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2014年11月30日日曜日

書評 『裁判官と歴史家』(カルロ・ギンズブルク、上村忠男・堤康徳訳、ちくま学芸文庫、2012)-初期近代の「異端審問」の元資料を読み込んできた歴史家よる比較論


歴史家と裁判官は、資料をもとに事実関係を明らかにする職業であるという点では共通するものがある。
  
裁判官は公平無私との原則があるので、特定の立場から自分たちに有利に事を進める検察官や弁護士とは違う、とはよくいわれることだ。だが、じっさいには裁判官の公平無私という立場はタテマエの場合は少なくない。神ならぬ人間である以上、バイアスがかかるのは当然だし、100%公正な判断など下せるわけがない。

歴史家も公平無私という立場で事実に向かい合い、史実にかんするジャッジを行っているとみなされがちだ。この点において裁判官(=ジャッジ)と同じだと思われている。だが、裁判官と同様、じつはかならずしもそうではないことが多い。生きている時代やその本人の思想傾向によるバイアスが生じるのは当然といえば当然だ。

裁判官と歴史家には共通点もあるが、根本的な違いがある。

事実関係を明らかにして解釈し下し判断を示すことは共通していても、歴史家は判断材料を提供することはできるが、他者の人生を左右する意志決定まで踏み込むことはない。あくまでも間接的な仕方で影響を与えるのみだ。

一方、裁判官が下した結論は判決という形で、被告人という他者の人生に多大なる影響を与える。裁判官と歴史家の違いは、影響力が直接的か間接的かという違いであるが、裁判官の権力の根源は、司法制度という制度の枠組みのなかで担保されている。

そう考えていくと、裁判官は検察官や弁護士とそう大きくかけ離れた存在ではないし、歴史家もまた裁判官と対比されるだけでなく、検察官や弁護士と対比して考えることも不可能ではない。


初期近代の「異端審問」の元史料を読み込んできた歴史家よる比較論

これくらいの対比であれば、なにも 『裁判官と歴史家』(Il giudice e lo storico)なるタイトルの本を読むまでもないだろう。

だが、本書を読む意味があるのは、歴史家の親友が巻き込まれた20世紀後半の裁判事件を徹底的に検証する作業をつうじて、裁判官と歴史家の共通点と相違点を考察している点にある。

しかも、著者のカルロ・ギンズブルクは、ミクロストーリア(=マイクロヒストリー)という歴史学方法論を開拓し、魅力的な歴史書を発表してきた現代イタリアを代表する歴史家だ。わたしも異端審問記録を徹底的に読み込んだ成果である、『チーズとうじ虫-16世紀の一粉挽屋の世界像-』『ベナンダンティ-16~17世紀における悪魔崇拝と農耕儀礼-』など、初期近代のヨーロッパを生き生きと描いた作品には魅了されてきた。

親友が被告となった裁判記録を解読した感想として、歴史家としての出発時点から読み込んできた17世紀から18世紀という初期近代の異端審問記録との類似性に言及しているのは、その意味では当然といえば当然なのである。

裁判をつうじて歴史が形成される、あるいは歴史が捏造されていくプロセスを、20世紀後半の裁判記録に読み取っているのである。

(イタリア語2006年新版カバー 著者の親友アドリアーノ・ソフリ)

イタリア現代史というコンテクスト

裁判が扱っているイタリア現代史は、ドイツや日本と共通する点が多い。1960年代から1970年代にかけて激しい政治対立がテロリズムにまで発展した、いわゆる急進派の新左翼による極左テロである。

歴史家の親友は新左翼の活動家であったが、その後は足を洗っていた。だが、事件から16年後に突然出現した「告発者」の「自白」によって、警視殺害事件の黒幕とされ、裁判に巻き込まれることになる。

本書執筆のそもそもの動機の第一は、親友の無実を晴らしたいという歴史家の「個人的動機」である。

日本人読者にとっては縁のない話であるし、よほどイタリア好きか、イタリア現代史に深い関心をもっている人でなければ、極左組織「赤い旅団」による1978年のモロ元首相誘拐暗殺事件に代表される極左テロ事件の詳細については、それほどつよい関心はないだろう。わたしも、もちろん同様だ。そもそも、わたしは左翼にも新左翼にもなんの共感も感じない。

イタリアの司法制度や、警察と憲兵(=カラビニエーレ)の違いなど、日本の制度とは大きく異なる点も多いので、ディテールを理解するのはやっかいだ。イタリアの政治は複雑怪奇で・・・ その点は日本でも京都など伝統ある地域と似たようなものだ。

そもそも日本の現実でさえ理解するのがむずかしいのに、ましてやイタリアの状況を正確に理解することなど専門家でもなければ困難であるし、また関心もないだろう。

歴史家の親友が「冤罪」なのかどうかも、わたしには判断しかねるし、それほど関心があるわけではない。


歴史学方法論の考察として読む

歴史家の個人的な動機が個人的なものであったとしても、この動機が本書誕生のキッカケとなっただけでなく、この事件の解読をつうじて著者自身の歴史学方法論にかかわる考察が展開されているので読む価値があるのだ。

その意味では、「2. 裁判官と歴史家」、「6. 歴史的実験としての裁判」、「18. ふたたび裁判官と歴史家について」という3つの章が面白い。わたしが面白いと思った点をいくつか紹介しておこう。

まずは、「2. 裁判官と歴史家」では、古代ギリシアに出現した歴史(=ヒストリア)というジャンルは、医学と法学(・・とくに法定陳述としての弁論術)が交叉する地点で構成されるという指摘が興味深い。歴史の陳述においては、人物を生き生きと表象する能力が求められていたのであり、歴史学と証拠物件を扱う古物研究とは18世紀後半まで、それぞれ相互に独立していたのだという。

「6. 歴史的実験としての裁判」では、資料に語らせるためには、明確な見取り図と作業仮説が必要だという歴史家リュシアン・フェーヴルの文章を引用しながら、司法関係者と同様、歴史家においても「適切な質問を提出して訊問する能力」が必要なことが指摘される。

「18. ふたたび裁判官と歴史家について」においては、そもそも歴史と人物の伝記は古代ギリシア以来、異なるジャンルとして発展してきたことを指摘し、世界史と一体化した英雄を扱った政治史から、事件史を経て、隠蔽されてしまった次元を示唆するための歴史学の技法としての社会史に至る推移について語っている。

社会史においては、欠落した事実を推測するためのコンテクストが重要である。アイリーン・パウアーとナタリー・デイヴィスという、世代の異なる英米の女性歴史家の詳細な対比が具体的で興味深い。前者は、『中世に生きる人々』、後者は『帰ってきたマルタン・ゲール-16世紀フランスのにせ亭主騒動-』が代表作である。


裁判官が歴史家となることの危険性

歴史家が裁判官になる時代は終わっていると著者はいう。それは倫理的な意味でそうあるべきという主張のようにも聞こえるが、歴史家の役割が変化したことが背景にあるのだろう。つまり歴史家の社会的役割が大幅に減少したということだ。

むしろ、裁判官が歴史家となる危険のほうが大きいかもしれない。裁判の判決をつうじて実質的に歴史が形成されるからだ。あるいは冤罪判決がひっくり返らないまま、歴史が捏造されるといっても差し支えないケースも少なくない。最高裁までいって判決が下されると、もはや司法制度の枠組みのなかでの「歴史書き換え」は困難になる。

17世紀の異端審問と同様、後世の歴史家があらたなコンテクストのもので、史料の「読み換え」をつうじてはじめて可能となることだ。いや、じっさいにはそのような「読み換え」すら起こらないことのほうが圧倒的に多いというべきか。

「歴史家は理解、裁判官は判決」を行うという著者の指摘は、まさにそのとおりだ。現実世界においての歴史家のチカラには限界がある。人々のパーセプションを変えるのは、きわめて困難な課題なのである。

本書が提起しているテーマに「告発者の自白」というものがある。

複数の証言をもとに事実関係を明らかにすることよりも、自白の内容を重視する傾向は、著者が批判している親友の裁判だけでなく、17世紀の異端審問にも見られるものだ。魔女のサバト、空中飛行を見たという告発や証言、魔女とされた人の自白。

自白と証言は似て非なるものだが、日本の裁判制度では、自白が過度に強調されている。いわゆる「被疑者泥を吐かせ」てえられた自白を重視する傾向である。

現代のイタリアにおいても、自白に見られる心理的動機が重視される傾向がなくもないことを著者は指摘しているが、自白と証言の関係については考えなくてはならない問題が多い。

著者は、古代ギリシアにおいて歴史が医学と法学の交叉する点に出現したと指摘しているが、医学と法学のまさに核心にある因果関係の議論には深く突っ込んでいない。

この点をさらに深掘りすると、さらに面白い議論になるのではないかと個人的に考えている。





目 次

新版へのまえがき
序文
 1. 窓から舞い落ちた死体-十六年後の告発
 2. 裁判官と歴史家
 3. 予審判事ロンバルディの報告
 4. 裁判長ミナーレの追及
 5. 殺害指示
 6. 歴史学的実験としての裁判
 7. 謎の十七日間
 8. 憲兵たちの証言
 9. 闇に包まれた夜の面談
 10. ヴィンチェンツィ司祭の証言
 11. いつ始まったのか
 12. 記録からもれた面談
 13. マリーノの動揺
 14. 陰謀はあったのか
 15. 目撃証言
 16. 第三の説明
 17. ミナーレ裁判長と異端審問官
 18. ふたたび裁判官と歴史家について
 19. 結論
後記
新版へのあとがき
年譜
訳者あとがき
ちくま文芸文庫版への訳者あとがき
原注


著者プロフィール

カルロ・ギンズブルグ(Carlo Ginzburug)
1939年生まれ。イタリアの歴史家。ミクロストーリア(=マイクロヒストリー)の創始者。ボローニャ大学教授、カリフォルニア大学ロスアンジェルス校教授、ピサ高等師範学校教授などを歴任。著書に『チーズとうじ虫-16世紀の一粉挽屋の世界像-』『歴史を逆なでに読む『糸と痕跡』など。(出版社サイトより)







<ブログ内関連記事>

左派による世界的な「革命幻想」の時代

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』を見て考えたこと
・・ドイツ赤軍を描いたドイツ映画

「航空科学博物館」(成田空港)にいってきた(2013年12月)-三里塚という名の土地に刻まれた歴史を知る
・・成田空港闘争の史実や反対派のヘルメットなどを展示した資料館「成田空港 空と大地の歴史館」についても紹介しておいた

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論


イタリア現代史

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・ギンズブルクと同じくイタリア北部トリーノに生まれ育ったユダヤ人であるプリーモ・レーヴィは、ギンズブルクの20歳年長

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・イタリア政治経済の複雑怪奇さが集約的にあらわれているのがバチカン銀行

(書評再録) 『ムッソリーニ-一イタリア人の物語-』(ロマノ・ヴルピッタ、中公叢書、2000)-いまだに「見えていないイタリア」がある!

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集


あたらしい歴史学としての「社会史」

書評 『向う岸からの世界史-一つの四八年革命史論-』(良知力、ちくま学芸文庫、1993 単行本初版 1978)-「社会史」研究における記念碑的名著


証言と自白の違い

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点
・・「証人が、その事態について、感情の上で同意か不同意かを、日本語は見事に表現してしまう。そうしないためには、日本語ならざる日本語、つまり官庁式答弁をするほかはない。他方、現実のその事態がどんなものかについては、ややいい加減で済む。だから、われわれは伝統的に自白を重視する。これは言語の特性だから、しかたがない。日本語は、使用者の心理状態と、ことばとの間の関節が固いのである」  告発者の「自白」と心理的動機の関係について考察するヒントになる


 



(2012年7月3日発売の拙著です)













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