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2010年4月17日土曜日

書評『知の巨人ドラッカー自伝』(ピーター・F.ドラッカー、牧野 洋訳・解説、日経ビジネス人文庫、2009 単行本初版 2005)ー ドラッカー自身による「メイキング・オブ・知の巨人ドラッカー」





「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジンスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい


 最近ふたたびドラッカー・ブームになっている。

 「ドラッカー経営学」をもっとも熱心に学んで受け入れ、高度成長を実現したのが日本企業であったことから、この流れが続いていくことはたいへん結構なことである。今後も長く影響を及ぼしていくことだろう。

 日本人が理解してきたドラッカー、日本人が誤解しているドラッカー、この両面を知るうえでも、まずこの『知の巨人ドラッカー自伝』をよむのがよい。

 本書はドラッカー(1909-2005)唯一の自伝とうたわれているが、正確にいうと少しだけ違う。訳者解説でも触れられているように、ドラッカーには欧州から米国に移住した時代までの前半生を題材にした『傍観者の時代』という、実に面白い本があるのだ。

 しかし、生誕から晩年にいたるまでのライフヒストリーを簡潔に語ってまとめられたのは本書だけだろう。何といってもビジネスパーソンにとっては、「マネジメント」という概念を発明した米国時代以降が面白い。GMから依頼された巨大企業組織の徹底調査から、「マネジメント」という概念が誕生したのである。

 本書の記述はあまりにも簡潔すぎるのが玉にキズだが、訳者によるインタビューによって補足されているので全体像をつかむことができる。また、訳者インタビューによって初めて明らかになった事実もあるので、その点は興味深い。 

 ドラッカーについて知るための、ドラッカー自身による入門書になっているといってよい。いわゆる礼賛本や解説本とは違い、ドラッカーによる肉声は正確な事実を後世に伝えることに徹している。




単行本初版のタイトル『ドラッカー20世紀を生きて-私の履歴書-』とあるように、日本経済新聞社の人気連載企画「私の履歴書」の一つとして、27回にわたって連載されたものだ。当時まだ日経を読んでいた私も、この連載をリアルタイムで読んで、たいへん興味深かったという記憶をもっている。

 このドラッカー自伝は、前半が退屈なウィーンから脱出し、さらにナチスドイツから逃れたロンドンからも沈鬱だとして脱出し、最終的に米国に移民として落ち着くまでの欧州時代を、後半が米国で全面的に開花して「経営学の父」となった後半生を描いている。幕末維新の激動期を生ききった福澤諭吉は、「恰(あたか)も一身(いっしん)にして二生(にせい)を経(ふ)るが如く」と述懐しているが、ドラッカーの人生もまたそのとおりであるといっていいだろう。前半生の欧州人としての体験なくして、後半生の「マネジメント生みの親」が誕生しなかったことが、この自伝を読むと理解される。

 「マネジメント」という概念は、「マネジメント」という既存の学問から生まれたのではない、自学自習による幅広い知識とさまざまな職業体験によって培われた、鋭く深い観察眼から生み出されたものなのである。

 ドラッカーは、狭い意味の「経営学者」というワクに収まるような人ではなく、自らを「社会生態学者」と称していたことはもっと広く知られていい。文庫版では、ドラッカーに「知の巨人」というタイトルがつけられることとなったが、「経営学者」よりもこの称号のほうが、はるかにふさわしい

 自ら提唱していた「知識社会」の到来で、ドラッカーは今後もはるかに仰ぎ見る存在として、あるいは目指すべきロールモデルとして、生き続けていくことであろう。

 ビジネスパーソン以外の一般読者にも、「ドラッカー自身によるドラッカー入門」として、ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジネスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい」投稿掲載(2010年4月15日)
■amazon書評「ドラッカー自身によるドラッカー入門」になっている本書は、ビジネスパーソンだけでなく、一般人にも一読をすすめたい」投稿掲載(2010年4月15日)



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<書評への付記>
        
 ドラッカー(Drucker)という名字について、ピーター・ドラッカー自身が第一次世界大戦前にハプスブルク帝国、正確にいうと、オーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンに生まれた人なので、ドイツ系だろうと思って、ドイツ語の辞書を引いて調べてみたことがある。

 Drucker(男性名詞)印刷工、印刷業者
 Druck(男性名詞) 圧力をかけて押すこと、印刷すること
  <drucken 印刷する、圧搾する

 
 本書によれば、ドラッカー家の祖先は、オランダで宗教書の印刷業をやっていた、とある(第12話)。オランダ語とドイツ語は近い関係にあるから、意味も似たようなものだろう(*)。本書の記述によれば、オランダにはいまでも Drucker という名字をもつファミリーが多いという。

(*)その後、『講談社オランダ語辞典』(講談社、1994)で調べてみたら、drukker は印刷工、印刷会社という訳語が載っている。動詞の drukken からの派生語である。発音はドゥルッカーか。(2020年9月22日 追記)

 おそらく推測するに、ドラッカー家の先祖はプロタスタントだったのではないだろうか。プロテスタンティズムが聖書を印刷することで普及したことは歴史的な事実である。印刷術は当時最先端の技術であった(*)。

(**)ところが、この記述は間違いだった。ドラッカーの先祖はポルトガルからオランダに脱出したセファルディム系で、両親はともにユダヤ系だがいずれもキリスト教に改宗していた「同化ユダヤ人」である。哲学者のスピノザもまたセファルディム系のユダヤ人であったが、その思想ゆえにユダヤ教会から破門された。

wikipedia英語版に以下の記述がある。

Peter Drucker was of Jewish descent on both sides of his family, but his parents converted to Christianity and lived in what he referred to as a "liberal" Lutheran Protestant household in Austria-Hungary. (2013年10月19日 追記)。


 オーストリア人のペーター・トゥルッカーは、父親の教育方針によって、子どもの頃から英語とフランス語を習得していたという。英国を経て、最終的に米国に落ち着いて、ピーター・ドラッカーとなる。

 ギムナジウムのギリシア・ラテンの古典教育も受けているが、こういった人文教育が崩壊しつつある最後の世代であったようだ。もっとも、本人はギムナジウムは面白くないので、自学自習する生活態度が身についたといっている。

 ブダペスト生まれのユダヤ系ハンガリー人・アンドリュー・グローブも、子どもの頃に父親の方針で英語を勉強していたことが、ハンガリー動乱で国を脱出し難民となったときも、米国に移民できることになったと述懐している。

 本書によれば、ドラッカー自身もグローブの米国定住にはチカラを貸している。ハンガリー人が、かつてのオーストリア=ハンガリー二重帝国の臣民の子弟であることもまた、何らかの意味で難民救済事業にドラッカーを向かわせたのだと推測できる。

 オーストリア出身で米国で大成功した有名人としては、シュンペーターなどの知識人を除けば、ハリウッド俳優でカリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツネッガーがいる。シュワルツネッガーもドイツ語なまりの英語をしゃべっているが、ドラッカーもそうであったことを、訳者で解説者の牧野洋が書いている。


 一般に知られている「経営学者ドラッカー」は、GMのコンサルタントになって徹底調査をおこなったことによって誕生した存在で、長年にわたって大企業の経営コンサルタントと大学教授をつづけてきた人である。

ところで、元代議士の栗本慎一郎"先生"が、まだ大学の"先生"だった頃の著作に、ブダペストの天才たちを描いた『ブダペスト物語-現代思想の源流をたずねて-』(晶文社、1982)という、忘れられた好著がある。

 本書にも交友関係の重要な一人として登場する、ハンガリー出身の経済学者カール・ポランニー(この人もユダヤ系)に関連したエピソードがある。

 この件についてドラッカーに質問状を送ったところ、来日したドラッカーから直接自宅に電話がかかってきて、奥さんが驚いたというエピソードが、「第2章 革命と恐慌の嵐をひかえて」の冒頭に記している。ドラッカーの『傍観者の時代』を一つの導きとして、『ブダペスト物語』が書かれていることも紹介しておきたい。

 ドラッカー自身は、「退屈なウィーン」から脱出し、最終的には米国に定住することにした人だが、ハプスブルク帝国の高官を父親にもったドラッカーに、これらハプスブルク帝国関連の人脈などがあることが、少なからず影響を与えていることは知っておいたほうがいい。
 
 そういうコンテクストのなかに置いてみると、メイキング・オブ・「知の巨人ドラッカー」の形成過程について、より深く知ることができるはずだ。

 世紀末ウィーンが、また世紀末ブダペストが、大量の天才たちを生み出したインキュベーターとなっていたたことは、思想史では常識である。この件については、機会をあらためてまた書いてみるつもり。



<関連サイト>

「私の履歴書 復刻版」  ピーター・ドラッカー 第1回 基本は文筆家 「マネジメント」を発明 95歳、なお講義続ける ピーター・ドラッカー(経営学者) (日経BiZアカデミー、2014年10月2日

(2014年12月26日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

レビュー 『これを見ればドラッカーが60分で分かるDVD』(アップリンク、2010)
・・「経済よりも社会のほうがはるかに重要だ」というドラッカーの発言がすべてを言い表している。「マネジメントはサイエンスでもアートでもない、プラクティス(実践)である」という発言も

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典 ・・ドラッカーは「思想家」として読むべきなのだ

書評 『この国を出よ』(大前研一/柳井 正、小学館、2010)-「やる気のある若者たち」への応援歌!
・・大前研一はドラッカーについては、かつて講演会でともにしたことが何度もあるといい、敬意を表しつつも、1980年以降なぜ米国でドラッカーが読まれなくなったかについて、貴重なコメントを行っている

ドラッカーは時代遅れ?-物事はときには斜めから見ることも必要
・・ホリエモンの発言が印象的

書評 『世界の経営学者はいま何を考えているのか-知られざるビジネスの知のフロンティア-』(入山章栄、英治出版、2012)-「社会科学」としての「経営学」の有効性と限界を知った上でマネジメント書を読む
・・「ドラッカーなんて誰も読まない!?  ポーターはもう通用しない!?」という帯のキャッチコピー

人生の選択肢を考えるために、マックス・ウェーバーの『職業としての学問』と『職業としての政治』は、できれば社会人になる前に読んでおきたい名著
・・「実践」としての政治と、「学問」としての政治学は、まったく別物である

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった ・・オランダのユダヤ系(セファルディム)だった哲学者スピノザ

(2014年8月18日 情報追加)


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