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2019年2月27日水曜日

なぜ北朝鮮のキム・ジョンウン氏は、列車でピョンヤンから中越国境を越えてそのままベトナムに入ることができるのか?-鉄道のゲージに注目せよ !

(BBC日本語版 2019年2月27日よりキャプチャ)

北朝鮮の指導者であった先代のキム・ジョンイル(=金正日)氏が、ピョンヤンからシベリア鉄道でモスクワまで往復したことを記憶している人も少なくないと思う。2000年代の初めのことだ。 

三代目のキム・ジョンウン氏が、今回の米朝会談のためにベトナムの首都ハノイに本日(2019年2月26日)、列車でピョンヤンから直行したことで、先代の事例を想起した人も少なくないと思う。

 なぜキム・ジョンウン氏は、列車でピョンヤンからそのままベトナムに入れることができるのか? 

その秘密はゲージにある。ゲージ(gauge)とは、レールとレールのあいだの幅のことだ。

北朝鮮の列車は、そのまま中国のレールを走ることができる。中国も北朝鮮も「標準軌」(1,435mm)(*)だからだ。 だが、ベトナムのゲージは「狭軌」(1,000mm)である。常識的に考えれば、中越国境で列車を降車し、乗り換える必要に迫られると考えるのが普通だろう。 

(*)PSを参照



(FNN 2019年2月18日 よりキャプチャ)

だが、今回のハノイ行では、専用列車はそのままピョンヤンから来て、ベトナムに入境している。つまり、中越国境近辺はゲージが同一だということだ。

そうでなければ、列車はそのままでも、台車を交換する必要がある。中ロ国境(満洲里/ザバイカルスク)にはその設備がある。 ちなみにロシアは「広軌」(1,520mm)なので、中国からロシアにはそのままで抜けることはできない

実を言うと、ベトナム北部の中越国境付近では、レールは秋田新幹線方式で3本敷かれているのだ。いわゆる「三線軌条」である。3本レールなので、「狭軌」のベトナム鉄道と「標準軌」の中国鉄道がおなじ線路を走ることができるわけだ。 


(中越国境付近のランソンにて「三線軌条」 筆者撮影)

写真は、キム・ジョンウン氏に先を越して、わたしが何年も前に陸路で国境を越えて中越国境付近のランソンにいった際に撮影したもの。今回のベトナム入りの映像をよくご覧になっていただくとわかると思うが、中越国境ランソン省のドンダン駅では「三線軌条」になっている。 

ベトナム戦争後の中越戦争(1979年)では、中国人民解放軍がベトナムに攻め込んだが、撃退されている。ところが、平時には二国間貿易が盛んである。ベトナムの中国の関係は、なかなかしたたかなものがあるのだ。「三線軌条」のままであるのはそのためだ。 

キム・ジョンウン氏一行は、ドンダン駅からは専用車でハノイに入った。 


PS ロシアは「広軌」、中国と北朝鮮は「標準軌」、ベトナムは「狭軌」

読者からご指摘があり、厳密にいえば、中国と北朝鮮は「広軌」ではなく「標準軌」でした。ご指摘に従って、本文を修正いたしました。この場を借りてお礼申し上げます。(2019年3月7日)







<関連サイト>

ハノイ米朝会談、なぜ金正恩は何千キロもの「鉄道旅」を選んだ?(Newsweek日本版 2019年2月28日)
・・「金委員長がベトナム入りした際の機関車は赤と黄色の「東風4型」で、23日に北朝鮮から中国に入った際に使用されていた11Z型よりも旧式(・・中略・・)金委員長の特別列車は武装されているとされる・・」

金正恩「ベトナム行き列車」 スナイパー同乗でカラオケ完備 (2019年3月3日 NEWSポストセブン)
・・いわゆる「装甲列車」である

(2019年3月4日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

「湯島聖堂」に久々に立ち寄ってみた(2019年1月3日)-だが日本は明治時代になるまで「科挙」の影響を受けていないのである
・・ベトナムも朝鮮も中国文明の影響圏にあり、ともに儒教にもとづく科挙を実施していた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・ベトナムと朝鮮をともに視野に入れることで、おなじ中華文明圏にあったとはいえ、日本の独自性が明らかになる






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2019年2月26日火曜日

JBPress連載コラム第46回目は、「知られざる戦争「シベリア出兵」の凄惨な真実 「失敗の本質」の原点がそこにある」(2019年2月26日)


JBPress連載コラム第46回目は、知られざる戦争「シベリア出兵」の凄惨な真実 「失敗の本質」の原点がそこにある(2019年2月26日) ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55568


いまだに解決しない北方領土問題。この問題がボトルネックとなり、日本とロシアの間では平和条約も締結されず、国境線の最終画定も終わっていない。 

日ロ関係を理解するためには、まずは戦前の約70年間について振り返ってみておくことが重要だろう。それは「熱戦」の時代であった。 

日ロ間で戦われた4つの戦争とは、「日露戦争」(1904~1905)、「シベリア出兵」(1918~1925)、「ノモンハン事件」(1939年)、第2次世界大戦末期の日ソ戦(1945年)である。 


(シベリア出兵は最初は多国籍軍だった Wikipediaより)

今回はその中から、多大な戦費と戦死者数を出したにもかかわらず、現在の日本ではいまだに“知られざる戦争”となっている「シベリア出兵」について重点的に取り上げたい。 


(ウラジオストクを後進する米国軍 Wikipedia)

前回のコラム記事(「高級チョコを日本に広めたロシア人が受けた仕打ち」 で、白系ロシア人のモロゾフ一家が難民として日本に移住することになった背景がこの戦争の時代であった。 

つづきは本文にて  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55568









<ブログ内関連記事>

バレンタイン・デーに本の贈り物 『大正十五年のバレンタイン-日本でチョコレートをつくった V.F.モロゾフ物語-』(川又一英、PHP、1984)

JBPress連載コラム第22回目は、「日本は専制国家に戻るロシアを追い詰めてはいけない-「東洋的専制国家」の中国とロシア、その共通点と相違点」(2018年3月27日)

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

マンガ 『はいからさんが通る』(大和和紀、講談社、1975~1977年)を一気読み

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・

飛んでウラジオストク!-成田とウラジオストクの直行便が2014年7月31日に開設

(2019年3月1日 情報追加)




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2019年2月12日火曜日

JBPress連載コラム第45回目は、「高級チョコを日本に広めたロシア人が受けた仕打ち-亡命先の神戸で洋菓子店を開いたモロゾフ一家」(2019年2月12日)


JBPress連載コラム第45回目は、「高級チョコを日本に広めたロシア人が受けた仕打ち-亡命先の神戸で洋菓子店を開いたモロゾフ一家」(2019年2月12日)  ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55430

「バレンタインデー」の季節である。あさって2月14日の「バレンタインデー」を前にして、日本中どこでもチョコレート商戦が活発だ。

日本人の多くは「バレンタインデー」がいつ日本で始まったかについては、あまり関心がないかもしれない。もはや「伝統」といっても問題ないくらい定着しているからだ。

今回は、そもそも高級チョコレートが日本で定着することになった時点から歴史をふりかえってみたい。その主人公となるのは、今から約100年前のロシア革命による混乱から逃れて、亡命先の神戸で洋菓子店を開き、日本人に本場のチョコレートを紹介したモロゾフ一家である。

つづきは本文で http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55430

次回の公開は、2019年2月26日です。お楽しみに。








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JBPress連載コラム第34回目は、「日本に住みつき「技術」を伝えたドイツ人捕虜たち 戦場は中国・青島、第1次世界大戦で戦った日本とドイツ」(2018年9月11日)

「ソーセージ&ビール フェスティバル」(JR津田沼駅前)に参加してみた-ストーリーで町おこし

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