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2024年7月15日月曜日

書評『アメリカは内戦に向かうのか』(バーバラ・F・ウォルター、井坂康志訳、東洋経済新報社、2023)― 「民主主義」が休息に弱体化しつつあるアメリカは内戦の瀬戸際にある

 

昨日(2024年7月14日 現地は13日午後6時過ぎ)、大統領選挙遊説中で選挙集会で演説していたトランプ元大統領が狙撃され、右耳の上部を負傷し流血するという事件が発生した。暗殺未遂事件である。  

あと1~2センチずれていたら、弾丸はアタマを貫通し即死していただろう。プロンプトの原稿を見るために少し首を傾けたから軽傷で済んだのだ。トランプ氏は、じつに強運の人物である。 奇跡的としかいいようがない。

ここで仮定(What-if)について考えなくてはならない。もし仮に、トランプ氏が狙撃によって即死し、しかも狙撃犯が「有色人種」だったら・・・

内戦の引き金になっていた可能性は高い。歴史が変わった瞬間となった可能性は否定できない。その意味においても、胸をなでおろすしかない。 


(8月5日付けのTIME誌の表紙に決定した「決定的写真」)


いまこそ、この本を読むタイミングがやってきたと思い、『アメリカは内戦に向かうのか』(バーバラ・F・ウォルター、井坂康志訳、東洋経済新報社、2023)を読むことにした。 

原題は、How Civil War Start : And How To Stop Them である。「内戦」(Civil war)はいかにして起こるのか、そしていかにして回避するのかをテーマに研究している国際安全保障の専門家による警鐘本である。  

「アメリカの内戦」を想起させるような日本語タイトルだが、全体で8章のうち、アメリカに焦点を絞って論じているのは、第6章から最後の8章までである。前半は、第二次大戦後に世界各地で発生してきた「内戦」について記述している。 


■民主主義の弱体化、あるいは専制体制のほころびが問題である

本書のキーコンセプトは「アノクラシー」(anocracy)である。アノクラシーとは聞き慣れないコトバだが、民主主義と専制体制の中間領域のことを指している政治学用語だ*。中文では「無支配体制」と訳されている。

*  「アノクラシー」(Anocracy)については、英語は当然のことだが、wikipedia項目に日本語版がないには日本人の問題意識が低いことを意味しているのだろうか。「無支配體制」と題して中文繁体字があるのは、台湾では関心が高いことを意味しているのだろう。


内戦にかんするデータ分析の結果、わかってきたことは、意外なことに一般常識に反するものかもしれない。 

民主主義が健全に機能しているときだけでなく、専制体制が確立している状態でも内戦は発生しないのである。

民主主義が弱体化し、あるいは専制体制にほころびが見えてくると、内戦の可能性が高まってくるのだ。それがアノクラシーである。

ティトー死後のユーゴスラヴィアも、サッダーム・フセイン体制崩壊後のイラクも、国軍によるクーデター後のミャンマーも、いずれもアノクラシーに陥った結果、激しい内戦状態となっている。先進国の人間にとっても、けっして他人事と考えないほうがいい。 


(米国で2024年4月に公開された映画『Civil War』(シビル・ウォー=内戦))





■内戦の引き金になるのは「分断」よりも「派閥」

また、著者は「分断」そのものが問題だとはしていない。むしろ問題なのは「派閥」(faction)の存在だ。 ただし、こここでいう「派閥」は、日本の自民党の派閥を連想してはいけない。

選挙によって多数派が支配する民主主義体制のもとでは、少数派とくに土着の存在だが少数派に転落してしまった人たちの希望が打ち砕かれたとき、暴力的に問題を解決する方向に向かいやすい。 

転落した少数派が民兵(ミリシア)を組織し、過激化して暴力的にテロやゲリラ戦に打って出るとき、内乱や内戦に発展していく。 外国勢力を呼び込んだとき、その可能性が高まることは言うまでもない。

日本語のタイトルに「南北戦争」がでてくるので誤解しやすいが、「南北戦争」はアメリカでは The Civil War という。大文字で始まる「内戦」のことだ。 

「南北戦争」すなわち「1860年代前半の内戦」(The Civil War)では地理的に南北が分断されたが、現在の分断は地理的な分断ではない。

現在の「分断」は、「1960年代の公民権運動」(Civil Rights Movement)以来の分断状況だと著者は認識しているが、先にも見たように分断そのものが内戦に発展するわけではないとしている。 

現在アメリカで希望を打ち砕かれた少数派とは、白人貧困層である。白人至上主義者たちが組織する民兵が暴力的なテロやゲリラ戦に打って出たとき、内戦の危険性が一気に高まることになる。 

著者は、その兆候は1990年代から顕在化してきたという。そして、2013年以降アメリカは「アノクラシー」化しているのだ、と。 民主主義が急速に弱体化しつつあるのだ。

アメリカでは、JFKやリンカーンなど過去4人の大統領が暗殺されている。今回のトランプ氏の暗殺未遂の前にも、レーガン大統領が狙撃され負傷している。 ところが驚くべきことに、日本では憲政史上7人も首相が暗殺されているのだ。

戦後は、1970年代の極左テロがあったものの、内戦もクーデターもなかった日本だが、1995年にはオウム真理教による政府転覆計画が未遂に終わっている。

つい2年前には、安倍元首相が暗殺されている。 けっしてアメリカの状況を対岸の火事と考えるべきではない。内戦を引き起こす理由がなにか、認識していかなくてはならない、

また、なぜアパルトヘイト体制末期の南アフリカで内戦が回避できたのか、その理由について考えることも重要だ。


(画像をクリック!)


目 次
日本語版へのメッセージ 
序章 今、内戦の時代が始まろうとしている 
第1章 アノクラシー 魔の中間地帯 
第2章 暴動の発火点 
第3章 「格下げ」がもたらす悪夢 
第4章 希望が死ぬとき 
第5章 暴動増幅装置 SNSの罠 
第6章 足元に忍び寄る不吉な影 
第7章 内戦 真実の姿 
第8章 内戦を阻むために今なすべきこと 
原注 

著者プロフィール
バーバラ・F. ウォルター(Barbara F. Walter) 
カリフォルニア大学サンディエゴ校政治学教授。シカゴ大学政治学M.A. および Ph.D. 取得。国際安全保障の権威であり、内戦、非通常型暴力、交渉と紛争に重点を置いている。本書は、『フィナンシャル・タイムズ』『サンデー・タイムズ』『エスクァイア』の2022年ベストブックに選ばれている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


(Is America at Risk of a Civil War?  National Press Foundation 2022年10月11日アップ)


<関連サイト>


(2024年7月24日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

・・「憲法に規定された理念先行国家と実際のズレ」が「性と暴力の特異性」として顕在化している

・・「社会の底辺層で、出口なしの状態で鬱屈している男たちのルサンチマンを解放するクラブ、それがファイト・クラブだ。(・・・中略・・・) 物欲を否定したシンプルな世界への指向性。たしかに、これは21世紀以降の若者の意識の動きを先取りしたものであるかもしれない。描かれているのは暴力的世界であり、ある種の暴力革命への指向性でもあるのだが。」






(2024年7月27日 情報追加)


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2023年11月8日水曜日

ハマスによるテロは容認できないが、ガザの被害が酷すぎる。「2023年イスラエル・ハマス戦争」は「第5次中東戦争」に発展してしまうのか?(2023年11月8日)

 

TIME magazine の最新号のカバーがこれだ。「ガザの恐怖(ホラー)」(The Horror of Gaza)とキャプションがついた廃墟の写真。イスラエルによる空爆の結果である。

米国の週刊誌だが、このカバーには、米国内の世論だけでなく、国際世論の変化が如実に表現されている。

2023年10月7日のハマスによるテロから1ヶ月がたった。「10・7」である。

最初は世界中でイスラエルを全面的に支持する声があがったが、風向きは完全に変わっている。

地上作戦に先行して始まったガザの空爆によって、戦闘員ではないシビリアンの死傷者が日に日に増大しているのだ。巻き添え被害という段階を超えている。


(深層NEWS 2023年11月7日放送より)


イスラエル側の死者は1,400人と、テロから数日たった時点と変化はない。だが、ガザ側の死者はあっという間に1万人を超えてしまった。まったく止まる気配もない。

単純な比較論をするつもりはないが、あまりにも「非対称的」ではないか。非対称的なのは軍事力だけではない。無慈悲さという点において、国家としてのイスラエルがはるかに酷い。命の軽重があると見なしているとしか思えない。

安易な比較は禁物だが、空爆に従事する空軍兵士にとっての爆弾投下やミサイル発射は、歩兵が対面で敵兵を射殺するよりも、はるかに精神的負担が小さいはずだ。空爆が無慈悲なのはそこに理由がある。

もちろん、イスラエルの存在そのものを否定するつもりなどまったくない。イスラエルに自衛権はある。テロが容認できるわけがない。これは大原則だ。

とわいうものの、「10・7」の大規模テロを「誘発」した右派政権には怒りを感じている。

テロが発生してからのイスラエル政権の反応で最初から気になっていたのは、ハマス「殲滅」が目的と語りながらも、人質救出が出てこなかったことだ。人命が軽視されているのではないか? 本末転倒ではないか?

おそらく、イスラエルの現政権に「人質の全員救出」は視野にないのだろう。人質のうちどれだけ救出されたら良しといているのかわからないが、物事を数字でしか考えていないように思われる。確率論でしか考えていないように思われる。

そもそも「ハマス殲滅」などできるはずもない。テロリストは排除できても、思想が生き残り限り、テロリスト予備軍は無数に生まれてくる。しかも、ガザ地区の出生率は高い。

「民族浄化」とは言い過ぎだが、イスラエルの右派はパレスチナ人が消えてしまえばいいと思っているのかもしれない。 


■現在のイスラエルは「戦前日本」を想起させるものがある

イスラエルはどこまで突き進むのか? 誰にも止めることはできないのか?

残念ながら、この流れを変えるのはむずかしそうだ。

現在のイスラエルは、日本人の目から見ると、どうしても無謀な戦争に突き進んでいった「戦前の日本」を想起しないわけにはいかない。誰の言うことにも耳を貸さない、見たいものしか見ようとしない状態。

「満州事変」によって満洲を支配下においたことに批判を受け、国際連盟を脱退した日本。いまから90年前の1933年のことだ。ガザ空爆を批判する国連事務総長をに猛烈に反発し、辞任を要求するイスラエル。いま現在の2023年のことだ。

「神国日本」は、大東亜戦争の敗戦によって強制的にストップがかけられた。全土にわたる空爆と原爆投下、そして悲惨な沖縄戦という痛い代償をともなうものであった。大日本帝国は崩壊したが、幸いなことに「新生日本」として再建することはできた。

「民族国家」として建国されたイスラエルは、どうしても明治維新後の「戦前日本」と重ね合わせてみてしまう。

「復古革命」として近代社会に登場した両国である。明治維新とイスラエル独立は、「復古」を旗印に掲げた、あらたな「ネーション・ステート」(=国民国家、あるいは民族国家)創設の試みであったことは共通している。

「革命」後は、外敵からの脅威と戦いながらも、健全な発展を遂げた両国である。日本においては日清戦争と日露戦争。イスラエルにおいては4次にわたる中東戦争。

ところが、時間の経過とともに「神国日本」を狂熱的にエスカレートさせた極右派の日本人と、「神国イスラエル」を狂熱的にエスカレートさせ現実に行動を行っている極右派のユダヤ系イスラエル人が登場してくる。いわゆる「宗教シオニズム」である。

日本もイスラエルも、極右派の思考においては、「民族宗教」の立場から「国土を神に与えられた土地」とみなす思考が共通している。旧約聖書に記された「神話」、日本書紀と古事記に記された「神話」。ともに19世紀以降に再発見され、活性化した「神話」だ。

イスラエルもまた、完膚なきまでの致命的な敗戦を体験しないと、生まれ変わることはできないのかもしれない。そんな悲観的な思いさえ抱きたくなる。イスラエルは米国の軍事援助に依存しており、経済的な側面から考えても未来永劫に勝ち続けるなど、不可能な話である。敗戦という可能性もゼロとはいえない。

だが、そのときにはイスラエルは「滅亡」しているだろう。であるなら、「出口戦略」、つまり戦争の終わらせ方を考えなくてはならない。戦争目的を「ハマス殲滅」においていては、いつになっても戦争は終わらない。具体的な「出口戦略」が必要だ。

言うは易しであるが、イスラエル国民のなかの良識ある人たちに期待するしかない。


■第3次グローバリゼーションが終わったあとに訪れたカオス状態

「新型コロナ感染症」(COVID-19)が下火になったことで、世界秩序の崩壊が可視化されてきた。

感染症の流行前に、すでにグローバリゼーションが終わっていたのだが、グローバリゼーションの末路は、いつもこのような大崩壊を迎えている。第3次グローバリゼーションのあともまた例外ではなかったことが可視化された。

黒海の北側ではロシアの侵略によって始まった「ウクライナ戦争」、中東のど真ん中の東地中海では「イスラエル・ハマス戦争」。忘れられがちだが、ミャンマーでも国軍による国民弾圧と戦闘がつづいている。

これらの戦争はまだ「地域戦争」にとどまっているが、「2023年イスラエル・ハマス戦争」が「第5次中東戦争」に発展しないとも限らない。イスラエルの姿勢から「限定戦争」の様相が見えてこないからだ。さらなる戦争を誘発する可能性はゼロではない。

あらたな秩序が生まれるのは、まだまだ時間がかかる。数十年におよぶ産みの苦しみに、地球の住民は耐えなくてはならない。そんな状況のなかでも、人は生きていかなくてはならない。



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2023年11月6日月曜日

書評『宗教と過激思想 ― 現代の信仰と社会に何が起きているか』(藤原聖子、中公新書、2021)― 社会的公正の実現を主張する人たちが切迫感にかられて暴力やテロに訴える背景にあるものとは

 


思わず手に取りたくなるタイトルである。「宗教」と「過激思想」と、2つのことばが「と」で挟まれている。だが、ほんとうは「宗教」は「過激思想」であると、「は」で挟んだほうがいいかもしれない。

そもそも、どんな宗教であれ、社会から受け入れられ、成熟化して「穏健化」するまでは「過激」である。自己主張のかたまりであるからこそ、新興宗教に限らず、どんな宗教でも他の宗教との違いをことさら強調する。設立最初は「過激」にならざるをえないはずだ。

とはいえ、暴力的で「過激」に見える宗教が目立つのはなぜか。とくに2000年代に入ってから「過激」さが際立っているのがイスラーム主義者のテロや暴力行為。前近代では「異端」とされていた宗教思想は、現代では「過激」な宗教思想となっている。英語では religious extremism という。

著者は、過激な言動の背後にある「思想」に注目している。暴力やテロなどの過激な行動を起こす「人物」は、それぞれに個別の動機や背景があるが、外部からその真意をうかがい知ることはむずかしい。

それに対して、ことばで表現された「思想」は分析の対象として適切だ。しかも、比較分析が可能となるし、その分析から傾向を導きだすことができる。


■事例研究の対象としての「世界宗教」

著者は、結論ありきのアプローチではなく、事例を分析しながら現代の過激な宗教思想の「共通性」をあぶりだそうと試みている。

まずは、「世界宗教」あるいは「普遍宗教」とされている世界の三大宗教について、イスラム系過激思想、キリスト教系過激思想、仏教系過激思想から事例をとりあげている。

イスラム系過激思想からは、20世紀エジプトのイスラーム思想家サイード・クトゥブと米国の黒人解放指導者マルカムXが対比されているが、この2人がイスラーム主義者であり、かつ同時代人であったという指摘に、はっとささられる。

宗教が先にありきか、民族主義が先にありきか。これがかれらの相違点だ。マルカムXは、暴力を肯定していたわけではない。そこが、アルカーイダやISISの源流とされるクトゥブとの違いだ。

キリスト教系過激思想からは、白人でありながら黒人解放のため暴力も辞さず、「テロリストの父」とよばれる19世紀のジョン・ブラウン、中絶反対のためテロも暴力も辞さない米国の「プロ・ライフ」の福音派のキリスト教徒たち。

そして、仏教系過激思想からは、日本で「一人一殺」を実行した井上日召、暴力の向かう先が他者ではなく自分に対してであるが、焼身による抵抗運動をおこなうチベットの僧侶たちがとりあげられる。

暴力も辞さない過激な宗教思想は、けっして「一神教」特有のものではないことが明らかになる。一神教か一神教多神教かという、通俗的な二分法では見えてこないものがあるのだ。


■「民族宗教」と暴力化する「ナショナリズム」
 
過激な宗教思想は、世界宗教だけではない。

むしろ「民族宗教」こそ、かえって見えやすい形で「ナショナリズム」とむすびつきやすい。みずからが属する集団の「アイデンティティを、他者を否定するかたちで明確化するのである。

自民族至上主義、他民族排斥主義を主張する過激な宗教思想。「ナショナリズム」を近代に生まれた代替宗教と考えれば、これらの過激な思想は、ナショナリズムの極北といえるものであろうか。

取り上げられているのは、イスラエルとインド、そして日本の民族宗教である。ユダヤ教は「一神教」、ヒンドゥー教と神道は一般に「多神教」と分類されているが、むしろ「民族宗教」という側面に注目すべきである。本質的な差違は、一神教か否かという点には存在しない。

米国生まれでイスラエルに移住した正統派ユダヤ教のラビのメイル・カハネは、その暗殺後も、カハネ主義としてテロ組織認定されながらも、イスラエルでは熱烈な支持者がいる。選民思想の極地ともいうべき極端な思想である。


ヒンドゥー至上主義を唱える政党 BJP が、現在のモディ政権の出身母体であることは、比較的よく知られていることだ。隣国パキスタンやインド国内のイスラーム主義者によるテロや暴力からの脅威を批判し、それに対抗するための過激な言動を実際の政策に反映させている。

このインドの状況は、現在のイスラエルとよく似ているのではないか。

ムスリムとの共存を説いた「インド独立の父」ガンディーはヒンドゥー教徒であったが、過激なヒンドゥー至上主義者の青年によって暗殺されている。近年のインドでは、ガンディー暗殺犯を英雄として礼賛するインド人が増えているという情報もある。

インドとイスラエルは期間に違いがあるとはいえ、ともに英国の統治下から「独立」したことも共通している。この件は本書とは直接関係はないが、その他にも共通点が少なからずあることに気がつかされた。

神道系過激思想からは、安藤昌益が取り上げられているのは意外であった。

現在のイスラエルやインドの状況を想起させるような、戦前の「国体思想」につながる本居宣長や平田篤胤の思想ではなく、いっけん平和思想に見える安藤昌益の思想の過激性に注目している。

東洋系の宗教に共通するテーマだが、「梵我一如」や「天人合一」と表現される宗教思想のもつ正負両面に注目する必要がある。

ポジティブな側面とは「人類みなきょうだい」という人類愛の思想、ネガティブな側面とは「天に代わって悪を撃つ」ことが許されるという思想である。後者はテロを正当化することにつながりやすい。

宗教が説く人類愛と、不公正を糺すためにテロに訴える宗教思想は、じつは同根なのである。



■なぜ過激な宗教思想は暴力やテロと結びつきやすいのか

著者は、事例研究から過激な宗教思想の共通点を抽出している。著者が整理した4項目を、さらにわたしなりに書き直しておこう。


1. 「公正」な社会を求めていること。たんなる幸福ではなく、社会的な公正が実現されていないことを批判し、「不公正を糺す」ための行動が必要だとする
2. 問題解決に「いまでなければいつ?」という「切迫性」を感じていること
3. 西洋近代が生み出した民主主義、リベラリズム、社会主義、宗教性のないナショナリズムでは社会的公正は実現しないとし、問題解決を宗教そのものに求める
4. 自分が信じる宗教が、社会的公正実現の唯一のあり方だとみなし、そこに敵の存在を前提にした否定的な形での「アイデンティティ」を見いだす。「世界宗教」の場合は、国境を越えたネットワークを志向し、「民族宗教」の場合は国境線で明確にウチとソトを区分する道を選ぶ


「公正」とは英語でいえばジャスティス(Justice)のことだ。「公正な」(just)な社会の実現こそがカギである。経済格差が拡大し、平等とはほど遠いという不公正。自分が割を食っているという不公平感。いずれも近代社会であるからこそ、生まれてくる感情である。

社会的公正を実現しなくてはならない。だが、民主主義的なプロセスなどまどろっこしい。「切迫感」を感じるからこそ、直接的な行動、つまり暴力やテロに訴える。短絡的にそう思いがちがちなのである。そして、その行動の背景には、過激な宗教思想があることが多い。

ただし、革命のような体制変革ではなく、あくまでもテロの段階にとどまる。パフォーマンス的なのである。

この本を読んでいると、明解に整理された結論がむりなく導きだされるのを感じて、ある種の心地よさを感じる。だが、はたしてだから読者であるわれわれは、いったいどうすべきなのかという疑問も生まれてくる。

おそらく、このような本を読む人は、過激な宗教が背景にある暴力やテロ事件が多発する理由を知りたいと思う人が大半であって、実際に過激な宗教思想を抱いていて、社会的公正の実現のためにテロを起こそうなどという人はいないだろう。

とはいえ、ネットに横行する陰謀論が引き金になっているケースは増大しつつある。トランプ主義者たちによる米国の連邦議会襲撃事件の引き金になったのも、ディープステート(DS)などのオカルト的な陰謀論であった。いとも簡単に陰謀論に絡め取られてしまう危ない状況。

本書が出版されたのは2021年5月、その翌年の2022年7月には、「安倍元首相銃撃事件」が発生している。

暗殺者の行動に、宗教的な背景が直接的に影響を与えているかどうかは別にして(・・井上日召の場合も、後付け的性格が濃厚だと著者が指摘している)、日本では「テロの伝統」があることを忘れてはならない。

本書ではサタニズム(悪魔主義)について簡単に触れられているが、過激な宗教思想だけでなく、オカルト的な陰謀論の影響についても、考察を深める必要がある。

著者の表現をつかえば、「思想内在的過激性」についての自覚が必要なのである。



 (画像をクリック!)


目 次 
はじめに 「イスラム過激思想」という造語への疑問 
序章 宗教・過激に関わるいくつかの言葉 
第1章 「アンチ西洋」ではくくれない ― イスラム系過激思想 
第2章 「弱き者のため」のエネルギーはどこから ― キリスト教系過激思想 
第3章 善悪二元論ではないのに ― 仏教系過激思想 
第4章 ナショナリズムと鶏卵関係か ― ユダヤ教・ヒンドゥー教・神道系過激思想 
第5章 過激派と異端はどう違うか 
終章 宗教的過激思想とは何か 
おわりに 「宗教的過激思想」が照らし出すもの 
あとがき
参考文献

著者プロフィール
藤原聖子(ふじわら・さとこ)
1963年東京生まれ。1986年東京大学文学部卒業、2001年シカゴ大学大学院博士課程修了(Ph.D)。東京大学大学院人文社会系研究科准教授などを経て、2017年から同教授。著書 には、『現代アメリカ宗教地図』(平凡社新書、2009)、 『教科書の中の宗教―この奇妙な実態』(岩波新書、2011)、 『ポスト多文化主義教育が描く宗教 イギリス<共同体の結束>政策の功罪』(岩波書店、2017)など多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものにWikipedia情報を付加)



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■陰謀論・オカルト・フェイク情報





■インドとイスラエルの「民族宗教」と過激なナショナリズム





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2023年10月27日金曜日

スピールバーグ監督の映画『ミュンヘン』(2005年、米国)を日本公開から17年ぶりに視聴。 一般人に対する残虐なテロ事件にどう対応すべきかという困難な課題

 

スピールバーグ監督の映画『ミュンヘン』(2005年)を amazon prime video でひさびさに視聴した。日本公開は2006だから、17年ぶりということになる。

163分とはじつに長い。長いだけでなく、全編に張り詰めた緊張感と、主人公のメンタルダメージもあって、ものすごく消耗してしまう。自宅でPCで視聴していてもそうだ。

ミュンヘン・オリンピック大会の選手村で起こったイスラエル選手団虐殺事件。その報復は、「神の怒り作戦」として、パレスチナのゲリラ組織指導者11人暗殺として実行に移されることになる。

そのミッションのリーダーとしてまかされたのが、対外情報機関「モサド」に所属していた主人公であり、その暗殺ミッションの成功と苦悩を描いた作品だ。

暗殺が実行されるのは、ヨーロッパ域内のローマ、パリ、キプロス、それにベイルート、そしてアムステルダムである。

ターゲットを絞り込み、一般人が巻き添えになることは極力回避するのが基本方針である。暗殺の実行者メンバーは、みな「存在しないはずの人物」という扱いになっている。主人公もモサドから籍を抜いている。

だが、まったくカタルシスのない映画である。爆殺と乱射という暴力シーンが連続するからではない。

報復のための暗殺作戦ミッションの成功ストーリーに見えながら、じつはそうではないからだ。

数人の暗殺に成功したがゆえに生まれてくるジレンマと心理的コンフリクト。もうこれ以上は自分にはできない。そこまで追い詰められる主人公は、最後までコミットすることなく職務の継続を拒否する。

いろんな意味で、あまり後味のよい映画ではない。むしろ、問題をつきつけてくる映画である。

ひさびさに視聴してみると、さすがに17年もたっているためか、鮮烈に覚えているシーンとそうでないシーンがあることが確認される。

ゴルダ・メイア首相じきじきの依頼のシーンと、パリでの爆殺シーンなどは鮮明に記憶していたが、それ以外は忘れていた。記憶というものがじつにあいまいなものであるか実感する。



■1972年ミュンヘン・オリンピック大会

自分は1972年のミュンヘン・オリンピックは、リアルタイムで知っている世代だ。

男子バレーボール代表チームをアニメ化した『ミュンヘンへの道』を毎週見ていた。男子バレーボールは見事に優勝している。その年の2月には、札幌で冬期オリンピック大会があった。東京でも雪が降っていた。

もちろん、イスラエル人選手団の選手たちが虐殺された事件もリアルタイムで知っている。全員が選手村の宿舎で殺害されたと記憶していたが、それはまったく違っていた。2006年にこの映画を見ていたのに、1972年の記憶が修正されていない不思議さ。

イスラエル選手団虐殺事件は、「ミュンヘン・オリンピック事件」とよばれている。1972年9月5日のできごとだ。イスラエルのオリンピック選手11名が虐殺された事件は、それはもう衝撃的な事件であった。

犯行を実行したのは、パレスチナ武装組織「ブラック・セプテンバー」(黒い九月)である。

日本赤軍の岡本公三などが、イスラエルのテルアヴィヴの国際空港で26人の死者をだす乱射事件を起こしたのは、1972年5月30日のことであった。日本人テロリストがイスラエルでテロ事件を起こしていることを忘れてはいけない。

航空機をハイジャックする事件もひんぱんに起こっていた。1968年から1972年にかけては、日本を含めた先進国で極左テロの嵐が吹き荒れた時代である。そんなさなかで発生したのが、ミュンヘン・オリンピック事件だったのである。


■「第4次中東戦争」は「ミュンヘン・オリンピック事件」の翌年

ことし2023年10月7日の、パレスチナのテロ組織ハマスによるイスラエルへのサプライズ・アタックから3週間たった。

「ヨムキプール戦争」とよばれる「第4次中東戦争」は1973年10月6日が起こってから、ちょうど50年目のできごとであった。ただし、この戦争は映画には反映されていない。

2023年10月7日は「ヨムキプール」から始まるユダヤ教の祝祭日の最後にあたる「シムハット・トーラー」でシャバット(安息日)あった。イスラエルは、また隙をつかれたのである。

コンサート会場での一般人虐殺、キブツでの住民虐殺、人質を拉致するするなどのテロ行為を行ったハマスに対する攻撃が行われている。イスラエル側の死者は1400人にのぼっている。

ガザのパレスチナ人の一般民衆を巻き添えにした攻撃に国際的批判が起こっているが、それは当然だ。すでに5000人以上の一般人が空爆の巻き添えになっている。

イスラエルが公開したキブツでの虐殺現場の動画を見ていると、「ミュンヘン・オリンピック大会」での選手たちの虐殺シーンと重なりあうものがある。軍事衝突ではないのである。抵抗できない人質たちがマシンガンで虐殺されているからだ。

軍事衝突なら、軍人が戦場で解決すればいい。だが、一般人を対象にしたテロの場合は、そうはいかない。テロに対してテロで応酬せよという声が、かならず起こってくるからだ。

被害者遺族よりも、むしろ直接の当事者ではない一般国民の報復感情が燃え上がりやすいからだ。ホロコースト後のユダヤ人の場合は、なおさらであろう。

実際、モサドとシンベットが共同で「ニリ」という特殊部隊を創設している。要人暗殺作戦が何年にもわたって実行されるのであろう。「黒い9月」のケースにおいても、最後のターゲットが暗殺されたのは、事件から約7年後の1979年であった。

だが、テロに対する報復感情は、なにものも生み出さない。なぜなら、テロは行為そのものであるが、テロの背後には思想があるからだ。テロの指導者を抹殺したところで、その思想の継承者がまた生まれてくる。

そんなセリフを主人公に語らせているスピールバーグ監督は、ユダヤ系米国人であるが、イスラエル人ではない。この映画は、公開当時はイスラエルでは批判も多かったという。その意味を考える必要がある。

この映画が製作され公開された2005年は、米国で「9・11」テロが起こった2001年から4年後のことであった。






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・・連続して暴力シーンを見せられることになる観客は、いったい「ドイツ赤軍」(RAF:Rote Armee Fraktion)とは何だったのかと自問自答せざるを得ない。






■スピールバーグ監督映画




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