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2024年5月9日木曜日

『渡部昇一 青春の読書』(渡部昇一、WAC、2015)は600ページもある大著だが、面白いのでついつい最後まで読んでしまった

 

『渡部昇一 青春の読書』(渡部昇一、WAC、2015)が面白いので、ついつい最後まで読んでしまった。
  
少年時代から25歳でドイツ留学までの「本で語る青春期」である。ドイツ留学時代は『ドイツ留学記』とあわせて読むべきであろう。

かつては「知的生活」などバカにしていたわたしだが、3年前にいまさらながら渡部昇一にはまってしまい、社会評論以外の英語関係や言語学関連の本を片っ端から読みまくったことがある。

その際に『渡部昇一 青春の読書』の存在も知ったのだが、さすがに大枚はたいて614ページもある大著を購入して読もうとまでは思わなかった。

今回、読もうと思ったのは、「教養」について渡部昇一氏がどう捉えているのか知りたいと思ったからだ。70歳で借金して書斎を新築し、15万冊の個人蔵書をつくりあげた渡部昇一氏。

古本で比較的安く入手できたので、さっそく意味始めたら、これが面白い。

そんな渡部氏だから、おそらく「教養」にポジティブな評価を示しているのだろう、そう思っていたのだが、読み進めているうちに、その予想は大きく裏切られた。

「教養主義」の「教養」ではないのである! 「教養主義」の担い手であった、都市中間層とは「ハビトゥス」がまったく違うのである。

都市生活者で中流以上の「教養」とは縁のない、地方の一般庶民の家庭に育ったことが語られる。

渡部氏は、山形県の鶴岡出身である。鶴岡というと高山樗牛や石原莞爾などを排出したことで知られているが、庄内地方の旧士族が形成した知的風土について語られるものの、渡部氏自身はそういった世界とは縁のないところで生きてきたことがわかる。

といっても、地方出身だがいわゆる上昇志向とも違う。田中角栄的なルサンチマンが出発点にあった、激しい上昇志向をともなった野心ではない。
  
渡部氏の「教養」は、そうは言ってないが、むしろ「雑学」に近いものといっていいのではないか。渡部氏自身は "general enlightenment"(=一般的啓蒙)という表現をつかっている。

戦前の「キング」など、講談社系の「面白くてためになる」総合雑誌文化で育ったことを強調している。当時の一般庶民の「教養」は、基本的に「修養」であり、それに幅広い一般知識が供給されたことが「啓蒙」となったのである。知識レベルが底上げされたわけである。

英語の enligtenment の文字通りの意味は、 enligten すること、つまり「光をあてる」ことであり、その原義が発展して「啓発する」という意味になった。つまり、暗闇を明るくするということであり、それを知性にあてはめると、知識を得て賢くするということになる。あるいは「悟り」という意味もある。

渡部氏が、「セルフ・ヘルプ」系の「通俗道徳」の重要性を説いていること、そうでありながら努力だけではだめで、運をつかむことが重要だという認識を示していることは大事なことだ。

大いに共感するのは、間違ってもそれらを指して "liberal arts"( =リベラルアーツ)などとは口にしない潔さである。いや知的誠実性というべきか。

「旧制高校」から「新制高校」への過渡期の人なので、教養主義的な「教養」ではないのだ。だからこそ、『知的生活の方法』がよく売れたのだろう、と『渡部昇一 青春の読書』を読んでいて大いに納得した。

『渡部昇一 青春の読書』には、渡部氏が苦学した「青春時代」に読んできて、人生の糧になった本がたくさん紹介されているが、なかでもアレクシス・カレルの『人間 この未知なるもの』はぜひ読みたいという気にさせられた。
 
ノーベル医学賞を受賞しているアレクシス・カレルだが、「ルルドの奇跡」を目の当たりにした自然科学者による『ルルドへの旅』は、ずいぶん昔に読んで大いに感心したことを覚えているが、大いに物議をかもしたらしい『人間』は読んだことがないからだ。

このほか、敗戦後の上智大学という、ある意味では特異な環境で知的形成した渡部昇一氏について、多くを知ることができた。カレルとともにパスカルの『パンセ』が愛読書だったというのも興味深い。カトリックだから上智にいったのではなく、上智にいったからカトリックになったのであった。

その他、取り上げるべきことは多々あるが、「ほんとうの教養」とはなにかを考えるうえでも、読んで損のない本だといっていいかもしれない。内発的な好奇心や、外発的な出来事にどう対応するかが大事なのだ。


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2015年3月3日火曜日

書評『昭和天皇のゴルフ ― 昭和史を解く意外な鍵』(田代靖尚、主婦の友社、2012)―「戦前」の昭和史と日本ゴルフ史との交錯点を昭和天皇に見る

(1922年に英国皇太子とプレイする摂政宮時代の昭和天皇)


かつて日本のビジネス界では「ゴルフをやらざれば人にあらず」というような「空気」が支配していたが、バブル崩壊後の「失われた20年」のおかげで、そういう空気が完全に消えてなくなった。

幸いなことに、駅のプラットフォームで折りたたんだ傘で素振りをする中年サラリーマン(・・危ない!)の姿も見ることも、いまやほとんどない。

いわゆる「バブル時代」には、わたしもビジネスマンのはしくれとして人並みにゴルフをやっていたのであるが、すっぱりとゴルフをやめてからすでに久しい。アメリカにいた頃も、タイにいた頃も、ゴルフへの誘いをのらりくらりとかわし続けたのは、わたしのなかにある「ゴルフ=バブル時代」という悪しき連想のゆえである。

ところが、「大衆化」する以前のゴルフはそうではなかったのである。まさに英国生まれの紳士のスポーツとして認知されていたのであり、プレイヤーは上流階級や産業人に限られていたようだ。

そんななかでも筆頭にくるのが昭和天皇(1901~1989)であったのである。『昭和天皇のゴルフ ー 昭和史を解く意外な鍵』(田代靖尚、主婦の友社、2012)は、昭和天皇とゴルフという、一般的にはあまり連想のない組み合わせを軸に「戦前」の昭和史を描いたものだ。昭和史×日本ゴルフ史といった内容である。

少年時代はカラダの弱かった昭和天皇は、皇太子時代に健康増強のためにすすめられたゴルフにすっかりはまってしまう。のちに結婚することになる良子皇后もテニスなどスポーツ好きで、なんと両陛下でゴルフをされることもあったという。皇居内にはゴルフコースも存在したのである。

ゴルフというと英国という連想があるが、本書によれば日本におけるゴルフはアメリカから入ってきたのであるらしい。アメリカとのビジネス上の関係の深い産業人たちが、社交として始めたものであったようだ。

もちろん日英同盟の存在は皇室外交によっても支えられていたわけであり、皇室と英国王室とはゴルフによっても結ばれていたのである。若き日の皇太子時代、外遊で英国を訪問してすっかり英国びいきになった昭和天皇にとっては、ゴルフもまたその重要なアイテムであったのであろう。本書のカバー写真(上掲)は、1922年に来日した英国皇太子とプレイする21歳当時の昭和天皇である。

「戦前」の昭和史は激動の時代である。悪化する政治経済情勢のなか、富裕層の遊びとみなされていたゴルフには厳しい目が注がれるようになってくる。これは左翼からだけでなく、右翼からもそうであった。だが、本書によれば1936年(昭和11年)の二・二六事件のあとも、昭和天皇はゴルフをやっていたらしい。緊張を迫られるなか、ストレス発散が必要だったことはおおいに理解できる。

最終的にゴルフをやめたのは1939年(昭和14年)のことだったと著者はいう。38歳の時である。この頃からゴルフよりも生物学研究に割く時間が増えていったようだ。「戦後」の昭和天皇のイメージが生物学者として存在するのはそのためだ。皇居内に設置されたゴルフコースの手入れをやめさせ、草木が生えるままにされたというエピソードを知っている人も少なくないだろう。

「戦前」のゴルフ、「戦後」の生物学研究。昭和天皇のイメージは、戦前と戦後と大きく異なるのである。

本書は、昭和天皇の皇太子時代からのゴルフとのかかわりを時系列で描いた考証ものであり、日本ゴルフ史という視点から描いた昭和史でもある。かつて皇居内に設置されていたゴルフコースの著者による再現図も興味深い。


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目 次

はじめに
1番ホール 昭和天皇は「日本のゴルフ」の草分け!
2番ホール 東京大正博覧会と東京ゴルフ倶楽部の設立
3番ホール 皇太子裕仁のヨーロッパ外遊と海外初ラウンド
4番ホール 日英同盟の終結とギリシャ vs トルコの戦い
5番ホール ゴルフ好きになった帰朝後の皇太子
6番ホール 日英両皇太子による世紀のゴルフマッチ
7番ホール ゴルフに熱中する摂政宮を襲う試練続々
8番ホール 「夫婦でゴルフ」、新宿御苑で良子妃にゴルフ伝授!
9番ホール 赤坂離宮の6ホール、那須御用邸の9ホール、皇居吹上御苑の9ホール
10番ホール 天皇と皇后が主宰する宮中ゴルフコンペ
11番ホール ウォルター・ヘーゲン来日の不思議、天覧ゴルフの謎
12番ホール 昭和天皇がゴルフを満洲事変後にやめたという説の真偽
13番ホール 球聖ボビー・ジョーンズに勝った宮本留吉プロ、英国皇太子とプレー
14番ホール 五・一五事件から二・二六事件までの天皇のゴルフ
15番ホール 英国エドワード八世、「王冠を賭けた恋」とゴルフ
16番ホール 盧溝橋事件から第二次世界大戦へ。そして天皇、ゴルフ封印
17番ホール ベーブ・ルース、サラゼンと一緒にゴルフ外交した米国グルー大使
最終ホール 終戦、平和。天皇は再びクラブを握ったのであろうか
あとがきにかえて
引用文献・参考文献


著者プロフィール

田代靖尚(たしろ・やすひさ)
1944年(昭和19年)4月5日、中国山東省青島生。東京大学文学部社会学科卒業。広告代理店の営業部長を務めた後、総合研究開発機構(NIRA)総括主幹兼「政策研究」編集長。文筆業に転職。「週刊SPA! 」、「サンデー毎日」、「夕刊フジ」にゴルフ・スポーツ・語源について連載。『アマの悩みはアマに訊け! 』(扶桑社)、『スポーツ語源クイズ55』(講談社)、『知的シングルになるためのゴルフ語源辞典』(日本経済新聞出版社)などの著書多数。現在、東京大学文学部研究生として、日本近・現代史の他、万葉集・古事記のゼミにも参加している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

ゴルフはなぜここまで凋落してしまったのか 半減した市場、「6000億円」増提言の現実味(東洋経済オンライン、2015年3月8日)
・・スポーツ市場全体が縮小傾向にあるなか、ゴルフ人口もまた縮小


<ブログ内関連記事>

「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・昭和天皇は1929年(昭和4年)に紀州に行幸した際、おなじ粘菌学者として南方熊楠のご進講を受けている

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る
・・日本のビジネス界にとって最大の貿易パートナーは米国であった

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・英国仕込みの国際ビジネスマンであった白洲次郎には Play Fast という名言的モットーもあった。のろのろとプレイしていた田中角栄を叱ったというエピソードが伝えられている

(2015年6月18日 情報追加)


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2014年8月26日火曜日

「実るほど こうべを垂れる ヒマワリかな」― ヒマワリの原産地は北米だった!



ことしも8月が終わりに近づいてきた。ことしの8月は全国各地で季節はずれの台風や豪雨の被害があいついでいるが、その一方で、「年々歳々、花相(あい)似たり。歳々年々、人同じからず」でもある。

この時期になると、ヒマワリの花も盛りを過ぎて、タネがぎっしり詰まったヒマワリは、ガクンと頭(こうべ)を垂れている。


実るほど 頭(こうべ)を垂れる ヒマワリかな


おそらく多くの人が、花の盛りを過ぎたヒマワリをみて、ふとクチにしてみたくなるのではないだろうか。ヒマワリは夏の季語なので、俳句の要件は満たしている。字余りだが(笑)

だが、オリジナルはこれだ。


実ほど 頭(こうべ)を垂れる 稲穂かな


この17文字は誰の作かは知らないが、まさにその通りとしかいいようがない。

文字通りの意味は、収穫の秋が近づいた稲穂は米粒がギッシリと詰まって重そうである。まるで人間が頭を垂れているように、ということになる。転じて、偉い人ほど謙虚であるということを意味した表現として引用されることも多い。

英語にも、The more noble, the more humble.(偉い人ほど偉ぶらない)という対句表現で韻を踏んだ慣用句がある。洋の東西を問わず、ホンモノはみなそうだ、ということだろう。


話題にしたいのは、稲穂ではない。ヒマワリである。

ヒマワリは、お日様に向かって花が回るという意味から「日回り」と名付けられたようだ。漢字で向日葵と書くのはそのためだ。英語ではサンフラワー(sunflower)という。発想は同じである。

ヒマワリというと、まずはイタリア映画の『ひまわり』を想起してしまう。1970年公開の映画だから、もう44年も前の作品だ。マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演。

第二次世界大戦末期、枢軸国のイタリアはソ連戦線への出兵を余儀なくされ、主人公は新婚の妻を残して出征。そしてその後の長い月日ののち・・・という、戦争の悲劇を描いた映画だが、スクリーン一面に拡がるヒマワリ畑のシーンが印象的な映画だ。




イタリア映画『ひまわり』は、欧州の穀倉地帯ウクライナで撮影
されたらしい(・・上記のチラシを参照)。映画を見たのはもうずいぶん昔のことだが、『ひまわり』はソ連というイメージが往年の映画ファンにはできあがっているのではないだろうか。

ヒマワリというと、狂気の天才画家ゴッホの『ひまわり』を想起する。ゴッホはオランダ人である。日本の浮世絵にベタ惚れしていたことは有名だが、ゴッホの『ひまわり』7点のうち1点が、当時50億円超という高額で日本の安田生命保険が落札したときは大きなニュースになった。現在は損保ジャパンとなっているが、東京・新宿の損保ジャパン東郷青児美術館の目玉となっている特別展示品である。


(損保ジャパン東郷青児美術館所蔵の「ひまわり」 wikipediaより)


日本とのからみでいうと、美輪明宏が絶賛しているデザイナーの中原淳一は、『それいゆ』や『ひまわり』といった少女向けのスタイルブックを出していた人として有名だ。中原淳一については、「生誕100周年記念 中原淳一展」(横浜そごう)にいってきた(2013年6月15日)-「装う、暮らす、生きる。すべてに "美" を求めた芸術家」に書いているのでご参照いただきたい。中原淳一作品を販売するショップは、「ひまわり屋」という。




ファッションといえば、奇抜なファッションで人の目を驚かせていた世紀末英国の耽美主義の作家オスカー・ワイルドは、スーツの襟にヒマワリの花を挿して社交界に出入りしていたという。ワイルドもまた日本美術だけでなく日本に惚れこんでいた人だが、残念ながら一度も来日することなく世を去った。


(英国の雑誌『パンチ』に掲載されたワイルドの風刺画 wikipediaより)


ファッションからいきなり話題を転じるが、ヒマワリはそもそも鑑賞用として栽培されているわけではない。タネを取るために栽培されているのである。ある意味では穀物のたぐいである。

ヒマワリのタネは、日本ではもっぱらオウムの餌とされているが、中国人のスナックでもある。彼らは、ナマのままヒマワリのタネをかじっている。ヒマワリのタネには油分が多く、ナッツでもあるわけだ。ヒマワリ油(Sunflower Oil)はコレステロール増加防止としててんぷら油として使用されているので、日本人にもなじみ深い。


(ヒマワリのタネ wikipedia ロシア語版より)


以上、旧ソ連のウクライナ、オランダ、日本、中国と、ヒマワリ関連の話題を見てきたが、原産地はぞのいずれでもないのである。

原産地はなんと北米である。高さは3メートルにもなるらしい。花をみればわかるようにキク科の植物である。wikipedia日本語版には以下の記述がある。


ヒマワリの原産地は北アメリカ大陸西部であると考えられている。既に紀元前からインディアンの食用作物として重要な位置を占めていた。1510年、スペイン人がヒマワリの種を持ち帰り、マドリード植物園で栽培を開始した。マドリード植物園はダリアやコスモスが最初に栽培されたことでも有名である。ヒマワリがスペイン国外に持ち出されるまで100年近くを要し、ようやく17世紀に至りフランス、次にロシアに伝わった。ロシアに到達してはじめて、その種子に大きな価値が認められた。正教会は大斎の40日間は食物品目の制限による斎(ものいみ)を行う。19世紀の初期にはほとんど全ての油脂食品が禁止食品のリストに載っていた。しかしヒマワリは教会の法学者に知られていなかったのか、そのリストにはなかったのである。こうした事情から、正教徒の多いロシア人たちは教会法と矛盾なく食用可能なヒマワリ種子を常食としたのであった。そして、19世紀半ばには民衆に普及し、ロシアが食用ヒマワリ生産の世界の先進国となったのであった。日本には17世紀に伝来している。


なるほど、北米 ⇒ スペイン ⇒ フランス ⇒ ロシアというルートで広まったのであったか! なるほど、これでロシアないしはウクライナがヒマワリの一大栽培地帯になっている理由がよく理解できるわけだ。

日本にもそんな早い時期に伝来されていたとは知らなかったが、まさに「大航海時代」という第一次グローバリゼーションのなせるわざであったことがわかる。

ナスやトマトが南米アンデス原産であることは、比較的よく知られていると思うが、ヒマワリは北米原産だったのだ。いずれもヨーロッパ経由の右回りで極東の日本までやってきたことになる。

そんなことを考えながらヒマワリを見ると、なんだか不思議な感じもするのは、わたしだけではないだろう。

そしてまた冒頭の一句をクチにしてみる。

実るほど 頭(こうべ)を垂れる ヒマワリかな

字余りでしタネ。





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書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物
・・「人間は逆立ちした植物だ」(プラトン)と「植物は逆立ちした人間だ」(アリストテレス)という命題、とくにあてはまるのがヒマワリであるような気もする


(2026年7月14日 情報追加)


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2014年8月9日土曜日

『西洋事物起原 全4巻』(ヨハン・ベックマン、特許庁技術史研究会訳、岩波文庫、1999~2000)は、暇つぶしにパラパラとやると雑学に強くなれる本



暇つぶしにパラパラとやると雑学に強くなれます。読み終わって忘れても一向に差し支えなし。

西洋の技術と発明品について、製品というハードだけでなく、制度などソフトの起源について、まあよく調べたものだと感心されるくらい調べに調べ尽くした読み物です。しかしそれにしても、よくこれだけ多岐にきに渡る項目を、しかも一人で(!)調べ尽くしたものだと感嘆します。

著者のヨハン・ベックマン(Johann Beckmann  1739~1811)は、18世紀ドイツの人。同時代のフランスに啓蒙思想家のディドロやダランベールによる『百科全書』(1751~1772)があります。実用知識とその起源についての関心が当時は高くなっていたことがうかがわれます。

特許庁技術史研究会訳の総力をあげての翻訳ですが、翻訳がいかに大変だったかは容易に想像されます。全4巻ですが、これでも抄訳版なのだとか。


最初から最後まで一気に読むべき本ではありません。必要なときに、あるいは気が向いたときにパラパラ読んでみる。そういう読み方がベストだといってよいでしょう。

目次をご覧になっていただけばわかると思いますが、項目の配列のロジックがよくわかりません(笑) 合理的思考の持ち主とはいえ、やはり「雑学」系なのか・・・。だからこそ、第4巻の「総索引」が必要なわけです。

まずは手元に全4冊揃えておきましょう。


(初出情報 2001年3月28日 bk1に投稿掲載したものに大幅加筆)





<参考>

春山行夫氏の『西洋雑学案内』(平凡社カラー新書、1976)は、現在は絶版だが豊富なカラー写真とうんちくは、読んでじつに楽しい「雑学」の本。こういうアマチュアリズムの全面的発揮は、ドイツ的というよりも英国的といってもいいかもしれない



石井研堂の『明治事物起原』(ちくま学芸文庫、1997 原著出版 1908)も、百科全書として日本では先駆的なものだろう。これまたベックマンの『西洋事物起原』と同様、項目の配列のロジックがよくわからないのだが・・・。『明治事物起源』は、国会図書館の「近代デジタルライブラリー」で見ることができる。



<詳細目次>

『西洋事物起原』全4巻(ベックマン、特許庁内技術史研究会訳、岩波文庫、1999~2000 単行本初版 ダイヤモンド社、1980~1982)

目 次

文庫版第1巻
訳者序文
凡例
英訳版第四版序文
英訳版訳者序文
原著第二版について
原著初版序文
ベックマンの憶い出

イタリア式簿記
行程計
楽譜の書取り機
水銀による金・銀鉱石の精錬-アマルガムによる金メッキ
金メッキまたは乾式メッキ
金色ワニス
街路照明
図書の排他特権
図書の検閲
カレンダー
カレンダー(つづき)
リボン織機
大時計と携帯時計
大時計と携帯時計(つづき)
ブドウ酒の混ぜもの
保険
チューリップ
電気石(トルマリン)
秘毒
図書目録
木製ふいご
磁気治療
リトマス苔
野営用製粉機
銃 ・激発装置
ルビー・ガラス
馬車
水時計(クレプシドラ)
パイナップル
あぶり出し(陰顕)インク
拡声器
封蝋
つり鐘型潜水器
カナリア
穀物製粉機
緑青またはスペイン緑

文庫版第2巻
サフラン
明礬(みょうばん)
鷹狩り
泥炭
チョウセンアザミ
雷金
製材機
印紙
人造真珠
街路の舗装と清掃
自然物の収集
煙突
ハンガリー水
コルク
薬種商
ソバ
検疫
壁紙
ケルメスとコチニール
筆記用ペ ン
伸線
鞍
あぶみ
蹄鉄
いかだ
群青(ウルトラマリン)
コバルト、呉須(ごす)、花紺青(はなこんじょう)
レース
七面鳥
バター
庭の花

文庫版第3巻
金融業
金属の化学的名称
亜鉛
鯉
発明の歴史に関する文献
鏡
ガラスのカッティングとエッチング
石鹸(せっけん)
茜(西洋あかね)
手品師、綱渡り芸人、機械人形など
夜警
人造氷、酒の冷却
植物スケルトン、葉脈標本
液体比重計
為替手形
錫(すず)、錫メッキ
播種機
マンガン
ルパート王子の涙
消防ポンプ
藍(あい)
風見
金着せ

文庫版第4巻
毛皮の衣服
鋼(はがね)
砕鉱機
野菜
網と靴下の編成、靴下編機
ホップ
黒鉛(鉛筆)
サルアンモニアク(塩化アンモン石)
フォーク
富くじ・トンティン氏年金法
ボローニャ石
捨て子院
孤児院
病院、廃兵病院、野戦病院
闘鶏
硝石、火薬、強水
蒸気機関とジェームズ・ワットの諸発見

一般技術学の構想

解説
索引


<参考>

『西洋雑学案内』(春山行夫、平凡社カラー新書、1976)

目 次

本をさがす話

接吻
自転車
植物園
タロー
蝶
ピストル
カクテル
幽霊
スキー
月
入浴
マリオネット
カレンダー
噴水
鍵
物知り


『西洋雑学案内2』(春山行夫、平凡社カラー新書、1976)

目 次

エッセイ

牢獄
勲章
壁紙
ヘアスタイル
ジプシー
西洋いけ花
墓地
メガネ
クリスマス・カード
ベッド
酒場
百貨店
裸体クラブ
テニス
トイレット
白鳥

ガイド





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MENU:ヨハン・ベックマン『西洋事物起原』の翻訳 (富田徹男=翻訳者の一人)





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世の中には「雑学」なんて存在しない!-「雑学」の重要性について逆説的に考えてみる
・・「専門」と「雑学」は相対的な関係にある。わたしの「専門」は、あなたにとっては「雑学」。その逆もまたしかり

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと
・・19世紀英国の思想家J.S.ミルの名言

I am part of all that I have met (Lord Tennyson) と 「われ以外みな師なり」(吉川英治)

書評 『謎のチェス指し人形「ターク」』(トム・スタンデージ、NTT出版、2011)-18世紀後半のオートマトンにコンピュータとロボットの原型をさぐる「知の考古学」
・・ベックマンと同時代の出来事

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・「(ヨーロッパでは)「紳士にとって旋盤を回すことは、婦人にとっての刺繍のようなもので、18世紀の終わりまで趣味として人気を保っていた」(第5章)」ことを同時にアタマのなかにいれておくとよい

ファラデー『ロウソクの科学』の 「クリスマス講演」から150年、子どもが科学精神をもつことの重要性について考えてみる
・・ポピュラーサイエンスという英国の伝統


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