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2015年12月29日火曜日

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年、独仏伊露・カナダ・ポーランド・トルコ)をみてきた(2015年12月27日)-トルコ人監督が100年前のアルメニア人虐殺をテーマに描いたこの映画は、形を変えていまなお発生し続ける悲劇へと目を向けさせる



映画 『消えた声が、その名を呼ぶ』(2014年、独仏伊露・カナダ・ポーランド・トルコ)を、東京・有楽町の角川シネマでみてきた(2015年12月27日)。100年前にトルコでおきたアルメニア人虐殺をテーマに、トルコ人映画監督が描いたヒューマンドラマだ。

いまからちょうど100年前の1915年、当時のオスマントルコ帝国の東部で、アルメニア人たちが平和に暮らしているコミュニティから物語は始まる。アルメニア人はキリスト教徒であるが、寛容の精神に貫かれたオスマン帝国においては、マジョリティのムスリムと長年にわたって平和共存してきたのだった。

豊かではないが、とくに変哲もない幸せな生活を送っていた主人公一家であったが、それは突然破られてしまう。1915年は第一次世界大戦が始まってから2年目にあたる年、ドイツ側についたトルコは英国と戦争状態にあったのだ。無慈悲にも憲兵たちに連れ去られ強制労働に従事させられる主人公、残された家族と無慈悲にも引き離されてしまうしまう。主人公の長いオディッセイはその日から始まった。

『消えた声が、その名を呼ぶ』という日本公開版のタイトルは、文字通り「声を消された」主人公の心の叫びを表現したものだ。英語タイトルはシンプルに "CUT"(カット)。ポスターにはアルメニア語の書体を模したタイトルが描かれている。


英語タイトルの Cut とは「切断」という意味だ。主人公を含めたアルメニア人の男たちは強制労働を強いられたあげく、ある日突然のこと、のどを掻き切られて処刑される。あたかも羊の息の根を一瞬にして止めるときにような遊牧民らしいやりかただ。自称「イスラーム国」の処刑のやり方もまた同じである。

のどを掻き切られて処刑されたアルメニア人の男たちだが、幸運なことに主人公だけは死を免れる。処刑執行人のトルコ人に慈悲の心があっため息の根を止められなかったのだ。主人公は生き延びることはできたが、しかし気管を切断されたため声を失ってしまう。それが日本語タイトルの「消えた声」の意味である。

「声を消された」主人公は、その後さまざまな幸運に助けられながらも砂漠を西へと横断し、東地中海はシリアのアレッポに落ち着くことになる。大戦終了後、離散した家族を求めてレバノン、そして大西洋の対岸のキューバ、北米のフロリダ、米国北西部のミネアポリス、さらにはノースダコタまで、生きる支えとなっていた双子の娘たちを探すオディッセイとして、長い長い漂流の旅が続けられる。携帯電話やスマホが普及している2015年現在では想像もつかない状態のなかで、である。

「実話にもとづく」という表示がなされていなかったので、おそらく主人公を中心とした物語はフィクションだろう。だが、その物語の背後にある「消された声」は無数にあったはずなのだ。消された声、奪われた声 を主人公である若い父親に象徴させているのであろう。




「アルメニア人虐殺」において、アルメニア側からは150万人が殺されたと主張する。「虐殺」した側とされるトルコでは6万人弱だと主張する。正確なところはわからない。いずれが正しいのかもわからない。「消えた声」の詳細はわからないまま葬りされれてしまっている。だからこそ、意訳ともいうべき日本語タイトルは、映画のメッセージをダイレクトに伝えているといえるのだ。

事件が発生した1915年という年に驚かなくてはならない。「アルメニア人虐殺」のわずか20年後にナチスドイツによる「ユダヤ人虐殺」が開始されているのである。「ユダヤ人虐殺」は、けっして「消された声」ではないが、「アルメニア人虐殺」はそれ自体が多くの人々の意識に上ることすらない。

第一次世界大戦はオスマントルコ帝国の崩壊をもたらしたが、帝国末期の混乱状況においてオスマン帝国の特色であった「寛容の精神」は失われ、不寛容の嵐が吹き荒れたのである。オスマン帝国崩壊後、支配下にあったアラブ民族もアルメニア民族も独立を果たすことになる。アラブ民族独立のために奔走したのがアラビアのロレンスであった。

この映画の前半を見ていて、いままさに進行中の自称「イスラーム国」による住民の蹂躙(じゅうりん)を想起してしまうのは、のどを掻き切る処刑シーンだけではない。英仏による帝国分割の密約にもとづいて建設されたイラク解体後の自称「イスラーム国」の支配が、ふたたび同じ問題を生み出しているからだ。

自分たちの意思にかかわりなく占領され、自由を奪われた住民たちの苦難、そのなかから、からくも難民として脱出することのできた人々のことが重ねあわされるからだ。

島国・日本に生きていると体感しにくいが、規模の大小はあれ、このような惨事がたびたび起きてきた。ユーラシア大陸でも、南北アメリカ陸でも、アフリカ大陸でも。そして犠牲になるのはいつも一般人である。大多数は「声なき人々」である。

この映画は、けっして100年前の過去を描いたものではない。虐殺した側を糾弾する内容でもない。その後の100年間に起きた、そしていまこの現在も世界各地で起きている人道上の悲劇に目を向けさせるための映画なのだ。





<関連サイト>

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』 公式サイト

映画『消えた声が、その名を呼ぶ』 トレーラー(YouTube)
・・日本語字幕あり


僕が「アルメニア人大虐殺」を題材にした理由 ファティ・アキン監督が語るタブーへの挑戦(壬生智裕 :映画ライター、東洋経済オンライン、2016年1月9日)
・・「この映画を作ったことで、特にファシスト系の人から死の宣告を受けて、脅されることもあった。でもそんなことをされると逆にアドレナリンが放出されてくるんだ。それは最高のドラッグみたいなもんだよね。(・・中略・・) ある種のパブリックエネミー(社会の敵)になってしまったんだよね。彼らは本気で僕を殺そうとは思っていないんだろうけども、少なくとも気軽にトルコに行けなくなったという事実が僕にはある。」(ファティ・アキン)

(2016年1月10日 情報追加)

「渋沢栄一は国の恩人」 アルメニア難民支えた知られざる歴史」(NHK首都圏ナビ 2021年10月6日)
・・「今年7月、東京オリンピックの開会式に出席するため訪日中だったアルメニアのアルメン サルキシャン大統領は東京都北区を訪れ、渋沢栄一のひ孫、渋沢雅英さん(96)にメダルを手渡しました。いまから100年前、渋沢がアルメニア難民に差しのべた支援に対する感謝の念を表すためです。「日本資本主義の父」渋沢栄一が晩年に尽力した人道支援、国際貢献についてお伝えします」

(2022年4月20日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

アルメニア人と中近東のキリスト教徒

ブランデーで有名なアルメニアはコーカサスのキリスト教国-「2014年ソチ冬季オリンピック」を機会に知っておこう!

書評 『新月の夜も十字架は輝く-中東のキリスト教徒-』(菅瀬晶子、NIHUプログラムイスラーム地域研究=監修、山川出版社、2010) ・・中東においては、イスラームよりも、おなじ一神教のキリスト教のほうが歴史がはるかに長い!


■虐殺と難民発生

欧州に向かう難民は「エクソダス」だという認識をもつ必要がある-TIME誌の特集(2015年10月19日号)を読む
・・シリア難民は虐殺を逃れてきた人々だ

映画 『アクト・オブ・キリング』(デンマーク・ノルウェー・英国、2012)をみてきた(2014年4月)-インドネシア現代史の暗部「9・30事件」を「加害者」の側から描くという方法論がもたらした成果に注目!
・・1965年のインドネシアでは100万人以上が虐殺された

ボリウッド映画 『ミルカ』(インド、2013年)を見てきた-独立後のインド現代史を体現する実在のトップアスリートを主人公にした喜怒哀楽てんこ盛りの感動大作
・・インド独立後にパキスタンとの国境地帯で起きた大虐殺

ハンガリー難民であった、スイスのフランス語作家アゴタ・クリストフのこと
・・1956年のハンガリー革命後、難民となってスイスに定住したハンガリー人作家

『移住・移民の世界地図』(ラッセル・キング、竹沢尚一郎・稲葉奈々子・高畑幸共訳、丸善出版、2011)で、グローバルな「人口移動」を空間的に把握する


自称「イスラーム国」 

書評 『イスラム国-テロリストが国家をつくる時-』(ロレッタ・ナポリオーニ、村井章子訳、文藝春秋、2015)-キーワードは「近代国家」志向と組織の「近代性」にある

「イスラーム国」登場の意味について考えるために-2015年1月に出版された日本人の池内恵氏とイタリア人のナポリオーニ氏の著作を読む


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2012年5月1日火曜日

書評『チューリップ・バブル ー 人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)ー バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!


世界初のバブル経済事件である17世紀オランダの「チューリップ・バブル」の真相を描いた歴史ノンフィクション

世界初のバブル経済事件である17世紀オランダの「チューリップ・バブル」

バブル(泡)がはじけて初めて、それがバブルだったと知る。人間の愚かな行動の実例として、なんども繰り返し言及されるバルの物語ですが、20世紀後半の日本人だけではなく、17世紀前半のオランダ人たちもまた同じでした。

世界経済の中心となったオランダ共和国は、海外貿易と投資活動によって富を蓄積した一部の富裕層の市民が牛耳る政治経済状況でした。

そんな状況のもと、一攫千金を夢見た職人層などがチューリップ投機に人生を賭けるようになっていきます。チューリップの球根が信じられないほどの値をつけ、「実物」の球根は、花を咲かせるまで地中に埋まっているのにかかわらず、転売につぐ転売を重ねて価格は天文学的に高騰していく・・・・。

日本の不動産バブルと似たようなものですね。

違うのは、17世紀オランダはまだ初期近代で資本主義の勃興期であったこと、20世紀後半の日本は後期近代で資本主義の成熟後期にあったことでしょう。

チューリップの球根であれ、不動産であれ、「実体」として存在していながらも、「情報」として流通し、「情報」であるがゆえにバブル的な熱狂を生み出したということなわけです。

本書『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)は、チューリップについての本でもあり、世界初のバブルの生成と崩壊についての本でもあります。また17世紀オランダ史であり、17世紀オランダ社会の一断面を切り取った社会史としての側面ももっています。

さすがケンブリッジ大学で本格的に学んで、歴史学で博士号を取得した人だけあって史実に対する追求は徹底的ですし、しかもストーリテリングの才能も発揮しているので、歴史ノンフィクションとしてはじつに読みでのあるものになっています。

17世紀オランダで「チューリップ・バブル」という、世界最初の「バブル経済」を生み出したチューリップですが、原産地は中央アジアのようです。トルコ民族の移動とともに、西へ西へと移動したのだとか。もともとは、トルコが本家本元なわけですね。

チューリップというとオランダという連想をもつ人が多いと思いますが、じつはチューリップは、17世紀にオスマントルコからオランダ共和国に導入されたものです。ですから、トルコのほうが本家本元

(イスタンブールのチューリップ園 2005年に筆者撮影)

実生では7年以上かかって、しかもどんな花が咲くのか咲いてみるまでわからないのがチューリップですが、球根ならすぐに咲くのが長所。ただし、子球の数は多くないのが玉にキズ。だから、球根が高値で取引されたわけです。

バブル(bubble:泡)とバルブ(bulb:球根)、なんとなく音が似ているのは不思議ですね。

「チューリップ・バブル」は、1637年2月に、一夜にしてクラッシュしたことが本書では活写されていますが、当時はまだ国全体で統一市場が成立していなかったので、地方ごとにバブル崩壊のにはタイムラグが若干存在したようです。


「チューリップ・バブル」をどう評価するか? 著者は、本書のなかで以下のような発言をしています。

チューリップ投機は始まりから終わりまで、オランダ経済の辺境で行われていたに過ぎなかった。(P.185)

結局、チューリップ・バブルは貧者と野心家のあいだを駆けめぐった熱狂にすぎず、一般に考えられているのとは違って、オランダ経済にはほとんど何の影響ももたらさなかった。(P.271)

おそらくこの見方が正しいのでしょう。

(イスタンブールのチューリップ園から 2005年に筆者撮影)
  
この本は、文庫オリジナルとして2000年に出版されたものです。日本語訳を購入してから、なんと12年! 今回ようやく読んでみました。日本語訳は残念なことに、すでに品切れです。

原著タイトルは Mike Dash, Tulipomania: The Story of the World's Most Coveted Flower & the Extraordinary Passions It Aroused, 2001, 1999 英文原著はいち早くペーパバック化されて順調に版を重ねているようです。

日本語版がいちはやく品切れで重版未定というのは、日本人の熱しやすく冷めやすいという性質が、如実に反映しているのかもしれません。

2000年はバブル崩壊からまだ10年、まだまだバブル時代の記憶が濃厚に残っていた年ですが、あれから12年もたつと、もはや二度と日本ではバブルは起きるはずがないから、歴史の教訓など学んでも仕方ないという「気分」が充満しているのでしょうか?

バブル崩壊からすでに20年以上たつ日本ですが、ミニバブルがつくられてははじけるという現象は、その後もたびたび起きています。

ミニバブルの背後にはかならず仕掛け人がいて、安直な金儲けという白昼夢を夢見る人びとがカモにされ、小金(こがね)、いや大金(たいきん)が巻き上げられるわけですね。詐欺まがいの話であることが多いミニバブルですが、今後も絶えることなく仕掛け続けられることでしょう。

その意味では、17世紀オランダの「チューリップ・バブル」は規模的な意味においても、20世紀後半に発生した日本のバブル経済よりも、いわゆるミニバブルに酷似していると言っていいかもしれません。

バブルの発生と崩壊の物語は、けっして過ぎ去った過去の昔話ではないのです。


<初出情報>

ブログへの書き下ろしです。





目 次

はじめに
プロローグ
第1章 天山山脈の谷
第2章 「至福の館」の奥深く
第3章 東方からの旅人
第4章 生涯を植物に捧げて
第5章 レイデン大学からの誘い
第6章 貴婦人の胸飾り
第7章 鏡の中のチューリップ
第8章 フロリスト
第9章 チューリップ狂時代
第10章 「金の葡萄亭」での取引
第11章 ウァウター・ウィンケルの孤児たち
第12章 バブル崩壊
第13章 娼婦の女神フローラ
第14章 チューリップ王の宮廷で
第15章 遅咲きの花
訳者あとがき

著者プロフィール

マイク・ダッシュ(Mike Dash)
Mike Dash is a Cambridge-educated writer and magazine publisher who appears regularly on British television and radio. A professional historian before he became a writer, he has written articles for The Guardian, The Daily Mail, and The Fortean Times. This is his third book. (英文原著につけられていたもの)。

  

<ブログ内関連記事>

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
・・「チューリップ・バブル」が発生した17世紀オランダについて、やや詳しく書いておいた。

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求

「自分の庭を耕やせ」と 18世紀フランスの啓蒙思想家ヴォルテールは言った-『カンディード』 を読む
・・この小説の主人公たちは、最終的にトルコに定住することになる

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)
・・オスマントルコが強大になった理由のひとつに、スペインから追放されたユダヤ人を大量に受け入れたことがある。ポルトガルからはユダヤ人が大量にオランダに移民している。これらについて、ややくわしく書いておいた

書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)・・著者が1980年代からフォローしてきた植物工場先進国のオランダの事例は興味深い。オランダは切り花の生産国として世界に君臨していることは周知のとおり

マンガ 『闇金 ウシジマくん ① 』(真鍋昌平、小学館、2004)


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