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2014年4月28日月曜日

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!


映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)は、日本人として絶対に見るべき映画です。

「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドの物語。この映画は日本人は絶対に見るべきです。

正直いって、日本人としては見るのがつらい内容です。だが最後まで見てほしい。かならず泣けます。それも深い感動をともなって。これがほんとうの「被害者」と「加害者」のあいだの和解(reconciliation)なのだ、と。

「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)とは、泰(タイ)と緬(ビルマ)を結ぶ鉄道路線。大東亜戦争中に日本軍が英国とオーストラリアなどの約5万人の戦争捕虜や、25万人を超えるといわれるアジア人労務者(・・いわゆる「ロームシャ」)を酷使して、雨期もはさんで一年間の突貫工事で完成させたものです。

戦時における労働力不足を解消するための違法な作戦が生んだ悲劇として、記憶してしかるべき「加害者」としての汚点として記憶されるべき歴史的事実です。日露戦争当時の日本は、捕虜の扱いにかんしても国際的な賞賛を浴びたのでしたが・・・。

「死の鉄道」(デス・レイルウェイ)という異名もあるように、山岳地帯での建設工事の過程で多くの捕虜が酷使されただけでなく、熱帯性気候のなかでの激しい労働と乏しい食事のため栄養失調状態であり、医薬品と医療スタッフ不足のため、赤痢や脚気、コレラやチブスその他の熱帯性潰瘍など、熱帯のジャングル風土病で大量に病死しているのは歴史的事実です。

なかには拷問や虐待で死んだ戦争捕虜もあったようです。BC級戦犯として処刑された日本人はその責任をとらされたものです。戦争捕虜を軍事目的で使役した罪は、末端の将兵ではなく、大本営にあったはずなのですが、上意下達の軍隊組織ゆえの不運というべきかもしれません。

(第二次大戦当時の東南アジアと泰緬鉄道 原作本(角川文庫)より)

「泰緬鉄道」といえば『戦場にかける橋』、「ああ、あの映画なら、ずいぶんむかしに見たよ、マーチで有名な映画でしょ」、と思った人も、『レイルウェイ 運命の旅路』は見た方がいいと思います。

舞台設定は同じでも、まったく異なる内容だからです。『戦場にかける橋』はオリエンタリズムに充ち満ちた反日映画といってもいい内容で、しかもかなり部分がフィクションです。「戦場にかける橋」は、ほんとうは爆破されてはいないのです。

(『タイ鉄道散歩』(藤井伸二、イカロス出版、2013)より)


映画 『レイルウェイ 運命の旅路』の内容

フラッシュバック現象で虐待を思い出し、トラウマに苦しむ「被害者」としての元英国将校。

通信将校であった主人公は、1941年の英国領シンガポール陥落で日本軍の捕虜となり、貨車で鉄道建設現場に送り込まれます。根っからの「鉄道マニア」である主人公にとって「泰緬鉄道」の建設にかかわることになったのは運命の皮肉なのか。

贖罪のために現地カンチャナプリを何度も巡礼する「加害者」としての「日本兵」。

英語通訳として憲兵隊に所属していました。直接手を下したわけではありませんが、拷問の場に立ち会って通訳を務めために主人公の記憶のなかに深く刻み込まれています。なぜなら直接コミュニケーションした相手だから。しかも主人公の母語である英語で会話したから。

英国将校はエリック・ローマクス氏(1919~2012)、日本人通訳は永瀬隆氏(1918~2011)。いずれも実在の人物で、ほぼ同年に生まれ、ほぼ同年に亡くなった完全に同世代。映画も実話をもとにしたものです。もちろん映画ですから事実とは異なる脚色はありますが・・・。


こんな枠組みの内容は、正直いって戦争には直接関係ない世代であっても、見ていてつらいものがあることは否定できません。だが、ラストシーンに近づいていくにつれて深い感動がこみあげてくるでしょう。

「被害者」と「加害者」の「和解」は可能なのか? そんな普遍的なテーマとともに、日本と英国を中心とする連合国が東南アジアで全面衝突したという歴史についても、あらためて確認していただきたいと思います。

「太平洋戦争」というネーミングのためにアメリカとの戦争ばかりが強調されてますが、東南アジアではシンガポールを含むマレー半島、ビルマ(=ミャンマー)では英国と戦争をしているのです。この事実を知ることも大事なことです。ほんとうは大東亜戦争なのです。

「東南アジアから英国が見える」のです。ビルマで、そしてタイで日本と英国を中心とする連合国(オーストラリア、オランダ)が敵味方として濃厚にかかわったのです。

東南アジア、とくにタイとビルマ(=ミャンマー)にかかわる人は絶対に見るべき映画でしょう。



「原作と映画のあいだ」(between reel and real life)

映画の原作まで読むことはあまりしないのですが、「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)というテーマには多大の関心があるから今回は読んでみることにしました。

原作の日本語訳タイトルが映画のタイトルと同じなのは、「元祖メディアミックス」の角川書店(!)ならではですが、英語の原題は主人公のローマクス氏の自伝 The Railway Man(Eric Lomax, 1995) というもの。「鉄道員」という意味ではなく「鉄道マニア」という意味でしょう。

映画は,「泰緬鉄道」建設と日本軍による捕虜酷使と拷問、そしてそれがトラウマになった元英国将校と拷問の際に英語通訳をつとめた元日本兵との「奇跡的な和解」に絞り込んで描いてますが、原作は第一次大戦が終わった1919年にスコットランド人として生まれ、「大英帝国末期」を生きた世代の回想録といたもので、映画とは別の意味で興味ある内容です。

映画は116分ですがが、原作のほうは文庫本で380ページとボリュームあります。原作を読むと映画とは違った意味で、「奇跡的な和解」の意味を考えることができるといっていいでしょう。

虐待の「被害者」と「加害者」の関係だけでなく、「植民地喪失時代の英国」に生きた世代の英国人の心情についてよく理解することができます。「産業革命」を生み出した古い英国人の機械への愛情といったものを感じさせてもくれます。著者は復員後は独立前の英国領ガーナで植民地行政官として働いています。



映画には Based on a true story とありましたが、「"a true story" をベースにした」だとしても「忠実に再現した」というわけではないのは当然です。"true story" のことを日本語では「実話」といいますが、 英語の "true" という単語はなにを意味しているのか、ずっと気になってます。 しかも定冠詞の "the" ではなく不定冠詞の "a" の "true story" ということの意味。

映画と原作はもちろん別個の存在です。英語では、「原作と映画のあいだ」のことを "between reel and real life" というようですが、reel と real というよく似た音の単語で示した面白い表現ですね。日本語と英語では順番が反対になってますが。reel とは映画のフィルムのことです。

そのむかし「メディアミックス」戦略を開始した頃の角川書店は、「見てから読むか? 読んでから見るか?」という印象的なキャッチコピーで消費者を煽ってくれましたが(笑)、原作は映画のノベライズではないので、別個の存在として楽しむのが正しいありかたなのではと、あらためて思った次第。

原作で印象的だったのが「時間を奪われた」という表現。シンガポール陥落で日本軍の捕虜となった著者は、シンガポールの捕虜収容所でも泰緬鉄道建設現場でも支配していたのは「東京時間」のため、「リアルタイム」より早く一日が始まることへの不満を述べています。

シンガポールと日本の時差は、金融立国シンガポールの人為的な操作で1時間になっていますが、ほんとうはタイと同じく日本との時差は2時間。

鉄道マニアで時刻表マニアに著者にとって、捕虜となったことは二重三重の意味で「時間を奪われた」体験となったのでしょう。



「会話」が「対話」になったとき「和解」が始まる

映画で印象的なのは、主人公が元日本人通訳に対して「一人称単数」で語れ!と迫るシーン。これは映画ならではの脚色でしょうが、印象に残るシーンです。

一人称複数の「われわれ」(We)ではなく、一人称単数の「わたし」(I)で語れ、と。誰をさしているのか不明瞭な We ではなく、自分自身の立場で自分のコトバで語れということです。

まずは一人称単数の個人と個人の関係から始めるのが、じつは遠回りに見えて「和解」への近道なのだということを象徴的に示したシーンだといえるでしょう。

たんなる「会話」が深みをもった「対話」に変わったとき、個人と個人のあいだでの「和解」への道が開けるのである、と。

アウシュヴィッツの帰還者がフラッシュバック現象がトラウマとなり、せっかく生き残って元の生活に戻っても最終的に自殺してしまうケースが少なくないといいます。イタリアの作家プリーモ・レーヴィもそうであったようです。しかし、主人公の元英国人将校のローマクス氏は、トラウマに苦しめられながらも自殺を選ぶことなく生き抜きます。

その意味も含め、元英国人将校と英語通訳との再会と和解は奇跡であったといっていいと思います。映画や原作の宣伝コピーはあながち誇張ではありません。国は異なるとはいえ、ほぼ同じ年に生まれ、ともに戦争では生き残り、戦後も70歳近くまで生きていたからこそ実現した和解。

和解は基本的に個人と個人のあいだで成立するものですが、個人の人生には限りがあるもの。個人の記憶はその人の人生が終われば消えてしまいます。永瀬氏もローマクス氏も、それぞれ2011年と2012年に世を去っています。

どうも日本人は「高度成長」のなかで大東亜戦争のことは見て見ないふりをして、一方の英国でもヨーロッパ戦線はさることながらアジアで戦った帰還兵の話を聞こうとしない状況であったようです。そんな世の中での元日本人通訳・永瀬氏の孤軍奮闘の活動がなければ、ローマクス氏との出会いもなかったことは間違いないことです。

アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行っています。首都ベルリンにある、ホロコーストにおけるユダヤ人犠牲者のメモリアルパークですが、墓地に似せてつくられた「記憶」のための建造物です。

「被害者」と「加害者」の真の「和解」は、時間がかかる終わりなきプロセスなのです。

「個人の記憶」を、個人を超えた「国民の記憶」にするためには、まだまだしなければならないことはたくさんあるのではないでしょうか。






<関連サイト>

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』 公式サイト


PS 2014年9月26日にDVDが発売予定






捕虜の通訳を務めた永瀬隆氏の著書

元日本人通訳として映画では真田広之(・・青年期は石田淡朗)が演じた永瀬隆氏について wikipedia の記述を引用しておきましょう。

永瀬 隆(ながせ・たかし、1918~2011)は、陸軍通訳であり、泰緬鉄道建設の現場に関わった証言者。岡山県倉敷市生まれ。1941年青山学院文学部英語科を卒業。同年12月、英語通訳として陸軍省に入省する。1943年、タイに赴き、泰緬鉄道の建設にあたり、『建設作戦要員』として通訳に従事する。40万人のうち12万人が死んだといわれる捕虜虐待の現場に出くわす。後に、このことについて証言する。1945年9月、イギリス軍の墓地捜索隊の通訳となる。 1946年7月、日本に帰国。千葉県立佐原女子高等学校などに勤務後、帰郷して1955年から倉敷市で英語塾『青山英語学院』を経営する。 1964年より、毎年タイを訪問し、泰緬鉄道建設に駆り出されて病死などで死亡した連合国兵士およびアジア人兵士労働者を慰霊する。1986年には、タイにて『クワイ河平和寺院』を建立する。同年、タイの青少年に奨学金を授与する目的で、『クワイ河平和基金』を設立し、代表となる。同年に、岩波ブックレット「『戦場にかける橋』のウソと真実」を、著書として出す。1995年から横浜市でイギリス連邦軍戦死者の追悼礼拝を開催。2002年、イギリス政府より特別感謝状を受けた。2005年、読売国際協力賞を受賞する。 2011年6月21日、胆のう炎のため岡山県倉敷市の病院で死去。93歳没。

wikipediaの記述(2014年4月28日現在)には、紹介さrふぇていない永瀬氏の著作があります。以下の二冊ですが、機会があればぜひ読んでほしいのですが絶版状態なのが残念なことです。いずれもマイコレクションです。




『イラスト クワイ河捕虜収容所-地獄を見たイギリス兵の記録-』(レオ・ローリングズ、永瀬隆訳、現代教養文庫、1984) 初版は1980年に自費出版。

目 次

日本の読者へ (レオ・ローリングズ、國弘正雄訳)
序 (ルイス・マウントバッテン ビルマ伯爵・海軍元帥

プロローグ
第1章 マラヤの戦闘
第2章 スリム河およびケダーの戦闘
第3章 退却はつづく
第4章 最後の要塞シンガポールの陥落
第5章 待望の奥地移動開始
第6章 鉄道捕虜収容所
第7章 クワイ河の架橋工事
第8章 医療、その状態と疾病
第9章 シンガポールへの帰還
日本語訳のためのエピローグ
著者紹介
訳者あとがき (永瀬隆)


「あとがき」の永瀬氏の文章が心に刺さります。
私事で恐縮ですが、戦争から還って以来、日章旗をみると、白地は捕虜の骨の色に、赤地は日本の兵士の血の色に思えるのです。あのジャングルの激しい記憶の傷痕のためです。



『ドキュメント クワイ河捕虜墓地捜索行-もうひとつの「戦場にかける橋-』(永瀬隆著訳、現代教養文庫、1988)

目 次

序 (伊藤桂一)
はじめに (ヘンリィ・C・バップ、永瀬隆訳)

虎と十字架 (永瀬隆)
幸福な墓掘り (ジャック・リーマン、永瀬隆訳)
泰緬鉄道墓地委員会記録(抜) (ヘンリィ・C.バッブ、永瀬隆訳)

泰緬鉄道概要図
あとがきにかえて-泰緬鉄道建設作戦いまだ終焉せず-  (永瀬隆)

「あとがき」には、永瀬氏によるタイの現地での慰霊活動が、日本の外務省とその意を受けたタイの日本人会から執拗に妨害されたこと(!)が書かれています。1988年時点の話ですが、この記述だけでもぜひ読んでいただきたいのですが残念ながら絶版です。永瀬氏の活動がいかに孤軍奮闘のものであったか、

永瀬氏もローマクス氏もすでに世を去っていますが、今回の映画公開で永瀬氏の功績に光があたったことは意味あることと考えるべきでしょう。

なお、『歴史和解と泰緬鉄道-英国人捕虜が描いた収容所の真実-(ジャック・チョーカー、小菅信子・, 朴 裕河・根本 敬・根本尚美訳、朝日選書、2008) は、映画のなかで主人公が読むシーンがでてきますが、その日本語版がこの本です。

捕虜たちが苦しんだ病気、とくに熱帯性潰瘍についてはイラストで解説していますので必見です。肉が腐り骨まで露出した状態の捕虜たちの姿が痛ましい。

この本も、ぜひあわせて読んでいただきたいものです。




なお、「泰緬鉄道」は現在 1/3 しか運行していませんが、建設から70年の2012年には復活計画があることがNHKで報道されていました。以下の写真はTV映像をキャプチャしたものです。

(NHKの報道番組より 2012年)

わたしは1995年(?)に「泰緬鉄道」の現在の終点のナントクまで行ってます。終点から先はレールがはずされていることを確認して残念に思った記憶があります。「復活」は一年ではできないでしょうが(・・そんなことは望みもしない!)、時間をかけてでも「記憶」のメモリアルとしてもぜひ計画が実行されることを期待したいものです。

「泰緬鉄道」に乗る機会があれば、ぜひカンチャナプリで下車してほしいもの。わたしは何の情報ももたずに訪れた際、カンチャナプリにある戦没者墓地に立つ大量の十字架に衝撃を受けました。日本人が戦争中にやった事実から目を背けてはいけないのです。

まずは歴史を知ること。歴史的事実を知ること、これはすべての前提となるものです。



<ブログ内関連記事>

映画 『英国王のスピーチ』(The King's Speech) を見て思う、人の上に立つ人の責任と重圧、そしてありのままの現実を受け入れる勇気
・・おなじくコリン・ファース主演の実在の人物を演じた映画


「泰緬鉄道」

書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌
・・「泰緬鉄道」の全貌を知るための必読書

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る
・・「鉄道連隊は、工兵隊のなかでも、占領地における鉄道の敷設と破壊を専門にした部隊で、かの有名な泰緬鉄道にもかかわっている。・・(中略)・・ このほか、中国大陸や朝鮮半島だけでなく、日本内地でも訓練を兼ねて鉄道敷設を請け負っていたという。くわしくは『本当にあった陸自鉄道部隊-知られざる第101建設隊の活躍-』(伊藤東作、光人社NF文庫、2008)を参照されたい」
・・現在の新京成電鉄は、陸軍鉄道部隊が演習に使用していた路線で、カーブの多い、しかもR(半径)のきついカーブの多い路線として、その世界ではよく知られた存在だ。もちろん線路はその当時のものではない。わたしが撮影してYouTube にアップした「日本有数のS字カーブ(新京成線)」 を参考にしていただけると幸いである


■大東亜戦争と東南アジア(=南洋)

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・原作は南アフリカ出身の英国陸軍コマンド部隊大佐、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした日英の相克と奇妙な友情の物語

原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』
・・原爆投下による日本降伏によって捕虜収容所から生きて出ることができたと考える著者の回想録。同様の意見を表明する元捕虜は少なくない

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・この男がシンガポールにおける華僑虐殺の主張者なのだが、この本じたいは面白い

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字


「加害者」と「被害者」の和解は可能か?

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・アイシュヴィッツで生き残ったが戦後だいぶたってから自殺した作家

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論 ・・アウシュヴィッツから半世紀以上たって、ようやくドイツでも「記憶」をつねに想起させるため、「見える形」で「記念碑」の建築を行った。「和解」には時間がかかるのである

書評 『松井石根と南京事件の真実』(早坂 隆、文春新書、2011)-「A級戦犯」として東京裁判で死刑を宣告された「悲劇の将軍」は、じつは帝国陸軍きっての中国通で日中友好論者だった
・・松井将軍は連合国による東京裁判において「A級戦犯」として処刑された

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある ・・ユーゴスラビアの戦犯裁判のなかで浮上したのが「エスニック・クレンジング」(民族浄化)という表現。「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある。「国際メガメディア」という英米系の英語メディアが牛耳るグローバル世界。「泰緬鉄道」も、日本人はこの文脈のなかでキチンと受け止めなければならない


大英帝国と東南アジア

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「植民地喪失」と大英帝国の終焉

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
・・大英帝国におけるスコットランド人の立場

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか
・・「英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという」事実

書評 『ポロ-その歴史と精神-』(森 美香、朝日新聞社、1997)-エピソード満載で、埋もれさせてしまうには惜しい本
・・英国を中心とする連合国の東南アジア司令部の最高司令官で、インドとビルマとは縁の深いマウントバッテン伯爵(=チャールズ皇太子の叔父)もまたポロ好きであった

(2014年5月13日、16日、17日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)





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