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2021年11月30日火曜日

書評『「論語と算盤」 渋沢栄一と二松学舎 ― 山田方谷・三島中洲から渋沢栄一への陽明学の流れ』(学校法人二松学舎編、朝日新聞出版、2021)― なるほど渋沢栄一は「陽明学」の影響を受けていたわけだ

 

2021年度のNHK大河ドラマ「青天を衝け」も終盤に入ってきたいま、こういう機会を逃すのはもったいないので、つい最近知ったばかりの『「論語と算盤」 渋沢栄一と二松学舎 - 山田方谷・三島中洲から渋沢栄一への陽明学の流れ』(学校法人二松学舎編、朝日新聞出版、2021)という本を読んだ。  

「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一だが、教育事業に大きく関与していることは、その学校の関係者ならよく知っていることだろう。主要なものとして一橋大学、日本女子大学、そして二松学舎大学がある。いずれも渋沢栄一が大きく関与して、現在につながっている大学だ。 

自分自身は一橋大学の関係者だがが、二松学舎大学の関係者ではない。にもかかわらず、この本はじつに面白かった。 この本を見つけて読んだのはじつに正解だった。

というのは、「論語と算盤」で有名な渋沢栄一の「道徳経済合一説」は、二松学舎の創設者で陽明学者の三島中洲の「義利合一論」と密接な関係があることが本書で示されているからだ。ここでいう「義利」とは「義理」のことではなく、儒教の徳目である「義」と「利」の組み合わせである。

どちらが先行しているかはわからないが、「道徳経済合一説」と「義利合一論」は、互いに影響を与えながらシンクロし、共鳴しあって育っていった思想である。このことが説得力をもって語られている。 

備中松山藩で藩政改革を主導した陽明学者・山田方谷(やまだ・ほうこく)の弟子であった三島中洲水戸学の影響下にありながら陽明学の大きな影響を受けていた渋沢栄一。山田方谷は、長岡藩の河井継之助がその下で学んだことでも有名だ。 司馬遼太郎の歴史小説『峠』の読者なら知っていることだろう。

渋沢栄一と三島中洲の二人は、ともに富農出身で漢学の素養も深かった

だが共通点は、それだけでなかった。それぞれ、渋沢栄一は西欧文明のなんたるかをフランス滞在中に肌身をつうじて感じ取って帰国後には大蔵省で仕官し、三島中洲は語学はできなかったものの司法省でフランスの法学者ボワソナードのもとで民法典の編纂に従事していた。
 
共通の友人(=玉乃世履 たまの・せいり)をつうじて若き日からの知り合いであった。 渋沢栄一は、三島中洲の私塾であった漢学塾・二松学舎の経営を引き継いでいる。

陽明学者・山田方谷の弟子である司法官・三島中洲が唱えていたのが「義利合一説」。実業の世界での渋沢栄一への陽明学の実践。この両者が互いに影響し合い、かの有名な「道徳経済合一説」が生まれたわけである。 

なるほど、そういう流れがあったわけかと大いに納得する。

陽明学というと、三島由紀夫や彼が礼賛する大塩平八郎や、大塩の影響を受けた西郷隆盛などが連想されるが、「知行合一」といっても革命の実践だけが実践ではない経済や財政における「知行合一」の実践もまたきわめて重要なのである。 

むしろ、後者の経済や財政のほうが重要といえるだろう。なぜなら、人間生活においては有事よりも平時のほうがはるかに時間的なウェイトが大きいからであり、なんといっても経済のもつ意味合いは政治よりも大きい人の上に立つリーダーとして心しなければならない重要事項である。

タイトルだけみたら、二松学舎の関係者ではない自分が手に取ることはまずなかっただろうが、読んでみてこれは予想外に良書であることがわかった。思わぬ収穫であった。 

読みやすく、内容がよく整理され、かゆいところにも目配りきいた新書サイズの本である。関心のある人にはぜひ薦めたい1冊だ。 


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目 次 
刊行に寄せて 
プロローグ 『論語と算盤』の絵と由来
第1章 山田方谷-幕末の大改革者
 1. 山田方谷とは
 2. 山田方谷の改革
 3. 山田方谷の改革の評価
 4. 幕府瓦解と備中松山藩
第2章 三島中洲-漢学者・漢学塾二松学舎の創設者
 1. 明治維新以前
 2. 裁判官・法学者としての三島中洲
 3. 二松学舎の創設
 4. 二松学舎創設期の門人
第3章 渋沢栄一-資本主義の父は「社会福祉事業の父」でもあった
 1. 富農階級出身の渋沢栄一
 2. 一橋家とのかかわり
 3. 官吏として資本主義のインフラを整備
 4. 実業家、渋沢栄一の誕生
第4章 山田方谷・三島中洲・渋沢栄一の思想-陽明学の系譜
 1. 山田方谷と陽明学
 2. 三島中洲と渋沢栄一の邂逅
 3. 三島中洲の「義利合一論」と渋沢栄一の「道徳経済合一説」
 4. 利益追求と道徳律の両立
 5. 西欧ではどう考えられてきたのか
 6. 「道徳経済合一説と「義理合一論」の現代的意味
第5章 山田方谷・三島中洲・渋沢栄一-三人の絆
 1. 山田方谷・三島中洲の故郷岡山県と二松学舎との絆
 2. 渋沢栄一恩顧の大学のつながり
エピローグ
結びに
主な参考文献


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(2021年12月4日 情報追加)


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2021年11月29日月曜日

書評『世渡りの修養 処世訓言集』(渋沢栄一、徳間書店、2021)―「論語と算盤」の渋沢栄一はフリーメーソンを評価していた!

 
今年2021年4月に国立歴史民俗学博物館にいったとき、たまたまミュージアムショップで見つけて購入した『世渡りの修養 処世訓言集』(渋沢栄一、徳間書店、2021)を読んでみた。晩年の渋沢栄一が講演などで語った内容を1冊にまとめたものだ。  

『世渡りの修養』は、1918年の出版、『処世訓言集』は、1929年の出版。徳間書店版には編集の手が加わっているとはいえ、いずれも100年近く前のものなので、正直なところやや読みにくいのは否定できない。 

内容は、渋沢栄一の持論である「道徳経済合一説」にもとづいたものいわゆる「論語と算盤」である。いろんなところで語った講演を集めたものなので、内容的に繰り返しが多いが、渋沢栄一のナマの語り口を味合うことができる。 

面白いのは、「論語と算盤」というフレーズだが、本格的に意識して覚悟を決めたのは、明治6年(1873年)に大蔵省を辞職し、完全に民間人としての後半生のスタートを切ったときのことだと本人が述べていることだ。 

もちろん、論語をはじめとした儒教の古典を素養として身につけていた渋沢栄一だが、実業家として生きるにあたって自分のバックボーンになるものはなにかとあらためて考えたときに、仏教でも神道(≒国学)でもなく、儒教(≒論語)だとしたのは、たまたま自分はそういう人生を送ってきたからだと語っていることだ。けっして「論語先にありき」ではないのだ。 明治6年の自覚から始まったのである。

だから、講演のなかで聴衆に向かって、自分の場合は儒教だが、自分以外の人にかんしては儒教でもキリスト教でもいいのだと明言しており、かならずしも儒教にこだわっているわけではない。その点は、本質論を押さえたうえでの謙虚で誠実な態度というべきだろう。 


■米国人実業家のバックボーンであったフリーメーソンを評価

人から薦められて「新訳聖書」も読んでみたと語っている

その話のからみで、交流のあった米国の実業家が「フリーメーソン」の会員であると聞いて、自分でもその内容について調べてみたらしい。「精神の真修養法」にでてくる話だ。結論としては、フリーメーソンの説くところと儒教の教えには共通性があると言う。

フリーメーソンは日本ではまだまだ誤解されているようだが、歴史的な経緯はさておき、現代においては、慈善活動に力点をおいた、ある種の修養団体だといっていい。フリーメーソン会員になることは、米国社会では名士と見なされることでもある。

なるほど、自分のなかに確たる「原理原則」(プリンシプル)をもっている人は、他者の教えに対しても柔軟な姿勢を示すことができるわけだ。 


■若き日の情熱を否定しない

そんな渋沢栄一だが、若き日の幕末に「攘夷家」であったことを、後年に至っても、けっして全面否定しているわけではない。「国民将来の覚悟」にでてくる話だ。 

幕末の日本で教師として越前藩に滞在していた米国人ウィリアム・グリフィスが、渋沢栄一が使節団を率いて明治42年(1909年)に米国を訪問した際、その歓迎式典で述べた内容に対する反論だ。 

反論の主旨は、たまたま開国当時の米国に日本侵略の意図がなかっただけで、その当時においては、異国に対して「攘夷」の姿勢をとることは、けっして間違っていたわけではないのだ、と。 大英帝国もフランスもまたアジアで植民地を拡大する最中であったことは、当時の日本人には周知の事実であった。

渋沢栄一は、最後の最後までナショナリストであったというべきであろう。確固たる自信をもつナショナリストだからこそ、国際人となりうるのである。

理想肌で血の気の多い人だったことはたしかだが、たとえ外国人であっても言うべきことは言うという姿勢が好ましい。それこそ国際人というものだ。 たとえ通訳を介してであっても、自己主張はしなくてはならないのである。
  

「古人の後を求めず、古人の求めたる所を求めよ」

講演集なので、おなじ話が何度も繰り返されていたり、やたら難読漢字が多い(・・ただし編集部によってルビがつけられ、意味も解説されている)し、この本を読んでも、100年後に生きる読者にとっては、すべてが直接役に立つとは思わない。 

とはいえ、肉声で語る生身の渋沢栄一が感じられて面白い本である。渋沢栄一を無批判的に礼賛するのではなく、彼が生きてきた時代のなかで理解することが重要なのだ。 

大事なのは、「古人の後を求めず、古人の求めたる所を求めよ」(芭蕉)である。 渋沢栄一の人生の軌跡をたどって、教訓として受け取るべきものは受け取って自分の人生に活かすこと。それが重要なのである。取捨選択するのは、あくまでも読者自身である。




<関連サイト>

・・1918年刊の原文。旧かな旧字体で読みにくいが口語体

(2022年7月25日 項目新設)


<ブログ内関連記事>




・・フリーメーソンについて解説


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