「国民国家」が融解し液状化つつある冷戦後、すなわち「近代」終焉後の世界のなか、
「国家」としての自立を志向する「イスラーム国」の本質とはなにかについて多面的に考察した本である。
すでにこのブログでも、
「イスラーム国」登場の意味について考えるために-2015年1月に出版された日本人の池内恵氏とイタリア人のナポリオーニ氏の著作を読む と題した記事で取り上げているのだが、
ナポレオーニ氏の手になる本書は、よりわたしの問題関心に近いので、さらにくわしく取り上げてみたいと考えた次第だ。
その問題関心とは、中東の情勢のみならず、
500年にわたってつづいてきた西欧中心の「近代」という時代が終わり、つぎの時代にむけての「大転換期」をどう見るかということと、
このような時代環境のなかで、あらたに「国家」建設を目指すということが何を意味し、今後の国際情勢にどういう影響を与えていくのかという問題関心である。イスラーム過激派の思想そのものへの関心よりも、こちらのほうがわたしにとっては大きい。
日本語版のタイトルは、
『イスラム国家-テロリストが国家をつくる時』となっているが、原題は
The Islamist Phoenix - The Islamic State and the Redrawing of the Middle East, Seven Stories Press, 2014 である。直訳すれば、『イスラーム主義の不死鳥-イスラーム国と中東地図の描き直し-』となるが、日本語版のタイトルのほうが、むしろ内容を要約しているといってよいかもしれない。
いずれにせよ、
2014年に「イスラーム国」がみずからを「カリフ制のもとにおける国家」と宣言し、
そう自称している理由をきちんと捉えなくては、事の本質を見誤るということだ。英語圏の政策担当者やメディアが ISIS や ISIL といった略語を使用して、けっして Islamic State(=イスラーム国)とよぶことを避けているのは、
デファクトに存在しながらも「国家」とは見なさないという姿勢であり、著者の姿勢はそれとは一線を画している。
その点、
日本のマスコミは「イスラム国」という固有名詞を使用している点においては、英米圏のメディアよりもマシであるといえるかもしれない。ISIS(アイシス)や ISIL(アイシル) といった英語の略語は、聴き取りにくいし発音もしにくいという事情もあるのだろう。
1955年生まれの著者は、もともとフェミニストであったが、英米で教育をうけた
ファイナンスの専門家で、テロリストの資金調達の解明から踏み込んだテロ問題の政策アドバイザーでもある。
ローマ生まれのイタリア人という立ち位置。
イタリアはかつて1960年代の終わりから1980年代にかけて「赤い旅団」による極左テロの嵐が吹き荒れた国である。
じつは、幼なじみが「赤い旅団」のテロリストであったことがのちにわかり、その本人からのリクエストで拘置所で面会を繰り返すようになって気づいたことが、著者が
資金調達の観点からテロリズムを研究するキッカケになったのだという。これは
著者自身が TED Talk で英語で語っているのだが、テロリストとの会話内容が国際金融関係者との会話内容と酷似していることに気がついたのだという。
資金調達という観点からみると、「テロ活動はビジネス」である、と。
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「イスラーム国」は「規律」と「純化」を徹底する本質的に「近代的」な存在
本書によれば、イスラーム国が経済的に自立できたのは、
中東のイラク情勢とシリア情勢の激動といった背景があるだけでなく、
冷戦後の「多極化」という状況も大いに預かっているという。シリアとイラクという「国民国家」崩壊で生じた、ホッブス的な無政府状態ともいうべき政治的真空状態を巧みに利用したのである。
冷戦時代は米ソの「代理戦争」だったものが、
冷戦後に進展したグローバリゼーションという多極化時代においては敵と味方が不明瞭な複雑な状況となり、
結果として「イスラーム国」は援助をつまみ食いし、さらに原油密輸や身代金ビジネスなどで自前の資金調達を行いながら、特定のスポンサーをもたずに経済的独立を勝ち得たのである、と。
「イスラーム国」以前にも「国家」樹立を目指したテロ組織は、アラファト率いるPLO(=パレスチナ解放機構)があったが、支援国からの豊富な援助で腐敗が蔓延しているのが実態だという。それに対して、
「イスラーム国」は腐敗防止のため兵士は薄給で(・・これはメディア報道とは異なる)、しかも
戦闘員には厳しい「規律」を重視しているという。
さらには、サラフィー主義による
原点回帰という「純化」や「浄化」を志向する組織であることを視野に入れれば、
いわゆる清濁併せのむ「帝国」ではなく、民族と宗教によって「純化」した「近代国家」を志向していることが見てとれる。
大英帝国の「負の遺産」である、宗派と民族の寄せ集めである「人工国家イラク」と対比せざるをえない。
最新のインターネットテクノロジーやメディア戦略を実行するという「合理性」だけではなく、組織自体が本質的に「近代的」なのである。
「非合理的」に見える理想を「合理的」な手段でもって実現しようとしているのである。
「純化」や「規律」といえば、まさに「近代」そのものではないか!
現象としては、領土を確保し領域を拡大するという戦国時代の「国盗り物語」(・・司馬遼太郎の小説のタイトル)的な印象を受けるのだが、
「西洋列強」がフレームワークをつくった第一次世界大戦後の、オスマン・トルコ帝国崩壊にともなう中東における国際秩序を打破するというかれらの主張が、経済的にも思想的にも裏付けのある行動であることに注目しなくてはならないのだ。
アメリカという「遠い敵」にテロ攻撃を行い、しかも構成員が外人集団であったビン・ラディンのアルカーイダとは違い、
「イスラーム国」は、イラクとシリアという地域から生まれ、地域の問題に敏感なのである、という。反対派を追放したり抹殺するが、それなりに「善政」を敷いて支配下のスンニー派の人々の支持を得ているといわれる。
さらに、イラクのフセイン政権での治安担当者たちが大量に合流しているらしい。外国人をリクルートすることばかりに焦点があたっているが、外人比率は小さい
。「イスラーム国」は外人部隊ではないのである。
領土占領によって民族国家を建設するという志向性は、まさに著者が指摘するように
イスラエル建国を想起させるものがある。イスラエルの場合は、遠い過去を現代に再現するという点において、「カリフ制再興」という目標を掲げてそれを実現しようとした点に共通性が見られるのである。おそらく、著者はムスリムでもユダヤ教徒でもないようなので、このような大胆な発言を可能としているのだろう。「イスラーム国」自身も、イスラエルをとくに敵対視していないようだ。敵はシーア派である。
さらにイスラエル建国だけでなく、
遠い過去である紀元前の「ローマ建国」にまで言及しているのは、著者がローマ生まれのイタリア人ならではである。被征服者となったサヴィニー族の女性たちにかんする指摘が興味深い。「イスラーム国」による住民支配を理解するカギの一つにもなる。
さきに「戦国時代」のようだと書いたが、著者は日本については言及はしていないものの、日本人としては、
「近代化」の開始となった1868年の明治維新には「復古革命」という異なる側面もあり、その思想的背景には、外国人排除をスローガンとした「攘夷」という、「神の国」化による「浄化」という要素が濃厚に存在したことも想起しておいたほうがよいのではないだろうか。
「聖戦」という表現も大東亜戦争において使用されたという過去を想起する必要がある。
「イスラーム国」を支える思想的背景の
サラフィー主義は、もともとは「近代化=西欧化」を肯定的に捉えたアラブ世界近代化の思想だが、西欧による植民地化によって変貌した。この事実は、「近代国家」樹立を志向する「イスラーム国」について考えるうえで興味深い。