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2010年11月20日土曜日

「やってみなはれ」 と 「みとくんなはれ」 ー いまの日本人に必要なのはこの精神なのとちゃうか?




「やってみなはれ」精神

 サントリーの創業者・鳥井信治郎の口癖であり、サントリーという会社を創業以来貫いてきた精神としてよく知られている、と思う。

 「やってみなはれ」とは大阪弁で、挑戦を促すエンカレッジのコトバである。 

 ナイキ(Nike)の「Just do it !」と意味は同じである。ただニュアンスがじ若干違うように思う
 標準語の「やってみなさい」と意味としては同じだが、これまたニュアンスが異なる。

 「やってみなはれ」という大阪弁は、表現だけ取り上げてみたら、なんだか柔らく、暖かい感じがするのは不思議なことだ。
 パラフレーズすれば、「(あんた、そんなにやりたいなら、別に止めやしないから)、やったらええやろ。(そのかわり、成功するも失敗するも、あんた次第やで)」といったところか。( )のなかはクチには出せねど暗黙のうちに語っているコノテーションである。

 ちなみに、「やってみいや」とか「やってみんかい」という表現もあるが、「やってみなはれ」とはかなり違う。まったくもって品のない表現だ。「やってみなはれ」が自助努力を促しているのに対して、「やってみいや」「やってみんかい」は、相手ができないはずだという前提を暗黙に語っている挑発的な表現である。

 そもそも、話しコトバと書きコトバが大きく異なるのは、日本語だけでなく英語でも、どの言語でも同じであるが、東京弁をベースにした書きコトバが、大阪弁を含む話しコトバとしての関西弁とニュアンスの面でかなり差異があるのは当然といえば当然である。

 「やってみなはれ」については、大阪出身の開高健は自分も在籍していたサントリーの70周年記念社史として執筆された「やってみなはれ」のなかでこのように書いている。

細心に細心をかさね、起こり得るいっさいの事態を想像しておけ。しかし、さいごには踏み切れ。賭けろ。賭けるなら大きく賭けろ。賭けたらひるむな。徹底的に食い下がってはなすな。鳥井信治郎の慣用句 "やってみなはれ" にはそういうひびきがあった。八十三年の生涯にもっともしばしば彼が使った日本語はこれである。

『やってみなはれ みとくんなはれ』(山口瞳・開高健、新潮文庫、2003)P.162より引用)

 大阪人・開高健による誇張に満ち満ちた表現であるが、「やってみなはれ」の説明としては、これ以上ないほど詳細で懇切丁寧なものだといっていいだろう。

 「やってみなはれ」が意味するところは、やるのはまったく構わないが、自己責任でやりなさいということだ。あくまでも上位者が下位者に向かって、そのやらんとする企てを容認する表現である。

 だからこそ、「やってみなはれ」に対しては、「みとくんなはれ」が対(つい)表現になるわけだ。
 「みとくんなはれ」とは、標準語でいえば、「見ていてくださいよ、かならずやり遂げますから!」という意味である。


いまから25年前、「就活」まっただ中の私が知った「やってみなはれ」

 「やってみなはれ」というコトバを初めて知ったのは、いまから25年前の就職活動中のことだ。下宿に送られてきたサントリーの就職案内パンフレットに書いてあったと記憶する。
 就職活動中の大学生は、いわゆる企業研究を始めるわけだが、その時以来記憶に残っているのが、サントリーの「やってみなはれ精神」であった。

 その当時の就職活動は、現在とは違い、大学4年生に入ってからであった。いまからは考えられない、のんびりとした(?)と思いきや、「就職協定」というものがあって10月1日までは活動してはいけないといわれていたのにかかわらず、実質的には10月1日でほぼすべての活動が終わっていた。つまり短期集中の一気勝負だったのだ。

 私は9月末まで就職戦線においては「連戦連敗」で、就職が決まらずにバタバタと右往左往していたが、チャッカリ組は夏休み中には内定をもらって、他社に引き抜かれないように高級ホテルやリゾートに「拘束」されていたらしい。
 私はそういう経験はまったくもたずに終わってしまったので、「バブル世代」とは一緒くたにはされたくない(笑)。

 大学4年にはすでに単位はほとんど取ってしまっていたので、卒論研究を中心にしながら、単位を前提にしないで、他学部のものも含めて、いろんな講義を聴講聴講していた。

 「市場開発論」という講義があって、商学部の友人に誘われて出席してみることとした。私が在籍していた一橋大学というのは、学部はあっても学部間の壁はそれほど高くなかったので、こういうつまみ食いも十分い可能であった。
 「市場開発論」は、当時サントリー監査役を務めていた大学 OB が講師を務めていた授業で、立ち見がでるほどの盛況であった。大学教師ではなく、現役の企業人によるナマの話が実に面白かっただけでなく、当時は(・・いまでもそうだが)サントリーの人気は実に高かったのである。サントリーに就職を希望する学生にとては、絶対に参加して顔を売るいい機会になっていただろう。
 一方で、大学キャンパスには「産学協同絶対反対」などというプラカードがあったのも、いまから考えるとまったく不思議な気もする。

 当時1980年代半ばは、松田聖子の歌う「Sweet Memory」とペンギンがでてくるサントリーCANビールの CM が爆発的な人気があった。講師のサントリー監査役の方も、ペンギンのノベルティを授業にもってきたりしていたような記憶がある。

 私はこの授業で、毛澤東の「実践論」やボストン・コンサルティング・グループ(BCG)が開発したポートフォッリオ分析のマトリックスを初めて知った。いま風にいえばフレームワークの一つである。

 まさか、経営コンサルタントになるなどとは考えもしなかったが、大学卒業後いきなりコンサルティング・ファームに入った際にはすでにBCGマトリックスのなんたるかは知っていたことになったので、人生においてムダなことはまったくないとあらためて実感もする。


サントリーはビール事業に新規参入してから、なんと45年目(!)にしてはじめて黒字化の悲願を達成した

 当時は、ビール市場はキリンビールが圧倒的なシェアをもっていたのであり、このい状態を指して「ガリバー型寡占」と表現していた。ガリバーとは『ガリバー旅行記』のガリバーのことだ。こんなことを思い出したのも、当時の耳学問のおかげである。

 サントリーは宣伝広告はうまいので消費者には受け入れられているように思われていながら、実は1980年代半ば時点でもビール事業は赤字であった。

 「健全なる赤字部門」をもつことが重要なんだぜ、と商学部にいた友人がいっていたが、サントリーにとってのビール事業は、そんなキレイ事ではなかっただろう。第二創業の柱として、社内で危機感をもたせるという意味もあったのだろうが、しんどい話だったのではないだろうか。

 サントリーのビール事業が黒字化したのは、なんと一昨年の2008年のことである。

 二代目社長の佐治敬三が1963年に、創業者で父親の鳥井信治郎から「やってみなはれ」といわれてから、なんと45年(!)かかって悲願を達成したことになる。悲願達成は、創業者の孫である三代目社長の佐治信忠になってから、実に息の長い話である。
 
 大企業とはいえ、非上場のオーナー企業であるからこそ、経営にはいっさいのブレがなく、悲願達成できた、といっていいのではないだろうか。めげず、くじけず、へこたれず、あきらめない。
 サントリーの社員ではない私も、なんだか自分のことのようでうれしく思ったものである。


「サントリー文化圏」は関東にも存在していたが少数派であった

 そもそも関西出身の両親のもとに育った私は、幼少のみぎりに関東に移住してからも、ものごころついた時からずっと、もしこういう表現が可能なら「サントリー文化圏」のなかにいたのである。
 
 家庭内言語が関西弁であるだけでなく、食生活を始めとして関西文化圏の飛び地のような家庭であった。在米の日系二世のようなものだったのかもしれない。

 ウイスキーは、ニッカではなく、サントリーのダルマ。
 ビールも、キリンでもサッポロでもアサヒでもなく、サントリーの純生(じゅんなま)。

 子どもは当然のことながら酒は飲まないが、そういう家であった。銘柄の選択を除けば、1960年代から1970年代の日本人家庭は、多かれ少なかれ似たようなものだったのではないだろうか。
 とはいえ、関東ではサントリーは実はマイノリティであったということは、大人になってから知った。気がつかなかったのは不思議である。

 サントリー関連のノベルティ・グッズや印刷物などが家にあった。
 柳原良平のイラストをもとにした、バイキング姿のトリスオジサンの爪楊枝立てが食卓にはあったことを覚えている。このほかかにも多々あったように思う。

 開高健は小説は読んだことがなくても、そういった印刷物に掲載されていた文章は読んでいた。

 「人間」らしく
 やりたいな

 トリスを飲んで
 「人間」らしく
 やりたいな

 「人間」なんだからな

 開高健によるこのコピーを読んだのは、もちろん大人になってからだが、いまここに書き記しながらも、なんだかじ~んとくる名コピーである。


サントリー70周年社史を文庫化した『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)

 冒頭に掲載した文庫の表紙イラストにでてくるのはサントリーウイスキーのダルマ、正式にはサントリー・オールドという。トリスではなくオールド。オールド・パーではなく、サントリー・オールド。

 いまから考えると隔世の感だが、ジョニ黒とジョニ赤が幅をきかせていた時代、その後は円高で並行輸入も行われるようになって、ジョニーウォーカーの価値はまったくなくなってしまった。タイ王国ではいまだにジョニーウォーカーが幅をきかせているので不思議な感覚をもつ。

 近年また「ハイボール」なる飲み方が流行っているが、『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)にも「ハイボール」の話は何度もでてくる。サントリーが洋酒のサントリーとして認知されていたころの話である。

 『やってみなはれ みとくんなはれ』(新潮文庫)は、サントリー70周年社史として1969年に出版されたものをカーブアウトして文庫化したものである。以下の二編が収録されている。

 「青雲の志について-小説・鳥井信治郎-」(山口瞳)
 「やってみなはれ-サントリーの七十年・戦後編-」(開高健)

 本書の原版が出版された 1969年はサントリー創業70年の年である。この年は、大阪万博の一年前であり、また三島由紀夫割腹自殺の1年前の年にあたる。

 山口瞳と開高健の個性は正反対。1926年東京生まれの直木賞作家・山口瞳と、1930年大阪生まれの芥川賞作家・開高健とでは、生まれも育ちも、小説家としての趣味趣向も文体もまるで異なる。
 開高健にさきにサントリー(当時は寿屋)の宣伝部にいたのだが、芥川賞受賞で忙しくなったので、編集部員補充のためにあとから入ったのが山口瞳だということだ。山口瞳はのちに直木賞を受賞している。

 頻発するダジャレに、誇張にみちた表現、豊富なボキャブラリーに、饒舌な文体。私は個人的にこの開高健の文体が好きなのだが、人によってはもちろん趣味が異なるであろう。
 山口瞳のユーモアがありながらも端正な文体とは大いに異なる。

 この二編を読むと、サントリーという会社が、創業以来つねにベンチャー精神をもってきた会社だということがよくわかる。
 その根本精神に、創業者の「やってみなはれ」というコトバと事業家精神があった。
 しかも、創業者は「陰徳は陽報なり」というコトバのもと、神仏の信仰がきわめて篤い慈善家でもあった。フィランソロピーなどというコトバが導入される以前の慈善家である。このタイプの慈善家は欧米では当然であるが、大企業から非上場のオーナー企業が少なくなってからは主流ではなくなってしまったように思われるのは残念なことだ。
 サントリー美術館やサントリーホールなど、文化への貢献もきわめて大きい。その意味においては、キリンとの合併が破談になったことは、個人的にはうれしく思う。企業文化が根本的に違うからだ。

 いまでも関西の中堅中小企業には、このタイプのオーナー企業経営者が多いように思う。


 ところで、トヨタやホンダ、最近はパっとしないのが残念なソニーだけが、日本を代表する製造業ではない。

 宣伝広告のうまさで世に知られるサントリーではあるが、ブランドの基本はいうまでもなく製品の品質そのものである。研究開発型製造業としてのサントリーにおける、製造業とマーケティング・コミュニケーションの関係についても考えてみるのもいい。 

 たまには、大阪発の酒類食品製造業サントリーの草創期と戦後復興期の物語を読んでみることも必要ではないのかと思う。
 破天荒、はちゃめちゃ、熱い熱気・・・。草創期を過ぎてもこれだけ熱気に満ちた会社も珍しい。もちろん、サントリー内部の人間ではないので、真相は知るよしはないが、文庫版に「その後の「やってみなはれ」」を書いている "窓際OL" 斎藤由香ではないが、「おもろい会社」であることは現在でも代わって異な事と思いたい。

 「第二の敗戦」といわれたバブル後のデフレ時代、たしかにハイパーインフレ時代とは時代の空気がまったく違うが、要は心も持ち方次第ではないか?

 これこれをやりたいと、部下が情熱を込めて訴えきたら「やってみなはれ」といいたくはないかな?

 もちろんその際には、即座に「みとくんなはれ」という答えを期待したいものだ。


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・・負けてくじけているヒマがあったら次のコンペに挑戦せよ! 大阪人のど根性

書評 『梅棹忠夫 語る』(小山修三 聞き手、日経プレミアシリーズ、2010)-本質論をズバリ語った「梅棹忠夫による梅棹忠夫入門」
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(2014年8月21日、12月21日 項目新設)


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