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2013年5月23日木曜日

「ワーグナー生誕200年」(2013年5月22日)に際してつれづれに思うこと



ことし(2013年)の5月22日は「ワーグナー生誕200年」であった。

英語でいえば The Wagner Bicentennial である。Bicentennial という英語を耳にするのは、わたし的には 1976年の「アメリカ建国200年祭」以来である。ワーグナーが生まれた当時の欧州がどういうものだったのかは、なんとなく想像がつくだろう。

ワーグナーというと、まずはフランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』に使用された「ワルキューレの騎行」を想起する。攻撃型ヘリコプターが地上に向けてロケット発射とマシンガンを乱射するシーンに使用されていた。ちなみに『地獄の黙示録』(Apocalypse Now)は、1979年の作品である。

ワーグナーというとどうしてもヒトラーとナチズムの連想があるのは仕方がないことだろう。とくにニュルンベルクという都市名との結びつきがつよい。

ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』。
国家社会主義ドイツ労働者党(=ナチス党)の 1934年の党大会が開催されたニュルンベルク。
そして党大会を映像化したレーニ・リーフェンシュタールの傑作 『意思の勝利』(Triumph des Willens)。
敗戦後のドイツの戦争責任を問うために開かれたニュルンベルク裁判。

1930年代ドイツにおける政治と芸術の関係については、『ヴァーグナー家の人々-30年代バイロイトとナチズム-』(清水多吉、中公文庫、1998 初版 1980)が正面から扱っていた面白い。せっかくの機会なので、読まないままになっていたこの本を読んでみたら、これがじつに面白いのだ。


バイロイトとは、ワーグナーが自分の楽劇を上演するために建設した専用劇場のことである。

バイロイトとワーグナーといえば、言うまでもなく財政的支援を与えたパトロンのバイエルン王国のルードヴィヒ2世である。日本人観光客ならかならず一度は訪れたいというノイシュヴァンシュタイン城を建設させた王だ。ディズニーランドのお城のモデルになったもの。

そうでなくても上演にはカネのかかるオペラである。入場料収入だけではまかなえない、しかも夏季の・・期間だけ上演されるバイロイト音楽祭を支えてきたのは、19世紀後半にはルードヴィヒ2世、1930年代にはヒトラーとナチス党、そして戦後は財団法人をささえる公的機関である。

ワグナーというとヒトラーを連想するのは、ある意味では刷りこみかもしれない。ヒトラーが熱狂的なワグナーファンであったことは、ヒトラー関連の本ならかならずできくる話である。

上記の『ヴァーグナー家の人々-30年代バイロイトとナチズム-』においても、指揮者フルトヴェングラーが主要主人公である。ナチスとのかかわりが批判されてきたのはハイデガーなどとも共通することだが、1930年代のドイツをあとから批判するのはたやすい。

失敗に終わったドイツ1848年革命にコミットしたために指名手配となりながらも、その後は王侯貴族の庇護のもとにバイロイトで「精神の王国」の実現に成功したワグナーは、ドイツ近現代史を考えるうで欠かせない要素である。

わたし自身とはいえば、40歳を過ぎるまでワーグナーは好きではなかった。ヒトラーとの関連というよりも、魔術的で陶酔的な要素のつよすぎる音楽が好きでなかったからかもしれない。いまでも
基本的にはイタリア・オペラのほうが好きだ。

陶酔的といえば、三島由紀夫の主演監督作品『憂国』で使用された『トリスタンとイゾルデ』がそれに該当する。ドイツロマン派のワグナーと日本浪漫派の三島由紀夫に通低する感覚的なものだろうか。

いまだに『ワルキューレ』も『神々のたそがれ』も劇場で鑑賞していないが、これは将来の楽しみとしてとっておくこととしよう。

ワーグナーについて語ると膨大なものになっていまうので、ここらへんでやめておくことにしよう。

いまだ毀誉褒貶あいなかばするワーグナーという人物とその作品。芸術と政治の関係を考えるうえではずせないテーマでありつづけていくのは否定できないことだろう。





<関連サイト>

Apocalypse Now/Ride Of The Valkyries  (『地獄の黙示録』の一シーンで「ワルキューレの騎行」が使用されている)

映画『憂国』(1960年) (二二六事件で死ねなかった青年将校の切腹後のシーン)

Triumph des Willens (1935) - Triumph of the Will (『意思の勝利』が全編 YouTube にアップロードされている)


<ブログ内関連記事>

バイエルン国王ルードヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・

書評 『指揮者の仕事術』(伊東 乾、光文社新書、2011)-物理学専攻の指揮者による音楽入門
・・「第7章 「総合力」のリーダーシップ-指揮者ヴァーグナーから学ぶこと」

今年(2010年)もまた毎年恒例の玉川大学の「第九演奏会」(サントリーホール)に行ってきた
・・R.ワーグナー/楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)

書評 『忘却に抵抗するドイツ-歴史教育から「記憶の文化」へ-』(岡 裕人、大月書店、2012)-在独22年の日本人歴史教師によるドイツ現代社会論

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない


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2012年12月1日土曜日

書評 『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)-バブル期から20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は日本の文化政策の欠如を語ってやむことがない


日本舞台芸術振興会(NBS)の会員だったので、『起承転々 怒っている人、集まれ!-オペラ&バレエ・プロデューサーの紙つぶて156- 』(佐々木忠次、新書館、2009)は、「著者謹呈」としていただいていた。

著者の佐々木忠次氏は、30歳のときに引き受けた東京バレエ団を世界水準のバレエ・カンパニー(=バレエ団)に育て上げ、出演機会を増やすために積極的に海外公演を企画し実行してきた辣腕プロデューサーであり、国際文化交流としてオペラの引っ越し公演を日本で成功させてきたインプレッサリオでもある。

「日本のディアギレフ」と呼ばれてきたのはそのためだ。ディアギレフとは常設バレエ団であるバレエ・リュス(=ロシア・バレエ団)の創設者であり、フランスを中心にロシアバレエの一大旋風を巻き起こした立役者である。1920年代の代表的人物である。

先日のことだが、プロのバレエ・ダンサーとのジョイントセミナーを行うにあたってバレエ関連本を読んでいたのだが、同じ著者による『闘うバレエ』を読んだことをきっかけに、そういえば 『起承転々 怒っている人、集まれ!』をもっていたことを思い出して読んでみることにした。頂いてからすでに4年もたっていたが、これがじつに面白い。

しかし、面白いといっても、それは楽しいということと同じ意味ではない。「面白うてやがて哀しき・・」というよりも、著者の怒りがそのままストレートに伝わってくる内容の一冊なのだ。

本書は、日本舞台芸術振興会(NBS)が主催するオペラやバレエ作品の案内を兼ねたニューズレターに著者が執筆してきた文章を、約20年分まとめて一冊にしたものである。

1989年から2008年にわたる20年間の流れを「日本のディアギレフ」が綴った感想は、プロデューサーとしてあくまでも「民間人」の立場からで文化事業を支えてきた苦労と自負がなせる発言の数々であり、バブルとその崩壊を挟んだこの20年間が、文化芸術の観点からみたらどういう時代だったのかが手に取るようにわかる貴重なドキュメントでもある。

バブル期に広告代理店などによって引っかき回され混乱したバレエやオペラの世界、理念なき国家主導と民業圧迫(・・まさに経済学でいうクラウディングアウトだ)、官尊民卑、官と癒着するマスコミ・マスメディア、振付家の舞踊著作権管理、ハードにばかりカネをかけてソフトを軽視するハコ物行政への怒りと苦言、などなど。これが、文化国家を標榜する日本の現実である。

フランスをはじめとする西欧諸国のような「国家としての文化戦略」が欠如しているのである。明治維新によって近代化=西洋化を選択した日本も、学校教育においては音楽教育を全面的に西洋化したにもかかわらず、制度の背景は完全に取り入れることはしなかったためである。

国家財政による助成が基本のフランス、民間からの寄付が中心の米国、そのどちらでもない中途半端な日本。舞台芸術のマネジメントから、日本の近代化のいびつさも見えてくる。

著者は、このような批判や怒りをほぼ毎回にわたって書き続けている「闘うプロデューサー」なのだが、みずからおカネを払って観賞してくれる観客のため、という軸がブレることなく一貫しているからこその感想であるわけなのだ。

「すぐれた舞台を提供することはもとより、入場料を少しでも下げ、観客によりしたしまれるようにつとめ、より多くの人々に劇場に足を運んでもらうこと」(P.334)

これが著者の使命である。そのためには家もクルマも所有せず、有言実行と率先垂範を貫いて走り続けてきたと書く男の後半生の記録である。

文化芸術にかんしてのこの国のいびつさを知る上でも、読んで損はないというよりも、ぜひ読んでほしい本である。


<補足説明>舞台芸術を支える基盤について

オペラやバレエなどの舞台芸術が、その他の音楽ジャンルやスポーツとは根本的に異なるのは、舞台の客席数に制約される面も大きい。数万人の集客が可能なロックコンサートやスポーツイベントは、まさに広告代理店的な興業が可能だが、2,000席前後の舞台ではパトロン抜きでは、もともと成立可能ではなかったのだ。王侯貴族によるパトロンが消えたのちは、国家がそれを代替するよになったというのがフランスを中心とする欧州の状況である。西洋文明の枠組みにありながら後進国であった米国は、国家助成よりも民間による寄付を中心に文化芸術を支える財政問題を解決してきた。近代化とともに西洋文明を受け入れた日本は、音楽学校はつくったものの職業としての音楽家を成立させる制度的な枠組みをつくらなかったことが現在に至るまで尾を引いている。







目 次

*一部を抜粋すると以下のような感じになる

プロデュース手腕三十四年間への酬い
入場料は高い!?
引越し公演とは!?
オペラハウスは誰のもの!?
鉢巻きコンサート!?
ブーイング狩り
怪文書
ベスト5を裏からみれば…
企業の文化活動支援

詳細な目次は、出版元である新書館のサイトを参照
http://www.shinshokan.co.jp/book/978-4-403-23111-7/

著者プロフィール  

佐々木忠次(ささき・ただつぐ)
1933年東京生まれ。日本大学芸術学部演劇科卒業。1964年に東京バレエ団を創立、主宰。国内はもとより23次689回にわたる海外公演を行い、世界でもその実力が認められるインターナショナルなバレエ団に育て上げた。また、1981年には日本舞台芸術振興会(NBS)を設立。ミラノ・スカラ座、ウィーン国立歌劇場、パリ・オペラ座バレエ、ロイヤル・バレエなど、世界の一流オペラ、バレエを次々と招聘し、公演を成功させてきた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。2016年4月30日没。享年83


PS 『孤独な祝祭-佐々木忠次 バレエとオペラで世界と闘った日本人-』(追分日出子、文藝春秋、2016)が刊行


(出版社による作品紹介より)

「諦めるな、逃げるな、媚びるな」──こんな日本人がいた──極東の島国から「本丸」バレエの殿堂、パリ・オペラ座に討ち入り。偏見と嘲笑は一夜にして喝采へと変わった。誰もが不可能と信じていたことを、執念の交渉で次々現実にしてきたタフネゴシエーターは、2016年4月30日、一人ひっそりとこの世を去った。
(・・中略・・)
劇場に生きた男の孤独な闘い。その誰も知ることのなかった舞台裏が、徹底取材により、今、明らかになる。」



(2016年10月26日 記す)



<ブログ内関連記事>

バレエ関係の文庫本を3冊紹介-『バレエ漬け』、『ユカリューシャ』、『闘うバレエ』

【セミナー終了報告】 「異分野のプロフェッショナルから引き出す「気づき」と「学び」 第1回-プロのバレエダンサーから学ぶもの-」(2012年11月29日開催)

書評 『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(岡田芳郎、講談社文庫、2010 単行本 2008)





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2011年10月9日日曜日

リヒャルト・シュトラウスのオペラ 『ナクソスのアリアドネ』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた


 10月第2週の土曜日のきのう、リヒャルト・シュトラウスのオペラ 『ナクソスのアリアドネ』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた。

 このオペラはいい! 21世紀にオペラが生き残るとしたら、いやすでにオペラというジャンルが終わっているのだとしても、こういう方向性なら「古典芸能」ではなく、「現代歌劇」として成立しうるのではないかと思わされた。

 演出もまたすばらしい。文句なしにこのオペラはすばらしかった。

 会場は上野の東京文化会館。先週も、ドニゼッティのオペラ『ロベルト・デヴェリュー』を見に行ってきたばかりだが、上野の森は「芸術の秋」には、とくに美術とオペラにはふさわしい。落ち葉を踏みしめながら歩くこと自体に秋を感じることができるから。

日時: 2011年10月8日(土)15:00
会場: 東京文化会館
時間: 15時~17時40分 合計演奏時間130分(幕間休憩1回30分)原作:ホフマンスタール
作曲:リヒャルト・シュトラウス
指揮:ケント・ナガノ
演出:ロバート・カーセン
歌唱: ロバート・スミス(バッカス/テノール歌手役)
    ダニエラ・ファリー(ツェルネビッタ役)
    アドリエンヌ・ピエチョンカ(アリアドネ/プリマドンナ役)
    アリス・クート(作曲家役)



作家ホーフマンスタールと作曲家リヒャルト・シュトラウスのコラボレーション


 『ナクソス島のアリアドネ』は、リヒャルト・シュトラウス(1864~1946)の 1916年の作品。

 バイエルン王国のの首都ミュンヘンに生まれ育って、その地を活動の中心にしていたリヒャルト・シュトラウスの作品を取り上げるのは、バイエルン国立歌劇場としては当然といえば当然というべきなのだ。

 シュトラウスのオペラといえば『薔薇の騎士』だが、この『ナクソス島のアリアドネ』もまた、世紀末ウィーンを代表する作家フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(1874~1929)との共作である。

 今風にいえば作家と音楽家とのコラボレーションということになろうが、ただし、ホーフマンスタールの台本に音楽家が曲をつけたという単純な共作ではなく、芸術論にかんする激論をまじえた共作関係であったようだ。
 
 現在でもミュンヘンとウィーンでは、かなりの距離がある。手紙以外に電話もつかってコミュニケーションを行っていたのかどうか。


「ナクソスのアリアドネ」というギリシア神話とは?

 アリアドネは、つい先日までやっていたTVドラマのタイトルでもあるが、「迷宮から救い出す」という神話的な意味で用いられたものだ。

 神話とはギリシア神話、迷宮(ラビリントス)とは冥界につながると信じられていたクレタ島の洞窟(迷宮)のことを意味している。事件が迷宮入りするという迷宮であり、ドイツ文学者の種村季弘が著作集ににつけたラビリントスである。

 ナクソス(Naxos)といえば、廉価版のクラシック音楽レーベルを想起するが、エーゲ海に浮かぶギリシアの小島である(・・下図のまんなか、A の矢印がついている島)。



 アリアドネについては、wikipedia の項目から該当部分を引用しておこう。ただし、ギリシア語表記の長音はわずらわしいので、すべて短音に直しておいた。なお、クレタ島を意味するクレーテーではわからないのでクレタに変換しておく。

クレタ王ミノスは、息子アンドロゲオスがアッティカで殺されたため、アテナイを攻めた。こうしてアテナイは、九年ごとに七人の少女と七人の少年をミノタウロスの生贄(いけにえ)としてクレタに差し出すこととなっていた。テセウスはこの七人の一人として、一説ではみずから志願して生贄に加わってクレタにやって来た。

迷宮とアリアドネーの糸

アリアドネはテセウスに恋をし、彼女をアテナイへと共に連れ帰り妻とすることを条件に援助を申し出た。テセウスはこれに同意した。アリアドネーは工人ダイダロスの助言を受けて、迷宮(ラビュリントス)に入った後、無事に脱出するための方法として糸玉を彼にわたし、迷宮の入り口扉に糸を結び、糸玉を繰りつつ迷宮へと入って行くことを教えた。
テセウスは迷宮の一番端にミノタウロスを見つけ、これを殺した。糸玉からの糸を伝って彼は無事、迷宮から脱出することができた。アリアドネは彼とともにクレタを脱出した。

クレタよりの脱出後

クレタより脱出後・・(中略)・・これ以降のアリアドネの運命については諸説がある。・・(中略)・・別の説では、アリアドネーはナクソス島に至り、ひどい悪阻(つわり)であったため、彼女が眠っているあいだにテセウスに置き去りにされたともされる。されたともされる。あるいはこの後、ディオニュソスが彼女を妃としたともされる。


 概略は以上のような話である。アリアドネは英雄テセウスと一緒に語られる存在である。ここにでてくるダイダロスは息子イカロスとともに迷宮から脱出するが、ご存じのとおりイカロスは墜落してしまう。ミノタウロスは、牛頭の半人半獣である。

 そういった雑多な話はさておき、このオペラに関係するのは、ディオニュソスが彼女を妃としたともされる」という別説のほうだ。

 ギリシア神話のディオニュソスはローマ神話ではバッカス、ここでようやくホフマンスタール原作の台本にたどりつくことになる。ホフマンスタールは、この別伝承をもとに創作したようだ。

 ハンガリー出身の神話学者ケレーニイの『ギリシアの神話-英雄の時代-』においても、アリアドネの神話には伝承によって多くのバリエーションがあることが示されており、どれがもっとも正統なものであるかは決めるのは難しい。なぜなら、それぞれの島ごとに伝承が異なるのは、島民にとっての真実はそれぞれ別物であるからだ。これは日本の『古事記』や『日本書紀』でも同様である。

 したがって、後世の文学者がいかように解釈しようが問題ないだろう。そしてまた男と女の関係というものは、永遠のテーマである。

 これさえわかっていれば、アリアドネにまるわるギリシア神話の詳細はほんとうはどうでもいい話だ。おそらく、上演当時の観客たちも、ギリシア神話の細かい話など知らなかったに違いない。


オペラ『ナクソスのアリアドネ』

 いつ始まったのかよくわからないような演出、これもまた斬新な演出である。

 オペラなのか、レヴューなのか、文学キャバレーなのか、オペレッタなのか、ミュージカルなのかよくわからないドタバタ喜劇のような「プロローグ」のあと第一幕となる。このオペラはプロローグと第一幕だけの二幕構成で、今回は幕間なしの2時間強の上演であったが、合計2時間40分くらいが、人間の生理的感覚からいっても、長すぎず短すぎずでよいのかもしれない。

 このオペラは19161年の作品で、第一次大戦中の作品であることに注意しておきたい。

 戦争が始まったのは1914年、ドイツの敗戦で終わったのは1919年である。1916年の時点では、戦線は膠着していても、まだ敗色があらわになっていなかったのか? シュトラウスのバイエルン王国も、ホーフマンスタールのオーストリア=ハンガリー二重帝国(・・いわゆるハプスブルク帝国)も、この戦争の結果、消滅した。

 このオペラも、その意味では、第一次大戦後に流行したキャバレーなどの流行を先取りして取り入れたものとなっていたのだろうか。ライザ・ミネリ主演のハリウッド映画『キャバレー』の世界は、1930年代前半のベルリンである。

 1916年当時は、もはやすでにオペラの時代ではなくなりかけていたのであろう。そういった過渡期の時代に、自虐的(?)な傾向もなくもない作品だが、オペラのようなブルジョワ階級の芸術と大衆芸能を交錯させ、融合させることに、実験的に着手したのだろか。そう考えると、このオペラ自体が、現代風演出を先取りしていることになる。

 はじめて上演されてから今年で95年目、とはいえ第一次大戦前後は「現代史」のまさに渦中の歴史として、遠い昔だという気がしないのが不思議なことなのだ。だから、このオペラは作成され上演された時点からすでに現代ものなのである。演出もいくらでも現代風にしたらいい。

 ところで、「日経ビジネスオンライン」の記事「詳細なデータなしで原発廃止を提言した報告書-「原子力リスクの分析を技術者だけに任せてはいけない」と判断したドイツ人(下)(熊谷 徹) 2011年10月7日(金)には、以下の記述があるので採録しておく。

・・(前略)・・バイエルン州立歌劇場は今年9月23日から10月上旬まで東京と横浜でワグナーの「ローエングリン」などを上演している。しかし団員400人のうち約100人が、日本への出張を拒否した。
 歌劇場のニコラウス・バッハラー総裁と音楽総監督ケント・ナガノは事前に東京を訪れて情報収集をした後、団員に状況を説明。この結果、約4分の3の団員が日本公演に参加したが、残りは日本に行かない道を選んだ。私はドイツ人のリスク意識の高さや、事故発生直後のドイツのマスコミのセンセーショナルな報道を考えれば、総裁はよく300人の団員を説得できたと思った。それでも、団員の4分の1が「代打」では、熱心な日本のオペラファンの中には、不満を感じる人もいるのではないか。・・(後略)・・


 こういう事情があったにせよ、今回の来日公演は成功に終わったといってよいだろう。

 とくに『ナクソスのアリアドネ』の、ツェルネビッタ役のダニエラ・ファリーへの拍手の大きさは格段のものがった。みな同じように感じているのだ。

 ライブ公演は文字通りなまものであり、どんな突発事件が発生するかフタをあけてみるまではわからないという怖さがあるものだ。

 その意味では、今年は最後の最後まで、たいへんなことだっただろうと察するが、この『ナクソス島のアリアドネ』もまた、気まぐれなご主人の意向に翻弄されるアーチストたちのドタバタを描いた作品である。ある意味、もっとも適切な演目の選定であったかも(笑)

 今年は奇しくも「日独交流150周年」にあたるそうだ。その意味でも記念となる公演であったといえるだろう。あと一日(10月10日)の公演を残してフィナーレとなる「バイエルン国立歌劇場日本公演」、有終の美を飾っていただきたいものである。


<関連サイト>

バイエルン国立歌劇場「ナクソス島のアリアドネ」(Richard Strauss ARIADNE AUF NAXOS, Oper in einem Aufzug nebst einem Vorspiel, Text vom Hugo von Hoffmansthal)
・・主催者のNBSによる投稿映像。この映像で雰囲気を感じ取っていただきたい

日本舞台芸術振興会の「バイエルン国立歌劇場2011年日本公演」
・・演目とその解説記事


<参考書>

『ギリシア・ローマ神話辞典』(高津春繁、岩波書店、1960)
『ギリシア神話-美術と伝説にみる世界-』(呉茂一編著、社会思想社、1972)
『ギリシアの神話-英雄の時代-』(カール・ケレーニイ、植田兼義訳、中公文庫、1985)

『ホーフマンスタール(ロロロ・モノグラフィー叢書)』(ヴェルナー・フォルケ、横川滋訳、1971)

『Bayerische Staatsoper 2011 バイエルン国立歌劇場日本公演カタログ』(日本舞台芸術振興会、2011)


<ブログ内関連記事>

ドニゼッティのオペラ 『ロベルト・デヴェリュー』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた

バイエルン国王ルードヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・

医療ドラマ 『チーム・バチスタ 3-アリアドネの糸-』 のテーマは Ai (=画像診断による死因究明)。「医学情報」の意味について異分野の人間が学んだこと







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2011年10月1日土曜日

ドニゼッティのオペラ 『ロベルト・デヴェリュー』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた


 10月初めの土曜日のきょう、ドニゼッティのオペラ 『ロベルト・デヴェリュー』(バイエルン国立歌劇場)にいってきた。

 会場は上野の東京文化会館。個人的には、NHKホールよりも東京文化会館のほうがオペラには適していると思う。あくまでも個人的な感想であるが。


日時: 2011年10月1日(土)15:00
会場: 東京文化会館
時間: 15時~17時40分 合計演奏時間130分(幕間休憩1回30分)
演出: クリストフ・ロイ
指揮: フリードリリッヒ・ハイダー
演奏: バイエルン国立管弦楽団
歌唱: エディタ・グルベローヴァ(エリザベッタ役)
    アレクセイ・ドルゴフ(ロベルト・デヴェリュー役・・代役)他


 じつは、ドニゼッティの『ロベルト・デヴェリュー』は2回目だ。

 前回は 3年前の 2008年、ウィーン国立歌劇場の来日公演で演奏会形式で行われたが、同じく東京文化会館であった。その公演で、『ロベルト・デヴェリュー』はひじょうにすばらしいオペラだと感動したのであった。

 ベル・カント歌唱のできる歌手がないと上演できない作品ということで、じつは今回も主唱のエリザベッタ役はエディタ・グリベローヴァである。しかも、指揮も同じくフリードリッヒ・ハイダー。オーケストラは異なれども、すでに息のあった指揮者と歌手の関係なのであろう。

 今回の公演も、第三幕のエディタ・グリベローヴァの独唱はじつにすばらしいものであった

 演出は現代風だが、舞台装置は簡素なもので、とくに違和感を感じることはない。ゴテゴテした余計な舞台装置がないだけ、歌唱と演技に集中できるのが、かえってよかったかもしれない。

 イタリアオペラは独唱のパートで拍手を入れることができるので、日本人的には息抜きの場が多いので、鑑賞するのも気楽でいい。歌舞伎と似たようなものである。

 舞台設定は 16世紀英国。主人公はエリザベス女王。イタリアオペラなので、イタリア風にエリザベッタとなっている。演出では、女王を女社長に設定しているが、トップに立つ者の孤独、公的活動とプライベートライフの相克、老醜などのテーマは、現代にも通じるものがある。

 あらすじは以下のとおりである。、

 愛人であるロベルトが裁判で反逆の罪を問われることを知った女王エリザベッタ。エリザベッタは、ロベルトの愛が確かめられるなら、自らの権力によって彼を救おうと、議会から提出された死刑判決書への署名を拒否し、ロベルトに会いに行く。ロベルトの愛を確かめ、甦らせようとするエリザベッタだったが、ロベルトはつい自分の心は他の女性に向けられていると口走ってしまう。激怒したエリザベッタはロベルトを許さず、復讐の念を燃やす。一方、ロベルトが愛するサラは、彼の親友でもあるノッティンガム公爵と結婚し、ロベルトを救おうと画策する。
 翌日、ロベルトに死刑宣告がくだされる。まだ彼を愛するエリザベッタは判決書へのサインなど出来るはずもなく苦悩する。しかし、そこへロベルトが持っていた青いショールが届けられる。ロベルトの不貞を確信したエリザベッタは判決文に署名し、親友の助命のため居合わせたノッティンガム公爵は、妻の不貞に気づき復讐を決意する。
 ロベルトは獄中からサラに預けておいた指輪を女王のもとに届けてほしいと手紙を送るが、サラは妻の不実をなじるノッティンガム公爵によって監禁されてしまう……。
(情報出所: http://eplus.jp/sys/web/s/bavarian/index.html


 ドニゼッティは、ヴェルディやプッチーニといったイタリアオペラの巨人たちに比べると、日本での知名度はそんなに高くないが、西洋史を舞台にしたドラマチックな題材と音楽は、なかなかすばらしいものがある。わたしは、この『ロベリト・デヴェリュー』と『ファヴォリート』の2作品しか鑑賞したことはないのだが。


東京文化会館は今年で50周年

 ところで、今回の演出では、第一幕と第二幕と連続上演するので、幕間は一回限りであった。幕間の休憩時間に客席から外に出ると、「東京文化会館50周年」という幟(バナー)ば目に入った。

 1961年に建設されてから今年で50年。JR上野駅前すぐに位置する東京文化会館は、上野公園の出入り口にある目印ともなる建築物である。

 その事実を知ってから、はじめて建物の内部にプレートがあるのに気がついた。設計は、前川國男建築設計事務所で、「建築業協会賞」第3回(1962年)を受賞しており、公共建築百選」にも選出されていることがわかる。


 欧州の歌劇場も、その多くが爆撃で破壊されて第二次大戦後に再建されたものも多々あることを考えれば、築後50周年というのも、それなりの歴史をもつ劇場といえるのかもしれない。

 バルコニーをもたない歌劇場はいかがなものかという気がしなくもないが、最初から一般市民向けに芸術を普及するのがミッションなのだ考えれば、バルコニーがないのは当然のことなのかもしれない。

 そもそもバルコニー席というのは社交用のものであって、観劇は第一目的ではないのである。実際に、舞台の袖であるバルコニーからは、舞台があまりよく見えない。バルコニー席というのは、貴族社会から市民社会への移行期の名残りなのだろう。

 それはさておき、道をはさんで反対側にある西洋美術館は、世界的な建築家ル・コルビュジエの作品である。世界遺産に登録申請したものの実現しなかったが、上野の芸術的雰囲気を高めるのに建築物もまた一役買っていることに、あらためて注目しておきたいところである。



PS 国立西洋美術館が念願の「世界遺産」登録が内定

ル・コルビュジエ設計の東京・上野の国立西洋美術館が、ようやく念願かなって「世界遺産」登録が内定した。2016年5月18日のことである。(2016年6月3日 記す)




<関連サイト>

日本舞台芸術振興会の「バイエルン国立歌劇場2011年日本公演」
・・演目とその解説記事


<ブログ内関連記事>

バイエルン国王ルードヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・

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20年ぶりのオペラ『アイーダ』

オペラ 『ドン・カルロ』(ミラノ・スカラ座日本公演)


国立西洋美術館と東京文化会館は建築家コルビュジエ師弟の作品

祝! ル・コルビュジエ設計の東京・上野の国立西洋美術館が念願の「世界遺産」登録が内定(2016年5月18日)

(2016年6月3日 情報追加)




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2011年9月26日月曜日

バイエルン国王ルートヴィヒ2世がもっとも好んだオペラ 『ローエングリン』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた-だが、現代風の演出は・・・


 ルートヴィヒ2世(1845~1886)といえば、ルキーノ・ヴィスコンティ監督による『ルートヴィヒ-神々の黄昏-』(1972年製作)の印象があまりも強い。ヴィスコンティ映画で数々の主演を演じてきたヘルムート・バーガーの印象とともに強烈な印象が残存している。

 「ローエングリンの再来!」と称された美貌の持ち主であったルートヴィヒ2世が王太子時代の15歳に、バイエルン王国の首都ミュンヘンで1858年に上演された『ローエングリン』を観て魅了されたのが、後のワーグナー狂いの発端となったのであった。

 耽美主義の作家・須永朝彦氏は、『ルートヴィヒⅡ世』(須永朝彦、新書館、1980)でつぎのように書いている。

 童貞王と呼ばれたルートヴィヒは、その渾名(あだな)の通り四十年余の生涯を独身で過した。同族のバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの公女ゾフィ-と婚約したが結婚には至らず、専ら歳若い同性(貴族の青年、俳優、馬丁など)が彼の特殊な友情にあずかった。これとは別に、ルートヴィヒにはとっておきの崇高なる精神的愛情があって、夫(それ)を享(う)けた者は、女では婚約者ゾフィーの姉に当るオーストリア皇后エリーザベトであり、男ではリヒャルト・ワーグナーであった。
 幼くしてゲルマンの英雄伝説や騎士物語に淫するように親しみ、夢想癖をたっぷりと身につけていたルートヴィヒは、少年時代の終り頃には既にワーグナーの歌劇に取り懸かれていた。父王マクシミリアン二世の急逝に遇い、若くして王位に就いたルートヴィヒは、初めのうちこそ政務に励んだものの、秘書官に行方を探索させていたワーグナーとの間に連絡がとれるや、すなわち彼を召し出し後援に乗り出す。ルートヴィヒのワーグナーへの熱中ぶりはへ当時の<芸術家とその庇護者たる王侯>という関係の埒(らち)を大きく外れたものであり、湯水のごとく金をつぎこんで惜しまなかった。このメフィストフェレスめいた音楽家との関係は、短い蜜月のあとやや冷却するが、文通と経済的援助はワーグナーが死を迎える圭で続いた。
 幼少時からのゲルマン伝説の英雄たちへのせつないまでの憧憬を、ワーグナーの歌劇によって満たされたルートヴィヒは、次にローエングリンやタンホイザーなどワーグナーの作品のタイトルロールたちが棲むにふさわしい城館の建築を思い立つ。ノイシュヴァンシュタイン、リンダーホーフ・・(後略)・・(引用は P.15)

 こうしてバイエルン王国の財政を傾けるまでに城館の建設に熱中したルートヴィヒは、政治に関心を失い引きこもりがちとなり、ついには精神病の烙印を押され、強制的に退位させられ軟禁されるのだが、その翌日には侍医とともに謎の水死を遂げる。

 この事件を題材に執筆されたのが森鴎外の『うたたかの記』である。ドイツ留学中の鴎外は、ちょうどこの事件のときみミュンヘン大学に在学していたのであった。


 現在の日本では、ルートヴィヒ自身よりも、宝塚などをつうじてエリーザベト(=通称シシー)人気のほうが高いのだが、さすがにノイシュヴァンシュタイン城は観光名所として訪れた日本人の累計は相当な数にのぼることだろう。

 バイエルン王国の財政を傾けたといわれルートヴィヒについては、その大半が一般庶民である日本人観光客たちは「なんてバカなことをしたのか」とクチにしながらも、嬉々として観光しているわけだ。
 
 だが、ディズニーの白雪城のモデルとなったといわれるこの城によって、バイエルン州に落とされる観光収入がバカにならないことは言うまでもない。絵はがきをはじめとして観光みやげには日本語表記が入っていることからもうかがわれる。

 それにつけても、バブル時代の日本は、これに匹敵できるような観光資源を資産として後生に残せたのだろうかと慨嘆せざるを得ない。

 ワーグナーがらみといえば、ルートヴィヒはリンダーホーフ城内にワーグナーの『タンホイザー』に登場する「ヴェーヌスの洞窟」を作らせていた。ワーグナーの曲を演奏させながら、みずからはローエングリンに扮して船遊びを楽しんでいたという。

 現地で売っていた複製絵はがきを三枚並べてスキャンしておいたが、とくに一番右の絵はがきは、ルートヴィヒ自ら「白鳥の騎士」ローエングリンに扮したもの。よほどローエングリンが好きだっただな、自らをなぞらえていたのだとわかる。太ったルートヴィヒはテノール歌手のようである。



 40歳で亡くなったルートヴィヒとは正反対に、40歳過ぎるまではワーグナーを遠ざけていたわたしは、ようやくワーグナーと折り合いがつけられるようになってきた。それまでは、ヒトラーも愛したという、ドイツ的で、自己陶酔的でデモーニッシュな響きのある音楽は、実のところあまり好きではなかったのだった。いまでもイタリアオペラのほうが好きであることには変わらない。

 ワーグナーは『タンホイザー』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は劇場で鑑賞してきたが、『ローエングリン』を舞台で見るのはじつは今回が初めてである。


『ローエングリン』のあらすじ

 オペラのあらすじは、『ワーグナー』(高辻知義、岩波新書、1986)の第3章によれば以下のとおりである。

 あらすじは、10世紀当時、現在のベルギーの辺りのブラバント公国のエルザ公女が、魔女オルトルートの唆(そそのか)しにのった廷臣テルラムントの理不尽な求婚に悩んでいたおり、聖堂騎士団から派遣された白鳥の騎士ローエングリンが彼女の危機を救う。騎士は自分の素性を訊ねないことを条件にエルザとの愛を契り結婚生活に入るが、エルザは夫を愛するがあまり、ついに彼の名を訊ねてしまい、二人の愛は終わるという悲劇的結末である。(P.75~76)

ライン川下流地域に伝わる伝説「白鳥の騎士」をもとにしたものらしい。これはケルトにまでさかのぼるものらしい。これに聖杯騎士団がからんでくる内容。キリスト教以前の民話にキリスト教そのものである聖杯騎士団がからみあいワーグナー独特の世界が創造される。

 『ローエングリン』は、ワーグナーのオペラの中でも人気が高く、一時期はもっとも演奏機会の多い作品となっていたらしい。たしかに、第1幕、第3幕への高揚感を伴った前奏曲や『婚礼の合唱』(結婚行進曲)などは、だれもがそれとは知らずに一度は耳にしているハズである。
 

来日公演の舞台について-現代風の演出は正直いってイマイチ

 『ローエングリン』をバイエルン国立歌劇場の来日公演で鑑賞したのは、昨日9月25日(日)のことだ。

会場:NHKホール(代々木)
時間:15時~19時45分 合計演奏時間215分(休憩二回各35分)
歌唱:クリシティン・ジークムントソン(ハインリヒ王役)
   ヨハン・ボータ(ローエングリン役)
   エフゲニー・ニキーチン(テルラムント伯爵役)
   エミリー・マギー(エルザ・フォン・ブラバント役)
   ワルトラウト・マイヤー(オルトルート役)
指揮:ケント・ナガノ
演奏;バイエルン国立管弦楽団
合唱:バイエルン歌劇場合唱団

 ローエングリン役で出演予定だったヨナス・カウフマンが胸部結節の手術のため降板し、代わりにヨハン・ボータが舞台に立つことになった。このほか、テルラムント伯爵役、王の伝令も代役である。

 雑誌『選択』(2011年8月号)に掲載されていた記事「「風評被害」に泣くクラシック音楽界-有力演奏家の「来日拒否」相次ぐ」には以下のような文章がある。

「3-11」の原発事故によって、「9月に来日予定のバイエルン国立歌劇場では、歌手、合唱団、オーケストラなど総勢400人の来日メンバーのうち80人が無給休暇を取って来日を拒否しており、同劇場は他の歌劇場から急遽エキストラを募集するなどの対応に追われているという。

 こういう事情は事前に知っていたので残念ではあるが、歌手たちの「来日拒否」の心情は理解できないことはない。この事態によって、オペラの来日公演の質が維持できたのか下がったのか、熱心なオペラファンとは言い難いわたしには判断しかねるものがある。合唱団には日本人らしき顔が多かったような気がしたが。

 だが、実際に第三幕の終幕にあたっては、魔女オルトルート役のワルトラウト・マイヤーを頂点に、ローエングリン役のヨハン・ボータにも万雷の拍手が送られれた。これにはわたしもまったく異論はない。この二人はじつにすばらしい歌唱を聴かせてくれたからだ。

 米国人ケント・ナガノの指揮によってオーケストラが出す音も、まったく問題はなかった。バルコニー席からの長いラッパによる吹奏楽はステレオ効果が十分に発揮されて、音の快楽を存分に味わうことができた。

 それよりも、現代風の演出は正直いっていいとは思わなかった。カタログには音楽評論家がもっともrたしい解説記事を書いているが、内容については自分の「直観」のほうを信じたい。

 現代風に演出する理由はそれなりにあるのだろうが、ルートヴィヒ好きなな日本人にとっては違和感のみつきまとう。演出を現代風にしながら、歌詞は元もままというのもおかしなことだ。スーツを着た国王までは許されよう。しかしビジネスウーマンのようなジャケットを着た魔女オルトルートなど受け入れがたい。それならいっそのこと歌詞も現代風に改作するか、まったく別の内容で書き改めたらいいではないかと思ってしまうのだ。

 たしかにルートヴィヒはさておき、ヒトラーもまた『ローエングリン』の熱狂的な愛好者だったことを考慮に入れると、ロマン主義的な演出を忌避したくなる心情はわからなくはない。

 「ドイツのために剣をとれ!」などという合唱は、現代のドイツ人にとってもアンビバンレントな感情を抱くのだろうか?ドイツ人ではないわたしにとっては、正直いってきわめて耳障りな合唱である。

 ただ、ワグナーが作曲した当時は、いまだドイツ統一は実現していなかったからこそ意味あるセリフだったと思う。作曲から初演にいたる 1848年から1850年は、言うまでもなく「ドイツ革命」が勃発して最終的に挫折に終わった数年間である。

 繰り返しになるが、現代風演出にまつわる不快感も、第三幕にいたってはどうでもよくなった。それは音楽のもつチカラによるものである。視覚を上回る聴覚への訴えかけである。

 舞台セットと舞台衣装がどうであれ「白鳥の騎士ローエングリン」のエリーザとその弟の王子を思う心情が切々と、音楽と圧倒的な歌唱をつうじて伝わってきたからだ。わたしは思わずココロで感じ入ってしまったのだった。

 音楽のもつチカラはじつに強い。そう感じた日曜日の夜であった。







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2010年9月19日日曜日

オペラ 『椿姫』(英国ロイヤルオペラ日本公演)にいく・・・本日はまれにみる「椿事」が発生!





 オペラ 『椿姫』(英国ロイヤルオペラ日本公演)にいってきた。かの有名な『ラ・トラヴィアータ』である。

 公演場所は、代々木のNHKホール。

 ここは、NHKが放送する各種の歌番組の収録に使われる劇場なので、収容人数は多くて、劇場の規模がやや大きいきらいがある。いつも思うが、オペラでは字幕が舞台の左右に電光掲示モニターに表示されるだけなので、座席によっては見えにくいのが難点。幸い、真ん中の右寄りだったので、字幕はよく見えた。もちろん字幕はなくても内容はほとんど熟知しているので不要といえば不要なのであるが。

 欧州の劇場の一部のように、前の座席に歌詞を英語などで表示するモニターが個々にあると、たいへんユーザーフレンドリーなのだが、これは無い物ねだりか。


 幕間に劇場の外に出ると、休日で夕方の時間帯であれば、若者たちが思い思いのライブ・パフォーマンスに精を出している。本日は、アフリカン・ドラムのパフォーマンスに思わず聞き入って、リズムに身をゆだねてしまった。音楽はどのジャンルであっても人のココロとカラダを動かすことに違いはない。


作曲:ジュゼッペ・ヴェルディ
原作:アレクサンドル・デュマ・フィス
演出:リチャード・エア
指揮:アントニオ・パッパーノ

ヴィオレッタ:エルモネラ・ヤホ(ソプラノ)⇒ アイリーン・ペレス
アルフレード:(テノール):ジェームズ・ヴァレンティ
ジョルジ(=アルフレードの父)(バリトン):サイモン・キーンリサイド


何が起こるのかわからないのがライブ・パフォーマンス

 本日19日の『椿姫』の公演では、まれにみる「椿事」(ちんじ)が発生した!


 本来、ヴィオレッタ役を演じるハズだったアンジェラ・ゲオルギウが、愛娘の手術に立ち会わねばならないという差し迫った理由で数週間前に来日を断念、代役として来日したエルモネラ・ナホ(アルバニア人)がなんと第一幕で退場(!)、第二幕からは代役として待機していたアイリーン・ペレス(アメリカ人)が登場して、最後まで歌いきったのだ。

 そもそもアンジェラ・ゲオルギウが出場できないということ自体が不満だったが、代役のエルモネラ・ナホがイマイチだと思ってたら、なんと第二幕の前に支配人による説明が再度あり、来日してから罹患した急性結節性声帯炎のため痛めたのどが回復せずに、さらに代役をたてるという。

 会場からはブーイングの嵐であったが、それは仕方ないといえよう。「カネ返せ!」と叫んでいる人もいたが、その気持ちはわからなくはない。

 しかし、ブーイングは代役の出来次第で判断した結果行うものがスジというものだろう。出来がわるければ、その時に徹底的にブーイングすればいい。


 第二幕からのアイリーン・ペレスの起用は異例なことだが、音楽監督である指揮者のアントニオ・パッパーノの判断によるらしい。

 この判断は吉とでた、といっていいだろう。

 正直いって第一幕のイマイチさとくらべて、第二幕以降は素晴らしいパフォーマンスで、これなら最初からアイリーン・ペレスで良かったのではないかという出来映えだった。観客はやはり正直なもので、拍手の量も歌手の出来映えにはある程度満足していることを示していたのではないか。 

 この歌手はこれで、大きなチャンスを掴んだのではないだろうか。チャンスというのは、どこに転がっているのわからないものだが、チャンスを掴んだら絶対に手放すなということを、まさに絵に描いたように示してくれた本日の公演であった。

 何が起こるのかわからないのがライブ・パフォーマンスであるが、現場での判断と意志決定はなかなか難しく大変なものがあり、主催者としても冷や汗ものだったのではないか?
 とくにこの『椿姫』のように大衆的な内容のオペラでは、素人でも出来映えがすぐにわかってしまうという怖さがある。

 ロイヤル・オペラも自信があってこの演目を選んだのだろうが、まさに綱渡りものだな。
 まあ、危機管理ということでは、辛くも乗り切ったという感じだが。

 演出と舞台装置は悪くなかった。半円系の劇場式舞台装置は奇をてらったものではなく、オーソドックスだが劇場効果を上げるものだったといえよう。だからなおさら歌手の出来が露わになってしまうのである。


ヴェルディの『椿姫』

 あらすじについては、『椿姫』といえば、あえて書くまでもなかろう。

 絵に描いたような三幕もののメロドラマ、ある意味では大衆演劇の世界に近いテーマであり、ヴェルディというよりもプッチーニ好みのテーマだと思う。ヴェルディの『椿姫』(1853年初演)とプッチーニの『ラ・ボエーム』(1896年初演)は、お涙頂戴のメロドラマの最高峰だと思っている。

 とはいえ、もちろんヴェルディ作曲の主旋律は私は大好きで、オペラを見て聴いていると、ついつい口ずさみたくなってくる。そして第二幕では目頭が熱くなり、最終幕ではかならず感動するのは、やはりある意味では普遍的なテーマを扱っているからだろう。これがこのオペラの生命力なのだろう。

 ヴェネツィアのフェニーチェ劇場での初演だが、フェニーチェ劇場は大火によって焼失、現在の劇場は再建されたものである。その名の通りフェニーチェ(=フェニクックス)のごろく再建された劇場は、私は中を見学しただけであるが、いつかこの劇場でオペラを見たいものだと思っている(・・いつ実現するのかは不明だが)。


「椿姫」の「姫」って?

 ところで日本語の「姫」というコトバは面白い。

 一般的には、よい子の用法としては、お姫様つまりプリンセスのことを指しているのだが、この「椿姫」や森鴎外の「舞姫」などの文学作品のタイトルはいうに及ばす、夜の世界で使われる「姫」という日本語にプリンセスの意味は消えてしまったようだ。ちなみに「舞姫」とはダンサーのこと。

 ヴェルディの『ラ・トラヴィアータ』もまた、la traviata とは「墜ちたオンナ」という意味らしい。
 イタリア語の辞書を引いてみると、traviato は形容詞で「道を誤った」という意味。giovanni traviati で非行少年、という用法がでている。引用は、『小学館 伊和中辞典』(小学館、1883)

 主人公の名前ヴィオレッタ(Violetta)は、「野生すみれ(の花)」という意味で、可憐な響きをもっているのだが、主人公の設定は娼婦であるから、これもまた源氏名なのだろうか。

 アレクサンドル・デュマ・フィスによる原作は、結局のところ現在に至るまで読んだことがないのでわからないのだが・・・。『マノン・レスコオ』の系譜にあるようだ。



<関連サイト>

 
Verdi - La Traviata - Stratas-Domingo-Levine-Zeffirelli
・・私は、フランコ・ゼフィレッリによる演出・監督のオペラ映画『ラ・トラヴィアータ』が一番好きである。

Placido Domingo- Teresa Stratas: Um di felice eterea
・・同上。


<ブログ内関連記事>

オペラ 『マノン』(英国ロイヤルオペラ日本公演)初日にいく(2010年9月15日)






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2010年9月11日土曜日

オペラ 『マノン』(英国ロイヤルオペラ日本公演)初日にいく




 オペラ 『マノン』(英国ロイヤルオペラの日本公演)にいってきた。

 公演場所は、上野の東京文化会館。
 ここは、いつも思うが比較的こぢんまりした劇場なので、バルコニー席はないものの、オペラ用の劇場としてはヨーロッパ風で心地よい。

作曲:ジュール・マスネ
原作:アベ・プレヴォ
演出:ロラン・ペリー
指揮:アントニオ・パッパーノ

マノン・レスコオ:アンナ・ネトレプコ(ソプラノ)
騎士デ・グリュー:マシュー・ポレンザーニ(テノール)



 原作は、フランスのアベ・プレヴォの作品『マノン・レスコオ』(Manon Lescaut、1731年発表)。アベ(Abbé)という名前からわかるとおり、カトリックの司祭であった。

 物語は、あまりにも有名な作品なので、あえて紹介するまでもないと思うが、一言でいえば、惚れたオンナに入れあげて、徹底的に翻弄されながらも、ついには当時植民地だったフランス領の米国南部ルイジアナのニューオーリンズ(・・フランス語ではヌーヴェル・オルレアン Nouvelle Orléans)の流刑先まで追いかけていって・・・というのがあらすじ。

 これとまったく逆に、女が男を追ってフランスからアメリカまでいくという設定が、文豪ヴィクトル・ユーゴーの娘をモデルにしたトリュフォーの映画『アデルの恋の物語』である。
 
 むかし角川文庫からでていた日本語訳(勝見勝訳)には、原著から転載した銅版画が挿入されているだけでなく、フランス映画『恋のマノン』(Manon 70)を文庫カバーに使用している。角川商法が本格化する前から、映画の原作をこういう形で出版していたということだ。この映画版の主演はカトリーヌ・ドヌーヴ。

 この文庫本は高校時代に古本屋で入手して、大学に受かってから読んだようだ(・・読んだ日付から推測すると)。



 日本でもずいぶん昔のことだが、烏丸せつこ主演で『マノン』という映画が作られている。いわゆる魔性のオンナという役どころ。

 マノンという名前はすっかり魔性のオンナ、あるいはファム・ファタールの代名詞になってしまった。


 さて、今回も NBS(日本舞台芸術振興会)の主宰である。

 プッチーニ作曲の『マノン・レスコオ』(1893年初演)ではなく、ジュール・マスネ作曲の『マノン』(初演パリ 1884年)のほうである。マスネは「タイスの瞑想曲」というヴァイオリン小品以外はあまり聴くことはないが、今回はじめてオペラ作品を聴いたことになる。

 原作がフランス語の小説であり、脚本もフランス語で書かれているので、作曲家としてもやりやすかったのではないだろうか。音楽より、セリフよし(・・字幕をみればある程度まで聴き取れる)。
 
 ソプラノのアンナ・ネトレプコはマノン役がはまり役とのことで、歌唱力はもちろんのこと演技もよい。

 原作は18世紀だが、マスネのオペラでは初演当時の同時代である19世紀に設定しているので、ある意味では現代オペラとして演じられていることになる。物語の原型は普遍的なものなので、こういう形でつねにマノンが再生産されてきたことは、映画化についても見たとおりである。

 また、原作ではニューオーリンズまでいくことになっているが、オペラではル・アーヴル港に設定を変更している。ルイジアナがすでにフランスの植民地でなくなっていた19世紀当時においても、21世紀の現在においても、この設定は悪くないと思う。なぜニューオーリンズかといっても観客にはピンとこないだろうから。

 演出も悪くはないと思ったが、最終の第五幕がイマイチであった。なんだか街灯のある道が19世紀というよりも21世紀の現在みたいで、違和感が強かった。それならいっそのことすべてを21世紀に設定した演出のほうがスジがとおってよかったのではないだろうか。

 オペラの演出は、私は基本的に奇をてらうべきではないと思っている。

 男と女の物語は、いつの時代でも普遍的なものがあるが、『マノン』を見て聴いて思うのは、男というのはなんでこうもバカなのか・・・ということだ。

 もちろん、我が身を省みての感想である。

 





PS 一部に加筆を行った。(2016年6月19日 記す)


<関連サイト>

オペラ 『マノン』(英国ロイヤルオペラの日本公演)

A. Netrebko & R. Alagna "Final Scene" Manon (YouTube) マノン役は今回の公演と同じくアンナ・ネトプレコ。ドイツ語字幕つき。

フランス映画『恋のマノン』(YouTube)冒頭シーンは、なぜか羽田国際空港(当時)でSASのパリ便に搭乗するシーンから始まる

タイスの瞑想曲/マスネ(Meditation fromThais/Massenet) (YouTube 5分33秒)






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2009年9月12日土曜日

オペラ 『ドン・カルロ』(ミラノ・スカラ座日本公演)に行ってきた(2009年9月12日)




ミラノ・スカラ座日本公演の二本目、『ドン・カルロ』を見るために再び上京した。これもヴェルディの名作である。本日の会場は上野の東京文化会館。

 本日の指揮はダニエレ・ガッティ、演出はシュテファン・ブラウンシュヴァイク、ミラノ座では昨年からの新しい演出版という。簡素な舞台装置は、登場人物たちの内面描写にはむしろふさわしいものであったといってもよいだろう。『ドン・カルロ』もまた、基本的に愛と苦悩、すなわち外面的な事件よりも内面の精神的葛藤のドラマである。

 舞台設定はフェリペ二世(・・オペラはイタリア語版なのでフィリッポ二世)統治下のスペイン王国、原作はドイツの文豪フリードリッヒ・フォン・シラー(・・戦前風にシルレルといったほうが古風でいいかも)の『スペインの太子ドン・カルロス』(岩波文庫)、作曲はイタリアのジュゼッペ・ヴェルディという、まさに18-19世紀欧州チームの作品である。しかも初演はパリ・オペラ座でフランス語版であった。

 今回の上演はイタリア語版である。

 欧州のように多言語使用地帯では映画も吹き替えが当たり前で、ヴィスコンティ作品のなかで米国人俳優のバート・ランカスターやフランス人俳優のアラン・ドロンがイタリア語をしゃべっていても、残念ながらそれは吹き替えであって肉声ではない。

 このオペラもスペインが舞台だが、セリフはすべてイタリア語なので、固有名詞はみなイタリア語の発音になってしまい、西洋史の知識があっても、すぐにはピンとこないこともある。
 簡単に整理しておこう。

 オペラはカール五世(・・オペラではカルロ五世)の葬儀で始まり、deus ex machina としての再登場で幕を閉じる。
 時代背景は、フェリペ二世時代に欧州最強となり、中南米だけでなくフィリピン(・・この命名はフェリペ二世にちなむ)も領有するに至った"太陽が沈まぬ帝国"、スペイン・ハプスブルク家の絶頂時代である。
 われらが遣欧日本人少年使節が謁見したのもこのフェリペ二世である。これはすでにこのブログでも『クアトロ・ラガッツィ』にふれた投稿で触れている。
 絶頂期スペインが抱えていた問題はフランドル地方の反乱で、これに王妃をめぐってのドン・カルロと父親であるフェリペ二世との父子の葛藤、異端審問などの要素が重なり、歴史好きにはたまらない内容となっている。
 もっとも、シラーの原作と史実とはイコールではなく、シラーはドン・カルロを理想化しているらしい(・・・原作は所有しているのだが読んでいない。しかも引っ越し荷物整理中につき内容確認不能)。
 すばらしいオペラなのだが、最後の締めくくり方がイマイチというのが、正直なところである。作曲者のヴェルディ自身も苦労したらしが、もうすこし別の方法があったかもしれないという気はする。


 ところで、本日も"ブラボー男"が絶叫していた。先週日曜日と同じ音声なので、同じ日本人男性なのだろう。
 この日本人の発音がベラボーとしか聞こえないのは、V音がでていないためである。スペイン語ならいいだろうが、イタリア語のつもりならブラヴォー(bravo)といってもらいたい。また何度も繰り返し絶叫するくらいなら、ブラーヴィー(bravi)と複数形でいってもらいたいものだ。
 もっとも日本語(関東弁)のベラボーというのは extremely magnific という意味もあるから、賞賛の意味として使ってもあながち間違いとはいいきれない(笑)。
 "ブラボー男"の連れの女性は、彼氏のこの行為が恥ずかしくないのだろうか、と内心思ってしまう私である。
 とはいえ、大学時代までずっと体育会(=運動部)に所属していた私は、"声出し"と称して公衆の面前で大声を出す訓練をさせられたし、また上級生になってからは下級生にも強いていたわけだが、恥も捨てれば快感に変わることは体験として知っている・・・
 

 日本にいても年に最低2本はオペラをみれるのは、NBS(財団法人日本舞台芸術振興協会)の会員になっているためである。 
 もちろん欧州の歴史あるオペラ劇場で見るに越したことはないのだが、歴史的建築物である劇場という要素をのぞけば、決して手抜きのない舞台を日本で見ることができるのはありがたいことだ。ユーロ・ベースの高い航空運賃と宿泊費を考えれば、またエコノミカルではある。
 本日も"大入り満員"、この景気の悪い時勢に(!)・・という感想もあろうが、どこの国でもカネをもっている者はもっているのである。もっとも私の場合は金持ちというわけではなく、チケットはリーマンショックの前に確保しているので景気状況とは関係ない、ということに過ぎない。


 本日の上野公園はなぜか白人観光客が多かったように思う。以前より間違いなく増えている。
 公園というものは、日本が開国して明治維新政府が欧化策を遂行したことによる、後生への贈り物である。白人も違和感なしに落ち着ける場所なのだろう。
 植民地となった開発途上国では、美しい公園や植物園があるのは当たり前だが、植民地にならなかった日本では、自らの意志によって公園やミュージアムを作り上げた。 
 明治の先人たちの努力は、日本人として誇ってしかるべきことである、といってよい。
 
 9月にしては肌寒い秋の一日であった。オペラがはねたあとは大雨となり参ったが・・・




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