■地方発の文化発信を実践した、類い希な「文化プロデューサー」の生涯とその時代■
つい先日、今年(2010年)の9月の初めのことだが、生まれて初めて酒田市にいっていきた。
47都道府県のほとんどに足を運んでいる私だが、山形県が数少ない未踏地帯となっていた私は意を決して庄内平野と出羽三山への旅にでかけたのだが、庄内平野を代表する二つの地方都市である酒田と鶴岡を訪れたのはいうまでもない。
この旅から帰宅して数日たった頃、文庫本の新刊でこの本が出版されたことを知った。まさにシンクロニシティというべきか、セレンディピティというべきか。『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』・・・おお、そんな映画館とフランス料理店が戦後の酒田にあったとは知らなかった。そんなことをやり遂げた経営者がいたとはまったく知らなかった。これは読まなければと思ってさっそく読み出した。熱中して一気に読んでしまった。旅の前に読んでいたら、おそらく酒田にはまた違った印象をもったことだろう。
酒田は東北の地方都市というよりも、日本海側の地方都市というのがふさわしい。江戸時代に河村瑞賢が開設した西回り廻船の繁栄によって、「西の堺、東の酒田」と並び称された湊町。裏日本と蔑称された日本海側こそが、本来はオモテ日本だったのだ。交通物流体系が抜本的に変化したいまは、その面影はイマジネーションで再現してみるしかないのだが。
現在では発展から取り残された、レトロ感漂う、落ち着いた地方都市といった印象が強い酒田であるが、往事の繁栄はそれはすごいものだったのだろう。その痕跡は市内の随所に残っている。アカデミー賞受賞の映画『おくりびと』のロケ地に選択されたのもむべなるかなと思わされる。私が生まれた、同じく日本海側の地方都市・舞鶴にも似たものを感じるのだ。
食材の豊富さは、とくに庄内平野と出羽三山を背後にもつ酒田は、日本海の海の幸だけでなく、山の幸もともに供給できる素晴らしい土地なのである。こんな土地柄の地方都市で、名家の長男として生まれたのが本書の主人公・佐藤久一であった。遊び好きで、金に糸目をつけず感性を大事にする酒田っ子、「結構人」(けっこうじん)の系譜に連なる男であった。
酒田の地で取り組んだ事業である「世界一の映画館」と「日本一のフランス料理店」。これらは戦前ではなく、戦後の酒田に存在したのだ。現在でこそ、「地方発の文化発信」は当たり前のものとなっているが、行政の働きかけではなく、経営者としての感性、こころざしによって、自らの意思に基づいて「文化事業」を実行し、成し遂げた男がいたのである。
佐藤久一(さとう・きゅういち)が成し遂げたことは、ほぼすべてが時代を突き抜けて先駆けていた。進みすぎてはいたが、けっして地に足がついていなかったのではない。地方都市・酒田において、地域住民のニーズを先取りし、むしろ一歩進んだものを提供することで教育し、需要を作り出していったのである。
私は、この佐藤久一という人物に多大な関心を抱いただけでなく、この本は「ビジネス書ではないビジネス書」として、多くの人に薦めたいと思った。サービス産業の生きた事例として、いやホスピタリティ産業の生きた事例として、大いに研究し、大いに学ぶべきものがこの一冊には凝縮して詰まっているからである。
著者の岡田芳郎氏は、電通でイベントや CI を推進したビジネスマンであったとともに、自らの詩集も出版している詩人だという。主人公の佐藤久一と同年生まれだが、サラーリマンとして満ち足りたビジネス人生を送った著者は、自らしゃしゃり出ずに、佐藤久一という類い希な文化プロデューサーの人物を描き出すことに専念している。そしてそれは十二分に成功しているといっていいだろう。
「世界一の映画館」グリーン・ハウスの支配人ではあったが映画製作者ではなく、「日本一のフランス料理店」ル・ポトッフーの支配人ではあったが料理人ではない。つまりものを創り出すクリエーターではないが、プロデューサーとして、またバツグンの目利きとして、海外の映画を、その土地に根付いたフランス料理を、地域住民を中心に提供することをつうじて、日本全国から集客することも可能にした男。映画館では満たされなかった夢を、舞台としての料理店、ライブとしての料理ともてなしで実現した男。
経営は、夢と数字とのバランスを両立させることにあるのだが、佐藤久一の場合は、やや前者が勝りがちであったようだ。現実的だが、理想化肌の人だった。現実的なだけでは面白くない、理想を実現するためには現実の数字は無視できない。まさにバランスであるのだが、経営とは難しいものだ。パトロンとしてのオーナーがいたからこそ成り立った「日本一のフランス料理店」だったが、積もり積もった累積赤字のため、ついに引導を渡され、その後は燃え尽きるように消えて行く。
子供の頃から最高の文化を享受し、ホンモノに触れて育った男が実現した夢。やりたいことをやり抜き、走り抜け、見果てぬ夢を抱きながらついに燃え尽き、倒れた一人の男。こんな人がいたのだということを知るためにも、ぜひ一読を薦めたい本である。
<初出情報>
■bk1書評「地方発の文化発信を実践した、類い希な「文化プロデューサー」の生涯とその時代」投稿掲載(2010年9月17日)
■amazon書評「地方発の文化発信を実践した、類い希な「文化プロデューサー」の生涯とその時代」投稿掲載(2010年9月17日)
目次
プロローグ 酒田大火
第1章 グリーンハウスその1 1950~55年
第2章 グリーンハウスその2 1955~64年
第3章 東京・日生劇場 1964~67年
第4章 レストラン欅 1967~73年
第5章 ル・ポットフー(清水屋)1973~75年
第6章 ル・ポットフー(東急イン)その1 1975~83年
第7章 ル・ポットフー(東急イン)その2 1984~93年
第8章 ふたたび、レストラン欅 1993~97年
エピローグ 見果てぬ夢
著者プロフィール
岡田芳郎(おかだ・よしろう)
1934年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。1956年、電通入社。コーポレート・アイデンティティ室長(局長)を経て、電通総研常任監査役を務め、1998年、退職。1970年の大阪万博では「笑いのパビリオン」を企画。1980年代は電通の CIビジネスで指導的役割を果たす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<書評への付記>
この本の書評は、「庄内平野と出羽三山への旅」の番外編として掲載することとした。
「庄内平野と出羽三山への旅」から帰ってきたら、講談社文庫の新刊として9月に本書が出版されたことを知った。まさに、シンクロニシティというべきか。
おそらく、この旅をしなかったら、このタイトルを見ても記憶に残らなかったであろうし、ましてや読むことなどしなかっただろう。偶然によって本と出会うこと、これもまた多くある出会いのうちの一つである。その意味ではセレンディピティでもある。
書評のタイトルに「文化プロデューサー」というコトバを使ったが、これはこの本の主人公である佐藤久一(さとう・きゅういち)が名乗ったわけではない。私が勝手に命名しただけだ。
映画文化に食文化。ともにすぐれた知性を提供するサービス産業、いやホスピタリティ産業であり、経営者というよりも、すぐれたクォリティの文化を提供するjことで、顧客を啓蒙・教育し、市場を創造していったという点について「文化プロデューサー」というネーミングがふさわしいと感じたからだ。
私と名前がそっくりだが、もちろん血縁関係はまったくない。
■庄内地方は「食の国」
酒田のある庄内地方の素材がすぐれていることは、私も実際にいろんなものを食べてみて実感した。
車窓に拡がる水田風景。庄内平野はなんといっても量質のお米が生産されている。「庄内米」である。その庄内米の流通基地が、江戸時代以来の酒田港の繁栄を支えてきたのである。
「さかた海鮮市場」で撮影した写真を掲載しておこう。撮影は、2010年9月2日。
日本海ならでは、庄内浜ならではの魚が多数水揚げされ、販売されている。佐藤久一(さとう・きゅういち)もまた、かつて自ら足を運んで買い付けを行っていたという。料理は素材がすべてである。
「はたはた」は秋田が有名だが、隣の山形でも水揚げされる魚。
「すずき」も東京湾で獲れるありふれた魚だが、庄内浜でも水揚げされる。「ネジリ」とはどういう魚であるのか。
「そい」という魚。
「ホウボウ」に「甘ダイ」。
「イワガキ」については、庄内平野と出羽三山への旅 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性 に写真とともに書いておいた。
だが、佐藤久一(さとう・きゅういち)は、イワガキは酒田産ではなく、吹浦(ふくら)産が最高であるとしていたという。なぜなら、鳥海山の伏流水が湧き水として海に流れ込み、ここで育ったイワガキが最高の味になるためであると。
<関連サイト>
たった1軒のレストランが庄内平野を変えた
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20100914/216227/?P=1
・・鶴岡のイタリア料理店アル・ケッツァーノ。酒田のフランス料理店「ル・ポトッフ」を越える存在になるか?
<ブログ内関連記事>
「庄内平野と出羽三山への旅」 (2) 酒田と鶴岡という二つの地方都市の個性
書評 『わたしはコンシェルジュ-けっして NO とは言えない職業-』(阿部 佳、講談社文庫、2010 単行本初版 2001)
・・ホスピタリティとサービスの違いとは?
クレド(Credo)とは
・・ホスピタリティ産業のなかでも代表的なホテルである、リッツ・カールトンの「クレド」とその背景
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