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2010年9月24日金曜日

庄内平野と出羽三山への旅 (11) 湯殿山で感じる「出羽三山の奥の院」の意味





湯殿山が「奥の院」であることの物理的な理由

 湯殿山は、まさに出羽三山の奥の院である。

 かつて信仰登山が中心であった頃は、羽黒山から歩いて月山を越え、月山から下って、やっとのことでたどりつくのが奥の院である湯殿山であったのだ。前回書いた芭蕉の『奥の細道』の旅の記述にあるとおりである。

 ただし、もちろん、江戸時代以降も鶴岡方面から歩いて巡礼する人たちは多かった。
 羽黒山と湯殿山は参詣者獲得を巡って競合関係にあり、江戸時代には訴訟も起こされて対立が先鋭化したこともあったらしい。
 私の場合は、芭蕉も含めた古人の跡を求めただけのことであるが、芭蕉のたどったコースだけが参拝コースではないことを明記しておく。


 なお現在では、道路が整備されているので、夏期のシーズン中であれば、鶴岡駅から庄内バスの直行バスがでているので直接いくことができる。クルマで1時間くらいだから、そう遠くはない。
 森敦(もり・あつし)の『月山』は、湯殿山麓の注連寺を舞台にした小説だが、戦後の昭和20年代にはすでにバスが開通したことが書かれていたから、いまでは鶴岡方面から日帰りでいくのが当たり前になっているのだろう。

 ところが、湯殿山周辺は、冬期は豪雪で完全に雪に閉じ込められてしまうという。除雪もされないので、湯殿山のご神体も参籠所の建物も、雪解けまで完全に雪のなかに埋もれてしまう。
 翌朝、参籠所に来てもらったタクシー運転手の話では、冬は完全に雪に埋もれてしまうらしい。何メートルもつもるのでアクセス不能。幹線道路は除雪するが、湯殿山神社への道は除雪はないので冬期は完全閉鎖。
そんな雪深いというのは私のイマジネーションを越えている
 このこともまた、「奥の院」という性格を示すものといえよう。

 湯殿山参籠所に予約の電話をいれたとき、「いちおう15時を予定しているが、何時に入るかわからない」というと「下ってくるんですね」と即答されたのは、そういう状況が背景にあるのだろう。わざわざ宿泊するのは、湯殿山で祈祷をお願いする人か、観光コースのなかでそこに宿泊するかに限られるのだろう。参籠所前は観光バスが何台も横付けできるスペースが用意されている。


湯殿山が「奥の院」であるほんとうの理由-「神仏習合」いや「神仏併存」?

 「出羽三山の奥の院」と呼ばれてきた湯殿山は、形態としては神仏分離を崩していないものの、実態としては神道と仏教が併存しており、神仏習合よりも、なおいっそう不思議で、奇妙な様相を呈している。

 そのことを実感できるのが、湯殿山参籠所である。
 この参籠所は、実に不思議な宿である。参籠所であるから、当然といえば当然なのであるが、参籠所の一階には畳敷きの大部屋の祈祷所がある。


 この祈祷所で、神主(?)が、神式(・・写真の真ん中)と仏式(・・写真の左側、卒塔婆が並んでいる!)の両方で勤行を行う声が参籠所中に響きわたる。定時の勤行開始時には、ドンドンと太鼓が打ち鳴らされ、そのあと祝詞とも読経ともつかぬ声が参籠所のなかを響き渡るのである。まさに不思議空間である。


 祝詞なのか読経なのかよくわからないが、これをすべて一人で兼ねるのは、そもそもの姿なのか私には知るよしはない。

 「神仏習合」はコトバでは知っていても、これほど明らかに実行している例はみたことがない。
 出羽三山のなかでも、湯殿山はやはり例外的なポジションというべきなのではないか。

 実は、ご神体について書いた際に、ご神体のある祠では、神だけでなく仏も祀られていることには触れなかった。
 神社の境内(?)に、卒塔婆が大量にある祠がある。これは先祖祭祀の祈祷を行う場所であるが、なんか不思議な印象がぬぐえないのは、私が「神仏分離後」の世界に生きる、ごく一般的な日本人であるためだろうか?
 なんだか、水木しげる先生が描く、前近代のおどろおどろしい世界のようでもある。
 合理主義時代に生きるわれわれは、不可思議ものに対する人間の「耐性」を低下させてしまっているのかもしれない。
 
 さらにまた、湯殿山は行者修行のメッカであった。この件については、次回(12)で詳しく書くことにするが、即身仏(ミイラ仏)となるべく修行を行った一世行者たちの修行のあとが、参籠書前にいまでも残っている。
 千日や三千日を、五穀断ちに。。。という厳しい修行をここ、湯殿山に籠もって修行を行った行者たち。
 湯殿山がもつイメージを、おどろおどろしたものにしているのは、これらかつての修行者たちの・・・であろうか。

 湯殿山は、かつての命懸けの修行の地としても、まさに「奥の院」というのにふさわしい。


成田山新勝寺の成田修験と湯殿山との関係


 千葉県の成田山新勝寺(真言宗)と湯殿山権現の関係については、成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (3) 断食体験初日-いよいよ断食修行に入る には以下のように書いているので再録しておこう。

(山伏姿の成田修験)

なお、写真はいずれも今年(2010年)の成田祇園会の際に撮影した、山伏姿の成田修験である。

 私が寝泊まりしていた男子参籠堂は、二階建ての建物で、一階がが男子断食道場、二階が成田山修法師(先達)の修行道場となっている。
 ちなみに修法師(先達)とは、加持祈祷(かじきとう)を行う山伏姿の行者(ぎょうじゃ)で、荒行を行い修行する僧侶のことである。成田山新勝寺はもともと出羽の湯殿山権現と密接な関係をもっており、密教と修験道がきわめて密接な関係にあることを示している。
 二階の修行道場は、たまたま翌日のご縁中に掃除のため入ることができた。立派なお不動様が鎮座した部屋であった。

 たまたま、私が断食参籠修行をしていた時期がちょうど成田祇園会に重なっていたのだが、山車(だし)が何台も繰り出す勇壮な祭礼である。

 この成田祇園会は現在では、奥の院のご本尊大日如来の祭礼になっているが、もともとは湯殿山権現の祭礼として始まったものだという。

 成田山もまた、「神仏分離」によって湯殿山権現社が切り離されてからは、新勝寺の祭礼となっているが、お寺なのに山車が曳かれる祭礼であるのは、そういう歴史があるからだ。「神仏分離」されたとはいえ、成田山の場合はうまくやり過ごしたといえそうだ。これは密教の真言宗の性格が大いに反映しているのかもしれない。

(紫の袈裟を着た高僧と山伏姿の成田修験)

 湯殿山権現は、JR成田駅前にあり成田山が管理している。現在では小さな祠と多くの石碑が立っているが、祇園会の御輿はここで一泊するとのことである。

 湯殿山の本地仏は大日如来と説明書にはある。成田山新勝寺は真言宗豊山派、湯殿山麓の大日坊は真言宗豊山派、酒田の海向寺は真言宗智山派である。真言密教と修験道の関係は深いといっていいのだろう。

 詳しいことはよくわからないが、成田修験と湯殿山修験の関係は深そうだ。

 湯殿山修験の信仰圏は、関東は現在の千葉県まで及んでいたといわれる。

 たとえば、茨城県日立市出身の宗教民俗学者・五来重は、『新版 山の宗教 修験道』(五来重、淡交社、1997)のなかかで、三山詣に際して精進潔斎が行われていたことを、子供の頃の思い出として書いている。

 また、『出羽三山 山伏の世界』(片山正和、新人物往来社、1985)を書いた朝日新聞記者も、転勤で千葉県銚子市に住んでいたときに、お札を配る山伏の訪問を受けたことを記している。また、「秋の峰入り」に毎年参加している、船橋市で祈祷師をやっている人のことを取材紹介している。

 こういう意味でも、千葉県に住んでいる私は、湯殿山に対する興味は俄然増していたのである。ぜひ実際に歩いて、この目で見てみたいと思っていたのである。



 では、次回 (12) はいよいよ最終回で「即身仏」(ミイラ仏)について。湯殿山から即身仏の寺を回って鶴岡駅へ。あわせて、即身仏(ミイラ仏)についての感想をまとめておきたいと思う。



PS 若干の字句の修正と、成田修験関連の写真の大判化を行った。(2014年9月26日 記す)


<ブログ内関連記事>

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書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)

「山伏修行体験塾 2011 東京勧進」 に参加-ヤマガタ・サンダンデロ(銀座)にて山形の食材をふんだんにつかった料理とお酒を存分に楽しんできた(2011年11月11日)

「お籠もり」は何か新しいことを始める前には絶対に必要なプロセスだ-寒い冬にはアタマと魂にチャージ! 竹のしたには龍がいる!

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成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)
・・成田山新勝寺の成田修験

下総国の二宮神社(千葉県船橋市)に初詣(2015年1月3日)-藤原時平を祀る全国でもめずらしい神社
・・「ところで今回わたしは新京成電鉄の薬園台駅方面から、二宮神社まで歩いたのだが、薬園台駅近くの成田街道沿いでうれしい偶然の発見があった。湯殿山を中心とする出羽三山信仰の石碑である。 (成田街道の薬園台駅近くにある湯殿山信仰の石碑 筆者撮影) 船橋とその周辺は、出羽三山の湯殿山信仰圏のようだが、ここにも木食上人がいたのである。観信という名前だそうだ。

(2015年7月28日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)









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