「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2025 禁無断転載!



ラベル ターミナルケア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ターミナルケア の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年6月21日土曜日

書評『透析を止めた日』(堀川惠子、講談社、2024)― ノンフィクションの「極北」というべき作品。壮絶なまでの看取りの記録と日本の医療が抱える現状に対する問題提起

 

 『透析を止めた日』(堀川惠子、講談社、2024)というノンフィクションを読んだ。これはすごい作品だ。ここまで書ける人はいないだろう。  

透析患者の配偶者と寄り添いつづけた10年の記録と、その壮絶なまでの終末期の看取りの体験をリアルタイムで描いた第一部。その体験をもとに、取材者の観点から日本の透析とターミナルケアをめぐる現状を描いた第二部で構成されている。 

第一部の体験記は、それこそ息を呑むような思いで、どんどんページをめくりたいという気持ちにかきたてられる。だが、一気に読み続けることができなかった。内容があまりにも重く、疲れてしまうのだ。 

著者のつらさについてはいうまでもない。わずか60歳で亡くなった男性の無念さも、痛いほどわかる。死ぬ間際まで意識が明晰でありながら、ライフワークを完成させることもままならず、みずから透析を止めることを決断し、逝くことになった配偶者。そして看取る著者の憔悴。 

週3回の透析は、腎臓に疾患をもつ人が生き続けるため、絶対に必要不可欠なものである。透析を止めたら死に至るのだ。ところが、透析患者には「緩和ケア」は適用されないという。対象は末期がんだけなのだ。医療行政上の欠陥としかいいようがない。 

「ノンフィクション作品の著者は黒子であるべきだ」という、禁欲的な信念の持ち主であった著者が、あえてその禁を破って、介護の「当事者」として書いていただいたことを感謝したい。 

自分自身だけでなく、身近な家族や親族に透析患者をもったはないが、大学学部時代の恩師である阿部謹也先生は透析を受けていた障害者であった。今回はじめて自分事として体験することができた。 

そしてこの壮絶なまでの看取りの記録があってこそ、第二部の透析患者の末期をめぐる現状の問題と、その改善の方向を描いた取材の記録が、いかに説得力に満ちたものであるか理解できるのだ。 

人間だれもが、いずれ死ぬことになるわけだが、末期がんであろうと透析患者であろうと、あるいはそうでなかろうと、「よく死ぬことは、よく生きること」である。人間は死ぬその瞬間まで現世で生きているのである。 

「よく生きる」ことに重点がおかれがちなウェルビーイングであるが、「よく死ぬ」こともその重要な課題として、医療関係者だけではなく、誰もが受けとめることが必要だと痛感している。透析患者やその家族、あるいは医療関係者ではなくても、ぜひ読んでほしい。

  わたしもまた友人のノンフィクション作家から薦められて読んだのだが、それはまことにもって正解であった。





目 次
序章 
第一部 
 第1章 長期透析患者の苦悩 
 第2章 腎臓移植という希望 
 第3章 移植腎の「実力」 
 第4章 透析の限界 
 第5章 透析を止めた日 
第二部 
 第6章 巨大医療ビジネス市場の現在地 
 第7章 透析患者と緩和ケア 
 第8章 腹膜透析という選択肢 
 第9章 納得して看取る 
献体 ―― あとがき 
解説  南学正臣(日本腎臓学会理事長)


著者プロフィール
堀川惠子(ほりかわ・けいこ)
1969年広島県生まれ。ノンフィクション作家。広島大学特別招聘教授。TVディレクターを経て、『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏と共著)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』で第10回新潮ドキュメント賞、『永山則夫―封印された鑑定記録』で第4回いける本大賞、『教誨師』で第1回城山三郎賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』で第47回大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに加筆)



<関連記事>


(項目新設 2025年9月6日)


<ブログ内関連記事>





(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2021年3月1日月曜日

書評『死にゆく人に寄り添う ー 医療と宗教の間のケア』(玉置妙憂、光文社新書、2019)-新型コロナ対策だけでなく、死にゆく人の「スピリチュアル・ケア」でも台湾が先行している!


 

著者は、看護師でかつ僧侶。子どもの難病治療のため、みずから看護師資格を取得し、その後、ガンの再発で入院を拒否して「在宅」での介護を選択した夫を「自然死」で見送る。 

その体験が、第1章「死に向かうとき、体と心はどう変わるのか」に詳しく記述されている。著者は、このプロセスを「着地態勢」と表現しているが、看護師として寄り添った冷静で医学的な観察と知見、身近な存在を見送ることの感情の揺れが、この貴重な記述を生み出している。 

配偶者を「自然死」で見送ったあと、「現世の仕事は終えた」という気がして、迷いなく出家を決意、神仏の導きかわからぬが、高野山で200日の修行を完遂し真言宗の僧侶となって現在に至る。看護師で僧侶という希有な存在(・・現在ではそうではなくなりつつあるのかもしれない)の先駆者的存在となったわけである。 


■スピリチュアルケアで先行する台湾

そんな著者が実践する「スピリチュアル・ケア」が本書のテーマだが、この分野では台湾がはるかに先行しているようなのだ。

著者も毎年のように台湾にいって研究しているらしい。 2020年の新型コロナ対策での台湾の対応が素晴らしいの一語に尽きることは言うまでもないが、生きている人の命を救うことだけでなく、死にゆく人の「スピリチュアル・ケア」においても、台湾が日本のはるか先を行っているとは! 

もちろん、日本仏教と戒律を厳格に守る台湾仏教との違いはあるが、医療と宗教(*台湾の場合は仏教)との連携が見事にとれている台湾には驚くばかりだ。 


■実践的な内容

実践的な内容の本である。本人と家族が「在宅死」を望んでいても、病院に入院させようという圧力は強い。そんな周囲の声のかわし方についても触れられている。いわば「世間」との対処の仕方である。 

新型コロナウイルス感染症の第3波のなか、2021年の「第2次非常事態宣言」で顕在化したのが「病床不足」であることは周知のとおりだが、病床不足によって「在宅死」が主流となる可能性も高いそのときに備えて、本書は必読書というべきだろう。 

少なくとも、私はこの本を読んで良かったと思っている。死ぬことが怖くなくなるだけでなはない、死にゆく人の気持ちに寄り添い、きちんと見送るための心得にもなるからだ。 


 (画像をクリック!


目 次 

まえがき
第1章 死に向かうとき、体と心はどう変わるのか
 1. 死にゆく人の体と心に起きること
 2. 大切な人の死に直面した人の心に起きること
 3. 在宅で亡くなったあとにすること
第2章 看護師の私が僧侶になったわけ
第3章 死にゆく人の心に寄り添う
第4章 生きていく人の心に寄り添う
第5章 医療と宗教が交わる場
 1. 古来、僧侶は医療者だった
 2. ホスピスとスピリチュアル・ペイン
 3. 僧侶が心のケアを担う台湾の看取り事情
あとがき
参考文献


著者プロフィール
玉置妙憂(たまおき・みょうゆう)
看護師・看護教員・ケアマネジャー・僧侶。東京都中野区生まれ。専修大学法学部卒業。夫の “自然死” という死にざまがあまりに美しかったことから開眼し出家。高野山真言宗にて修行を積み僧侶となる。現在は、現役の看護師として小岩榎本クリニックに勤めるかたわら、院外でのスピリチュアルケア活動を続ける。「一般社団法人介護デザインラボ」の代表として、子どもが“親の介護と看取り”について学ぶ「養老指南塾」や、看護師、ケアマネジャー、介護士、僧侶が学ぶ「スピリチュアルケアサポーター養成講座」を開催。さらに、講演会やシンポジウムなど幅広く活動している。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>






(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end