしょう、私の希望は、あまりにも大胆なのかもしれません。
そんなとき、養老先生のご本を読みました。それはまさにオドロキでした。純粋に現代科学的なアプローチで、ブッダが語り続けていた真理のいくつかに達しておられた。仏教の困難を「バカの壁」ゆえと喝破しておられた。真の知性を現代に得て、皆さまは幸せというべきでしょう。


近代科学のアプローチで考えた内容が、ブッダが2500年前に説いていた「真理」とほぼ同じ地点に到達している。それは、はじめて読んだときは誰もが驚くことかもしれない。わたしもこの本には大いに啓発されたものだ。仏教と科学はイコールではないが、仏教が科学「的」であるということと同時に、科学もつきつめると仏教「的」になる、ということだ。

お互いエールの交換をしあっているような内容だが、「出会うべくして出会う」とはこういうことをいうのだろう。この対談そのものが、最初の出会いのようだが、昔からの知り合いのように両者は共鳴し合っている。立ち位置がまったくことなるのにかかわらず、結論が同じである。

したがって、読者は違和感なく読み進めてしまう。あまりにも簡単に読み飛ばせてしまう内容と本の薄さにかかわらず、内容は深く、そしてじつに濃い。

いや、結論はきわめてシンプルであるが、世間の常識とは「あべこべ」なので、簡単に読めても中身を理解するのは意外と難しいのかもしれない。

『希望のしくみ』というタイトルだが、「希望」についての内容ではない。むしろ、希望や期待など捨てて、「事実」そのものを見つめよという内容である。

希望や期待は、仏教では「渇愛」(かつあい)といって否定的に捉えている。スマナサーラ長老はそういう。「希望的観測」を捨てよというビジネスの教えと同じである。重要なのは事実そのものだ。
 
世の中も、自分も、つねに変化し続けているのである。それが「事実」であり、仏教ではそれを「無常」という。生まれ出たものは、必ず死ぬ。それはつねに動いている変化するからだ。一瞬として同じものはない。ありのままを観て、ありのままを受け入れるべきなのである。しかも淡々と。

この対談では、「世間」、「知識より智慧」が大事、「捨てる」ことの重要性、「慈悲」、「ヴィパッサナー瞑想法」と要素分解(=分析)、「発見の仕組みとブッダの悟りの共通性」など多彩なテーマが、すべて日常語で語られている。こんな一節を読めば、大いに納得することであろう。


スマナサーラ 解けない問題を解こうとして、自分の持っている能力をすべて駆使して解こうとする。しかし、答えは出てこない。能力も出し尽くしている。それでそのまま、問題とまったく関係ない別なことに入れ替えて、それに精いっぱいがんばってみる。そのとき最初の問題は、頭から完全に消えているような状態になる。そうやって、ある意味、完全に忘れてリラックスした瞬間に、答えが勝手に現れてくるんです。
だいたい発見の仕組みはこんなもんです。ですから、いろんなことをいっぱいやって、能力をギリギリまで使い切らなくちゃならないんです。
養老 だから人は、役にもたたないような武道の訓練とか、瞑想とか、いろんなことをやるんですよ。それが、「ああすれば、こうなる」という社会になると、みんな消えちゃう。・・(後略)・・
スマナサーラ ブッダが説く悟りの発見も、同じ法則です。


潜在意識という表現はつかっていないが、発見のメカニズムはまさにこれである。悟りも同じなのであろう。

わたしがアルボムッレ・スマナサーラ長老の本を読んだのはこの本が初めてだと思うのだが、その頃からタイでの事業に本格的に取り組み始めていたことも、読むキッカケの一つとなったのではないかと思う。それはタイ人の思考方法、いいかえばアタマの働き方を知るためだ。

タイは上座仏教圏であり、上座仏教(=テーラヴァーダ)は原始仏教(=初期仏教)そのものではないが、限りなく近い存在だ。生きている上座仏教を理解するためには、おなじ上座仏教圏のスリランカ出身のスマナサーラ長老の本は日本語で読めるので、おおいに役に立つのである。

大乗仏教の呪術性を取り払って、ブッダその人のコトバをつうじて、ブッダその人が発見したものをダイレクトに知るためには、さきにもでてきた中村元先生がパーリ語の原典から現代日本語に翻訳したものを読めばいい。

だが、さすが「対機説法」で鍛えられた、現役の僧侶の法話と説法に勝るものはない。スマナサーラ長老も、本質をズバズバ突いてくる子どもたちとの問答がもっとも鍛えられる(!)と本書のなかで語っている。なんせ子どもは容赦がない(笑)

この対談が出版後10年を経てもロングセラーであり続けるのは、そうした語り口の明快さと、徹底的にアナロジー(=類比)をつかった説明方法にあるのだと思われる。それがもっとも納得のいく説明であることは、養老氏も認めていることだ。


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目 次
はじめに(養老孟司)
お釈迦さまが教えたこと
日本人と普遍性
正しい生き方
知恵のない世界
「生きている」とは希望のしくみ
共同体として生きる知恵と方法
変われる人、変われない人
「逆さメガネ」と「あべこべ思考」
「やりたいこと」より「できること」
仏教のこれから
「おわりに この上もないお力添えをいただいて」(スマナサーラ)


著者プロフィール
アルボムッレ・スマナサーラ(Alubomulle Sumanasara)
1945年4月、スリランカ生まれ。スリランカ仏教界長老。13歳で出家得度。国立ケラニア大学などで教鞭をとる。1980年に来日。駒澤大学大学院博士課程を経て、現在は日本テーラワーダ仏教協会の長老として、瞑想指導や講演、執筆などを通じて釈尊の根本の教えを説き続けている。NHKテレビ「こころの時代」出演のほか、朝日カルチャーセンター(東京)講師としても活躍中。2005年8月、スリランカ上座仏教大寺派(シャム派)総本山アスギリヤ精舎にて日本大サンガ主任長老に任命される。

養老孟司(ようろう。たけし)
1937年11月、神奈川県鎌倉市生まれ。1962年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。1995年東京大学医学部教授を退官。北里大学教授、東京大学名誉教授。専門領域にとどまらず、哲学から社会時評まで幅広く発言している。
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

■養老孟司関連

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである


■アルボムッレ・スマナサーラと上座仏教関連

書評 『日本の未来-アイデアがあればグローバル化だって怖くない-』(アルボムッレ・スマナサーラ、サンガ新書、2014)-初期仏教の立場から「いま」を生きることの重要性を平易に説いた法話

「ウェーサーカ祭 2013」(2013年5月12日)に参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた+タイ・フェスティバル2013(代々木公園)

「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」


■養老孟司氏×スマナサーラ長老

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 に参加してきた(2011年5月14日)
・・養老孟司氏とスマナサーラ長老という、ビッグな対談者の存在と発言。 「養老孟司氏の深くて低いトーンの語り口を心地よく聞いていた。脳死問題にかんして、日本で脳死議論が諸外国に比べて10年以上も遅れた理由を「世間」から解き明かしたのは実に明快であった。日本では死ねば「世間」から外に出される。一方、妊娠中絶がまったくといっていいほど問題にならないのは、「世間」に入っていない状態だから」


PS 特別対談:『無智の壁』 養老孟司氏&スマナサーラ長老 司会:釈徹宗氏がサンガ新書として出版

「釈尊成道2600年記念 ウェーサーカ法要 仏陀の徳を遍く」 (2011年5月14日)で行われた「特別対談:『無智の壁』」が、3年たってようやくサンガから書籍化。

タイトルは、『無知の壁』(養老孟司/アルボムッレ・スマナサーラ、釈徹宗=聞き手、サンガ新書、2014)。2014年9月20日に出版。

『希望のしくみ』とあわせて読むとよいでしょう。

目次は以下のとおり。

第1章 「自分」という壁
 解剖学者の「バカ」と仏教の「無知」
 意識は行為の後からやってくる
 五戒1 不殺生:殺すなかれ
 五戒2 不偸盗:盗むなかれ
 五戒3 不邪淫:邪な行為をするなかれ
 五戒4 不妄語:嘘をつくなかれ
 五戒5 不飲酒:酒、麻薬などの智慧を壊すものを使用するなかれ
 気持ちがなければ行為にならない
 人類初の科学的アプローチ
 バカの壁=自分の枠組み
 知識のリミット、三段階
 「受け入れる」ということ
 自分を守る苦悩
 自分の世界で固まっていたら後退する
 「本当の自分」なんてない
 困難も「自分」をはずすと楽になる
第2章 「死の壁」と「世間の壁」
 「私」と「死」と「葬儀」
 「死」は「生」のためのもの
 「死なない」が脳の前提
 文化で異なる死体への思い
 脳死問題に息づく日本の村社会
 脳死は死ではないという結論
 中絶が議論されないのも世間の壁
第3章 「自分」の解剖学
 自分のつくり方
 「私」とは蜃気楼
 「自分」を決める場所が脳にある
 自分のことはえこ贔屓している
 頭の地図で自分の範囲を決めている
 幽体離脱は自我の原型
 ふだんも二つの「私」を一元化している 「世界と一体」は覚りじゃない
 天才は脳機能をコントロールする
 生物学的な「自分」と社会的な「自分」
 修行とは、機能のコントロール
第4章 「転換」は克服のコツ
 知れば「嫌」は克服できるか
 「嫌」が治る場合、治らない場合
 嫌な対象を移すことは可能
 視点の転換は大事
 自分に移すのがいちばん簡単
 虫になると苦がなくなる
 役柄を入れ替えてお互いを理解する
 相手の立場から考える
第五章 信仰より智慧で自分を育てる
 人は何かを信じてる
 信仰は人生の手すり
 仏教は理性の教え
 ましなものを信じなさい
 今後の日本人の生き方は?
 どこまで楽をすれば気が済むのか


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(2014年9月11日 記す)



<ブログ内関連記事>

■「希望」は百害あって一利なし! 「事実」をありのままに観よ!

自分のアタマで考え抜いて、自分のコトバで語るということ-『エリック・ホッファー自伝-構想された真実-』(中本義彦訳、作品社、2002)
・・「自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかることはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。 闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである」(ホッファー)

「希望的観測」-「希望」 より 「勇気」 が重要な理由

心頭滅却すれば 火もまた涼し(快川紹喜)-ありのままを、ありのままとして受け取る

「ログブック」をつける-「事実」と「感想」を区分する努力が日本人には必要だ


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2012年11月25日日曜日

書評『知的唯仏論 ― マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う』(宮崎哲弥・呉智英 、サンガ、2012)― 内側と外側から「仏教」のあり方を論じる中身の濃い対談



現代に生きる日本人が日本語で仏教について考えるとはいったいどういうことなのか、それについての試みであるといってよい。

仏教の内部にいながら特定の宗派には属さない宮崎氏、仏教の外側にありながら古今東西の思想につうじている呉氏の対談は、特定の宗派の宗論ではない仏教論として知的に面白い。

「知的唯仏論」とは、言うまでもなく「史的唯物論」のもじりであろう。ある一定以上の年齢層ならピンとくるはずだ。史的唯物論とは唯物史観ともいう。

「唯仏論」とは「ただ仏陀のみ」という意味で、呉智英氏はつかっている。そのとおりである。団塊世代の呉氏のことであるから、「唯物」のもじりであるということは自覚的であろう。

本書『知的唯仏論 ー マンガから知の最前線まで ブッダの思想を現代に問う』にはまったく言及がないが、わたしが「唯仏論」という文字をはじめて目にしたのは、角川文庫に収録されている名著でロングセラーの『般若心経講義』(高神覚昇)を大学時代に読んだときであり、すでに30年近く前のことになる。『般若心経講義』の初版は1947年であるが、呉智英氏が知っていたのかどうかは知らない。

それはさておき、儒者を自認していた呉智英氏が仏教に本格的に取り組んだということはオドロキであった。

『バカにつけるクスリ』以来の読者であるわたしは、呉氏の思考や発想には慣れ親しんでいたが、まさか仏教を論ずるとは。それは前著 『つぎはぎ仏教入門』(筑摩書房、2011)として発表されている(・・わたしは読んでいない)。

一方、宮崎哲弥氏はTVでもよく目にする気鋭のコメンテーター。わたしと同年齢、つまり同世代の人間だ。仏教についての造詣が深いことは、かなり以前から知っていたが、宮崎氏の仏教関連の著作を読むのは始めてだ。

世代の異なる二人の評論家が仏教をテーマに、マンガから思想まで語り尽くすといった趣(おもむき)の対談集である。まずはわたしが読んでいない宗教マンガの傑作について語られるあたり、マンガ評論では大御所の呉氏らしいし、それについてくる宮崎氏もサブカル論者らしい。

二人の論者はともに、本来あるべき仏教、本来そうであったはずの原始仏教(=初期仏教)に焦点を据えて論じている。しかし、仏教は時代とともに変容し、日本の大乗仏教においては、原始仏教とはほど遠い状況にあるのが現状だ。だからどうしても日本の大乗仏教の各宗派には批判的なトーンとなるのは当然である。

とはいえ、宮崎氏は大乗仏教の立場であることを明言しておられる。そのうえで、原始仏教という原点から論じる姿勢には共感を覚える。原始仏教から異なる発展をとげた上座仏教についての言及がほとんどないが残念だが。

かなりラディカル(根源的)な発言の応酬がつづく対談なので、伝統的な日本仏教に親しんでいる人にとっては理解不能な面も多々あるのではないだろうか。ただし、日本人仏教徒の多数を占める浄土真宗とキリスト教徒の親和性などの議論もあるので参考になるかもしれない。

たとえば、「人生は苦である」という認識。仏教はすべてここから始まる。生きるということは修羅である。意識するしないにかかわらず、修羅場をくぐりぬけてなんとか生きているというのが実態なのだ。

「3-11」後、仏教ブーム(?)が到来しているといわれる日本だが、果たして仏教はただしく捉えられているのか? そもそも仏教というものがいったいなにを指しているのかよくわからないというのが、いまこの日本における現状だろう。

根源的な立場からの批判でもある本書は、はたして日本で仏教が生き残っていくことができるのかどうか、そしてそのためにはどうあるべきなのかの模索でもある。

仏教を知的に考えてみたい人にはぜひ薦めたい。



(画像をクリック!)


*2015年11月に新潮文庫から文庫化された。(2015年11月29日 記す)。



<付録> トークショーに参加(2012年11月23日)

『知的唯仏論』(サンガ刊)刊行記念イベント 宮崎哲弥 × 呉智英 トークショー&サイン会(
2012年11月23日(金) / 蔦屋書店1号館 1階 総合インフォメーション)に参加してきた。 http://tsite.jp/daikanyama/event/001289.html
しゃべり過ぎの呉氏に対して、ややイラつき気味の宮崎氏でありましたが、本になっている対談のほうが、内容についても校正されているのでライブのトークショーよりもよいと思います。

(共著者のサイン会)

目 次

第1部 仏教をめぐる、やや通俗的な入り口
 仏教とは 
 宗教を描く
 輪廻の解釈学とオカルト批判
 宗教家の力;ブッダと日本仏教)
第2部 宗教と「この私」
  仏教学と体験性
 神秘体験と救済
 実存を問う病
 愛と渇愛
 現代人の四苦
第3部 仏教と社会
 善悪の彼岸)


著者プロフィール 

宮崎哲弥(みやざき・てつや)
1962年、福岡県生まれ。評論家。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。政治哲学、仏教論、サブカルチャー分析を主軸とした評論活動を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

呉 智英(くれ・ともふさ)
1946年、愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。評論家。マンガ評論、知識人論等の分野で執筆活動を展開。日本マンガ学会会長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

英文般若心経(Heart Sutra)



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「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭 2012」 に一部参加してスマナサーラ長老の法話を聴いてきた

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)

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書評 『目覚めよ仏教!-ダライ・ラマとの対話-』 (上田紀行、NHKブックス、2007. 文庫版 2010)

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2011年1月23日日曜日

書評 『仏教要語の基礎知識 新版』(水野弘元、春秋社、2006)-仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」




■仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」


 「仏教"用"語」じゃないですよ、「仏教"要"語」です。

  ダジャレみたいなタイトルですが、中身はすごくまじめな、しかもすごく実用的な本です。

 著者は、原始仏教で使用されたパーリ語の世界的な権威で、本書では原始仏教から大乗仏教にいたるまでの仏教の全体を、「仏教要語」の解説という形をとって系統的に、わかりやすく解説してくれています。




 目次を紹介しておきましょう。

第1章 仏教
第2章 三宝
第3章 三科(五蘊・十二処・十八界)
第4章 三法印、四法印
第5章 縁起説
第6章 四諦説
第7章 修道論
第8章 煩悩論

 仏教って、実は精密に構築されたシステムなんだな、ということが読むとよくわかります。仏教は意外と現代的で、ロジカルだということも。

 本書は、現代人が仏教を"知的に"理解するために解説してくれるスグレ本といえるでしょう。

 全部最初から読んでもいいし、索引が完備されているので事典がわりに興味のあるとこだけ拾い読みするのもいいかもしれません。

 仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」といっていいでしょう。

 ぜひ一冊、手元に置いておきたい本です。


<初出情報>

■bk1書評「仏教を根本から捉えてみたい人には必携の「読む事典」」投稿掲載(2009年8月12日)

*私がもっているのは旧版の方である。新版との異同については詳らかにしない。



著者プロフィール

水野弘元(みずの・こうげん)

1901年佐賀県に生まれる。駒沢大学教授、東京大学教授、駒沢大学総長などを歴任。駒沢大学名誉教授。文学博士(東京大学)、インド・ナーランダ大学名誉文学博士。2006年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものを増補)。



<書評への付記>

 この本の初版をはじめて手にしたのは、いまからもう15年以上前のことだと思う。

 最初は、『現代用語の基礎知識』をもじって、『仏教用語の基礎知識』というタイトルにしたのかと思い込んでいた。学者にしてはなかなかシャレのわかる人だ、と。

 しかし、あらためてよくタイトルを見ると、『仏教要語の基礎知識』とある。「用語」ではない、「要語」であった。

 いやあ、まったく当方の無知蒙昧ぶりが暴露されるような話であった。

 得度したわけでも、大学の仏教学科を卒業したわけでもないので、無知蒙昧ぶりも仕方あるまい、と・・・。



<追 記>

『仏教要語の基礎知識』の旧版をベースにした英語版が佼成出版会から出版されている。

Essentials of Buddhism: Basic Terminology and Concepts of Buddhist Philosophy and Practice( Kogen Mizuno, translated by Gaynor Sekimori, with a forward by J. W. De Jong, Kosei Publishing Co, 1997)

英語でブディズムを考えてみたい人には最適の「読む仏教事典英語版」として推奨したい。(2013年10月31日 追記)




<ブログ内関連記事>

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書評 『こころを学ぶ-ダライ・ラマ法王 仏教者と科学者の対話-』(ダライ・ラマ法王他、講談社、2013)-日本の科学者たちとの対話で学ぶ仏教と科学

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・真言密教的世界観における「因果」と、偶然による「縁起」

「無計画の計画」?
・・量子力学的世界観と仏教

(2014年8月20日 項目新設)





(2012年7月3日発売の拙著です)






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