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2013年12月7日土曜日

巨星落つ!-「超一級の本物のリーダー」であった南アフリカのネルソン・マンデラ氏(1918~2013)を悼む


ネルソン・マンデラ氏が12月5に亡くなった。享年95歳。まさに大往生というべきだろう。

生まれたのが1918年、なんと第一次世界大戦が終了した年だ。ほぼこの一世紀を振り返るのにマンデラ氏の人生を振り返るのが適しているかもしれない。日本のメディアもさることながら、欧米のメディアではこの話題で埋め尽くされているのは、当然といえば当然だろう。

マンデラ氏こそ真のリーダー、本物のリーダーである。27年間(!)の獄中生活を送った不屈の闘志だっただけでなく、国民和解と融和につとねた政治家としてもまた第一級の人物であったからだ。こんな人はめったにいない。

運動のリーダーは「~のために」(for)を語るが、じっさいには「~に対して」(against)が大半であるためだ。後者の思考パターンで運動をしてきた人は、運動が成就したあとに建設的になれないことが多い。

これは南アフリカの隣国で、同じくかつて英国の植民地でありながら、旧支配層の白人を迫害し、経済を破綻させた独裁者ムガベの支配するジンバブウェ(旧ローデシア)を見てみればいい。ムガベは反植民地闘争のリーダーであったが、英国からの独立後の堕落ぶりはすさまじい。

ニュース報道ではじめて見たのが、若き日のマンデラ氏の肖像写真だ。これには驚かされた。もともとは武闘派だったマンデラ氏の面構えがスゴい。なんだかプロボクサーのマイク・タイソンのようではないか! 



釈放後の慈愛に満ちた温顔の人格者のような姿しか知らなかったので、若き日のマンデラ氏の容貌には驚かされた。「艱難汝を玉にす」という故事成語があるが、まさにそのとおりなのだろう。

この点については映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)をみるとよくわかる。「ラグビーワールドカップ 南アフリカ大会」をつうじて、大統領として国家再建と国民融和をいかに図ったかが、獄中シーンを交えながら手に取るように理解できる感動的な映画である。 

ちなみに「艱難汝を玉にす」を調べてみると、Adversity makes a man wise. という西洋のことわざの訳だそうだ。『論語』かなにかだろうと思い込んでいたが、東西問わず、似たような発想があるわけだ。

そのむかし、おなじく非暴力(ノン・バイオレンス)の闘争で有名になったガンディー(・・奇しくもガンディーは若き日に南アフリカで弁護士として活動していた)を主人公にした映画でも知られる、英国のアッテンボロー監督がマンデラ氏を描いた『遠い夜明け』(原題:Cry Freedom  英国、1987年)を記憶している人も少なくないだろう。1987年当時はまだマンデラ氏は獄中にいたのだ!

この映画の影響も含めて、南アフリカとの貿易ボイコットなど国際的な圧力が高まった結果、マンデラ氏が釈放されたのは1990年、人種隔離政策であるアパルトヘイトが撤廃されたのは、その翌年の1991年であった。まさに現代史そのものなのである。

ソ連が崩壊し冷戦構造が終わったのが同じ1991年、たんなる偶然ではないのかもしれない。ソ連も南アフリカも、ともにごく一握りの特権階級(=ノーメンクラツーラ)による抑圧的な政権であり、それがともに崩壊したのは不可逆な流れであったかもしれない。

いま書きながら思い出したが、アパルトヘイト末期の南アフリカの白人政府は、国際的孤立状態をのなか、みずからの生き残りのためなんと核兵器の開発も行っていたのである。もはや忘却の彼方にあることだが・・

アパルトヘイト時代、日本人は「名誉白人」として遇されていた。こういう人間として「恥ずべき過去」はけっして忘却してはいけない。



わたし自身は、マンデラ氏の半分しか生きていないが、それでもマンデラ氏の最後の50年を「同時代人」として生きてきたという実感がある。

われわれが生きている時代に、マンデラ氏のような超一級のリーダーをもてたことは、人類にとって大きな幸福というべきだろう。

御冥福をお祈りします。合掌。





<関連サイト>

ネルソン・マンデラ・アーカイブ(英語)

Obituary Remembering Nelson Mandela's Unsung Economic Legacy By Charles Kenny December 05, 2013
・・大統領としてのマンデラ氏が南アフリカ経済発展のために功績のあったこと

“虹の国”を目指した男 ~ネルソン・マンデラ氏のメッセージ~(NHKクローズアップ現代 2013年12月9日)

南アの黒人解放とその後、故マンデラ元大統領が残した名言と課題 (大前研一 nikkei BPnet 2013年12月25日)
・・「とりわけイギリス、オランダ、米国のような国々がマンデラ氏を過剰とも思えるほど称賛するのは、アパルトヘイト(人種隔離政策)をすべて南アの白人政権の責任にして、自分たちはその裏側に隠れようとする意図があるようにも思われる。 そもそもマンデラ氏が収監されることになったのは、米中央情報局(CIA)によるところが大きいとされる。イギリスのサッチャー元首相もマンデラ氏をテロリストと呼んでいた時期がある」。





PS  報道によれば、12月10日に開かれるマンデラ氏の南アフリカ政府による国葬に日本からは皇太子殿下が出席されるという。王室以外では異例のことであり、マンデラ氏がいかに人類社会にとって偉大なリーダーであったかを示しているのではないだろうか。(2013年12月8日 記す)





<ブログ内関連記事>

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ
・・マンデラ大統領とラグビーワールドカップ南アフリカ大会

「ハーバード リーダーシップ白熱教室」 (NHK・Eテレ)でリーダーシップの真髄に開眼せよ!-ケネディースクール(行政大学院)のハイフェッツ教授の真剣授業

キング牧師の "I have a dream"(わたしには夢がある)から50年-ビジョンをコトバで語るということ ・・非暴力!

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・・FIFAワールドカップ(2010年)

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・・南アフリカでオランダ系アフリカーナーとして生まれたローレンス・ヴァン・デル・ポスト

書評 『南アフリカの衝撃(日経プレミアシリーズ)』(平野克己、日本経済新聞出版社、2009)-グロ-バリゼーションの光と影

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
・・現在はジンバブウェというローデシアの命名のもとになったセシル・ローズは、数々の著名人を教育してきたオックスフォード大学ローズ・スカラーシップの生みの親である



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