NHKの大河ドラマ「八重の桜」が放送された際に文庫化され購入したのであったが、あっという間に10年たってしまった。
原本の出版は1987年とのことだが、不思議なことに読んでいて古さをまったく感じさせない。扱っている素材そのものが、そもそも昔の話であり、しかも時代を越えた存在である。だから、そう思わせるのであろう。
(ラフカディオ・ハーンの『東の国から』)
熊本の旧制五校で同僚だった英語教師のラフカディオ・ハーン(=小泉八雲)が『東の国から』(Out of the East, 1895)で「神のような人」と讃えた人。豊かなあごひげが白かったからだけではない。その前半生は、会津藩士として激動の幕末を生き抜いた人であった。その古武士のような存在に、ハーンは感嘆していたのである。
(秋月悌次郎 Wikipediaより)
戊辰戦争においては、主戦派として会津藩の軍事奉行添役(副奉行)として奥羽列藩同盟の外交交渉に奔走、敗戦に際しては白旗を掲げて降伏の申し役を努めることになった人。それが秋月悌次郎(1824~1900)である。明治維新を境にした後半生は、32年に及んだ。
藩命によって学んだ幕府の昌平黌では、11年間にわたって学び、寮長として学生たちを教えた人。学識深い漢学者で漢詩人であった。資質と性行の異なる長岡藩の河井継之助との交流も興味ぶかい。はじめての出会いは山田方谷を訪ねた備中松山藩でのことであり、その後に西遊中の二人は長崎で深い交わりを結ぶ。
京都守護職となった藩主のもと、薩摩藩との同盟に大きな功労があった。 尊王的傾向ゆえ公武合体派に近く、会津藩内ではうとまれて左遷され蝦夷地に赴任。ふたたび京都に戻されたもののの、状況は激変していた。薩摩藩による裏切りは、会津藩をして徹底抗戦の途を余儀ないものとしたのであった。
(戊辰戦争後の集合写真 長州藩士で戊辰戦争では敵味方の関係になったが、漢詩をつうじて心友であった奥平謙輔も一緒に)
戊辰戦争の敗戦後は、敗軍の将として終身刑の判決を受けるが、3年あまりで恩赦がでて、新政府の役人として出仕することになる。
3年あまりで官を辞したのは、生活のためとはいえ、敗者としてそんな生き方には恥ずかしさを覚え、心中では耐えがたいものがあったのであろう。すでに50歳となっていた。
しかしながら、旧会津藩士の多くがそうであったような薩摩への復讐感情はもたず、極端な途を選ぶことなく保守主義者として人生をまっとうする。朱子学を深く学び、『中庸』の精神そのままを生きた人なのであった。
(右から二番目の白鬚の老人が秋月悌次郎。真横を向いているのがハーン。真ん中は五校校長の嘉納治五郎)
漢学と倫理の教師として熊本の旧制五校の教壇に立っていたのは、明治23年(1890年)から28年までの5年間。65歳から70歳までの晩年のことである。
各界で日本を率いていくべきリーダー育成にはたした役割は、「伝説の教師」として、ハーンや漱石と並んで、長きにわたって五校生のあいだで語り継がれていたらしい。
存在そのものが、人間の生き方の見本となるようだった人。消えゆく旧世界そのものだったような人。そうであるにもかかわらず、学生たちにあたえた感化が大きかったのである。背中で教えたのである。人格そのものが感化したのである。
著者の松本健一氏は秋月悌次郎のことを「懐かしい人」としているが、まさにその通りの感懐を読者に抱かせる。
70歳で五校生を引率した鹿児島修学旅行の帰途、「加久藤越え」の際のエピソードなど、目に浮かぶようだ。
20歳前後の学生たちの先頭に立って、「エイ、エイ」とかけ声をかけながら気合いをいれて下山する老人。それはぬかるみ道ですべらないよう、枯れ草をまきながらのことであった。学生たちは、まさに背中で学んだのである。
ああ、そんな人がいたのだ。そんな世界がかつてあったのだ。静かな、そして深い感動を覚えるのである。
目 次Ⅰ 秋月悌次郎 老日本の面影第1章 神のような人第2章 法と道第3章 詩と志第4章 永遠に守るべきものⅡ 非命の詩人 奥平謙輔第1章 「戦争」の会津第2章 「政治」の佐渡第3章 「革命」の萩Ⅲ 「老日本の面影」前後秋月悌次郎 ― 維新の激動を越えて加久藤ごえ紀行司馬遼太郎と私増補・新版 あとがき文庫版 あとがき
著者プロフィール松本健一(まつもと・けんいち)日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。主な著書に『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、アジア・太平洋賞受賞)、『日本の近代1 開国・維新』(中公文庫、吉田茂賞)、『評伝北一輝 全五巻』(中公文庫、毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞)など多数。2014年没。(本データは『「孟子」の革命思想と日本』2014年が刊行された当時に掲載されていたものに wikipedia 情報で加筆)
PS 秋月悌次郎の生涯は歴史小説家の中村彰彦氏が小説化している
松本健一氏によれば、司馬遼太郎は「小説に書けるような存在ではない」と記していたそうだ。おそらく、松本氏の著書が呼び水となって「敗軍の将」で降伏の申し役となった秋月悌次郎の名誉回復がなされ、中村彰彦氏による歴史小説『落花は枝に還らずとも』(中央公論新社、2004年)につながったのであろう。
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