「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問は ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル ソ連崩壊 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ソ連崩壊 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年9月5日土曜日

書評『モンゴル抑留 ― 見捨てられた死者たち』(井手裕彦、角川新書、2026)― 知られざる「モンゴル抑留」の真相を解明してきたジャーナリストの熱意と執念に感謝申し上げる

 


先週のことだが、『モンゴル抑留  ―  見捨てられた死者たち』(井手裕彦、角川新書、2026)という本を読んだ。この問題を新聞社退職後も私財を投じてまで追ってきたジャーナリストの熱意と執念のたまものである。  

日本政府がなおざりにしてきた「モンゴル抑留」の実態について、著者が知り得た情報をすべて投入して、具体的な固有名詞まで書き綴った重厚なノンフィクション作品である。 

1945年8月の日本敗戦から1947年10月中旬まで約2年間にわたった「モンゴル抑留」。抑留者1.4万人、うち死者が1,700人という、「シベリア抑留」より死亡率の高い「モンゴル抑留」。この本ではじめて「モンゴル抑留」について知ることができた。 

「シベリア抑留」というフレーズを知らない人はいないだろう。大東亜戦争の最末期に始まり、ポツダム宣言受諾後も続いた「日ソ戦争」の結果、現地で捕虜となって抑留され、その多くが強制労働を強いられた日本近代史の悲劇を象徴するフレーズである。 

正確にいうとシベリアだけでなく、極東や中央アジアも含めた旧ソ連の各地に抑留されたのであるが、「シベリア抑留」というインパクトの強いフレーズが定着したために、顧みられることなかったのが「モンゴル抑留」である。なぜなら、ソ連の衛星国とはいえ、モンゴル人民共和国は独立国であったからだ。

モンゴルが最初に独立宣言したのは1911年、北モンゴル(いわゆる外蒙)が中国から独立を勝ち取ったのは1924年のことである。ソ連邦誕生の2年後のことだ。以後、第二次世界大戦が終了し冷戦構造が生まれる前は、モンゴル人民共和国は23年間にわたって、ソ連をのぞけば唯一の社会主義国であった。この事実が重要だ。中華人民共和国の誕生は1949年である。




「モンゴル抑留」の背景にあるのは、「ノモンハン事件」(1939年)に始まる、日本とモンゴルとのあいだの2回の戦争である。前者は「ハルハ河戦争」ともいい、モンゴル人民共和国と満洲国とのあいだの国境線をめぐる紛争がエスカレートし全面戦争に発展したものだ。モンゴル側には大国ソ連、満洲国の関東軍は実質的に日本であった。 

ノモンハン事件の戦後処理は、モンゴルの頭越しに満洲国(とその背後の日本)とソ連のあいだで交渉が行われ、モンゴルは苦杯をなめることになる。国境線沿いの失われた領土は満州国のものとなり、日本の敗戦にともない中国領となってしまったのだ。 

日本とモンゴルの2回目の戦争は、先にも触れた「日ソ戦争」のことである。8月8日に対日宣戦布告したソ連に続き、モンゴルは8月10日に対日宣戦布告、ソ連軍とともにモンゴルから満州国に進軍している。日本軍との交戦もあった。 

この2つの戦争で多数の死傷者を出したモンゴルは、ソ連に対して「戦利品」を要求、それが日本人捕虜であったのだ。「モンゴル抑留」が問題なのは、軍人だけでなく一般人も抑留された。員数あわせのために起こった悲劇である。 

「モンゴル抑留」が知られることなかったのは、日本がモンゴル人民共和国とのあいだで、なんと1972年まで国交がなかったことも要因のひとつである。冷戦構造が背景にあったためだが、モンゴル独立からなんと48年間も国交がなかったのだ。これがソ連による狭義の「シベリア抑留」との大きな違いを生んだ。 

しかも、「モンゴル抑留」にかんする資料の多くは「モンゴル諜報庁」にあるので、アクセスがきわめて困難なのだという。ソ連崩壊でモンゴルは民主化したが、情報機関はそのまま受け継がれているのだ。 

本書を読んでいて強く印象を受けたのは、「モンゴル抑留」の真相解明だけではない。ソ連についで世界2番目の社会主義国として独立したモンゴルは、ソ連崩壊後に民主化された現在もなおロシアとは密接な関係を維持しており、昨年2025年7月の「天皇皇后両陛下のモンゴル公式訪問」に代表される良好な日モ友好関係からはうかがい知ることのない、アンタッチャブルな「闇の深さ」についてである。 

「モンゴル抑留」という日本近代史の悲劇と、いまだ南北で分断状態にあるモンゴル民族、中国とロシアという二大大国のはざまで生きる内陸の小国家のあり方について考える材料として、読むべき価値のある本である。もちろん、著者の熱意と執念に感謝申し上げるべきことは言うまでもない。 


(画像をクリック!)



目 次
はじめに モンゴルの KGB への挑戦 
第1章 置き去りにされてきた抑留者 
第2章 二つの戦争が抑留の起こりだった 
第3章 民間人が無差別に拉致された「日本人狩り」 
第4章 食料も防寒服も寝具も何もない「絶望の国」へ 
第5章 当局に迎合した抑留者、抵抗した抑留者 
第6章 死亡記録から見える「さまざまな死」 
第7章 突然の一斉帰還命令と残留させられた抑留者たち 
第8章 抑留問題に向き合ってこなかった日本外交 
最終章 「歴史の扉」は開いたのか 
おわりに 近くて遠い国 
主要参考文献 
モンゴル抑留関連年表


 著者プロフィール
井手裕彦(いで・ひろひこ) 
1955年、福岡県生まれ。ジャーナリスト。京都大学文学部卒業後、1978年、読売新聞大阪本社入社。社会部で主に調査報道を担当。論説委員、編集局次長、編集委員を経て2020年退社。新聞記者時代から丸10年にわたりモンゴルでの日本人抑留の解明に挑み、モンゴルの公文書館で捜し出した抑留者の死亡記録を日本政府に情報提供。自作のホームページ「モンゴル抑留死亡者名簿」で政府を上回る死亡者の情報を公開し、全国を回って遺族に無償で死亡記録を届けている。著書『命の嘆願書 モンゴル・シベリア抑留日本人の知られざる物語を追って』(集広舎)は2023年度のシベリア抑留・記録文化賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの) 

◆モンゴル抑留志望者名簿 



<ブログ内関連記事>

・・「シベリア抑留」の犠牲者には近衛文麿の長男もいた










(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2025年7月12日土曜日

書評『ネオ・ユーラシア主義 ― 「混迷の大国」ロシアの思想』(浜由樹子、河出新書、2025)― ヨーロッパからアジアにまたがる広大な「ユーラシア国家」であるロシアのアイデンティティをめぐる問い

 

ロシアはヨーロッパか、それともアジアか? 「ユーラシア主義」と「ネオ・ユーラシア主義」は、この問いをめぐる思想の表現である。 

ヨーロッパからアジアにまたがる広大な「ユーラシア国家」であるロシア。多民族国家で多宗教国家であるロシア。そのロシアの揺れ動くアイデンティティをめぐる問いである。 

この「ネオ・ユーラシア主義」について、詳細に検討を行ったのが、この分野にかんしては日本で第一人者である浜由樹子氏による新著『ネオ・ユーラシア主義 ー 「混迷の大国」ロシアの思想』(河出新書、2025)だ。  

新書本ではあるが、詳細な分析をもとにした著作であり、かならずしも簡単に通読できる本ではない。だが、ロシアに関心をもっている人なら読むべき本であり、つよく推奨しておきたい。 



(ユーラシアとユーラシア主義 Wikipediaより)



■19世紀前半からつづく「西欧派」と「スラブ派」の対立 

19世紀前半に「西欧主義」と「スラブ主義」の対立が始まって以来、ロシアではこの対立構造は、現在にいたるまでつづいている。 

この対立構造は、19世紀後半明治時代の日本における「欧化主義」と「国粋主義」に似ている。ロシアも日本も、「近代化」を「西欧化」によって加速しようとした点が共通しているのである。 

この対立を踏まえて1920年代に生まれたのが、「ユーラシア主義」という思想だ。ロシア革命によって帝政ロシアが崩壊して社会主義国家のソ連が成立し、フランスを中心とした西欧に亡命した貴族階級を中心としたロシアの知識階層から生まれたのである。 

その心はフレーズ的に表現すれば、「ロシアは、ヨーロッパでも、アジアでもない」ユーラシア、ということになる。 

この「ユーラシア主義」は1920年代に生まれたが、1930年代には下火になってしまった。ソ連の体制が確立し、ロシア帝国復活の見通しがなくなってしまったからだ。 

ところが、1990年代から「ユーラシア主義」の復活が始まる。ソ連の体制が動揺するなかで、ロシアのアイデンティティをめぐる問いが再浮上してきたのである。

この動きは、ソ連崩壊によって一気に加速することになる。 それが「ネオ・ユーラシア主義」である。ソ連崩壊後の情勢を踏まえた、ロシアのアイデンティティ模索なかで生まれてきたものだ。 

そしてこの「ネオ・ユーラシア主義」の心は、「ロシアは、ヨーロッパでも、アジアでもある」ユーラシア、ということになる。 

オリジナルの「ユーラシア主義」が「でもない」だったのが、「ネオ・ユーラシア主義」では「でもある」に変化したのである。 



■「ネオ・ユーラシア主義」の特性と主要人物

「ネオ・ユーラシア主義」は、基本的に英米中心のグローバリズム批判、西欧中心主義批判である。 普遍性をうたう西欧中心のグローバリズムで圧殺されかかっている固有文化を見直せ、という思想だ。 

ロシアの場合は、ロシア正教を重視し、内なるアジア性を重視せよ、ということになる。そのアジアとは、内側に抱えたタタールやチェチェンなどのイスラームであり、ときには隣接する中国にも及ぶこともある。 

本書のカバーに掲載されているヒゲもじゃの人物は、日本でもある程度は知られているドゥーギンという思想家だ。アレクサンドル・ドゥーギン。1962年生まれのロシア人。 伸ばし放題のあごヒゲは、ロシア正教を重視するからだという。


(アレクサンドル・ドゥーギン Wikipediaより)


日本ではまことしやかに、プーチンに影響をあたえた「陰のメンター」だという言説も流通しているが、著者によればそれはまったく異なるのだという。 

ドゥーギンは正統派の思想家ではなく、ソ連時代にオカルトから出発した人物で、地政学をふくめたその極右的な思想は、体系的というよりも、パッチワーク的であるのだ、と。 つまり自分に都合のいい思想をつまみ食いしているわけだ。

ロシア社会における影響力の大きさからいえば、アレクサンドル・パナーリンという政治思想研究者のほうが「思想界のインフルエンサー」として重要なのだ、と。 


(アレクサンドル・パナーリン Wikipediaロシア語版より)


1940年生まれのパナーリンは、2003年に63歳で亡くなっているが、その予見力の確かさは、2020年代になってもロシアでは賞賛されるほどだという。

パナーリンについては、日本語世界だけでなく、英語世界でも知られざる人物であるようだ*。本書で取り上げて詳細に分析していただいたことは、じつにありがたい。 

*Wikipedia情報も、ロシア語版のほか、ブルガリア語版とフランス語版しかない(2025年7月12日現在) 


「ネオ・ユーラシア主義」の思想家は、ドゥーギンやパナーリンだけでなく、外交の実務家を中心に多数に及んでおり、その思想的な幅はかなり広いようだ。 その詳細は本文で確かめていただきたい。


■ロシアの「内なるアジア性」に目をむけることが重要

日本からみたら、日本海をはさんで対岸にあるウラジオストクは、ロシアの東方進出によって建設されたが、あきらかにヨーロッパのテイストを漂わせている。 

2022年2月にロシアがウクライナに軍事侵攻するまでは、「日本からもっとも近いヨーロッパ」というキャッチフレーズで観光プロモーションが行われていたくらいだ。 

そんなロシアだが、実際にシベリア鉄道に乗って横断してみれば、ヨーロッパとアジアが混在する地域であることが、実感的に理解されるはずだ。わたしは、1999年にシベリア鉄道を利用して北京からモスクワまで、イルクーツク経由でロシアを旅した経験がある。 

日本人はロシアをヨーロッパに準ずる存在とみなしがちだが、ロシアの「内なるアジア性」に目をむけることが重要だ。「ネオ・ユーラシア主義」が主張する「ロシアは、ヨーロッパでも、アジアでもある」ユーラシア。現在のロシアがふたたびアジア志向を強めている背景になにがあるのか知らなくてはならない。 

今後もロシアは、ヨーロッパとアジアのあいだを揺れ動いていくことであろう。西欧の極右勢力は権威主義体制のロシアをヨーロッパの範囲に入れて考えているが、この認識がヨーロッパ人一般のロシア観や、日本人のロシア観とは異なるものがあるのは当然の話だ。

ユーラシア国家ロシアのアジア性について、アジアに立地するが西欧化されている日本人は、自分なりの考えをもっておく必要がある。そのためには、19世紀以来の「西欧派」と「スラブ派」の対立に起源をもつ「ユーラシア主義」と、さらにその21世紀バージョンである「ネオ・ユーラシア主義」について理解しておく必要がある。 

いたづらにロシアを敵だと決めつけないほうがいい。好き嫌いは別にして、ロシアを知的に理解しようとする姿勢が大事なのだ。 


(画像をクリック!)


目 次 
はじめに
第1章 ネオ・ユーラシア主義誕生の背景
第2章 最右翼―アレクサンドル・ドゥーギン
 1 ドゥーギンとは誰か
 2 ドゥーギンのネオ・ユーラシア主義
 3 ドゥーギンはプーチンの「陰のメンター」なのか?
第3章 思想界のインフルエンサー―アレクサンドル・パナーリン
 1 パナーリンとは誰か
 2 パナーリンのネオ・ユーラシア主義
  (1)政治思想研究者として
  (2)グローバリズム批判と文明論の論客として
  (3)「予言者」として
第4章 主流化―実務家たち
 1 アメリカへの対抗―イスラームとの共存
 2 中国研究者たち―特にミハイル・チタレンコ
 3 ユーラシア地域統合
第5章 政界・思想潮流における現在地
 1 ネオ・ユーラシア主義の共通項と伸縮性
 2 ロシア・ウクライナ戦争のイデオロギー
おわりに
謝辞
主要参考文献

著者プロフィール
浜由樹子(はま・ゆきこ)
東京都立大学法学部教授。津田塾大学大学院後期博士課程単位修得後退学、博士(国際関係学)。専門は国際政治学、国際関係史、ロシア地域研究。著書に『ユーラシア主義とは何か』(成文社、2010)ほか。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)


(画像をクリック!)




<ブログ内関連記事>







(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2025年3月23日日曜日

「NHKスペシャル オウム真理教 狂気の "11月戦争" 」を視聴(2025年3月22日)ー 国家を転覆することとは? 国家が崩壊した結果もたらされたものとは?

 (2025年3月20日放送のNHKスペシャル)


「地下鉄サリン事件」が起こったのが、1995年3月20日。上九一色村のサティアンに強制捜査に入ったのが、その2日後の19953月22日。

間髪入れずに2日後に実行された強制捜査は、事前に周到に準備されたものであったが、TVで視聴していた一般人にとっては、警察の素早い対応のように感じられて、なにか劇場的な印象さえあったものだ。

TV報道の歴史においては、1972年の「あさま山荘事件」のナマ中継に匹敵することだろう極左集団による暴力的な政治テロも、宗教教団による暴力的な宗教テロも、その本質においては共通している。

さきほど2025年3月20日に、NHKスペシャルで放送された「オウム真理教 狂気の "11月戦争" 」は、あらたに発見された文書で明らかになった戦慄すべき事実をベースに、当時の映像をまじえて30年前の「オウム事件」を振り返る内容である。

未遂に終わったが、1995年11月計画されていたというクーデターは「国家転覆計画」であった。化学兵器テロを越えたクーデターを計画していたことが、あらためてクローズアップしたものであった。

「11月戦争」は、今後は「ク-デター関連本」にはかならず記載しなくてはならない事項だというべきだろう。近年ではドイツで陰謀論に突き動かされた「2022年ドイツクーデター未遂事件」が発生しているが、日本でも同様のクーデターが発生する可能性はゼロではない、

オウム真理教に対しては、宗教法人としての解散命令が下されたが、破壊活動防止法ですら左派リベラル派から、人権の観点からの強硬な反対があった。わたしとしてはむしろ、「内乱罪」を適用すべきだったのではないかと思うのである。

「サリン事件」から30年たっているが、いまだに過去のできごとには思えない。

そのとき乗車していた地下鉄丸ノ内線が、社内アナウンスもなしに霞ヶ関駅を通過したという、間接的だがリアルタイムでのニアミス体験を有しているからでもある。



■ソ連崩壊後の混乱するロシアにつけ込んだオウム真理教

しかも、オウムがつけ込んだソ連崩壊後のロシアの窮状は、あらためて想起する必要がある。

ロシア人が、あの時代だけは戻りたくないという切実な思いを抱いていることが、オウム関連の当時の映像をつうじて手に取るようにわかるからだ。

なぜロシア人はプーチンのような強権的なリーダーを欲しているのか、あの当時を映像で振り返れば納得されることだろう。自由も大事だが、ロシア人がなによりも安全と安心を求めていることは、あえて「マズローの欲求五段階説」を持ち出す必要もなかろう。

国内で1万人いたオウム真理教の信者(出家者+在家者)だが、なんとロシアで当時3万人(!)もいたのだという。飢えていたのは食料だけではなく、よりどころを失った精神は渇きも覚えていたのだ。

だから、その精神的飢餓状態につけ込むような形で、日本からはオウム真理教が、アメリカからはプロテスタント諸派が猛烈な布教活動を行っていたという事実を忘れるべきではない。

ソ連の崩壊は「国家崩壊」であった。オウム真理教は、その崩壊国家につけ込んで旧ソ連製の武器を調達し、日本国家を崩壊させようという黒い野望を抱いていたのだ。

「国家が崩壊」することがなにを意味しているのか。「国家を転覆」するとはなにを意味しているのか。その意味をあらためて考える必要がある。


<ブログ内関連記事>



(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2023年10月1日日曜日

書評『予言者 梅棹忠夫』(東谷暁、文春新書、2016)ー 経済ジャーナリストによる異色のウメサオ評伝と「予言」の数々を振り返る



面白かった。裏方の視点から見た梅棹忠夫である。回想と幅広い視野と知識をもとに、著者なりの全体像を描いたものだ。

2010年に亡くなってから6年後の評伝。その評伝をさらに7年後に読む。『文明の生態史観』で著名な梅棹忠夫も、すでに過去の人になってひさしい。

だが、あらためて、その「予言」というか、未来を見通す目に注目したいものである。

現在は経済評論家を名乗っている東谷暁氏だが、いちばん最初の就職先は「民族学振興会千里事務局東京分室」だったという。そこに6年間在籍して「季刊民族学」の編集作業を行っていたのだとか。

「民族学振興会千里事務局東京室分室」は、分解すれば「民族学振興会」「千里事務局」「東京分室」となる。

その背後にあったのは、民族学あるいは民俗学をめぐって、東京と京都を中心とする関西とのあつれきを解消することだったという。梅棹忠夫は、いうまでもなく「京都中華主義者」であった。


■虚心坦懐に見ていれば、おのずから先が見えてしまう

自然科学者の視点で、虚心坦懐に観察し、あるがままにものを見るからこそ、ものごとの行く末が先が見えてしまうのである。老荘思想の無為自然というか、自然体というべきか。

もちろん、それがむずかしいからこそ、多くの人の目は曇ったままなのだが・・。

「行為者」であり、「実務家」であり、「明るいニヒリスト」であった梅棹忠夫。

「予言」というよりも「予見」といったほうが正確だと思うが、その「予言」を列挙してみれば、高度成長、ソ連崩壊、情報化社会、専業主婦の減少など数々ある。

「戦後日本社会」の変化を予言し、しかもその予言がことごとく的中したことは特筆すべきである。

帯に書かれた最後の「予言」とは「日本文明の終わり」というものだ。

そうかもしれないし、そうではないかもしれない。反発を感じる人もいるだろう。

だが、いずれにせよ、右肩上がりの上昇がないことは明らかだ。ふたたび登り調子になるのは、はるか先のことになるだろう。

19世紀前半の「文化文政時代」から始まった「日本文明」の興隆は、すでにピークアウトしたと考えるのが自然ではないか。

とはいえ、これはに日本が消えて亡くなってしまうことを意味しているわけではない。「日本文明」という「文明」が、その「ライフサイクル」の終わりに来ているということだ。わたしはそう解釈している。

文明というものは、すべて循環的なものである。ある文明が興亡し、つぎの文明が別の地域で興亡する。この繰り返しである。どんな文明も永続的ではない。「古代文明」だけでなく、「近代文明」もまたおなじ道をたどることになろう。

巨視的にみれば、そうなるだけの話だ。


■「ロシア解体」という「予言」

著者は「日本文明の終焉」を「最後の予言」とするが、それだけが「最後の予言」ではない。本書には指摘がないが重要な「最後の予言」について触れておこう。

それは鶴見俊輔と河合隼雄をまじえた鼎談の席での発言だが、「予言」というよりも「放言」というべきかもしれない。「思いつき」であるが、常人にはできない「思いつき」である。



それは『丁々発止』というタイトルの鼎談本だ。朝日新聞大阪支社から1998年にでた本である。朝日新聞の企画記事を単行本化したものだ。「20世紀末」であったからこその企画発想であろう。

わかいときから親しい梅棹忠夫と鶴見俊輔、世代的にはすこし下になる河合隼雄。なかなか面白い取り合わせだ。この3人はみな京都大学に籍を置き、京都の知的風土を熟知している戦後世代の論客たちである。

さてその「予言」だが、「ロシア解体」である。「ソ連解体」は最終段階ではなく、さらに「解体」」するであろうという「予言」だ。


梅棹 たとえば、ソ連邦という一種の巨大国家があったけれど、これもばらばらになってしまった。あれで、ソ連邦の第一次解体現象は進行したわけです。私は、まだ進行するとみているけどね。一見、EU(欧州連合)みたいな再編成というか、解体の反対の現象があるようにみえますが、同じことです。あれもまた、解体するやろな。




「関西独立論」の文脈で語っているが、その後のEUの動揺や、ウクライナ侵攻後に動揺するロシアの動向を見ていると大いにうなづくものがある。さすがやな、と。

しかも1998年の発言である。いまから25年前、四半世紀前の発言である。

まあそんな「放言」もふくめて、「予言者」としての梅棹忠夫の「発言」を検証してみるのも面白いことだろう。微視的にみることも大事だが、ときには大風呂敷で巨視的にみることも重要だ。

さて、はたして「ロシア解体」があるかどうか、その行く末もふくめて注視していきたいものである。欧米の見解の受け売りではない、日本発の自前の思想家の発言として。




目 次 
プロローグ 実現した予言と失われた時代 
第1章 「文明の生態史観」の衝撃 
第2章 モンゴルの生態学者 
第3章 奇説を語る少壮学者 
第4章 豊かな日本という未来 
第5章 情報社会論の先駆者 
第6章 イスラーム圏の動乱を予告する 
第7章 万博と民博のオーガナイザー 
第8章 文化行政の主導者へ 
第9章 ポスト「戦後」への視線 
第10章 行為と妄想 
エピローグ 梅棹忠夫を「裏切る」ために
あとがき


著者プロフィール
東谷暁(ひがしたに・さとし)
ジャーナリスト。1953年山形県生まれ。早稲田大学政経学部卒業。大学在学中から国立民族学博嗣着化芋『季刊民族学』編集部で編集に従事。同博物館設立の中心人物で初代館長だった梅棹忠夫の知遇を得る。その後、『ザ・ビッグマン』編集長、『発言者』編集長などを歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>



 










(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!)

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!)

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
ぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end