JBPressの連載コラム第67回は、「アフガニスタンはいつから泥沼の紛争地になったのか-国家の崩壊につながった、ソ連にとっての「ベトナム戦争」」(2019年12月17日)
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2019年12月4日にアフガニスタンから入ってきた悲報は衝撃だった。長年にわたって現地で人道支援にたずさわっていた民間NGOペシャワール会の現地代表の中村哲医師が銃撃され、殺害されたのである。
アフガニスタン国民から広く敬愛されていた中村医師。志半ばでの死は、本人にとっては、さぞ無念だったのではないか。
中村医師の長年にわたるアフガニスタンでの人道支援活動に心から感謝するともに、この場を借りて哀悼の意を表します。合掌。
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現代史においてアフガニスタンが紛争地になった発端はなにか。それは、1979年末に始まったソ連軍の軍事侵攻である。
このことでソ連は激しい国際的非難を浴び、翌年1980年のモスクワ・オリンピックは西側諸国によってボイコットが行われている。長期化したアフガニスタンへの軍事介入は、最終的に10年の長期に及んだ。その後、「9・11」テロへの報復として2001年から米軍の介入が始まったのである。
(ソ連軍のアフガン侵攻(1979年) wikipedia英語版より *赤の矢印が侵攻ルート、濃い灰色はソ連軍のコントロール下にあった地域)
ソ連軍がアフガニスタン侵攻作戦を開始したのは、正確にいえば1979年12月24日のクリスマスイブのことだった。そして、奇しくも12年後の1991年12月25日のクリスマスにはソ連自体が崩壊している。偶然というには、あまりにもでき過ぎではないかという気もするが、事実は事実である。
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