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2026年3月1日日曜日

書評『ボヘミアでなぜ「先駆的」宗教改革が起こったのか ― フス派戦争(世界史のリテラシー)』(薩摩秀登、NHK出版、2026)― 巨大組織を内部から改革しようとしたが挫折した男。その生涯と後世の評価の変遷】

 


著者の薩摩氏は、チェコの歴史にかんしては第一人者で著書も多い。わたしにとっては大学学部時代のヨーロッパ中世史のゼミの先輩で、当時は大学院生だったこともあり、親しく接していた人でもある。

NHK出版の「世界史のリテラシー」は、世界史を学んだ人が抱くであろう疑問に、専門歴史家がその知見を一般読者向けに語りかける内容のシリーズだ。 

「宗教改革」というとルター、そしてカルヴァンというのが、世界史を学んだ人の模範的回答であろう。いずれも16世紀の西洋人だ。 

だが、ルターには先行者がいたのである。それが本書のテーマであるヤン・フスである。15世紀のボヘミア(現在のチェコ)の人だ。ルターもカトリックの修道士だったが、フスもまたカトリックの聖職者で説教者だった。いずれも組織内部の人であった。 

フスは、イングランドのウィクリフの影響でカトリック改革を志したが、抱き込まれることを拒絶し自分の信念を貫いた。そのため破門されたうえ、最終的には火刑に処されることになる。 

ビジネスパーソンの立場から言い換えれば、「(カトリック教会)という巨大組織を内部から改革しようとしたが挫折した男」、そういう位置づけも可能だろう。 

イングランドもボヘミア(現在のチェコ)も、西欧カトリック世界の「辺境」だったことが興味深い。変革はつねに「周縁」から始まって「中心」に向かっていくのである。これはどんな組織にも共通している。 

わたし的には、フスの改革思想と実践、その意思を引き継いだフス派の闘争もさることながら、その後のチェコの歴史のなかでフスがどう位置づけられてきたかに関心がある。

 第一次世界大戦後にチェコスロヴァキアとして独立したものの、最終的に1993年に分離して単一国家となったチェコだが、神聖ローマ帝国(≓ハプスブルク帝国)や社会主義国家ソ連という外部勢力の支配下にあった歴史をもつ。 

19世紀から始まったナショナリズムの勃興期には、フスは「民族の英雄」として礼賛され、20世紀末にはカトリック教会から事実上の教会改革者であったと認められ、名誉回復されることになる。ところが、21世紀の現在では、チェコ人のフス熱は冷めてしまっているらしい。 

歴史上の人物をどう評価し、ただしく位置づけるかという課題は、つねに「現在」にかかわるテーマである。

かつてあれほど礼賛されてロシア革命もフランス革命も、現在では手放しで礼賛する者は少ない。フスについても同様だ。

コンテクスト(=文脈)によって解釈は変化する。 歴史というものは、「事実」とその「解釈」で成り立つ「ストーリー」であることを、あらためて肝に銘ずるべきである。つねに書き替えられる運命にあるのだ。


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目 次
はじめに 
第1章 事件の全容 フスは何を主張し、フス派は何のために戦ったのか? 
第2章 事件の歴史的・宗教的背景 なぜ、中世後期最大の教会改革運動がボヘミアで起こったのか? 
第3章 同時代へのインパクト フス派の運動は、「早すぎた宗教改革」だったのか? 
第4章 後世に与えた影響 フスやフス派は我々に何を語っているのか? 
おわりに 
参考文献

著者プロフィール
薩摩秀登(さつま・ひでと) 
明治大学経営学部教授。1959年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は東欧・中欧の中世史および近世史。著書に『プラハの異端者たち  ―  中世チェコのフス派にみる宗教改革』『物語 チェコの歴史  ―  森と高原と古城の国』『図説 チェコとスロヴァキアの歴史』など。共著に『チェコを知るための60章』など。


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2025年3月21日金曜日

映画『教皇選挙』(2024年、英米)を TOHOシネマズで視聴(2025年3月21日)ー 世界最古の組織の後継者選出をめぐる密室サスペンス

 

映画『教皇選挙』(2024年、英米)を TOHOシネマズで視聴してきた(2025年3月21日)。128分。音声は基本的に英語、それにイタリア語、スペイン語、そしてラテン語(・・英語以外の言語にはいずれも英語字幕が入る)。  

映画館で映画を視聴するのは、じつにひさびさだな。映画はネットで見るのが当たり前となっているからだが、今回は早く見たかったから映画館で視聴した。そして、それは正解だった。 

映画の原題は CONCLAVE(コンクラーベ)。日本語タイトルは直訳なのがよい。世界最古の組織であるバチカンでは、教皇が亡くなると、後継者は枢機卿から選挙で選出されることになっている。そのプロセスを「コンクラーベ」という。 

「コンクラーベ」は、まさに「根比べ」(笑)。高校時代に世界史の教師がそう言っていたのは、当時はちょうど短期間に2回の「コンクラーベ」が行われたからだった。

イタリア人のヨハネ=パウロ1世が在位わずか1ヶ月で急死して、ポーランド人のヨハネ=パウロ2世が選出されたのであった。1978年のことだ。




ローマカトリックの継承原理は、あくまでも枢機卿のあいだで「選挙」による「多数決」で決定されるのであり、同族企業や王国における世襲、すなわち血脈原理による継承ではない。チベット仏教のような転生でもない。

あらかじめ後継者を指名することができないので、あたらしい教皇が選出されるまで空位となる。その期間が教会にとってはクリティカルな時間となるわけではあり、野心家たちの思惑がうごめくことになるわけだ。

その点が、国王の死から間髪をおかず、次の国王に継承される王国とは異なる点だ。

フレーザーの『金枝篇』の最後に引用されているフレーズ Le roi et mort. Vive le roi ! (国王は死んだ。新王万歳)というわけにはいかないのである。



■国際政治のメジャープレイヤーのひとつであるローマ教皇庁が舞台

この映画は、じつによくできた密室ものサスペンスだ。世界最古の巨大組織であるローマカトリック教会は、まさに魑魅魍魎がうごめく伏魔殿。 近年は数々のスキャンダルまみれの状態だが、組織浄化の道ははてしなく遠い。

国際的な巨大組織の最高指導者は、霊的な指導者であるだけでなく、リアルポリティクスでも巨大な影響力をもつ存在だ。

その巨大組織の後継者選びは多数派工作の産物、権謀術数うごめくポリティクスそのもの。トップ次第では、その後のカトリック教会の方向性が決まってくる。 

DEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョン)を推進したいリベラル派と、変革を逆戻ししたい保守派の暗闘。そして密かに進行する陰謀。

リベラル派は、国家を越えたカトリックという普遍的な理念を強調するあまり、言語や人種を越えるだけでなく、司祭の資格がなかった女性や LGBT にまでリーチを拡げようとする。

保守派は、普遍を意味するカトリックでありながら、ラテン語という共通言語を大幅に後退させてしまった結果、実質的に言語による分断が可視化されてしまっている現状への批判的な眼差しを向ける。

現代社会が抱える諸問題は、そのままカトリック教会のあり方にも反映してくるのである。

ネタバレになるから書かないが、ラスト近くの「大どんでん返し」には、あっと言わされるものがある。

密室ものサスペンス映画として楽しめるエンタメ作品だが、国際政治におけるメジャープレイヤーのひとつである、カトリック教会とローマ教皇にかんする背景知識があれば、より楽しめることだろう。 

 

■次回の「コンクラーベ」でいかなる選択がなされるのか?

さて、現教皇は南米アルゼンチンからの選出であったが、信徒のデモグラフィックの観点からいって、つぎの教皇はアフリカから選出されるのか、アジアから選出されるのか? 

いや、意表をついて米国から選出されるかもしれない。トランプ政権の方向性とローマカトリック教会の方向性にズレが生じているから、クサビを打ち込む、そんな意思が選択にはたらくかもしれない。大きな焦点は「叙任権闘争」がつづく中国共産党との向き合い方であろう。

国際政治状況の激変を受けて、教皇庁はいかなる選択を行うのか。あたまの体操をしておく必要がある。 

そう遠くない将来に次回の「コンクラーベ」が開催されることが予想されるので、その意味でも、いまこの映画を見ておく意味はあるのだ。 


 (画像をクリック!)



PS 教皇フランシスコ1世が亡くなった。教皇選挙(コンクラーベ)が行われる!

教皇フランシスコ1世が亡くなった。享年88歳。

重病説が流れていたので、そう遠くないだろう思っていたが、昨日の「復活祭」には信徒たちの前に姿を見せたばかりであり、さすがににこんな早くお亡くなりになるとは・・。死因は脳卒中だという。


映画にとってはまたとない宣伝となるが、現実の「教皇選挙」において、いかなる属性をもった人物が次期教皇に選出されるのか、大いに関心をそそられる。
 
人口動態(デモグラフィック)からいえば、信徒が急増しているおそらくアフリカからの選出の線が高いのではないか? あるいは、アジアからの可能性も否定できない。

いずれにせよ、中国共産党に融和的だったフランシスコ教皇が亡くなったいま、間違ってもつぎの教皇にはそのような姿勢はとってもらいたくない。ローマ教皇庁に期待するのは反共、反中共である。

ローマ教皇が誰になるかは、国際政治のテーマなのである。

(2025年4月21日 記す)


PS2 コンクラーベが実施され、2日目にアメリカ人が新教皇に選出(2025年5月8日)

アメリカ人枢機卿のロバート・プレヴォスト氏が選出。レオ14世として継承することが決定された。アメリカ人で69歳、ベビーブーマーである。



アメリカからの選出か。しかしながら、トランプ政権が推進する移民政策には賛成ではないという姿勢だという。なるほど、絶妙な政治的選択である。今後、数日のあいだに詳細な分析がなされることであろう。

レオ14世を名乗ることにした。その意味するものは、「回勅レールム・ノヴァールム」を出したレオ13世を継ぐという意思の表れであろう。この意味が、よく考える必要がある。
 
(2025年5月9日 記す、2025年7月20日 補筆)



<関連記事>

・・「「教皇選挙」という映画があります。わたしも、3月にカリタスの所用でローマに来たときに、ANAの飛行機の中で見ました。ストーリーはちょっと荒唐無稽だなと思いますし、明らかに現実的ではないフィクションですし、実際にバチカンで撮影しているのでもないので、いろいろと実際とは異なるところがありますが、よくできた映像だと思います。映画の公開を通じて、日本でも、本当の教皇選挙に注目して頂けた部分も多くあろうと思います。
とはいえ、映画にあるように、あからさまな票のとりまとめとか、「これは戦争だ」と意気込んでみたり、いろいろと画策したり、皆の面前で、おまえはもうだめだみたいな指摘をしたりという、生臭い話は、残念ながらフィクションです。ああいったことは全く起こらず、食事の席では、互いに知らない人が多いので、自分の国の教会について互いに教え合ったり、非常に和気あいあいとしていました。」

(2025年5月13日)



<ブログ内関連記事>




・・左派のなかにはカトリック由来の思想もある

・・米国では右派思想におけるカトリックの比重が高まりつつある




(2025年7月20日 情報追加)


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2017年5月13日土曜日

書評『骸骨考 ― イタリア・ポルトガル・フランスを歩く』(養老孟司、新潮社、2016)― 欧州ラテン系諸国の「骸骨寺」めぐり



前著の『身体巡礼』の続編に当たる本書『骸骨考 ー イタリア・ポルトガル・フランスを歩く』は、おなじく欧州大陸の「カトリック圏」だが、ラテン系諸国をめぐったものだ。イタリア、ポルトガル、フランス(パリのみ)が取り上げられている。いわゆる「骸骨寺」めぐりである。

なぜこのなかに、スペインが出てこないないのか、著者はなにも説明していない。いまこれを書いているわたしも、理由はよくわからない。「聖遺物」ということであれば、カトリック国のスペインもまた本場であるのだが(・・わたしは、アビラで聖テレジアの右手(?)を見たことがある)。

この本の楽しみは二つある。まずは表題にある「骸骨」というテーマそのもの。その点にかんしては、72ページもあるカラー写真だけ眺めるのもよい。写真集として楽しむ。本文はその説明と訪問記である。

もうひとつは「養老節」。いつもの「養老節」であるが、もはや「名人芸」の領域に近い。しゃべりことばを活字化したもののようだが、「ですます調」をつかわないからこそよいのだろう。
  
鎌倉出身の著者の口調は、「ぶっきらぼう」な語り口なのだが、内容にはフィットしている。なぜなら、教科書を説明するのではなく、骸骨と納骨堂を目の前にして考えたことを、限りなく「仮説」に近い形で語っているからだ。すでにできあがった知識ではなく、生成途上の思考を言語化したものに「ですます調は」はふさわしくない。「ですます調」はいっけん丁寧な物言いに聞こえるが、じっさいは「上から目線」を糊塗するための方便でしかないケースが多い。

テーマそのものだが、同じカトリック圏とはいっても、『骸骨考』のラテン世界のイタリア・ポルトガル・フランスと、『身体巡礼』で取り上げられたゲルマン世界のドイツ、オーストリア、チェコとは異なるものがあることがわかる。そもそもカトリックはラテン語の世界で、地中海世界のものだから、ラテン世界のほうが本来的なあり方に近いのではないかと思う。遅れてキリスト教化されたゲルマン世界は、ゲルマン本来の個性を反映しているためか、やや重い。

わた自身についていえば、「骸骨寺」の存在をはじめて知ったのはアンデルセンの『即興詩人』であった。森鴎外訳の文語体のものではなく、中学生の時に読んだ口語体の新訳であったが、奇妙な印象がつよく記憶に刻まれたのであった。その記憶があったので、1990年代のはじめに、はじめてイタリアにいったときには訪問して見学している。

本書ではじめてしったのだが、イタリアには第一次世界大戦の死者を悼むために、戦死者の骸骨で内装を飾った礼拝堂があるのだそうだ。サン・マルティーノ納骨堂である。ソルフェリーノという小さな町にあるという。フィレンツェの北、ミラノの東だそうだ。

本書は、常識的にいえば西欧中世史のテーマもあり、西欧近世史のテーマでもあるが、解剖の専門家から見た訪問記はまた違った解釈が示されるのが面白い。具体的なモノ(・・この場合は骸骨)をつうじて、とくに転換期の「死生観」が「見える化」されているカトリック教会の寺院。
  
本書では、養老氏は、イエズス会経営の栄光学院出身であることを本書でカミングアウト(?)しているが、その意味でも本書のようなテーマについて語るにはふさわしいのかもしれない。


(画像をクリック!)


目 次

第1章 死者は時間を超越する
第2章 イタリア式納骨堂
第3章 ウソ学入門
第4章 フィレンツェと人体標本
第5章 ポルトガルの納骨堂
第6章 王の最後の姿 崩れゆく肉体を
第7章 墓とはなにか 「使った地図が古かった」
第8章  感覚の優位
写真の場所について
あとがき



<ブログ内関連記事>

書評 『身体巡礼-[ドイツ・オーストリア・チェコ編]-』(養老孟司、新潮社、2014)-西欧人の無意識が反映した「文化」をさぐる解剖学者の知的な旅の記録

『バロック・アナトミア』(佐藤 明=写真、トレヴィル、1994)で、「解剖学蝋人形」という視覚芸術(?)に表現されたバロック時代の西欧人の情熱を知る

「リスボン大地震」(1755年11月1日)後のポルトガルのゆるやかな 「衰退」 から何を教訓として学ぶべきか?

書評 『唯脳論』(養老孟司、青土社、1989)-「構造」と「機能」という対比関係にある二つの側面から脳と人間について考える「心身一元論」

『形を読む-生物の形態をめぐって-』(養老孟司、培風館、1986)は、「見える形」から「見えないもの」をあぶり出す解剖学者・養老孟司の思想の原点

書評 『見える日本 見えない日本-養老孟司対談集-』(養老孟司、清流出版、2003)- 「世間」 という日本人を縛っている人間関係もまた「見えない日本」の一つである


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2011年6月2日木曜日

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?


  
 「免罪符」(めんざいふ)というのは、日本語の会話のなかでも実によく使われるコトバだ。

 とくに「3-11」以後しばらくしてからのさまざまな発言には、「免罪符」としてのものが多いように思うのだが。とりあえず、哀悼の意を2~3行さえ書いておけば、あとは「免罪」されるつもりなのか? こんなふうに思ったりもするのは、私が天の邪鬼(あまのじゃく)だからだろうか?

 それはさておき、日常生活でもやや "高級な" 会話をするときには、「免罪符」というコトバを知っていれば、ボキャブラリーが豊富な人と思ってくれるだろう。少なくとも、「世界史」の授業で習ったことの意味くらいはわかっていることが言外に示されるから。


■ほんとうは「免罪符」ではない?!

 とあるカトリックの神父様を囲んで飲み会(!)をしていたときに、「免罪符」の話題がでたことがある。カトリック教会では飲酒は禁止されていない。パンと赤ブドウ酒(ワイン)が、キリストの肉と血を意味していることはよく知られているだろう。

 ワインでほろ酔い加減の神父様がいうには、「免罪符という日本語は正確ではないので使ってほしくない。カトリック教会では「贖宥状」(しょくゆうじょう)と言っている」、と。「いまでは高校の世界史の教科書でも「贖宥状」となっているはずです」、とも。

 神父様がそう言うのであればそうかもしれない。たしかに「免罪符」という日本語は、神社で売っている「護符」や「お札」みたいな連想があって、よろしくないのかもしれないな、と。

 いまを去ること30年前(?)、高校の「世界史」の授業で習ったときは、間違いなく「免罪符」と書いてあったのは否定できない。カトリック司祭であったマルティン・ルターが「宗教改革」に踏み出したした理由は、「免罪符」の販売によるカトリック教会のカネ儲け姿勢に納得がいかず、批判的になったからだ、プロテスト(=抗議)するから、プロテスタントなのだ、とも。

 そんな会話をしたことを思い出しながら、あらためて「免罪符」について考えてみた。

 まずは、あらためて「贖宥状」(≒免罪符)について調べてみよう。


■「贖宥状」(しょくゆうじょう)とは?

 「贖宥状」(しょくゆうじょう)は、Indulgentia(ラテン語)という。英語では Indulgence だ。なぜ、贖宥状(免罪符)が、悪事に耽るという意味の indulgence なのか??

 カトリック用語は、いや広くキリスト教用語は、英語でも一般的な用法とは大きく意味が離れたものが多い。

 たとえば、Passion、一般的には「情熱」を意味するが、カトリック用語としては大文字で「受難」。これは知っている人も少なくはないだろう。
  
 では、Assumption は? 一般には「仮定」を意味するが、カトリック用語としては、なんと「聖母被昇天」。これらは知っていなければまったく類推すら不可能だ。ちなみに、タイの有名私立大学にアサンプション大学というものがあるが、果たしてその意味を知っている人はどれだけいるのだろうか?


(バンコクのアサンプション大学 筆者撮影)


 Indulgence もまたしかり。罪や快楽に耽ることが、なぜ罪を贖すという「贖宥」に???

 indulgence を辞書で調べてみると、以下のような意味がのっている。『研究社 新英和辞典CD版』による。    

1a 悪い習慣などに ふけること,耽溺(たんでき) b 道楽,楽しみ.  
2a 気ままにさせること、甘やかし. b わがまま,放縦.
3a 大目に見ること,寛大. b 恩恵. c (商)支払い猶予.
4 (カトリック)a  免償. b 免罪符.

the Declaration of Indulgence
(英国の)信仰自由宣言 1672 年 Charles 2 世が, 1687 年 James 2 世が発布したもの.

 
 この辞書ではまだ「免罪符」となっているが、それはさておき、まあ考えてみれば、信仰にふけることも、悪事に耽ることも、精神のあり方としては似たようなことかも(?)しれない。甘やかし、赦すこと。もちろん、私は善悪について論じているわけではないし、信仰を否定しているわけではない。

 「贖宥」とは「信徒が果たすべき罪の償いを、キリストと諸聖人の功徳によって教会が免除すること」(出典:デジタル大辞泉)。直接に赦されるのではなく、教会という仲介者、媒介者によって代わりに赦されるということだ。


 実際の「贖宥状」がどんなものかは、wikipediaのラテン語版には画像がアップされている(左の写真)。wikipedia ドイツ語からの転載とある。

 ちなみに、「バチカン第二公会議」で決議されるまで、カトリック教会ではラテン語が使用されていた。日本も例外なく。

 世界史の授業で習ったように、マルティン・ルターの発言かどうか定かではないが、「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ」という一節がアタマにこびりついている。ルターはこの行為を激しく批判して、カトリック司祭の地位を捨て、プロテスタントの創始者となった神学者である。

 ごくごくフツーの日本人的にみれば、神社のお賽銭やお祓い、あるいは密教寺院の護摩(ごま)のようなもので、カネ出したとしても、それで救われるならいいじゃないか(笑)、という気もしなくもない。

 高校生ぐらいの若い時分には、ルターの「英雄的行為?」には喝采を送りたくもなったものだが、それは中身をよく知らなかったからに過ぎないのだと思う。世の中はそんなに単純ではない。

 教会だって現世の組織である以上、組織を維持するための経費がかかる。すべてを寄進でまかなえればいいものの、そうもいかないこともあろう。

 「贖宥状」(Indulgence)は読んで字の如く、善であれ悪であれ、耽り(indulgence)過ぎるのもよろしくないということか? 何ごともほどほどに、「過ぎたるは及ばざるが如し」である。




P.S. 本日(2011年6月2日)は、「キリスト昇天祭」 (Ascension Day)

 復活祭から40日目にあたるのが「キリスト昇天祭」。「Ascension Day」であるが、いわゆる「アセンション」というオカルトの話とは違うので要注意! 
 なお、「キリスト昇天祭」が、インドネシアでは休日になっているというのは興味深い。インドネシアは世界最大のムリスム大国だがイスラームは国教ではない。マイノリティだが、キリスト教徒も、ヒンドゥー教徒
も仏教徒もいる。
 東南アジアでも、イスラームを国教とするマレーシアとは違うことに注意しておきたい。



<ブログ内関連記事>

「祈り、かつ働け」(ora et labora)

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)

映画  『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた


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