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2010年9月19日日曜日

オペラ 『椿姫』(英国ロイヤルオペラ日本公演)にいく・・・本日はまれにみる「椿事」が発生!





 オペラ 『椿姫』(英国ロイヤルオペラ日本公演)にいってきた。かの有名な『ラ・トラヴィアータ』である。

 公演場所は、代々木のNHKホール。

 ここは、NHKが放送する各種の歌番組の収録に使われる劇場なので、収容人数は多くて、劇場の規模がやや大きいきらいがある。いつも思うが、オペラでは字幕が舞台の左右に電光掲示モニターに表示されるだけなので、座席によっては見えにくいのが難点。幸い、真ん中の右寄りだったので、字幕はよく見えた。もちろん字幕はなくても内容はほとんど熟知しているので不要といえば不要なのであるが。

 欧州の劇場の一部のように、前の座席に歌詞を英語などで表示するモニターが個々にあると、たいへんユーザーフレンドリーなのだが、これは無い物ねだりか。


 幕間に劇場の外に出ると、休日で夕方の時間帯であれば、若者たちが思い思いのライブ・パフォーマンスに精を出している。本日は、アフリカン・ドラムのパフォーマンスに思わず聞き入って、リズムに身をゆだねてしまった。音楽はどのジャンルであっても人のココロとカラダを動かすことに違いはない。


作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
演出:リチャード・エア
指揮:アントニオ・パッパーノ

ヴィオレッタ:エルモネラ・ヤホ(ソプラノ)⇒ アイリーン・ペレス
アルフレード:(テノール):ジェームズ・ヴァレンティ
ジョルジ(=アルフレードの父)(バリトン):サイモン・キーンリサイド


何が起こるのかわからないのがライブ・パフォーマンス

 本日19日の『椿姫』の公演では、まれにみる「椿事」(ちんじ)が発生した!


 本来、ヴィオレッタ役を演じるハズだったアンジェラ・ゲオルギウが、愛娘の手術に立ち会わねばならないという差し迫った理由で数週間前に来日を断念、代役として来日したエルモネラ・ナホ(アルバニア人)がなんと第一幕で退場(!)、第二幕からは代役として待機していたアイリーン・ペレス(アメリカ人)が登場して、最後まで歌いきったのだ。

 そもそもアンジェラ・ゲオルギウが出場できないということ自体が不満だったが、代役のエルモネラ・ナホがイマイチだと思ってたら、なんと第二幕の前に支配人による説明が再度あり、来日してから罹患した急性結節性声帯炎のため痛めたのどが回復せずに、さらに代役をたてるという。

 会場からはブーイングの嵐であったが、それは仕方ないといえよう。「カネ返せ!」と叫んでいる人もいたが、その気持ちはわからなくはない。

 しかし、ブーイングは代役の出来次第で判断した結果行うものがスジというものだろう。出来がわるければ、その時に徹底的にブーイングすればいい。


 第二幕からのアイリーン・ペレスの起用は異例なことだが、音楽監督である指揮者のアントニオ・パッパーノの判断によるらしい。

 この判断は吉とでた、といっていいだろう。

 正直いって第一幕のイマイチさとくらべて、第二幕以降は素晴らしいパフォーマンスで、これなら最初からアイリーン・ペレスで良かったのではないかという出来映えだった。観客はやはり正直なもので、拍手の量も歌手の出来映えにはある程度満足していることを示していたのではないか。 

 この歌手はこれで、大きなチャンスを掴んだのではないだろうか。チャンスというのは、どこに転がっているのわからないものだが、チャンスを掴んだら絶対に手放すなということを、まさに絵に描いたように示してくれた本日の公演であった。

 何が起こるのかわからないのがライブ・パフォーマンスであるが、現場での判断と意志決定はなかなか難しく大変なものがあり、主催者としても冷や汗ものだったのではないか?
 とくにこの『椿姫』のように大衆的な内容のオペラでは、素人でも出来映えがすぐにわかってしまうという怖さがある。

 ロイヤル・オペラも自信があってこの演目を選んだのだろうが、まさに綱渡りものだな。
 まあ、危機管理ということでは、辛くも乗り切ったという感じだが。

 演出と舞台装置は悪くなかった。半円系の劇場式舞台装置は奇をてらったものではなく、オーソドックスだが劇場効果を上げるものだったといえよう。だからなおさら歌手の出来が露わになってしまうのである。


ヴェルディの『椿姫』

 あらすじについては、『椿姫』といえば、あえて書くまでもなかろう。

 絵に描いたような三幕もののメロドラマ、ある意味では大衆演劇の世界に近いテーマであり、ヴェルディというよりもプッチーニ好みのテーマだと思う。ヴェルディの『椿姫』(1853年初演)とプッチーニの『ラ・ボエーム』(1896年初演)は、お涙頂戴のメロドラマの最高峰だと思っている。

 とはいえ、もちろんヴェルディ作曲の主旋律は私は大好きで、オペラを見て聴いていると、ついつい口ずさみたくなってくる。そして第二幕では目頭が熱くなり、最終幕ではかならず感動するのは、やはりある意味では普遍的なテーマを扱っているからだろう。これがこのオペラの生命力なのだろう。

 ヴェネツィアのフェニーチェ劇場での初演だが、フェニーチェ劇場は大火によって焼失、現在の劇場は再建されたものである。その名の通りフェニーチェ(=フェニクックス)のごろく再建された劇場は、私は中を見学しただけであるが、いつかこの劇場でオペラを見たいものだと思っている(・・いつ実現するのかは不明だが)。


「椿姫」の「姫」って?

 ところで日本語の「姫」というコトバは面白い。

 一般的には、よい子の用法としては、お姫様つまりプリンセスのことを指しているのだが、この「椿姫」や森鴎外の「舞姫」などの文学作品のタイトルはいうに及ばす、夜の世界で使われる「姫」という日本語にプリンセスの意味は消えてしまったようだ。ちなみに「舞姫」とはダンサーのこと。

 ヴェルディの『ラ・トラヴィアータ』もまた、la traviata とは「墜ちたオンナ」という意味らしい。
 イタリア語の辞書を引いてみると、traviato は形容詞で「道を誤った」という意味。giovanni traviati で非行少年、という用法がでている。引用は、『小学館 伊和中辞典』(小学館、1883)

 主人公の名前ヴィオレッタ(Violetta)は、「野生すみれ(の花)」という意味で、可憐な響きをもっているのだが、主人公の設定は娼婦であるから、これもまた源氏名なのだろうか。

 アレクサンドル・デュマ・フィスによる原作は、結局のところ現在に至るまで読んだことがないのでわからないのだが・・・。『マノン・レスコオ』の系譜にあるようだ。



<関連サイト>

 
Verdi - La Traviata - Stratas-Domingo-Levine-Zeffirelli
・・私は、フランコ・ゼフィレッリによる演出・監督のオペラ映画『ラ・トラヴィアータ』が一番好きである。

Placido Domingo- Teresa Stratas: Um di felice eterea
・・同上。


<ブログ内関連記事>

オペラ 『マノン』(英国ロイヤルオペラ日本公演)初日にいく(2010年9月15日)






(2012年7月3日発売の拙著です)






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