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2015年3月3日火曜日

書評 『昭和天皇のゴルフ-昭和史を解く意外な鍵-』(田代靖尚、主婦の友社、2012)-「戦前」の昭和史と日本ゴルフ史との交錯点を昭和天皇に見る

(1922年に英国皇太子とプレイする摂政宮時代の昭和天皇)

かつて日本のビジネス界では「ゴルフをやらざれば人にあらず」というような「空気」が支配していたが、バブル崩壊後の「失われた20年」のおかげで、そういう空気が完全に消えてなくなった。

幸いなことに、駅のプラットフォームで折りたたんだ傘で素振りをする中年サラリーマン(・・危ない!)の姿も見ることも、いまやほとんどない。

いわゆる「バブル時代」には、わたしもビジネスマンのはしくれとして人並みにゴルフをやっていたのであるが、すっぱりとゴルフをやめてからすでに久しい。アメリカにいた頃も、タイにいた頃も、ゴルフへの誘いをのらりくらりとかわし続けたのは、わたしのなかにある「ゴルフ=バブル時代」という悪しき連想のゆえである。

ところが、「大衆化」する以前のゴルフはそうではなかったのである。まさに英国生まれの紳士のスポーツとして認知されていたのであり、プレイヤーは上流階級や産業人に限られていたようだ。

そんななかでも筆頭にくるのが昭和天皇(1901~1989)であったのである。本書は、昭和天皇とゴルフという、一般的にはあまり連想のない組み合わせを軸に「戦前」の昭和史を描いたものだ。昭和史×日本ゴルフ史といった内容である。

少年時代はカラダの弱かった昭和天皇は、皇太子時代に健康増強のためにすすめられたゴルフにすっかりはまってしまう。のちに結婚することになる良子皇后もテニスなどスポーツ好きで、なんと両陛下でゴルフをされることもあったという。皇居内にはゴルフコースも存在したのである。

ゴルフというと英国という連想があるが、本書によれば日本におけるゴルフはアメリカから入ってきたのであるらしい。アメリカとのビジネス上の関係の深い産業人たちが、社交として始めたものであったようだ。

もちろん日英同盟の存在は皇室外交によっても支えられていたわけであり、皇室と英国王室とはゴルフによっても結ばれていたのである。若き日の皇太子時代、外遊で英国を訪問してすっかり英国びいきになった昭和天皇にとっては、ゴルフもまたその重要なアイテムであったのであろう。本書のカバー写真(上掲)は、1922年に来日した英国皇太子とプレイする21歳当時の昭和天皇である。

「戦前」の昭和史は激動の時代である。悪化する政治経済情勢のなか、富裕層の遊びとみなされていたゴルフには厳しい目が注がれるようになってくる。これは左翼からだけでなく、右翼からもそうであった。だが、本書によれば1936年(昭和11年)の二・二六事件のあとも、昭和天皇はゴルフをやっていたらしい。緊張を迫られるなか、ストレス発散が必要だったことはおおいに理解できる。

最終的にゴルフをやめたのは1939年(昭和14年)のことだったと著者はいう。38歳の時である。この頃からゴルフよりも生物学研究に割く時間が増えていったようだ。「戦後」の昭和天皇のイメージが生物学者として存在するのはそのためだ。皇居内に設置されたゴルフコースの手入れをやめさせ、草木が生えるままにされたというエピソードを知っている人も少なくないだろう。

「戦前」のゴルフ、「戦後」の生物学研究。昭和天皇のイメージは、戦前と戦後と大きく異なるのである。

本書は、昭和天皇の皇太子時代からのゴルフとのかかわりを時系列で描いた考証ものであり、日本ゴルフ史という視点から描いた昭和史でもある。かつて皇居内に設置されていたゴルフコースの著者による再現図も興味深い。







目 次

はじめに
1番ホール 昭和天皇は「日本のゴルフ」の草分け!
2番ホール 東京大正博覧会と東京ゴルフ倶楽部の設立
3番ホール 皇太子裕仁のヨーロッパ外遊と海外初ラウンド
4番ホール 日英同盟の終結とギリシャ vs トルコの戦い
5番ホール ゴルフ好きになった帰朝後の皇太子
6番ホール 日英両皇太子による世紀のゴルフマッチ
7番ホール ゴルフに熱中する摂政宮を襲う試練続々
8番ホール 「夫婦でゴルフ」、新宿御苑で良子妃にゴルフ伝授!
9番ホール 赤坂離宮の6ホール、那須御用邸の9ホール、皇居吹上御苑の9ホール
10番ホール 天皇と皇后が主宰する宮中ゴルフコンペ
11番ホール ウォルター・ヘーゲン来日の不思議、天覧ゴルフの謎
12番ホール 昭和天皇がゴルフを満洲事変後にやめたという説の真偽
13番ホール 球聖ボビー・ジョーンズに勝った宮本留吉プロ、英国皇太子とプレー
14番ホール 五・一五事件から二・二六事件までの天皇のゴルフ
15番ホール 英国エドワード八世、「王冠を賭けた恋」とゴルフ
16番ホール 盧溝橋事件から第二次世界大戦へ。そして天皇、ゴルフ封印
17番ホール ベーブ・ルース、サラゼンと一緒にゴルフ外交した米国グルー大使
最終ホール 終戦、平和。天皇は再びクラブを握ったのであろうか
あとがきにかえて
引用文献・参考文献


著者プロフィール

田代靖尚(たしろ・やすひさ)
1944年(昭和19年)4月5日、中国山東省青島生。東京大学文学部社会学科卒業。広告代理店の営業部長を務めた後、総合研究開発機構(NIRA)総括主幹兼「政策研究」編集長。文筆業に転職。「週刊SPA! 」、「サンデー毎日」、「夕刊フジ」にゴルフ・スポーツ・語源について連載。『アマの悩みはアマに訊け! 』(扶桑社)、『スポーツ語源クイズ55』(講談社)、『知的シングルになるためのゴルフ語源辞典』(日本経済新聞出版社)などの著書多数。現在、東京大学文学部研究生として、日本近・現代史の他、万葉集・古事記のゼミにも参加している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。





<関連サイト>

ゴルフはなぜここまで凋落してしまったのか 半減した市場、「6000億円」増提言の現実味(東洋経済オンライン、2015年3月8日)
・・スポーツ市場全体が縮小傾向にあるなか、ゴルフ人口もまた縮小


<ブログ内関連記事>

「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・昭和天皇は1929年(昭和4年)に紀州に行幸した際、おなじ粘菌学者として南方熊楠のご進講を受けている

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る
・・日本のビジネス界にとって最大の貿易パートナーは米国であった

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・英国仕込みの国際ビジネスマンであった白洲次郎には Play Fast という名言的モットーもあった。のろのろとプレイしていた田中角栄を叱ったというエピソードが伝えられている

(2015年6月18日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)










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