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2012年7月30日月曜日

ETV「日本人は何を考えてきたのか」 第8回「人間復興の経済学をめざして ー 河上肇と福田徳三」は見るべき価値のある番組


「日本人は何を考えてきたのか」 第8回「人間復興の経済学をめざして」 が、昨日(2012年7月29日)にNHK・Eテレで放送された。90分間の内容の濃い番組であった。

取り上げられたのは、大正時代の2人の実践派の経済学者、河上肇(1879~1946)と福田徳三(1874~1930)。まずは、放送内容を公式ウェブサイトから引用させていたくとしよう。

大正から昭和の時代、貧困などの社会問題に取り組んだ経済学者がいた。日本のマルクス経済学研究の草分け、河上肇、そして厚生経済学を提唱した福田徳三である。二人は、論争し合いながら、日本に経済学を普及させていった。
河上は、ヨーロッパ留学で資本主義社会の矛盾を目の当たりにし、「貧乏物語」を発表、時代を代表するベストセラーとなる。しかし、同書が批判を受けると、マルクス主義経済学の研究を続け、資本主義経済の枠組みそのものの変革を目指すようになる。河上の思想は日本のみならず、毛沢東、周恩来ら中国にも影響を与えていく。
一方、ドイツで学んだ福田は、生存権、労働権を主張し、社会政策への強い関心を抱いていた。関東大震災の直後に被災地を歩いて、社会調査を行い、「復興経済」を被災民の立場にたって構想した。晩年に厚生経済学を研究し、今日の福祉国家構想の先駆けとなった福田の研究は3-11後、改めて注目を集めている。 

一般的な知名度からいったら、はるかに河上肇のほうが知られているだろう。

わたしも、名著『貧乏物語』は、わたしは社会科学を学び始めた大学一年のときに読んで感銘した思いがある。これぞ、「人間の顔をした経済学だ」、と。これは、その当時よく耳にすることのあった「人間の顔をした社会主義」のもじりである。

大学卒業までには、河上肇の『自叙伝』を全巻読み通した。岩波文庫で全五巻のボリュームのある自伝である。

だが、社会主義からマルクスに至り、さらには非合法の共産党に入党して地下に潜った河上肇の思想に心酔したわけではない。宗教に根ざした、そのきわめて求道的な生き方に共鳴したというわけだ。河上肇は経済学者というよりも、求道者が経済学をもって現実に肉薄したというべきかもしれない。

貧困発生の原因を個人ではなく、社会科学的に捉えようとした河上肇の『貧乏物語』は、格差社会が進行するなか、ふたたび脚光を浴びるようになってきた。あえて説明するまでもなく知名度は高いといっていいだろう。

「日本経済学の父」である福田徳三は、一般的な認知度は低いかもしれない。だが、晩年にたどりついた厚生経済学の観点から、関東大震災後の復興について奔走した人であったことを知っておきたいものだ。



 
(講談社学術文庫から復刊された福田徳三の代表的著作)


放送でも紹介されたように、福田徳三はキリスト教徒であり、聖書を愛読していた人であり、経済学と倫理は切っても切り離せない関係にあった。また、ギリシア語やラテン語までこなす語学の天才でもあった。一橋大学と慶應義塾大学においては、「日本経済学の父」として記憶されているはずだ。

河上肇と福田徳三の二人の経済学者はライバルであり、わたしも大学時代に大きな影響を受けた。わたしは、卒論でこの二人のエピソードを取り上げている。

あるとき、岩波書店からでていた『河上肇全集』を開架式の図書館でパラパラとページをむくっていたら、二人の若き日のエピソードが目にとまった。

福田徳三は、経済学理論だけでなく、経済政策という実践、さらには経済史まで、経済学にかかわるすべてにつうじていた草創期の独創的な学者である。その彼には、「トマーゾ・ダキーノの経済学説」という論文があり、聖トマス・アクィナスの『神学大全』(スンマ・テオロギカ)から経済理論を抽出して論じた文語体の論文がある。

聖トマス・アクィナスは、キリスト教神学をアリストテレス哲学によって体系化したドメニコ会の大学者で、その経済理論も基本的にアリストテレスの「流通の正義」に則っている。

わたしはこの福田徳三の論文を読んで、経済学説史、経済思想史における「利子禁止」説について、広くかつ深く知ることができた。中世ヨーロッパでは高利(usury)は禁止されていたのである。

内容はさておき、この論文を「国家学会雑誌」に掲載するために自宅まで取りに行ったのが、若き日の河上肇なのであった。そのことが河上肇の回想として記述されていたのであった。

福田徳三は、その晩年には、モスクワで開催された国際会議の場で英国代表のケインズと激しくやりあったというエピソードもある。きわめて論争的な人であった。


河上肇も福田徳三も、あくまでも人間を軸において経済を考えていた点が、現在とは大きく違うところかもしれない。

英語の Economics は、もともとの意味が「家政学」であるのに対して、日本語の「経済」は、江戸時代以来の「経世済民」の略であるという点の違いかもしれない。「経世済民」とは、「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という意味である。

アリストテレスやトマス・アクィナスを持ちだすまでもなく、スコットランド出身のアダム・スミス自身が、一般に『国富論』と訳されている『諸国民の富』(The Wealth of Nations)を出版するまえに、『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)を出版していたことを知れば、経済と倫理が密接な関係にあることは、本来は自明なことなのだが・・・・。

「経世済民」の略である「経済」というコトバをもつ日本語もまた、そもそも経済とはきわめて倫理的な性格が強かったことを示していることを思いだしたいのである。

とはいえ、こういう番組でふたたび「人間に軸を置いた」経済、すなわち「「人間復興の経済学」に脚光があてられることは、日本の未来のために、たいへん喜ばしいことであるといってよい。

再放送の機会があれば、ぜひ見てほしい番組である。いろんなことを考えさせてくれる番組である。






<関連サイト>

国立の達人:一橋大学:福田徳三 (一橋新聞サイト)


<ブログ内関連記事>

・・一神教の宗教思想と経済との関係について経済思想で考える

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む・・同上。この二つのブログ記事で、一神教の宗教思想と経済思想については、ほぼ書き尽くした



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2010年10月28日木曜日

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足るを知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)




 先週(2010年10月20日)バンコクにいった際に、サイアム・パラゴン内の紀伊国屋書店で買ってきたのが、この『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World. 100 Interviews with Business professionals.』である。

 The Thai Chamber of Commerce と Board of Trade of Thailand の編著になるもの。出版社は Amarin Publishing Services. 定価は B90、初版第1刷は2010年、発行部数は 3,500部。

 Sufficiency Economy は、タイ王国のラーマ9世プーミポン国王が、1974年から提唱している経済哲学である。タイ語では、セタキット・ポーピアン、日本語でいえば、「知足経済」、「足を知る経済」とでもなろうか。

 表紙は、刈り入れの終わった田んぼを歩いて視察する壮年時代のプーミポン国王。

 「足を知る」という日本語表現からも類推できるように、江戸時代の日本のような農本主義にフィットした経済哲学であることはベースにあることは間違いない。

 いまでもタイは、世界最大のコメ輸出国で、世界のコメ相場を決定するメージャー・プレイヤーであるが、1970年代と2010年代の現在を比較すれば、農業と工業の調和のとれた発展というよりも、やや工業化の道への傾斜具合が大きい・・かもしれない。

 近年、サステイナブル経済(sustainable economy)というコトバが話題に上ることも多い。サステイナブル経済とは、急激な経済成長のもたらすネガティブな側面を回避するため、身の丈にあった経済成長を志向する経済思想である。

 その意味においては、「足を知る経済」も「サステイナブル経済」と歩調をあわせたものだといえるだろう。むしろ経済哲学の表明としては、「足を知る経済」のほうが先行しているのかもしれない。

 では、「足を知る経済」は、「資本主義のオルタナティブ」なのだろうか?

 いやそうではない。あえていえば、資本主義の一(いち)バリエーションとして捉えるべきだろう。プーミポン国王自身、経済発展そのものを否定はしない。ただ、環境破壊ももたらさず、人間精神の破壊ももたらさない、調和のとれた発展が望ましいということなのだ。

 実際、本書においては、「足を知る経済」についての、100人のビジネス・プロフェッショナルへのインタビューを収録しているが、経済諸団体から11人、食品産業を含む農業から12人、製造業から24人、医療産業から3人、不動産業から6人、メディア産業から6人、小売業から18人、金融保険業から10人、教育産業から6人、観光ホテル業から4人の構成となっている。いずれも、タイを代表する経済人の面々であり、もちろん華人系が大半であるが、どのような経営哲学をもって経営にあたっているか語っており面白い。

 もちろん、国王陛下が提唱する経済哲学にコンプライアンスすることは、自らのビジネス追求にあたっても損になることはないだろう。そういった計算が働いているのも当然だろう。

 同じく華人系とはいえ中国大陸の「中国人」とは共通性もありながら、かなり異なる印象を受けるのは、移民先のホスト国であるタイ国民として受け入れられていることが成功の条件となっている以上、当然の行動様式であるといっても当然のことなのである。

 ただ、華人といっても、エスタブリッシュメントに限りなく近い層と、新興成金層(ニューリッチ)とでは、経済哲学においても行動様式においても大きく異なるのは、どの国においても観察できることである。

 タイという文脈において、後者の新興成金層の代表は、クーデターで追放されたタックシン・チナワット元首相のことだ。

 以前、私は、書評 『タイ-中進国の模索-』(末廣 昭、岩波新書、2009)において、以下のようにエスタブリッシュメント層と新興成金層との、資本主義に対する態度の違いについて書いたので、再録させていただく。

 本書を読むと、中進国となった工業国タイの問題とは、米国が主導するグローバル資本主義にいかに対応するかという課題に対する、二つの解答のあいだのせめぎ合いであると見ることもできる。
 ひとつは、1997年の金融危機以後、タイの政治では例外的な、5年以上にわたる長期政権を実現したタクシン元首相の、積極的にアングロサクソン流のグローバル資本主義の流れに乗っかっていこうとした経済・社会政策。
 もうひとつは、現国王ラーマ9世(=プーミポン国王)が提唱する「足るを知る経済」。後者は、仏教の経済思想に立脚し、サステイナブル経済を志向する、いわばオルタナティブ資本主義といえる。


 今回取り上げた「Sufficiency Economy」(足を知る経済)とは、ある意味では、タイ王国という文脈においては、エスタブリッシュメントの経済哲学、経済思想といえなくもない。すでに成り上がって時間のたつ事業家と、それに対するアンチテーゼとして成り上がってきた一代目の事業家との違いである。一代目の事業家であっても、前者の志向する側に立つ者がいるのは、処世術という観点からいえば当然である。

 このように整理してしまうと、誤解があるかもしれないが、ある意味では当てはまる話であると思われる。

 もちろん、プーミポン国王の提唱する「Sufficiency Economy」(足を知る経済)の中身については、私としては異論はない。

 タイ王国という文脈を離れても成立可能だと思うし、上座仏教の経済思想という点においては、シューマッハーの「Small is Beautiful」において展開された思想(・・シューマッハーはスリランカで考えた)とも共通するものがある。

 仏教は儒教とは異なり、イスラームと同様に商人層を主たる支持層として発展した宗教であることは、知っておいて損はないだろう。少なくとも原始仏教の段階ではそうなのであった。

 アジア発の経済思想として、「Sufficiency Economy」(足を知る経済)を取り上げる意味があると、私はと思うのである。





<関連サイト>

Sufficiency Economy 公式サイト(英語)

New Mandala: New perspectives on mainland Southeast Asia に掲載された書評
・・表紙カバーがなぜ農村地帯なのかと皮肉めいたツッコミがされているのは、豪州の大学関係者の執筆によるためだろう。


<ブログ内関連記事>

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

アマルティア・セン教授の講演と緒方貞子さんとの対談 「新たな100年に向けて、人間と世界経済、そして日本の使命を考える。」(日立創業100周年記念講演)にいってきた

シンポジウム:「BOPビジネスに向けた企業戦略と官民連携 “Creating a World without Poverty” 」に参加してきた
・・マイクロファイナンスを実践するグラミン銀行総裁のムハンマド・ユヌス博士





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2010年4月14日水曜日

書評『フリー <無料>からお金を生み出す新戦略』(クリス・アンダーソン、小林弘人=監修・解説、高橋則明訳、日本放送出版協会、2009)ー 社会現象としての FREE の背景まで理解できる必読書




■正直いってこの本は長すぎるのではないかと思うが、全部読むと社会現象としての FREE の背景まで理解できるので、ビジネスパーソン以外の一般人にも読むことをすすめたい■

 この本のなかでも説明されているように、英語の Free というコトバには、「無料」という意味だけでなく、「自由」という意味もある。後者の「自由」というのは、「~からの自由」という意味だ。これが価格についていわれるとき、「価格から自由」すなわち「無料」ということになる。

 最近よく目にする「無料」だが、現象自体は著者も詳細に説明しているように、けっして目新しいものではない。

   ラジオも民放TVも、そもそもの最初から視聴するのは「無料」だし、試供品(サンプル)は「無料」で配布されている。また、「無料」でご招待、というのもあるし、ボランティアのような、お金を介在させない「無償の行為」というものも存在してきた。

 とくに中国では蔓延している海賊版という、ただ乗りの「無料」もある。

 これだけでは当たり前すぎて面白くも何ともない。また、著者がいいたいのもこういうことではない。

 著者がいいたいのは、とくにグーグルなどのネット企業が主導する「無料」をベースにしたビジネスモデルのことだ。これを「フリーミアム」(Freemium)という。

 大多数の使用者には基本製品(またはサービス)を「無料」で使用させるが、高機能のプレミアム製品(またはサービス)を使用したい一部の顧客には課金するというビジネスモデルのことである。このモデルは、グーグルだけでなく、スカイプなども同様であり、いまだビジネスモデルが確立していないツイッターなども同様の方向を向いている。

 試供品や無料ご招待などは、著者の分類によれば「直接的内部相互補助」になる。携帯電話本体を「無料」で配布して回線使用料収入で儲けるビジネスモデルなどがそれに該当する。

 民放などのコンテンツの無料放送は「三者間市場」。視聴者は無料で視聴できるが、第三者であるスポンサー企業が CM という形で広告料を放送事業者に支払うモデル。

 アマゾンのブックレビューなど「無償の行為」は、金銭以外の動機付けによるもので、注目(traffic)や評判(link)などが報酬となる「非貨幣的市場」である。

 著者は「無料」モデルを以上の4つに分類して説明しており、読者のアタマの整理になる。

 日本人は昔から「タダほど高いものはない」とクチにしていた。そう、世の中にはタダのものなど本来存在しないのである。誰かがどこかで、あなたのかわりにお金を払っているのである。ところが、タダ(=無料)が当たり前の世の中になってきていることもまた、否定できない事実である。

 それは、実体経済から情報経済に移行しつつあるからだ。著者の表現を使えば、実体経済はアトム(atom)の世界、情報経済とはビット(bit)の世界である。集積回路の価格が劇的に下がり、記憶容量は劇的に上がった結果、情報処理能力と記憶容量、通信帯域帯(bandwidth)の3つのテクノロジーのコストがそろって同時に下がってゆくことで、インターネット世界のコストは限りなくゼロに近づいているのである。

 いまだゼロから遠いのは電力コストだけだ。だからグーグルはスマートグリッド(smart grid)に熱心に取り組んでいるのだ。

 この現象をさして、かつてインターネットビジネスにおける「収穫逓増(ていぞう)の法則」という表現が経済学で使われたが、情報世界では、経済学用語を使えば「限界費用」(marginal cost)、すなわち複製という形で情報を一単位余分につくるのにかかる費用が、限りなくゼロに近くなっている、ということなのだ。

 これは実体世界としてのリアルの世界では依然としてありえないことである。これが、著者のいう「アトム」ではなく「ビット」の世界の実態なのである。

 そしてこの、限りなくコストがゼロに「近づいている世界では、情報はあふれんばかりに潤沢に存在し、さらに日々増大している。かつての実体経済が中心だった頃の「希少財」という概念が、情報世界では成り立たなくなってきているのである。デジタルのものは遅かれ早かれ「無料」になって潤沢になる。「ポスト希少社会」、これは新しいパラダイムである。


 著者はこういったことを、日本語版の翻訳で300ページ以上にわたって、えんえんと書いているのだが、エッセンスだけ知りたいのであれば、「週刊ダイヤモンド」(2010年3月13日号)「特集 FREE の正体」を読むのが手っ取り早い。

 日本人識者のコメントも多数掲載されているので、むしろ解説としては読者にとってありがたいつくりになっている。

 あらたに「無料」ビジネスモデルを考えたい人や、自社の「無料」モデルの問題点を考えたいビジネスパーソンは、本書『フリー』の巻末付録「フリーを利用した50のビジネスモデル」とウェブサイト(www.freemium.jp)、そして「週刊ダイヤモンドの特集」も手元においてリファレンスとして活用したい。

 しかし、背景も含めて FREE の意味を根本的に理解したいと思う人は、この日本語版を通読する意味はあると思う。この FREE というのは、ただ単にビジネスモデルも問題と捉えるべきではないし、またテクノロジーだけの問題でもないからだ。

 著者もいうように、30歳を分水嶺として、「FREE が当たり前の30歳台以下の人たち」と、「FREE に対しては懐疑的な30歳台以上の人たち」に分離される。FREE がすでに当たり前のものとなって疑問をもたない「フリー世代」の人たちの存在は社会現象として考えるべきであり、30歳以上の人たちはその社会現象の意味を考えることが必要になってくる。30歳以下の世代がいずれマジョリティになるからだ。



 日本語版のタイトルが『フリー-<無料>からお金を生み出す新戦略-』となっている。日本語版のタイトルづけは、ビジネス書として最近にない大成功した大きな要因であるが、ビジネス書にはまったく関心のない人たちの関心からはずれてしまう恐れがある。英語の原題は、FREE: The Future of a Radical Price である。

 ゼロという概念は、古代インド人が発見したこと著者も触れているように、無料=ゼロとは1円でも10円でもなく、ゼロ円なのである。この「ラディカルな価格設定」が現在進行する世界においていかに大きな意味をもつかは、行動経済学者が実験をつうじて明らかにしてきていることでもある。

 この本は、思想書とまではいわないが、いままさに進行しつつある社会現象を解読するための思索が書き込まれた本として読んでみてもいい。そう考えれば、ビジネスパーソン以外の、一般人も目を通す価値のある本であるとわかるはずだ。

 著者クリス・アンダーソンは、そもそもがビジネスマンではなく、サイエンスとテクノロジーの世界で長年ジャーナリストとして活躍してきた人である。現在は IT の専門誌『ワイアード』(Wired)編集長である。サブカルチャーまでカバーするこの雑誌は、ウェブ版も印刷媒体もともに発行しており、この両者に編集長として関与して得た知見も本書には十分に反映されている。

 変化しつつある「21世紀型資本主義社会」を理解するためにも必読書といっていいだろう。ビジネスパーソンはもとより、広く一般にもすすめたい本である。          



<初出情報>

■bk1書評「正直いってこの本は長すぎるのではないかと思うが、全部読むと社会現象としての FREE の背景まで理解できるので、ビジネスパーソン以外の一般人にも読むことをすすめたい」投稿掲載(2010年3月29日)

*再録にあたって、字句の一部を修正した。





目 次
  
プロローグ
第1章 フリーの誕生-無料とは何か?
第2章 「フリー」入門-非常に誤解されている言葉の早わかり講座
第3章 フリーの歴史-ゼロ、ランチ、資本主義の敵
第4章 フリーの心理学-気分はいいけど、よすぎないか? デジタル世界のフリー
第5章 安すぎて気にならない-ウェブの教訓=毎年価格が半分になるものは、かならず無料になる
第6章 「情報はフリーになりたがる」-デジタル時代を定義づけた言葉の歴史
第7章 フリーと競争する-その方法を学ぶのにマイクロソフトは数十年かかったのに、ヤフーは数ヶ月ですんだ
第8章 非貨幣経済化-グーグルと21世紀型経済モデルの誕生
第9章 新しいメディアのビジネスモデル-無料メディア自体は新しくない。そのモデルがオンライン上のあらゆるものへと拡大していることが新しいのだ
第10章 無料経済はどのくらいの規模なのか?-小さなものではない、無料経済とフリーの世界
第11章 ゼロの経済学-一世紀前のジョークがデジタル経済の法則になったわけ
第12章 非貨幣経済-金銭が支配しない場所では、何が支配するのか
第13章  (ときには)ムダもいい-潤沢さの持つ可能性をとことんまで追究するためには、コントロールしないことだ
第14章 フリー・ワールド-中国とブラジルは、フリーの最先端を進んでいる。そこから何が学べるだろうか?
第15章 潤沢さを想像する-SFや宗教から<ポスト稀少>社会を考える
第16章 お金を払わなければ価値のあるものは手に入れられない-その他、フリーについての疑問あれこれ
結び-経済危機とフリー

巻末付録1 無料のルール-潤沢さに根ざした思考法の10原則
巻末付録2 フリーミアムの戦術
巻末付録3 フリーを利用した50のビジネスモデル
日本語版解説(小林弘人)


著者プロフィール
  
クリス・アンダーソン(Chris Anderson)
『ワイアード』誌編集長。「ロングテール」という言葉を2004年に同誌上ではじめて世に知らしめ、2006年に刊行した同名の著書『ロングテール-「売れない商品」を宝の山に変える新戦略-』(早川書房、2006)は世界的ベストセラーとなる。2007年には米『タイム』誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選ばれている。ジョージ・ワシントン大学で物理学の学位を取得、量子力学と科学ジャーナリズムをカリフォルニア大学バークレー校で学ぶ。ロス・アラモス研究所の調査員を務めたあと、世界的科学雑誌である『ネイチャー』誌と『サイエンス』誌に6年間勤務。その後、英『エコノミスト』誌の編集者としてロンドン、香港、ニューヨークで7年間テクノロジーからビジネスまで幅広い記事を扱い、また1994年には同誌のインターネット版を立ち上げる。2001年から現職。以来同誌を全米雑誌賞のノミネートに9度導き、2005年、07年、09年に最優秀賞(General Excellence)を獲得している。現在カリフォルニア州バークレーに妻と5人の子どもと暮らす。著者ブログ(www.thelongtail.com)。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。 その後、『MAKERS-21世紀の産業革命が始まる』(NHK出版、2012)で、3Dプリンターを利用した個人ベースの製造業ブームに火をつけている。






監訳者プロフィール

小林弘人(こばやし・ひろと)
株式会社インフォバーンCEO。1994年『ワイアード』誌の日本版を創刊して編集長を務める。98年に株式会社インフォバーンを設立し、月刊『サイゾー』を創刊。06年には全米で著名なブログメディアの「ギズモード」の日本版を立ち上げる。ブログ黎明期から有名人ブログのプロデュースに携わり、ブログ出版の先鞭をつけるなど、ITメディア界の仕掛け人として多方面で活躍。通称「こばへん」。現在メディアプロデュースと経営の傍ら、講演やメディアへの寄稿をこなす。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

翻訳者プロフィール

高橋則明(たかはし・のりあき)
翻訳家。1960年東京生まれ。立教大学法学部卒(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




<関連サイト>

●「フリーミアム」ウェブサイト(日本語) www.freemium.jp (2014年8月30日現在リンク切れ)
●「freemium-jp」ツイッター(日本語) http://twitter.com/freemiumjp

●「ダイヤモンドオンライン」独占インタビュー!『FREE』著者のクリス・アンダーソンが語る 「無料経済を勝ち抜く企業と個人の条件」週刊ダイヤモンド『FREE』特集連動企画【第1回】    




PS 読みやすくするために改行を増やし、写真を大判に変えた。あらたに「目次」と「著者プロフィール」を加えた。ブログ記事としての初出時点と状況は変わっているが、ブログ記事もまた「歴史的文書」であるので、文章には手を入れていない。(2014年8月30日 記す)



<ブログ内関連記事>

ZERO か ONE か、それが問題だ!? -新年度に出発進行!



『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2) ・・「足るを知る経済」はタイのプーミポン国王ラーマ9世が主唱する仏教をベースにした経済思想

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン
・・「知識」と「知的探求」を資本主義のために使わないというきわめてつよい意志

『エンデの遺言-「根源」からお金を問うこと-』(河邑厚徳+グループ現代、NHK出版、2000)で、忘れられた経済思想家ゲゼルの思想と実践を知る-資本主義のオルタナティブ(4)

『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと-時間・お金・ファンタジー-』(池内 紀・子安美知子・小林エリカ、新潮社、2013)は、いったん手に取るとついつい読みふけってしまうエンデ入門

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える
・・「近代以前」のメインストリームであったカトリックの思想

書評 『海賊党の思想-フリーダウンロードと液体民主主義-』(浜本隆志、白水社、2013)-なぜドイツで海賊党なのか?

(2014年8月30日 項目新設)


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2009年8月1日土曜日

書評『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)ー イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』




■イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』■

 2001年のアルカーイダによる「9-11テロ」の衝撃から生まれたという本書が、単行本として出版されたのは2002年のことだった。

 キリスト教からチベット仏教へ脱出した中沢新一がなぜイスラームについて書くのか、『緑の資本論』というタイトルは、また例のごとく奇をてらったレトリックかと思い、手に取ることはなく時は過ぎ去っていた。

 しかし、それから7年、状況は一変した。

 2008年のリーマンショックで、資本主義の暴走と、歯止めがきかないままクラッシュした事態を目撃することとなったからだ。

 2009年、文庫版として再版されたのは、まことに時宜にかなった出版だといえる。ようやく本書、とくに中心となる「緑の資本論」をよむ環境が整ってきたのである。

 資本主義を暴走させないためには何をすべきなのか?

 『資本主義はなぜ自壊したのか』で、自らの言動を懺悔し、改悛するという経済学者・中谷巌のような道もあろう。

 しかし、そこから果たして何がまれるのか? せいぜいオルタナティブとしてブータンやキューバを礼賛し、ベーシック・インカムの導入を提言するのがせいぜいのところだろう。もちろん、それでも一歩前進ではある。

 その他宗教と比較して、「増殖への欲望」を抑制しない傾向のあるキリスト教が、もともと資本主義と親和性が高いことは知られてきた。キリスト教そのものがもつ構造に深く探りを入れないと、本当の問題はわからないのではないか?

 本書に収められた『緑の資本論』で中沢新一が試みたのは、この問いに対する回答の試みである。しかし、仏教の立場からの資本主義批判ではない。

 「自己増殖」への態度を比較検討の軸にして、同じくユダヤ教をルーツとして派生した2つの一神教、キリスト教とイスラームの比較から、資本主義が根源的に抱えている問題に迫る。

 明らかになったのは、キリスト教はそもそもの出発点から、一神教であるのにかかわらず「父と子と聖霊の三位一体」を内部構造として抱え込んだことにある。

 これが中世のスコラ哲学における諸議論を通じても、実体経済での「利子禁止」を抑止することを不可能とし、西欧社会における資本主義の発達を促進したメカニズムにほかならない。

 そして「三位一体」こそは、マルクスが『資本論』で資本主義を分析するために使用した方法でもあった。

 絶対他者である唯一神アッラー以外のいっさいを認めない徹底した一神教であるイスラームからみると、キリスト教が一神教からのとんでもない逸脱と映るのも当然だろう。イスラームの一元的世界観である「タウヒード」を視野に入れると、それがはっきりとみえてくる。このポイントにかんする中沢新一の説明はきわめて明晰だ。

 本書はポスト資本主義に対する見取り図そのものを示すものではないが、「資本主義にとっての他者」としてのイスラームを知ることの重要性を教えてくれる。

 そしてまた、いままさに生成、成長しつつあるイスラーム経済について、根本から理解するためにはきわめて有用な本であるともいえる。

 単行本が出版されてからの大きな変化は、「イスラーム金融」が世界の金融界で大きく浮上し、日本でも解説書が次々と何冊も出版されたことである。

 しかしながら、これらはほぼすべてが実務家による金融技術の解説書であって、宗教的、思想的意味について納得のいく説明は提供してくれない。

 「資本の自己増殖」を未然に防ぐ装置として、辣腕の商人であった預言者ムハンマド自身によってイスラームにビルトインされた「利子禁止思想」、この経済思想的な意味を考えることは「イスラーム金融」とは何かを考える上で必要であり、イスラームにとって経済とは何か、商行為とは何かを根本的に考える上で大いに参考になる。

 こういう観点から本書を読むことも可能である。

 「9-11以前」の中沢新一に見られた、持って回ったレトリック過剰な文体が大きく後退し、問題構造そのものに肉薄しようという気迫が感じられる文体に変化している。

 一気呵成に執筆したという気合いが伝わってくる本である。


■bk1書評「イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』」投稿掲載(2009年7月30日)





<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>

 中沢新一が扱ったこのテーマは、かなりの部分、私自身が執筆した大学学部の「卒業論文」のテーマにかさなるものである。

 『中世フランスにおけるユダヤ人の経済生活』と題した卒論において、ユダヤ人信用業者について実態を詳しく検討するための前提として、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの「利子禁止思想」のそれぞれについて調べて言及している。

 卒論執筆当時に使用した参考文献で、中沢新一が言及していないが、重要なものについて解説することで、中沢論文の補強をしておこう。


■ユダヤ教の経済思想について

●Baron, Salo.W. , A Social and Religious History of the Jews Vol.7, Columbia University Press, 1968


 上記文献は、ユダヤ人コミュニティ内で「利子禁止」を守るために、いかなる議論が全世界に離散したディアスポーラのユダヤ人の間でかわされたかを示している。

 最終的にでた結論は、土地所有を禁じられたユダヤ人が生きていくためには、金貸しをやることを避けられない、しかしユダヤ人共同体内部では利子は禁止、ユダヤ人以外からは利子をとってもよい、というものであった。ウチとソトでの経済倫理の使い分けである。

 余談だが、ユダヤ人ネットワークのあいだで回覧された「レスポンサ」は、インターネットによるメールの原型的思考と考えてよい。バチカンを頂点とする中央集権型組織の原型をつくったカトリック教会とはまさに対極にある、ネットワーク型組織の1つの原型である。


PS 卒論執筆当時は知らなかったが、ユダヤ史の S.W. バロンは、ほぼ独力で「ユダヤ史」という分野を確立した歴史家。そもそもユダヤ民族には「歴史」という観念が欠けていたので歴史学が発達しなかったのである。この点は、インド人と似ている面がある。 (2014年1月24日 追記)


■キリスト教、とくに中世カトリックの経済思想について

●Noonan, John T., The Scholastic Analysis of Usury, Harvard University Press, 1957
●上田辰之助、『古代及び中世経済学史』、日本評論社、1939
●上田辰之助、『聖トマス経済学-中世経済学史の一文献-』、刀江書房、1933


 高利(=ウスラ:usura)禁止が崩れていくことに関しては、経済思想家でクエーカー教徒であった上田辰之助の著作をぜひ参照してほしかったもの。戦後の日本はあまりこの分野に関心がなかったようで、まとまった文献が存在しない。

 日本の経済学の建設者的存在であった福田徳三は、すでに明治36年(1904年)の論文「トマス・ダキノの経済学説」において、中世スコラ哲学、なかでもトマス・アクィナスの利子禁止学説は、近代経済学なかでもウィーン学派のベーム・バヴェルクの議論とは構造的に同じで、議論の前提をひっくり返すと利子がなぜ発生するかの議論になることを指摘している。

 日本経済学の草創期の知的関心のありかを示しており興味深い。

 中沢新一の議論にやや欠けているのは、「時間」にかんする議論である。中世スコラ哲学では、時間は普遍的な存在なのでわたくししてはならない、というのが根拠の1つであった。

 現在、資本主義社会おいて利子が正当化されるのは、まさにその「時間」ゆえである。

 ラテン語起源の「利子」(Inter-est) とは、あいだに(inter)存在する(est)ものを意味するコトバである。この存在する者を正当化したものが利子であり、宗教的な足かせが解除されたとき、利子は大手をふって正当化され、「自己増殖」への道がつけられることになる。

 キリスト教世界で最終的に利子を完全に正当化したのは、宗教改革後のプロテスタント神学者、スイスの国際的商業都市ジュネーブのカルヴァンであった。これ以後、資本主義は Point-of-No-Return を超え、もはや逆戻りのできない道へと入り込むこととなる。


■イスラームの経済思想について

●マクシム・ロダンソン、山内昶訳、『イスラームと資本主義(岩波現代選書)』、岩波書店、1978 が、卒論執筆当時は日本語で読めるほぼ唯一の文献であった。


 同書によれば、利子(リバー)禁止回避のテクニックは、「ひろく流布していたので、中世の西欧人にも、アラビア語の名前のままで使用されたほどであった」(P.58)とある。

 ユダヤ教とキリスト教の経済思想については研究上の大きな進歩はないが、この20年でイスラームの経済思想の研究は飛躍的に進歩しているようだ。

 とくに、中沢新一も使用している、現代イラクのシーア派哲学者ムハンマド・バーキル=サドルの三部作、とくに経済思想に関する書籍が日本語に翻訳されたことは画期的だといえるだろう。


●ムハンマド・バーキル=サドル、黒田壽郎訳、今村仁司解説、『イスラーム経済論』、未知谷、1993
●ムハンマド・バーキル=サドル、黒田壽郎/岩井聡訳、今村仁司解説、『無利子銀行論』、未知谷、1994



■中沢新一の「着眼点」の面白い点

 中沢新一の議論が面白いのは、資本主義をプロテスタンティズムと結びつけてきたこれまでの "陳腐な発想" から一歩踏み出して、キリスト教の構造そのものに深く迫っていることにある。それも信仰の観点ではなく、経済思想の観点から。この着眼点は素晴らしい。

 「父と子と聖霊の三位一体」、このうち「聖霊」とはギリシア語の「プネウマ」(pneuma)、キリスト教徒の評論家・山本七平が「空気」と呼んだものだ。

 中沢新一の論文『緑の資本論』を読むに当たっては、「聖霊」は「空気」と読み替えると理解しやすいかもしれない。

 いや、"スピリット"(Spirit)といったほうがより適切か? ドイツ語ではガイスト(Geist)。

 マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の「精神」』(Die protestantische Ethik und der 'Geist' des Kapitalismus)も、この「ガイスト」(Geist)を中沢新一的に「聖霊」と読み替えると、なにやら『プロ倫』の異なる側面が立ち上がってくるような気がする。 

 英語でいえば the Spirit of Capitalism、ドイツ語の原文だと der 'Geist' des Kapitalismus のことだが、念のためドイツ語の Geist を辞書で確認しておこう(Ref:『木村・相良 独和辞典(新訂版)』、博友社、1963)

①生命、生命力、活気、気息、息吹、生気、活気
②精神、心、霊魂
③智、智力、理知、才能、才気、判断力、思慮
④・・・精神の持ち主
⑤(時代・団体などに共通の)精神、気風、風潮
⑥霊、魂、亡霊、幽霊
⑦精霊、妖精、魔物、神
⑧根本思想(精神)、心髄、本質、精髄

  中沢新一は、プロテスタンティズムは「三位一体から精霊を解き放った」という表現をしているが、資本の無限増殖を加速させたメカニズムのさらなるアクセレレーターについての説明としては、レトリカルだが核心をついているというべきだろう。


■イスラームは「商人による商人のための宗教」

 本書は非常に面白い議論を提出しているが、単行本も文庫版も、カバーデザインがあまり感心しない。

 もっとイスラームの商人的特性を前面に出して、モロッコのスーク(市場)などのほうがいいのではないか? 最後の預言者であるムハンマド自身が辣腕の商人であったのだから。

 おそらく第一論文「圧倒的な非対称」執筆の契機となった、テロリスト・アルカーイダのイメージなのだろうが、イスラームをアルカーイダで表象するのは大きな問題、さらなる曲解を招くだけである。徹底した一神教の非妥協的性格の極限、という意味ではそのとおりなのだが・・・

 東南アジアのイスラームを知っている私には、正直いって違和感が強い。


(以上)



PS 本文を読みやすくするために改行を増やした。全文を点検したうえでリンクをアップデートし、<ブログ内関連記事>の項目を追加した。 (2014年1月24日)



<関連サイト>

イスラーム式経営術:「ある時払いの催促無し」案外合理的なイスラーム式お金の貸し借り (中田 考、日経BPネット、2014年5月2日)
イスラーム式経営術:自分のお金は手持ち現金のみと考える (中田 考、日経BPネット、2014年5月15日)

(2014年5月21日 項目新設)



<ブログ内関連記事>

■「一神教」の経済思想

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)とこの2つのブログ記事で、一神教の宗教思想と経済思想については、ほぼ書き尽くしたはず。島田裕己の問題点は「ユダヤ=キリスト教」という宗教学の用語を無造作に使用しているために、現実のユダヤ教とキリスト教の区別がついていないことにある

書評 『アメリカ精神の源-「神のもとにあるこの国」-』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)-アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録
・・イスラームを除いたキリスト教とユダヤ教という「一神教」についてのアメリカにおけるフィールドワーク

『ユダヤ教の本質』(レオ・ベック、南満州鉄道株式会社調査部特別調査班、大連、1943)-25年前に卒論を書いた際に発見した本から・・・

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために
・・アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人ジャック・アタリの「ユダヤ経済史」

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

書評 『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011)-魂の哲学者・井筒俊彦の全体像に迫るはじめての本格的評伝
・・世界的なイスラーム思想研究の権威はまた日本が生みだした不世出の哲学者でもあり、若き日にはカトリック神秘思想に近づいていた人でもある

ユダヤ教の「コーシャー」について-イスラームの「ハラール」の最大の問題はアルコールが禁止であることだ
・・宗教による「食事規制」について、生活全般を律するユダヤ教とイスラームには共通点と相違点がある。共通点は家畜(pecus)としての羊。家畜は貨幣(pecunia)となる

タイのあれこれ (18) バンコクのムスリム
・・この記事では、タイ人ムスリムを中心に書いてある

バンコクのアラブ人街-メディカル・ツーリズムにかんする一視点

本日よりイスラーム世界ではラマダーン(断食月)入り
・・井筒俊彦訳の『コーラン』(クルアーン)についても言及。『ハディース』の詳細についても

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加

書評 『マネーの公理-スイスの銀行家に学ぶ儲けのルール-』(マックス・ギュンター、マックス・ギュンター、林 康史=監訳、石川由美子訳、日経BP社、2005) ・・聖職者カルヴァンを生んだスイスは金融の中心地のひとつになった


■資本主義の「自壊」(?)と資本主義の「オルタナティブ」

『資本主義崩壊の首謀者たち』(広瀬 隆、集英社新書、2009)という本の活用法について

書評 『資本主義以後の世界-日本は「文明の転換」を主導できるか-』(中谷 巌、徳間書店、2012)-タイトル負けした残念な内容の本

「雷龍の国ブータンに学ぶ」に「学ぶ」こと-第3回 日経GSRシンポジウム「GSR と Social Business 企業が動けば、世界が変わる」に参加して

資本主義のオルタナティブ (1)-集団生活を前提にしたアーミッシュの「シンプルライフ」について
 
『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)

資本主義のオルタナティブ (3) -『完全なる証明-100万ドルを拒否した天才数学者-』(マーシャ・ガッセン、青木 薫訳、文藝春秋、2009) の主人公であるユダヤ系ロシア人数学者ペレリマン

ETV 「日本人は何を考えてきたのか」 第8回「人間復興の経済学をめざして-河上肇と福田徳三」は見るべき価値のある番組


■中沢新一関連

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-

書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み

書評 『日本の文脈』(内田樹/中沢新一、角川書店、2012)-「辺境日本」に生きる日本人が「3-11」後に生きる道とは?

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ
・・先行する宗教学者としての中沢新一と島田裕己批判の書でもある


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