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2013年9月23日月曜日

書評 『川崎尚之助と八重-一途に生きた男の生涯-』(あさくら ゆう、知道出版、2012)-幕末を生きた知られざる男の「名誉回復」は2011年から始まった!


川崎尚之助(かわさき・しょうのすけ)、この名前を昨年(2012年)の段階で知っていた人はいったいどれだけいたのだろうか? もちろんわたしもまったく知らなかった。

NHK大河ドラマ『八重の桜』の主人公・新島八重の初婚の相手であった川崎尚之助。蘭学者で砲術家。会津藩と運命をともにした男。

この男のことを誰も知らなかったのは仕方ない。大河ドラマで取り上げられるまでは事実関係もほとんど明らかになっていなかったからだ。

しかも、本書の著者あさくら氏によれば、ドラマ化が発表されるまで、この男のことはほとんど知られることもなかっただけでなく、「逃げた男」という汚名を帯びた虚像が捏造されまかりとおっていたのである。

本書は、その知られざる川崎尚之助を徹底的に調べ上げ名誉回復を実現した在野の歴史研究家の入魂の一冊である。

著者による徹底調査は、大河ドラマのテーマが発表された2011年に開始された。


川崎尚之助は但馬国の出石藩の出身

会津藩士となって旧会津藩と運命をともにした川崎尚之助(1836~1875)は、但馬国の出石(いずし)の出身である。出石は、現在は兵庫県豊岡市に編入されている内陸の土地である。

出石(いずし)といえば関西では蕎麦(そば)と結びつく。いわゆる「出石の蕎麦」である。18世紀初頭、信州上田から移封された仙石家が持ち込んだものだという。つまり痩せた土地であったということだ。

だが、啓蒙思想家で法学者であった加藤弘之をはじめ、明治新政府に有為の人材を送り込んだことでわかるように、出石藩は学問をきわめて重視した土地柄であった。そんななかからでてきたのが川崎尚之助であったことが本書を読むとよくわかる。

川崎家はお家騒動の余波を受けて苦杯をなめた出石藩士であった。川崎尚之助が蘭学と砲術研究で身を立て蘭学塾で同窓であった山本覚馬の誘いにおうじて会津に行ったのは、故郷に戻ったところで浮かばれることがない悟っていたためのようだ。

必要とされる場所で、必要としてくれる人のためにナレッジワーカー(=知識労働者)として働く喜び。それは人脈(=人的ネットワーク)によって実現した道でもあった。

ついでだが、但馬の方言は関西アクセントではない。東京アクセントにきわめて近い。だからドラマでの川崎尚之助のしゃべり方はおかしくないのである。

(Googleマップで地理的な位置を知る:Aで示したのが出石)


川崎尚之助は「手形詐欺事件」に巻き込まれていた!

川崎尚之助が会津藩士に取り立てられ、山本八重と夫婦になったことはドラマにも再現されているが、会津戦争後については、ドラマでは詳しく語っていないことと、事実を脚色している点があることが本書を読むとよくわかる。

ドラマでは詳しく語っていないこととは、まずは会津藩士に取り立てられた理由

「禁門の変」で京都の治安維持にあたっていた会津藩の大砲隊が大活躍した。その際ぜひ砲術専門家の川崎尚之助を京都に招聘したいという要請がでてきたが、藩士ではないので実現しなかったのである。これが伏線となって会津藩士への途が開かれたのだ、と。

会津戦争における敗戦後、旧会津藩の移封先である下北半島にともに渡った川崎尚之助だが、川崎尚之助が巻き込まれた外国商人との訴訟の中身についてもドラマでは詳しく触れられていない。

川崎尚之助は、先物取引にかかわる「手形詐欺事件」に巻き込まれていたのだ!

旧会津藩士たちの多くが下北半島で飢餓に苦しんでいたことは、『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971) にも書き記されていることだが、川崎尚之助は藩士たちとその家族の飢餓を救うため、幕末から開港地として外国貿易が盛んであった津軽海峡の対岸の函館で、食糧であるコメの調達に奔走していたのである。

そのために考案したのが商品先物取引。斗南でその年に収穫予定の大豆「先物」(さきもの)と、輸入された外米である広東(カントン)米の「現物」を交換する取引を函館在住のデンマーク商人と結ぶことに成功する。

だが川崎尚之助は、仲介役として仲間にした日本人商人にだまされ「手形詐欺事件」に巻き込まれることになる。そしてまた当然のことながら寒冷地での慣れない農作業による大豆の収穫は、実現しないで終わる。

不平等条約状態の日本であったが、オランダ語に精通していた蘭学者の彼は手形詐欺事件では勝訴を勝ち取る。だが、先物取引の清算(=クリアリング)にかんしてはデンマーク商人との訴訟は継続され、1875年(明治7年)東京で肺病をこじらせ困窮死することでやっと終結することになった。罪を一身に背負った生涯であったのだ。

礼節を重んじ、アタマの切れるインテリであったが、インチキ日本商人にだまされたことを恥に思っていたのでもあるのだろう。だが、命をかけて最後まで訴訟を戦い抜いた姿勢はすばらしい。

ドラマには登場しないが、川崎尚之助と行動をともにしたのが旧会津藩士の柴太一郎(しば・たいちろう)である。

柴太一郎はかの柴五郎の長兄で、先に言及した 『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971) にも登場する。柴五郎の『遺書』には、長兄・太一郎が外国人との訴訟にかかわっていたことは記されていても、川崎尚之助にかんしてはいっさい言及がない。当時10歳であった柴五郎の記憶に残る人ではなかったのかもしれない。この点については著者のあさくら氏はまったく触れていない。

事実を脚色している点とは、ドラマでは八重は東京で川崎尚之助に会ったという設定になっているが、その事実はなかったと著者は断言していることだ(P.222)。どうやらこれが小説家の創作内容をドラマにふさわしいという理由で採用したと推測される。

基本的に史実に忠実なドラマであるだけに、こういう事実を曲げた個所があるのはじつに残念なことだ。


「一途に生きた男」

「資料発掘の鬼」と自称する著者が、ドラマ『八重の桜』に際して関心をもつに至った川崎尚之助。一年半の徹底的な調査でようやくあきらかになってきた成果が本書である。

著者は川崎尚之助のことを、「一途の男」と評している。本書を最後まで読むと、この評価がまさに適切であることが納得される。

この「一途さ」ゆえ、山本覚馬の知遇をえて会津まで行ったわけであり、会津藩士に取り立てられたのであり、会津藩への恩を深く感じていたからこそ会津戦争を戦ったのちも下北半島まで同行したわけであり、旧藩士たちの窮乏を救うために先物取引にかかわったわけであり、妻である八重に迷惑をかけまいと訴訟のことは知らせず、罪を一身に背負って言い訳をせず最後は困窮のうちに死ぬこととなった。

そういう「一途に生きた男」の生涯を発掘し、名誉回復に貢献できたことは著者冥利につきるものだし、また読者としてもじつによろこばしい。歴史に大きな足跡を記した人物ではないが、幕末を駆け抜けたこういう男もいたのだと知ることに意味があるのだ。

ただ残念なことに、どのような容貌であったのか肖像画も写真も残っていないようなので本書にも収録されていない。もし残っていれば、ドラマであらたにつくられた虚像との落差が明らかになるかもしれない。

川崎尚之助にかんする調査は本書の出版後もつづいているようである。新島八重のことを、「NHKはジャンヌダルクと捏造した」(はじめに)と言い切る「資料発掘の鬼」には、さらなる事実解明に期待したい。



(参考) 柴 太一郎について

柴太一郎(しば-たいちろう 1839-1923) 幕末-明治時代の武士,官吏。 天保(てんぽう)10年生まれ。柴四朗,柴五郎の兄。陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩士。藩主松平容保(かたもり)の京都守護職就任にしたがって京都におもむく。軍事奉行添役として鳥羽・伏見の戦いに出陣し,のち長岡,会津に転戦。戦後,斗南(となみ)(青森県)に移住し,同藩の創立につくすが,糧米の代金事件に連座し入獄。のち会津にかえり,大沼・南会津郡長。大正12年4月28日死去。85歳。名は盛道。通称ははじめ秀次。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)





目 次

はじめに
序章 「逃げた男」から「一途の男」へ
第1章 出石藩
第2章 出石藩川崎家
第3章 蘭学修業
第4章 会津藩
第5章 会津藩山本家と結婚
第6章 京都守護職
第7章 戊辰戦争
第8章 会津戦争へ
第9章 会津城下の激戦
第10章 会津藩解体
第11章 戦後の会津
第12章 斗南
第13章 函館
第14章 八重、米沢から京都へ
第15章 終焉
あとがき
本書によせて(川崎修)
解説 北垣宗治
参考文献


著者プロフィール

あさくら ゆう
歴史研究家。東京都台東区出身。新選組研究同人、三十一人会副会長、茨城地方史研究会、咸臨丸子孫の会会員。主に幕末維新期の人物史を執筆 今回の「川崎尚之助と八重」(知道出版)で新島研究論文賞を受賞 豊岡市より感謝状を授与される(各種データより作成)。





<関連記事>

新島八重と同志社 第16回 新島八重と川崎尚之助 ~会津に尽くした生涯~(あさくらゆう)
・・本書の内容が簡潔に要約されている


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幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!



(2012年7月3日発売の拙著です)





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