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2014年6月20日金曜日

法哲学者・大屋雄裕氏の 『自由とは何か』(2007年) と 『自由か、さもなくば幸福か?』(2014年)を読んで 「監視社会」 における「自由と幸福」 について考えてみる


「監視社会」と「自由」、いまこれほど刺激的なテーマはないかもしれない。この2つのキーワードを実際の行為として世界中に突きつけたのがエドワード・スノーデン氏であった。

「スノーデン事件」とは、米国の情報機関NSA(国家安全保障局)が行ってきた膨大な通信傍受と個人情報収集による監視を、元職員が暴露した「事件」である。「監視社会」を告発したスノーデン氏が「自由」を求めて「監視社会」のロシアに亡命さぜるを得なくなったというのは、まことにもって皮肉な事態ではあるが。

『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅-』(大屋雄裕、ちくま新書、2007)が出版されたのは、「スノーデン事件」が発生した2013年よりも6年前である。

ことし出版された『自由か、さもなくば幸福か?-21世紀の<あり得べき社会>を問う-』((大屋雄裕、筑摩選書、2014)とあわせて読んでみると、「監視」する主体が国家であろうとなにであろうと、現代を考えるうえで避けて通れないテーマであることがわかるはずだ。


「自由な個人」という幻想?

「自由な個人」として思考し、行動している。そうは思っていても、じつはかならずしもそうではない。無意識のうちに習慣となったことを繰り返しているのが日常生活というものだろう。

日常生活をスムーズに進めるためには、定型的で決まり切った手順や習慣に無意識にうちに従っうほうが効率的だ。「人間は習慣の奴隷である」という有名なフレーズもある。行動科学の立場からは人間の自由意志さえ否定される。

効率的であることがすべてだとは言わないが、「便利」で「安心」な生活のほうがいいに決まっている。そう考えるのがフツーの人の発想だろう。そうは思わない人もいるだろうが、このわたしも「便利」で「安心」な生活のほうがいいと思っている。

世の中はますます悪くなると思い、そういう「不安」をもらす人は多いが、ことテクノロジーの発達という点をみれば、あきらかに現在は10年前よりも、20年前よりも、「便利」で「安心」な生活が実現していることは、冷静に振り返ってみればおのずから理解されるはずである。

問題は、テクノロジーの発達に人間の意識が追いついていないということだろう。あるいはまだ過去にすり込まれた固定観念が消えずに残っていて、意識を支配し続けているためだろう。それほど人間が変化に追いついていくことは難しい。

だが、過去の経験をもたない世代であれば、それはけっして困難ではない。いま現在がすべての出発点となるからだ。変化の激しい時代には、知識は増大しても過去の知恵が通用しなくなる。

それは、21世紀の現在が「近代」が終わって次の時代に移行するトランジッションの状態にあるからだ。テクノロジーの発達は「意図せざる結果」を生み出しつつあるということだ。「自由」という概念もそれにともなって変化していく。

本書は、その移行期を法哲学の立場から分析して見せたものだ。権利や擬製(=フィクション)といったさまざまな法概念も俎上に載せて検討されることになる。

いま、さまざまな制度や概念が「機能不全」をおこしている。民主主義もまた「機能不全」状態にあることは、エジプトやタイといった中進国だけでなく、日本も含めた先進国もまたそうであることは世代間格差の問題を考えてみれば明白だろう。「一人一票システム」が民主主義の機能不全を生み出す要因となっている。

ビジネスパーソンは、コスト/ベネフィット思考でものを考えがちだが、経済的思考以外の法律的思考でものを考えてみることもときには必要だ。だが、本書の議論には「幸福」はあっても「便利」という経済的発想がないのが気にかかる。功利主義的発想の限界についての議論が弱いのではないだろうか。

たとえば、ベンサムの「最大多数の最大幸福」という功利主義を代表する有名なフレーズは、響きは美しいが経済学的には成り立たないことは冷静に考えてみればわかることだ。ミクロの総和はマクロとはイコールではない。資源の制約という前提が欠けた議論だからだ。経済学では、このミクロとマクロのあいだに存在するパラドックスのことをさして「合成の誤謬」と呼ぶ。


「監視社会」の主役である国家が別の「監視社会」の対抗軸となる!?

先進国においては、すでに「近代」が完成し「近代化」がすでに終わっている。いっけんして「前近代」に戻ったような印象も受けるが、もちろん後近代と前近代はイコールではない。近代を経たのちの後近代である。

「国家」対「個人」という、対立関係を主軸に据えた左派の議論が陳腐に感じるのはそのためだ。「主権国家」は近代の産物だが、「国家」もまた、その他のプレイヤーの勢力拡大を前にしてパワーを失いつつある。「国家」は弱体化しつつあるのだ。いっけん「監視社会」の最大の主役のように見えて、かならずしもそうではないのである。

国家以外のプレイヤーとして筆頭にあげるべきものは、米国のIT系を中心とした超巨大グローバル企業であることは、「監視社会」を考えるにあたって絶対不可欠なことだ。

グーグルの「検索」やアマゾンの「レコメンド」機能、フェイスブックの「いいね!」、スマホの位置情報などなど。膨大な個人情報を収集し機械的に解析してフィードバックする「ビッグデータ」時代の覇者たちである。いずれも人工知能テクノロジーの進化がその背景にある。

グーグル会長のエリック・シュミット氏は、「インターネットと相互接続権力の台頭」という論文で、「インターネットに接続さえできれば、誰でも個人で発言し変化を起こすことのできるパワーを手に入れることができる。そうしてパワーを得た非政府組織と活動家が、世界全体で「パワー拡散」をさらに促進している」という意味の発言を行っている。

グーグルのような超巨大IT系企業もまた「変化を起こすことのできるパワーを手に入れた」存在である。国家だけでなく、超巨大企業も大きなパワーをもつにいたっているである。国家はそのなかでワンオブゼムとなりつつあるといえるのかもしれない。

フランスの思想家ジャック・アタリもいうように、民主主義国家においては財政破綻の危険がつねにつきものであり、先進国においては、ますます国家のパワーは相対的に減退するということだ。「国家」の使命は国民の生命財産を守ることにあるが、国家のパワーが減退すると、その使命も完全に果たすことができなくなる

「国家」もまた諸勢力の一つであったのは「前近代」の中世社会であるが、「近代社会」に生を受けて、ある年齢まではそのなかにいた人は、「近代」のなんたるかをアタマとカラダの両面で体験しているので、逆に現在進行中の事態に不安やを強く感じているのかもしれない。


「ミラーハウス型」の相互監視社会」とは「世間」のこと!?

著者は、「ミラーハウス型」監視社会という表現をつかっているが、これは別の言い方をすれば「相互監視型システム」ということになる。

さきにグーグル会長のエリック・シュミット氏の発言を紹介したが、「相互接続権力」(interconnected estate)とは、「相互接続状態」(interconnected stateのことである。

「ミラーハウス型」は「相互監視社会」のことだと考えれば、それは日本語でいう「世間」のことではないか、とわたしは思う。

「世間のしがらみ」という表現でネガティブに捉えられがちな「世間」であるが、濃淡は存在するものの、「世間」とは親族を中心とした、所属組織などの「想像の共同体」における人間関係のネットワークのことにほかならない。ネットワークであるということは、相互接続状態にあるということだ。そのネットワークのなかでは相互に監視し、監視される関係にある。

監視されるのはうっとおしいが、一方ではそのなかに居る限り「安全」と「安心」が保証される。世間のポジティブな側面について考えてみる必要がある。

一方的にいいだけのことも、一方的に悪いだけのことも、世の中には存在しない。なにごともオモテがあればウラがある。善悪はコインの両面である。

ノンフィクション作家の吉田司氏に『デジタル・パラノイア-電脳ニッポン興亡記-』(徳間文庫、2001)という作品がある。まっとうな学者である大屋雄裕氏のレーダーには引っかからないようなので、代わりにわたしが言及しておこう。「第3部 デジタルファンタジー日本」から。

年配の読者ならよくご存じだが、村(ムラ)の暮らしの中の日本人は互いにスゴイ情報通で、他人の家の二代前三代前の御先祖の悪行善行をつい昨日のように記憶していて、仕返ししたりされたりして暮らしていた。なにしろ自分の女房の肉体の奥深い秘密まで青年宿やら夜這い仲間によって、スッカリ熟知されている(笑)。個人主義というものが成立しない。(P.199)

やや下卑た表現だが、これが<ムラ>という地域共同体の相互監視社会の構造だ。吉田氏はこれを<ムラ>という記憶装置(=データ・バンク)と表現している。引用を続けよう。

<記憶装置としてのムラ>と<管理装置としてのムラ>が二重構造となって、日本人の魂を大地や田畑に縛りつけていた。<ムラ>とは、逃れ得ない<大地の記憶装置(コンピュータ)>だった。・・(中略)・・ そ~した古典的な<ムラ>構造は、つい戦後の高度成長期まで続いた。・・(中略)・・私たちはいま、二つの巨大な人間管理システムが交差するのを目撃しているのだ。すなわち古代から続いた伝統的な<大地の記憶装置=アナログ・コンピュータ>が崩壊し、<電子の>の記憶装置=デジタル・コンピュータ>が日本人の暮らしを管理するに至る、そのつかの間の、過渡期の時代を生きている。(P.200)(*太字ゴチックは引用者=さとう)

なんだか身も蓋もないような気もするが、実態はそんなもんだろう。

基本的に、その内部にいる者の安心と安全は保証されるが、内部から排除された者は「自由」だが特殊な生き方を選択せざるを得なくなる。それは前近代社会の日本でも西欧でも、放浪芸人や乞食など被差別の道であった。日本の「村八分」と同様に、西欧中世にも「人狼」という存在もあった。

「都市の空気は自由にする」(Stadtluft macht frei)という格言はその事情を表現したものである。そもそも日本だけでなくロシアにも、プライバシーというコトバも概念もなかったことを想起しておけばいいだろう。

目に見えない「しがらみ」というソフトな監視は、同時にそのなかにいれば普段は気がつくこともなく、安心を得ることができる。何事であれ、物事には両面がある。一方的にメリットだけだとか、デメリットだけなんて事象はこの世には存在しない。

これはカトリック教会が「聖なる世界」だけでなく、「俗なる世界」においても「監視社会」のメインプレイヤーとして君臨していた西欧中世もまた同じだった。

「近代」が終焉していながらも、まだその残滓を引きずっていた1980年代頃までは、日本にいても西欧の口まねで「暗黒の中世」というフレーズでラベリングをしていたのだが、じつは中世社会はそのなかに生きていた人々にとっては、暗黒でもなんでもなかったというのが真相である。むしろ中世崩壊後の「初期近代」の17世紀が過酷な時代であったのだ。

大屋氏の『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅-』(2007年)では、阿部謹也氏の西洋中世のギルドにかんするの引用があるのに、「世間論」への言及がまったくないは残念なことだ。中世史家がなぜ日本の「世間」について鋭い指摘を続けたのか考えてみる必要がある。

法思想や法哲学の研究者は、近代日本が西洋法の承継のうえに成り立っているので、どうしても思考の準拠枠を西欧にもとめがちだが、それだけでは議論が日本人にしっくりくるものとはならない。

すでに近代を通過した現代という時代は、複数の、あるいは無数の「世間」が偏在している状態にある。出身地、出身校、家族、勤務先、地域社会、SNS・・・・。みな人的ネットワークと言い換えてもいいかしれない。一人の人間が複数の「世間」に足を突っ込んでいるのである。

「世間」という存在は、ネットワークの濃淡や外部性などの議論で理解することは可能だろう。相互監視社会はウチ・ソトを峻別するという構造をもっているので、世界が完全にフラットなのっぺらぼう状態になるとは考えにくい。 



テクノロジーの進化がさらに時代を「中世」に戻していく?

スノーデン事件は国家による個人の監視であったが、「国家」に勝るとも劣らぬ活動を行っているのが米国を中心としたIT系の巨大民間企業であることを失念すべきではない。

ビジネスの世界でいう「ビッグデータ時代」は、膨大な個人情報をもとに統計解析によって、ビジネスに有用な情報を探索する技術を背景に成立していることを確認しておく必要があるだろう。

しかも、国家と巨大民間企業この両者の関係もまた一筋縄でいくものではない。その力関係もいまではかならずしも国家のほうが上というわけでもない。

「監視社会」と「開かれた社会」、そのどちらが望ましいか言うまでもない。だが、家族の安全や国防上の安全という「監視社会」のメリット面にかんする議論になったとき、議論のシロクロを明確に言い切れる人はそう多くあるまい。メリットとデメリットは、ある種のトレードオフの関係にある。

国家からみれば、プライバシーという「私権」をどこまで制約できるかという問題である。個人の立場からいえば、プライバシーという「私権」をどこまで守ることができるかという問題である。

あらゆる「私人」が「公人」化しているのが現代という時代の特徴かもしれない。もちろん「公人」にもプライバシーは存在するのだが、その領域はきわめて小さい。だが、「私人」のプライバシー領域は小さくなる傾向にあり、「私人」と「公人」の違いが限りなく小さくなりつつある。

「自由」か「監視」かという問いに対しては、そう簡単に答えのでる問題ではないが、はっきりしているのはテクノロジーの進歩が止まることはないということだ。あとはテクノロジーが先行してつくりだす世界に、われわれ自身がどこまで適応(?)できるかという点にあるだけかもしれない。

著者の大屋氏は、まだまだ「近代」が生み出したリベラリズムに未練があるように見受けられるが、ジョージ・オーウェルの『1984』から30年後の2014年においては、現時点の状況に応じた現実的な対応が求められるのではなかろうか。幻想は捨てなくてはならない。

こんな言い方をすると、身も蓋もない話になってしまうかもしれないが・・・






『自由とは何か-監視社会と「個人」の消滅-』(大屋雄裕、ちくま新書、2007)

目 次

第1章 規則と自由
 「個人」の自己決定と法・政治
 自由への障害
 二つの自由-バーリンの自由論
 交錯する自由
第2章 監視と自由
 見ることの権力
 強化される監視
 ヨハネスブルク・自衛・監視
 監視と統計と先取り
 監視・配慮・権力
 「配慮」の意味
 衝突する人権?
 事前の規制・事後の規制
 規制手段とその特質
第3章 責任と自由
 刑法における責任と自由
 自己決定のメカニズム
 責任のための闘争-刑法40条削除問題
 主体と責任
おわりに-「自由な個人」のために





『自由か、さもなくば幸福か?-21世紀の<あり得べき社会>を問う-』((大屋雄裕、筑摩選書、2014)


目 次

はじめに
第1章 自由と幸福の一九世紀システム
 1. 近代リベラリズムと自己決定の幸福
 2. 契約自由の近代性
 3. 参政権-自己決定への自由
 4. 権利としての戦争
 5. 19世紀システムの完成-自己決定する「個人」
第2章 見張られる私-21世紀の監視と権力
 1. 監視の浸透
 2. 情報化・グローバル化と国家のコントロール
 3. 「新しい中世」
第3章 20世紀と自己決定する個人
 1. 19世紀から遠く離れて-戦争と革命の20世紀
 2. 個人と人間の距離
 3. 個人の変容への対応
 4. Why not be Perfect?-アーキテクチャと完全な規制)
第4章 自由と幸福の行方-不安社会/民主政の憂鬱
 1. 過去への回帰願望
 2. 新たなコミュニティ・ムーブメント
 3. アーキテクチャと「感覚のユートピア」
 4. ホラーハウス、ミラーハウス
おわりに 三つの将来
謝辞



著者プロフィール

大屋 雄裕(おおや・たけひろ)
1974年生まれ。東京大学法学部卒業。法哲学を専攻。現在、名古屋大学大学院法学研究科教授。著書に『法解釈の言語哲学-クリプキから根元的規約主義へ-』(勁草書房)、『自由とは何か-監視社会と個人の消滅』(ちくま新書)が、共著に『岩波講座 憲法1』(岩波書店)、『情報とメディアの倫理(シリーズ人間論の21世紀的課題』(ナカニシヤ出版)などがある。(出版社サイトより)


<関連サイト>

書評 自由か、さもなくば幸福か? 二一世紀の〈あり得べき社会〉を問う [著]大屋雄裕 [評者]萱野稔人(津田塾大学教授・哲学) [掲載]2014年05月04日

Christopher Soghoian: Government surveillance — this is just the beginning TED Fellows Retreat 2013 · 8:18 · Filmed Aug 2013

アップル社CM『1984』 (リドリー・スコット監督)
・・『1984』世界は「ビッグ・ブラザー」による一方的な監視社会。

グーグルは神なのか-「忘れられる権利」判決で惑うグーグル (原 隆、日経ビジネスオンライン、2014年6月16日)
・・「「忘れられる権利」裁判では、人の目で判断して差配すべしという判決が出たようなもの。殺到する削除要請に対し、その善悪の判断をグーグルに委ねる判決でもあるのだ。・・(中略)・・はたしてデータの中身の善悪を民間企業が判断し、コントロールすることが正しいのだろうか。グーグルに「私的な検閲」(東京大学大学院特任講師の生貝直人氏)という新たな権利を渡し、結果、神格化を進めてしまう結果に繋がらないのか」



<ブログ内関連記事>

監視社会と自由

書評 『スノーデンファイル-地球上で最も追われている男の真実-』(ルーク・ハーディング、三木俊哉訳、日経BP社、2014)-国家による「監視社会」化をめぐる米英アングロサクソンの共通点と相違点に注目

映画 『善き人のためのソナタ』(ドイツ、2006)-いまから30年前の1984年、東ドイツではすでに「監視社会」の原型が完成していた

エンマ・ラーキンの『ジョージ・オーウェルをビルマに探して』(Finding George Orwell in Burma)を読む-若き日のオーウェルが1920年代、大英帝国の植民地ビルマに5年間いたことを知ってますか?
・・「オーウェルはビルマについて一冊の小説を書いたが、実は三部作だ。すなわち『ビルマの日々』『動物農場』『1984』だ」、という軍政下ビルマ人のジョーク

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?
・・どうも情報公開にかんする敏感さにかんしては、日本人とドイツ人の感覚は真逆の関係にあるようだ

書評 『原爆と検閲-アメリカ人記者たちが見た広島・長崎-』(繁沢敦子、中公新書、2010)-「軍とメディア」の関係についてのケーススタディ


すでに「近代」は終わり現在は次の時代への移行期にある

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する
・・「第Ⅳ章は、21世紀に押し寄せる「第一波」として民主主義・政治・国家を破壊する「超帝国」について言及される。第Ⅴ章ではつぎの「第二波」として従来の戦争や紛争を超える「超紛争」が発生することが語られる。市場と民主主義、その興亡の未来史が「第一波」と「第二波」である。現在も進行中の学校や軍事など公共サービスの民営化は、先進国が軒並み財政危機にあえぐなかでは、さらに推進されていくことは大いに予想されることだ。そこに出現するのは、市場の勝利と民主主義の敗北である。そして最後に「第三波」として民主主義を超える「超民主主義」が出現するのだという。だが、あらかじめ著者自身も予防線張っているとはいえ、やや理想的に響くのは仕方かなかろう。なんだか『黙示録』の構造を想起するが、最後が正義が勝つ、ということか」

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・民主主義が機能不全状態で行われた、国家による過った意志決定のツケは、結局は国民が支払うことになる(・・「戦前」の日本においても、大日本帝国憲法のもとで議会制民主主義は不完全ながら機能はしていたのだが・・・)


「国家」を超える存在となったグローバル企業の存在

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

書評 『アップル帝国の正体』(五島直義・森川潤、文藝春秋社、2013)-アップルがつくりあげた最強のビジネスモデルの光と影を「末端」である日本から解明
・・「国家」を超える存在となったグローバル企業という「帝国」の代表がアップルだ。ただし急速に「帝国」化したアップルも未来永劫に盤石である保証はない

書評 『ゲームのルールを変えろ-ネスレ日本トップが明かす新・日本的経営-』(高岡浩三、ダイヤモンド社、2013)-スイスを代表するグローバル企業ネスレを日本法人という「窓」から見た骨太の経営書

書評 『日本式モノづくりの敗戦-なぜ米中企業に勝てなくなったのか-』(野口悠紀雄、東洋経済新報社、2012)-産業転換期の日本が今後どう生きていくべきかについて考えるために

TGIF 「ああ、やっと金曜日!?」 いいえ、Twitter, Google, iPhone and Facebook の頭文字が TGIF


テクノロジーの「指数関数的」発達と「相互接続型社会」の出現

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・「冒頭で 「amazon からつよくレコメンドされた」と書いたが、これこそまさに人工知能の産物である。「amazon のレコメンド」もまた、「機械学習」という人工知能のあたらしい潮流のなかにある。「Google の検索」については言うまでもない。・・(中略)・・「特異点」(singularity)という発想の根底にあるのは、技術の発展は直線的(=リニア)ではなく、指数関数的(exponential)に発展するという経験則だ。ヒトゲノム解読など、みなコンピュータの演算処理能力の爆発的な増大で想像以上のスピードで達成されてきた。S字カーブの繰り返しによるスピード上昇である」

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)-地政学で考える


「相互接続型社会」とは「世間」のこと

書評 『「空気」と「世間」』(鴻上尚史、講談社現代新書、2009)-日本人を無意識のうちに支配する「見えざる2つのチカラ」。日本人は 「空気」 と 「世間」 にどう対応して生きるべきか?
・・「世間」とは持続性のある相互監視の視線であり、「空気」とは持続性はないが濃度の濃い相互監視の視線の集まりと考えてよいのではないだろうか。いずれにせよ日本人の人間関係を息詰まるものにしている正体について「空気」だけでなく、「世間」で考える必要はある


「個」の解体とその全面的肯定

書評 『私とは何か-「個人」から「分人」へ-』(平野啓一郎、講談社現代新書、2012)-「全人格」ではなく「分割可能な人格」(=分人)で考えればラクになる
・・分割不可能な「人格」という近代が生み出した固定観念が現代の日本人を縛って苦しめているという不幸

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ
・・複数の「世間」(=人的ネットワーク)に足を突っ込んでいるからこそ、「是々非々」というマインドセットが生み出されるには日本だけでなく先進国共通である




(2012年7月3日発売の拙著です)






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