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2015年12月11日金曜日

子安美知子氏の「シュタイナー教育」関連本をまとめて読んで「シュタイナー教育」について考えてみる


ことし2015年の秋のことだが、一ヶ月をかけて子安美知子の「シュタイナー教育」関連本をほぼ出版順に集中的に読んでみた。娘のシュタイナー学校入学から始まる一連の著作である。

著者による観察と体験、聞き取りと対話、文献の学びとの相互作用で、シュタイナー教育とその背景となるシュタイナーの教育思想を知ることができた。そしてまた、20年以上の時間の流れのなかで、一人の人間の内面における認識の深まりと意識の変容を、文字をつうじて追体験し、観察するという興味深い経験をもつこともできた。

子安美知子氏のデビュー作で、かつ現在でも版を重ねているのは、超ロングセラーの『ミュンヘンの小学生-娘が学んだシュタイナー学校-』(中公新書、1975)である。出版からすでに40年、その息の長さには驚かされるばかりだ。

娘の子安文(こやす・ふみ)氏がミュンヘンの「シュタイナー学校」(・・正確には「自由ヴァルドルフ学校」というが、以下通称にしたがって「シュタイナー学校」とする)で過ごした2年間が取り扱われている。

『ミュンヘンの小学生』は、高度成長が終わった1975年に出版されたが、高度成長期に絶頂期を迎えた詰め込み教育のアンチテーゼとして大きな話題になったのだという。

初等教育、とくに小学校段階の教育ほど、親にとって関心のあるものはないだろう。ここ数年の日本では、「詰め込み教育」が批判されて「ゆとり教育」となったものの、さらなる批判によってふたたび詰め込み教育へと逆戻りするなど、初等中等教育は迷走に迷走を重ねている状態だ

『ミュンヘンの小学生』は、著者自身が娘の母親として遭遇した新鮮な驚きが記された、満ちたひじょうに面白い内容の本である。これは読んだ人であれば、誰もがもつ読後感であろう。おそらく、これは2015年現在でも変わらないのではないだろうか。

だが、シュタイナー学校における最初の2年間だけをもってシュタイナー教育がわかったと思い込むのは危険かもしれない。シュタイナー学校の全体像とその背後にあるシュタイナーの教育思想についてある程度の理解がないと、シュタイナー学校を万能薬のように思ってしまう危険があるからだ。まさに A little learning is a dangerous thing(=生兵法は怪我のもと)である。

子安美知子のシュタイナー教育関連本のほぼすべてを2015年という段階で通読してみて、そう思うようになった。

なぜなら、シュタイナー学校はクラス替えのない12年制の一貫教育で(・・くしくも、アメリカの影響で「6-3-3」制をとる日本の学校制度と同じく12年間である)、しかも最初の8年間は、同じ担任が最初から最後まで面倒を見るというきわめて特殊なものであるからだ。日本の学校制度でいえば、小学一年生から中学二年生までの8年間である。

日本の読者を対象とした作品なので、便宜上の手段として小学校、中学校という表現が使用されているが、連続性を考えれば「K-12」という表現を使用したほうがよい。わたしが委員としてかかわっている玉川学園でも、「K-12」あるいは大学まで含めて「K-16」という表現が使用されている。K は、ドイツ語の Kinder (子ども)の略である。

『ミュンヘンの小学生』では、娘の文さんが在学していた「K1」と「K2」 しか扱われていない。その後、日本に帰国中の4年間のインターバルを経て、『ミュンヘンの中学生』では、ふたたびミュンヘンのシュタイナー学校に戻って、「K7」から再開し、区切りとなる「K8」まで在学することになる。

だから、『ミュンヘンの小学生』は『ミュンヘンの中学生』とつづけて読まなくては意味がないのだ。すくなくともこの2冊はあわせて読む必要がある。


子安母娘の著作をつうじてシュタイナー教育を知る

ここで、わたしが今回、通読したタイトルを列挙しておくこととしよう。テーマ的には、シュタイナー学校とシュタイナー教育、その背後にあるシュタイナーの教育思想、そしてシュタイナー思想の体現者である作家ミヒャエル・エンデとなる。

●『ミュンヘンの小学生-娘が学んだシュタイナー学校-』(中公新書、1975)
●『ミュンヘンの中学生-シュタイナー学校の教室から-』(朝日新聞社、1980 朝日文庫 1984)
●『私とシュタイナー教育-いま「学校」が失ったもの-』(学陽書房、1984 朝日文庫 1993)
●『シュタイナー教育を考える』(学陽書房、1983 女性文庫 1996 朝日文庫 199?)
●『魂の発見-シュタイナー教育の芸術教育-』(音楽之友社、1986)
●『エンデと語る-作品・半生・世界観-』(朝日選書、1986)
●『「モモ」を読む-シュタイナーの世界観を地下水として-』(学陽書房、1987 女性文庫 1996 朝日文庫 1991)
●『ミュンヘン行き来-二つの国の娘と私-』(学陽書房、1989 朝日文庫 1995)
●『シュタイナー再発見の旅-娘とのドイツ-』(小学館、1997)

残念なことに、『ミュンヘンの小学生』出版から5年後の1980年に朝日新聞社から出版された『ミュンヘンの中学生』は単行本も、その後、1984年に朝日文庫から文庫化されたものも、現在ではともに新刊本としては入手不能だ。

ということはつまり、『ミュンヘンの中学生』が読まれることなく、『ミュンヘンの小学生』だけが読まれ続けているということを意味している。これはじつに残念なことであるだけでなく、シュタイナー学校に過剰な期待をしてしまう、あるいは一方的に批判するという、極論を許すことになりかねない。

しかも、子安美知子氏のシュタイナー学校とシュタイナー教育、そしてルドルフ・シュタイナーの思想にかんする認識の深まりも知ることができない。また、シュタイナー学校に通い、シュタイナー教育で育った娘の子安文(こやす・ふみ)氏の見解も知ることができない。

母親は娘の通う学校のユニークさを直接ではなく、あくまでも間接的に観察して追体験してはいるが、じっさいの当事者として体験して観察しているわけではない。母と娘のの両者の視点があわさって、はじめて複眼的にみることができるのであるのだが・・・

母娘それぞれが同じテーマを取り上げているものに以下の書籍がある。じっさいに読み比べてみると面白い。

シュタイナー学校関連

●『ミュンヘンの小学生-娘が学んだシュタイナー学校-』(中公新書、1975)
●『ミュンヘンの中学生-シュタイナー学校の教室から-』(朝日新聞社?、1980 朝日文庫 1984)

●『私のミュンヘン日記-シュタイナー学校を卒業して-』(中公新書、1986)



シュタイナー学校の芸術、とくに音楽

●『魂の発見-シュタイナー教育の芸術教育-』(音楽之友社、1986)

●『いつもいつも音楽があった-シュタイナー学校の12年-』(音楽之友社、1998)



いずれも新刊書としては入手できないが、読み比べてみることをおすすめしたい。子供と親というものは、似ているようで異なる人格を有する異なる人間なのである。当たり前といえば当たり前なのだが。

同じ内容の体験を、当事者である娘の視点から書かれたものとして読むのは複眼的な思考を養うことにつながる。母親は間接的関与、娘は直接的な関与。体験の質が異なるが、ともに徹底的な観察を行っている点は共通している。


シュタイナー教育について考える

シュタイナー教育について簡単に説明することは、体験者でもなく、教育の専門家でみないわたしには容易ではないが、子安美知子氏の著作で何度も何度も繰り返し強調されており、個人的にきわめて強い印象をもつのは以下の点である。

最大の特徴は「全人教育」という点だろう。すでに触れたことであるが、12年間の教育のうち、最初の8年間の担任が同じ先生であるという点は特筆に価する。

日本では生徒数が極端に少ない過疎地域の学校でもない限り、なかなか実現しない理想的な環境だ。一人の担任教師が全科目を担当することによって、6歳から14歳までの真の意味での「全人教育」が可能となるのである。おそらく日本以外の先進国でも同様だろう。

「8年間担任制」においては、生徒は担任の先生に全面的信頼を寄せる。担任教師は、生徒にとっては権威として存在するのである。生徒の自我が成長して、いずれ反抗期が来るわけだが、反抗期には担任教師は反抗の対象となる。担任教師はこれらすべてを引き受けなくてはならないので、じつに責任重大で精神的負担の重い仕事である。よほど使命感とプロ意識がないとできない仕事である。しかも8年間がインターバルなので、教師としてのキャリアのなかで3~4回しか体験できない。

シュタイナー教育においては「7年」が一単位となっている。「人間は7年ごとに生まれ変わる」というルドルフ・シュタイナーの思想がその背景にある。

「人間は7年ごとに生まれ変わる」ということは、0歳・7歳・14歳・21歳・28歳・35歳・42歳・49歳・56歳・63歳・70歳・77歳・・・という節目ごとに人間は変わるということを意味している。幼児期から7歳まで、そして 7歳から 21歳までの教育期間の重要性はいうまでもない。もちろん個人差があるので、すべて7の倍数の年になるとはいえないが、だいたいの目安として捉えたらいいのではないだろうか。心理学の「ミラーの法則」にあるように、人間にとって7という数字のもつ意味は大きい。 

「7年目という節目の年」は、次のステージにいくための過渡期の難しさがある。

乳歯から永久歯に生え変わるのが「7歳」前後であり、その次にくるのが「14歳」前後である。とりわけこの時期を生き抜くのは思った以上に困難なものがある。前近代社会においては、日本の元服など、大人になるためにの「通過儀礼」によって、子ども時代を象徴的に殺し大人として「再生」させていたことからもそれはわかる。次の状況への移行期(=トランジション)というものは、つねに不安定な時期なのである。

「7年ごとの変化」については、シュタイナー自身はさらに詳細な説明を行っているのだが、ここでは省略する。要は、7年ごとに意識変容と人間的成長が見られるということだ。内発性を最重視し、内側から外側へ、外側から内側へという往復運動をらせん状に繰り返していくことで人間は成長していくという人間観。いやシュタイナー的には「渦巻き」的というべきか。「急がば回れ」(festina lente:ゆっくり急げ)ということに尽きるだろう。

知能指数の高い子どもにおいては、ときに感情面が欠如したままのケースもある。これは日本も含めた先進国では大きな問題となっているが、日本語の表現にもある「知情意」では間違えてしまうのだ。「知・情・意」の順番ではなく、「意・情・知」の順番で成長していくのがシュタイナー流の理想なのである。

魂の成長を促すために、シュタイナー学校では芸術、とくに音楽が重視される。音楽学校と間違えるほど、いつも音楽がある。音楽が魂の成長と密接な関係があることは、古代ギリシアのプラトンやピュタゴラスなどを想起すべきであろう。音楽はリベラルアーツの要(かなめ)的存在なのである。

以上、ごく簡単にわたしの理解するシュタイナー教育についてまとめてみたが、子安美知子氏のように、シュタイナー教育への主体的な関心からシュタイナー思想へアクセスしていく流れはナチュラルなことではないかと思うのだ。

実践の背景には、かならずそれを支える思想がある。その思想が明示的に示されていなくても、かならず思想的背景はあるのだ。実学もまた同様である。だが、残念なことに実践や実学の背景にある思想にまで関心を寄せる人が少ないのが現実であるが・・・。

いずれにせよ、山の登り口はさまざまあるが、目指すべき、到達すべき頂上はひとつである、そういう言い方も可能かもしれない。


■「教育」をてがかりにシュタイナー思想に接近する

世界に拡がるシュタイナー教育だが、教育の世界ではメインストリームとは言いがたいのは、あまりにも手間がかかるためだろう。手間がかかるということはコストだけでなく、教員養成のための時間もかかるということだ。

だが、メインストリームではないからこそ、アンチテーゼとしての魅力を持ち続けているというべきかもしれない。

ある意味ではペスタロッチに始まるロマン派的傾向の教育思想とその実践であるが、シュタイナーの遺産のなかではもっとも成功したのが教育だといっていいだろう。

人間がかかわるほぼすべての領域について膨大な足跡を残したシュタイナーだが、教育以外の分野ではどうだろうか?


ロマン派思考は個人レベルではよいのだが、集団レベルや組織レベルになるとどうもうまく機能しない傾向があるように思われる。子安美知子氏が翻訳した『シュタイナーの学校・銀行・病院・農場-アントロポゾフィーとは何か?-』(ペーター・ブリュッゲ、子安美知子/クリストリープ・ヨープスト訳、学陽書房、1986)を読んでみての感想だ。

教育はもっとも成功した分野だ。教育とともに農場も成功しているといえよう。エコロジー思想とのからみにおいて。病院はオルタナティブ療法の開発を行っている。

だが、この本を読む限り、銀行については理想は理解できなくもないが、実践面では実現可能性は低いと思わざるを得ない。経済にかんしてはあくまでもオルタナティブにとどまっているというのが、わたしの評価である。試みとしてはすばらしいものがあったとしても、現実的なレベルからは程遠いという意味においてだ。

30年前にドイツのジャーナリストが書いた本だが、現在でもそう大きく変わっていないのではないだろうか。

とはいえ、シュタイナー教育について知ることは、現代ドイツの理解にも大いに役立つことだ。本拠地のドイツでは、シュタイナー学校卒業生はまだまだ少数派であるとはいえ、その存在感の大きさはわれわれが想像する以上のものがあるようだ。

日本人には人気のあるミヒャエル・エンデを理解するためにも、シュタイナー教育については知っておいたほうがいい。エンデ自身がシュタイナー学校の卒業生であるだけでなく、熱心なアントロポゾーフ(=人智学信奉者=シュタイナー主義者)であった父親の影響だけでなく、本人がシュタイナーの著作を熱心に読み込んで、無意識のうちに作品世界にその思想が反映しているからである。

その意味では、シュタイナー教育そのものを扱った本ではないが、今回あわせて読んだ 子安美知子氏の『エンデと語る-作品・半生・世界観-』(朝日選書、1996)はじつに興味深い内容の本であった。ぜひこの本も読んでみたらいいだろう。

評論家の小林秀雄が「全集は丸ごとぜんぶ読め」とすすめていたことを、ずいぶん昔のことだが読んだ記憶がある。一人の著者による、同じテーマにかんする本を時系列にしたがってまとめて読んでみるという体験によって、小林秀雄の発言の意味の一端がわかったような気がしている。


PS 子安美知子氏が2017年7月2日にお亡くなりになった。享年81歳。ご冥福をお祈りいたします。(2017年7月5日 記す)

娘が通ったシュタイナー学校を紹介・ドイツ文学者 子安美知子さんをしのんで (なかのかおり=ジャーナリスト、ハフィングポスト日本版、2017年7月26日)

(2017年7月27日 情報追加)






<関連記事>

シュタイナー教育と子安美知子(マキペディア 発行人・牧野紀之、2013年12月2日)
・・「氏の諸著を読んでいて一番不思議に思うことは、シュタイナー学校を知ったことで氏のドイツ語の授業がどう変わったのかが全然書かれていないことである。(・・中略・・)シュタイナーを知ったことで氏の授業がどう変わったのか、私はそれが一番知りたいし、それこそ本当のシュタイナー研究ではなかろうか。この子安氏の欠点は、しかし、日本の学者の思想研究に共通した欠点である。外国の、あるいは欧米の思想を紹介するだけで、それによって自分の生き方がどう変わったかを問題にしないのである。」 シュタイナー思想およびシュタイナー教育を好意的に評価したうえでの批判

(2017年7月5日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

シュタイナー関連

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる


シュタイナー思想の影響を受けた作家ミヒャエル・エンデ

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)

『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと-時間・お金・ファンタジー-』(池内 紀・子安美知子・小林エリカほか、新潮社、2013)は、いったん手に取るとついつい読みふけってしまうエンデ入門

ミヒャエル・エンデの『モモ』-現代人はプロテスタント的な「近代的時間」から逃れることはできないのか?


内発性を重視した教育学

「人間の本質は学びにある」-モンテッソーリ教育について考えてみる
・・イタリア発の教育学

ペスタロッチは52歳で「教育」という天命に目覚めた
・・シュタイナーへの流れの開始点にあたる存在

『モチベーション3.0』(ダニエル・ピンク、大前研一訳、講談社、2010) は、「やる気=ドライブ」に着目した、「内発的動機付け」に基づく、21世紀の先進国型モチベーションのあり方を探求する本
・・内発性の動機を重視する流れが主流へと向かいつつある

書評 『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる-21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育-』(菅野恵理子、アルテス、2015)-音楽は「実学」であり、かつ「教養」でもある


ゲーテ関連

ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する
・・ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスター』

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩
・・ゲーテの『西東詩集』


ミュンヘン関連

「カンディンスキーと青騎士」展(三菱一号館美術館) にいってきた
・・ミュンヘンのレンバッハ邸美術館について





(2017年5月18日発売の拙著です)



(2012年7月3日発売の拙著です)











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