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2016年2月14日日曜日

書評『バイオスフィア実験生活 ー 史上最大の人工閉鎖生態系での2年間』(アビゲイル・アリング/マーク・ネルソン、平田明隆訳、講談社ブルーバックス、1996)-火星探査ミッションのシミューレーションでもあった2年間の記録


『バイオスフィア実験生活-史上最大の人工閉鎖生態系での2年間-』(アビゲイル・アリング/マーク・ネルソン、平田明隆訳、講談社ブルーバックス、1996)という本を読んでみた。

2016年2月現在公開中のハリウッド映画『オデッセイ』があまりにも面白かったので、この本の存在を思い出して書棚の奥から引っ張り出してきたというわけだ。有人宇宙探査船もまた「人工閉鎖生態系」である。無防備に酸素のない外部に出たら死んでしまう。

実験の正式名称は「バイオスフィア2」 (Biosphere 2) アメリカのアリゾナ州の砂漠に実験用施設として建設されたガラスの建築物のなか、「人工閉鎖生態系」が密閉されたのである。

「バイオスフィア」(biosphere)とは地球を意味している。日本語に直訳すれば「生命圏」となるのだろう。地球では、バクテリアから人間にいたるまで、あらゆる生命体が太陽光のもと、大気と水を循環させながら生命をつないできた

人工的に設定された「バイオスフィア2」は、人類のこれからの生き方を探ることが目的である。宇宙空間で「閉鎖生態系」で人類が生存することが出来るのか検証し、その前提となる地球環境問題を人工的な環境で研究することであった。

海も山も平野を有し、動植物も含んだを人工的にドーム内に再現するという大掛かりな実験だ。生態系の一部として人間もそのなかに加わるのである。そのなかでは水も大気もリサイクルされ、原則として外部から取り入れられるのは太陽光のみである。


実験に参加したのは、アメリカを中心にヨーロッパ人も含めた男女8人の科学者。いったん「バイオスフィア2」内に入ったら2年間は出入りできないのである。その意味では宇宙探査船と同じである。じっさい、「バイオスフィア2」計画は、2年間の火星探査ミッションのシミュレーションという考えもあったらしい。その先にあるのはスペース・コロニーか。

 「バイオスフィア2」内で野菜や穀物を栽培し、自給自足の生活を送った2年間。動物性蛋白はたまには摂取したらしいが、限りなくベジタリアンな日々となっていたらしい。

二酸化炭素を光合成によって吸収させ、ドーム内で酸素を循環させるのであるが、じっさいには酸素が減少するという事態が発生している。酸素が炭酸カルシウムのかたちでコンクリートに吸収されてしまうためだとわかったのはこの実験の成果の一つだ。

外部との連絡はすべて電子メールなどの電子媒体で行ったという意味でも宇宙探査船と同じである。環境負荷を下げるためのペーパーレス化であり、1991年から行われたこの実験は、時代を先取りしたものだったといえよう。

すでに20年前の出版であり(・・購入してからも20年間読んでなかった)、実験じたいは1991年からまるまる2年間にわたって行われたものなので25年も前のものだ。だが、「バイオスフィア2」における実験は、その後は尻つぼみになってしまったようなので、この本は貴重な記録となっている。

日本語のタイトルは、物語的な体験記のような印象を与えるが、内容は項目別に2年間の実験内容とその結果をまとめたレポートのような構成である。講談社ブルーバックスの一冊というのにふさわしい。

残念ながら現在は日本語版は品切れだが、英語版 Life Under Glass: The Inside Story of Biosphere 2 は入手可能のようだ。なぜ日本ではあまり売れてないのか不明だ。面白い内容なのに・・・・。





目 次

日本語版へのまえがき
ガラスの家の中で生きる

謝辞

第1章 冒険への旅立ち
第2章 バイオスフィリアンの一日
第3章 バイオスフィア2の環境
第4章 自ら育てる
第5章 空腹とやりくり
第6章 二人のお医者さん
第7章 原野にて
第8章 テクノスフィア
第9章 動物ものがたり
第10章 三エーカーの "試験管"
第11章 電子ビジネス
第12章 余暇の楽しみかた
エピローグ

訳者のあとがき
さくいん


著者プロフィール

アビゲイル・アリング(Abigail Alling)
自ら創設した非営利団体「プラネタリサンゴ礁基金」会長。エール大学大学院修了。海洋生物や閉鎖生態系、特に世界中の海でのサンゴ礁の生態システムの研究に取り組んでいる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

マーク・ネルソン(Mark Nelson)
生態開発研究会社「エコテクニクス協会」会長。ダートマス大学で哲学を、アリゾナ大学で天然資源のリサイクル学を学ぶ。現在はフロリダ大学の環境工学部と湿地研究センターで学位論文に取り組んでいる。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

翻訳者プロフィール
平田明隆
科学通信社「ジャスネット」代表。東京大学農学部大学院修了。読売新聞科学部、ニューヨーク特派員、本社編集委員を歴任。1995年退職後、マサチューセッツ工科大学科学ジャーナリズム科修了。ワシントン在住。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)






<ブログ内関連記事>

映画 『オデッセイ』(2015年、米国)を見てきた(2016年2月7日)-火星にたった一人取り残された主人公は「意思のチカラ」と「アタマの引き出し」でサバイバルする ・・「閉鎖空間」としての宇宙船

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み ・・「閉鎖空間」としての潜水艦

「お籠もり」は何か新しいことを始める前には絶対に必要なプロセスだ-寒い冬にはアタマと魂にチャージ! 竹のしたには龍がいる!

梅棹忠夫の幻の名著 『世界の歴史 25 人類の未来』 (河出書房、未刊) の目次をみながら考える

惑星探査船 「はやぶさ」の帰還 Welcome Back, HAYABUSA !
・・ただしこの探査船は無人



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2014年3月1日土曜日

「1999年という年」に出版された 『日本クーデター計画』という「思考実験」は、文芸評論家・福田和也氏にとっての「日本改造法案大綱」のようなものだろう



1999年に出版された『日本クーデター計画』は、評論家・福田和也による「日本改造法案大綱」のようなものだろう。「日本改造法案大綱」 は「二・二六事件」の思想的黒幕とされて銃殺刑にされた北一輝(きた・いっき)による著作のタイトルのことである。

この本の存在を知ったのは、じつは昨年(2013年)のことだ。それまでまったく存在すら知らなかったのは、1999年という年がどんな年だったのかを思い出してみれば理解できる。まさに多事多難な年であったのだ。

この本を2014年のいま、なぜ取り上げるのかについては後述する。


「1999年」は日本にとってどういう年だったのか

1999年は2000年という千年に一度という「ミレニアム」の前年であり、『ノストラダムスの大予言』では7月に人類滅亡するとされていた年である。

この本がベストセラーになった1973年に小学校高学年であったわたしの世代は、「学研」の雑誌が提供するオカルト的なものにどっぷりとつかっていたわけだが、さすがにその後も信じていたわけではない。わたしより2歳年上の福田氏もおそらく似たようなものだろう。いわゆる「オウム世代」でもある。

それよりもビジネスパーソン一般にとっては、いわゆるコンピューターの「2000年問題」が大きくのしかかっていた年である。

それだけでなく、その前年の1998年には長銀(=日本長期信用銀行)が破綻して国有化され、さらにその前年には山一證券が破綻し自主廃業にむけ営業を停止した年でもある。1995年の阪神大震災とサリン事件で世の中に激震が走りながらも、日本はずるずると転落状況がつづき、金融機関がつぎつぎと破綻していった1999年は、まさに世の中全体が「世紀末」的な状況にあった。

1998年の「長銀破綻」はわたし自身の人生をも翻弄したのであるが、1999年には勤務していた関連会社を退職し長い旅にでていた。ユーラシア大陸を東端から西端まで陸路で移動するという3か月以上にわたる大陸横断の旅である。そんな状況でなかったら、とても長い旅に出ることなどできなかった。

いま書いていて思いだしたが、シベリア鉄道の旅でバイカル湖の停車駅であるイルクーツクからモスクワまで同室で過ごしたロシア人男性がノストラダムスの予言を信じており、世界が滅亡するのではないかと真顔でおびえていた。そういえば、あれは1999年7月のことであった。

長旅に出る前のことだが、東京都内で引っ越しも行っており、長旅から帰ってきてからも荷物の片付けなどやることがきわめて多かった。なんだかんだでバタバタしていたので、1999年年に出版された新刊本や話題本でも知らないものが少なくないのはそのためでもあったわけだ。

個人的な話はさておき、たとえ勤務している会社の破綻に直面しなくても、そのような話題がマスコミにあふれていたのが1999年という年であった。

そんな時代のなかで出版されたのが『日本クーデター計画』ということになる。いわば「世直し」試論であり、「日本改造法案大綱」のような思考実験である。それを歓迎(?)する「空気」が日本に充満していたのだろう。


『日本クーデター計画』の内容

内容についてだが、すでに15年前(!)のものであり、当然のことながら2014年現在では状況が変化している。状況とは日本と日本人を取り巻く外部環境のことであり、文脈と言い換えてもいい。

この15年間に起こった「事件」としては、2008年のリーマンショック、2011年の「3-11」の東日本大震災と大津波、そして福島第一原発事故をあげることができる。

だが、状況は変わっても、日本が危機的状況にあるという点は変わらない。いや、むしろ問題はさらに悪化しつづけているというべきだろう。閉塞感はますますつよくなりつつある。

その意味では、出版から15年経過した現時点で、『日本クーデター計画』の内容をみておく意味が皆無であるとは言えるのではないか。

『日本クーデター計画』においては、金融恐慌による経済破綻と安全保障上の危機が同時に発生した時、どうなるかという想定から出発している。2014年時点なら、金融恐慌もさることながら、国債価格暴落による国家財政破綻が引き金になるとすべきところであろう。

『日本クーデター計画』においては、あるべき日本の姿を求めてクーデターが勃発したら、このような「綱領」で政策が実行されるという内容が書かれている。焦点はクーデターそのものよりも、どのような「日本改造」を実行するかということにある。

クーデターの実行そのものに重点があった「二・二六事件」とは違い、「二・二六事件」の青年将校たちががまったく想定もせず、用意していなかった、クーデター後の「国家改造」の見取り図をプランとして描いたものだ。

以下に「目次」を掲載しておこう。
 
主旨
クーデターを実施すべき状況
  ①日本破産
  ②アメリカ発世界恐慌
  ③中国の経済的破綻と軍事的暴発
  ④朝鮮半島有事 
  ⑤中東有事
クーデター実施の方策
 クーデター政権の政策(短期)
  ①追放令
  ②金融政策
  ③経済政策
  ④社会政策
  ⑤土地政策
  ⑥防衛政策
  ⑦景気対策
 クーデター政権の政策(中・長期)
  ①国体
  ②政治体制
  ③防衛政策
  ④外交政策
  ⑤エネルギー政策
  ⑥国土再興
  ⑦故郷建設
  ⑧少子化対策
  ⑨共同体の再生
  ⑩教育制度
結び
あとがき

「クーデターを実施すべき状況」として挙げられている、 ①日本破産、②アメリカ発世界恐慌、③中国の経済的破綻と軍事的暴発、④朝鮮半島有事、⑤中東有事 にかんしては、1999年時点と2014年時点では違いはあるが、基本的に問題構造としては変わらないことがわかる。

「クーデター実施の方策」については、記述はうすい。この本があくまでも「思考実験」であって、具体的な「クーデター実行」そのものに大きな関心があるのではないからだろう。その点にかんしては、あくまでも絵空事だ。

重点は、「クーデター政権の政策(短期)」と「クーデター政権の政策(中・長期)」にある。どんな変革であっても、「中・長期」の政策を実行するには「短期」の政策でまずは安定軌道に乗せることが必要になる。

これは企業再建においても同様だ。まずは出血を止めることが先決で、時間を稼ぎながら構造的な問題に着手するのが定石である。


「国体」、「国土再興」、「故郷建設」、「共同体の再生」

著者の福田和也氏にとっても、主張したかったは「クーデター政権の政策(中・長期)」の中身だろう。「国体」や「国土再興」、「故郷建設」、「共同体の再生」といった文言に思想家としての真骨頂がある。やはりこの人は社会科学の学徒というよりも、文芸評論家だなと思わされる点だ。

これに対して「少子化対策」が最後まで出てこないのは、1999年時点ではまだ問題意識として低かったためか。2014年時点でわたしがいちばん違和感を感じたのはこの点だ。また、「エネルギー政策」については、すでに「3-11」を体験した日本人にとっては、当然のことながら違和感の多い内容である。

このように書いたが、「国体」、「国土再興」、「故郷建設」、「共同体の再生」は、いずれも「日本」そのものにかかわる根本的なものだ。日本という国土とそのうえに生きてきた日本人にかかわるものである。

ここでいう「国体」はもちろん国民体育大会のことではない。国の体を意味する「國體」のことである。司馬遼太郎風にいえば「この国のかたち」ということになろう。「国体」についての議論はここでは省略する。

いつまでこのペースで進行するかは不明だがグローバル化が1999年時点よりもさらに進展し、グローバル化のなかで、国や民族というナショナルなものが溶解してしまうのではないかという危機意識が日本国民に共有されるようになってきている。

こんな状況にあるからこそ、「国体」、「国土再興」、「故郷建設」、「共同体の再生」について、指導者だけでなく国民レベルで思考する必要があるのではないか。これは政治的立場のいかんにかかわらず、日本人にとって意識すべきテーマであるとわたしも考える。

日本は、日本人にとっての「ホーム」であり、けっして「アウェイ」ではないからだ。自分の問題として受け止めなくてはならないのである。



著者プロフィール  

福田和也(ふくだ・かずや)
1960年、東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。同大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。現在、慶應義塾大学教授。文芸評論家として文壇、論壇で活躍中。93年『日本の家郷』で三島由紀夫賞、96年『甘美な人生』で平林たい子文学賞、2002年『地ひらく 石原莞爾と昭和の夢』で山本七平賞を受賞した(本データは最新刊の紹介データ)。)



<関連サイト>

日本改造法案大綱(北一輝) wikipedia



<付記>  『日本クーデター計画』(福田和也、文藝春秋、1999)が出版された当時はいまだアマゾン・ジャパンは設立されていなかった! (2014年3月12日 記す)

このブログ記事を書いたあと、ふとしたことから『「日本」を超えろ』(福田和也、文藝春秋、1999)という本が書庫からでてきた。

本には鉛筆のメモ書きで「10/17・18 1999」とある。つまり1999年10月17日と18日で読了したという意味だ。本の奥付には「平成11年10月20日 第1刷発行」とある。つまり発行日の前に店頭で入手して読了したということだ。

『日本クーデター計画』は、「平成11年4月10日 第1刷発行」とある。うまりわたしは、『「日本」を超えろ』(福田和也、文藝春秋、1999)を購入して読んでいながら、『日本クーデター計画』のことはまったく知らなかったということになる。

その理由は本文に記したとおりだろうが、さらに付け加えれば1999年10月時点では、『日本クーデター計画』はすでに店頭になかったか、すくなくとも平積みではなかったというおとだろう。この手のタイトルの本をわたしが見逃すはずがないからだ。

もしかするとアマゾンなどのネット書店で著者別で書籍検索をしていなかったのかもしれない。そう思って、ネット検索してみたところ amazon.co.jp という項目がwikipedia日本語版で見つかった。

その項目によれば、「2000年11月1日、Amazon.comの日本版サイト「Amazon.co.jp」としてオープン」とある。『日本クーデター計画』はもちろん、『「日本」を超えろ』が出版された時点では、ネット書店はまだ海の物とも山のものとも知れない状態であったわけだ。

どうりで、『日本クーデター計画』の存在をまったく知ることがなかったわけだ。福田和也氏の熱心な読者というわけではなかたったこともあるだろう。ネット検索で著書を調べることができる以前は、書誌情報を印刷媒体で調べなければならなかったのである! 

おそらくこのせいもあって、『日本クーデター計画』の存在は忘れ去られてしまったのかもしれない。

この15年の変化のなかには、ネット書店の完全定着という事実を書き記さねばらないわけだ。

そういえば、2000年代初頭はまだネット書店も初期段階で混戦状態だったわけだなあ。生き残ったもの、その後参入してきたもの、まさに栄枯盛衰の歴史そのものである。




せっかくの機会なので、『「日本」を超えろ』について簡単に紹介しておきたいと思う。1999年という年がどういう歳であり、どんな議論がされていたのか知る貴重なドキュメントにもなるからだ。カッコ書きの「日本」に意味がある。ライトモチーフは「近代の超克」である。

目 次

「日本」を超えろ・・福田和也
世界の敵「中華帝国」は必ず滅びる <政治・外交>・・中西輝政
勝負は数年。日米は再逆転する <経済> ・・竹中平蔵
ロボカップは日本版「アポロ計画」だ <科学技術>・・北野宏明
二十一世紀に「日本」を売りものにするな <文化>・・磯崎新
学校は権威ある頑固親父に徹せよ <教育> ・・浅田彰
会社崩壊で新しい日本人が生まれる <宗教>・・山折哲雄


いま書いていて思いだしたが、「学校は権威ある頑固親父に徹せよ」(浅田彰)が興味深いので、この本は処分せずに取っておいたのだ。1980年代後半に浅田彰氏から受けていたイメージとはだいぶ異なる発言内容に意外感と共感を感じたから記憶に残っているのだろう。

また、「世界の敵「中華帝国」は必ず滅びる」という政治学者・中西輝政氏の発言には、2014年時点からみて大いに感心している。学者として発言にブレがない首尾一貫した姿勢は高く評価したい。

すでに絶版であり、図書館でも除籍されている可能性があるが、アマゾンのマーケットプレイスなどネット古書店では入手可能なので、関心のある方は読んでみるといいと思う。先にも書いたように1999年という歴史的ドキュメントとして、またそれぞれの論者の発言にブレがないかどうか検証するために。

(2014年3月12日 記す)



<ブログ内関連記事>

2010年代日本の「閉塞状況」

書評 『警告-目覚めよ!日本 (大前研一通信特別保存版 Part Ⅴ)』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2011)-"いま、そこにある危機" にどう対処していくべきか考えるために

書評 『国家債務危機-ソブリン・クライシスに、いかに対処すべきか?-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2011)-公的債務問題による欧州金融危機は対岸の火事ではない!

書評 『国債・非常事態宣言-「3年以内の暴落」へのカウントダウン-』(松田千恵子、朝日新書、2011)-最悪の事態はアタマのなかでシミュレーションしておく

書評 『国債クラッシュ-震災ショックで迫り来る財政破綻-』(須田慎一郎、新潮社、2011)-最悪の事態をシナリオとしてシミュレーションするために

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 

書評 『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、ハヤカワ文庫、2010 単行本初版 2008)-「アフター1995」の世界を知るために


クーデターとしての「二・二六事件」

78年前の本日、東京は雪だった。そしてその雪はよごれていた-「二・二六事件」から78年(2014年2月26日)

二・二六事件から 75年 (2011年2月26日)

4年に一度の「オリンピック・イヤー」に雪が降る-76年前のこの日クーデターは鎮圧された(2012年2月29日)

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想

「憂国忌」にはじめて参加してみた(2010年11月25日)


「閉塞状況」を打破した先にあったものは何だったのか・・・

書評 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子、朝日出版社、2009)-「対話型授業」を日本近現代史でやってのけた本書は、「ハーバード白熱授業」よりもはるかに面白い!


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2011年8月16日火曜日

書評『昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹、中公文庫、2010、単行本初版 1983)ー いまから70年前の1941年8月16日、日本はすでに敗れていた!


シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・

 今年(2011年)は、日本が大東亜戦争に突入してから70年目にあたる。

 70年前の昭和16年(1941年)8月16日、それは奇しくも敗戦からちょうど4年前であったが、じつはシミュレーション(机上演習)によって、敗戦が必至であることが明らかになっていたのだった。

 本書は、このシミュレーションが行われた「総力戦研究所」と、そこに集められた若手官僚たちの体験をノンフィクションとして描いた作品である。

 英国をモデルにして内閣府直属の機関として1940年(昭和15年)に設立された「総力戦研究所」。このコンセプトは英米派の情報将校・辰巳栄一が徹底的に調査したという。省庁事がバラバラな意志決定主体のままでは、第一次大戦以降に主流となった「総力戦」を戦い抜けないという危機感のもとに設立されたのがこの「研究所」だ。

 翌年4月に集められたのは、キャリア10年程度の軍民の中堅官僚たちと民間人であった。官僚からは、陸軍、海軍、大蔵省、内務省、外務省など、まさに国家を背負っているエリート中のエリート。民間人からは通信社や日本郵船など財閥の中核企業から集められた。同じ釜のメシを食い、同じ授業を受け、同じ体育の授業を受け濃密なコミュニケーションが図られた。派遣元の官庁に戻った際に、連携プレイをとることが期待されていたからだ。官庁組織の縦割りの弊害は、当時から問題視されていたからだ。

 理想主義に走りがちな20歳台の学生でもなく、経験知にみちた40歳台の中年でもない、まさに現役バリバリの年齢の30歳台前半のエリートにとって座学は面白いものではない。このため、あらたに導入されたのが、「模擬内閣」による「総力戦シミュレーション」であった。これは参加者たちにとっては面白かっただろう。ある意味ではロールプレイングですらあるからだ。

 軍事の戦術研究ではあたりまえの図上演習が、「総力戦」という国策の研究に応用されたのは画期的な試みであったらしい。そしてあらゆる予断を排して、客観的な数字に基づいてシミュレーションを行った結果が、なんと「日本敗戦」だったのだ。

 しかしながら、シミュレーション結果は、政策の意志決定に活かされることはなく、「つくられた数字」を根拠にして開戦に踏み切った日本は、シミュレーション結果とほぼ同じ軌跡を描いて最終的に破綻してしまう。 さまざまな証言と資料によって復元されたその内容は直接本文を読んでいただきたいが、このくだりを読んでいくと、まさに何ともいえない気分になる。それが1941年(昭和16年)8月16日のことだったのだ。

 本書が単行本として出版されたのは1983年。その当時の日本の統治機構の問題点についてもきちんと言及しており、いま読んでも古さをまったく感じさせない。しかも、昭和16年当時の東條英機首相について、一方的に断罪するような姿勢をいっさい見せない著者の公平な視点にも感服する。

 本書の主人公たちと同年齢の30歳台の人間には、とくに読んでじっくり考えてもらいたい作品である。この本を書いたときの著者も36歳だったのだ。かならず問題意識は共有できるはずだろう。



<初出情報>

■bk1書評「シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・」投稿掲載(2011年8月16日)
■amazon書評「シミュレーション(=机上演習)で対米戦争が「敗戦」に終わることがわかっていながら・・」投稿掲載(2011年8月16日)



目 次

プロローグ
第1章 三月の旅
第2章 イカロスたちの夏
第3章 暮色の空
エピローグ
あとがき
巻末特別対談


著者プロフィール

猪瀬直樹(いのせ・なおき)

1946年長野県生まれ。1983年に『天皇の影法師』、『昭和16年夏の敗戦』『日本凡人伝』を上梓し、1987年『ミカドの肖像』で第十八回大宅壮一ノンフィクション賞。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞。2002年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。その戦いの軌跡は『道路の権力』、『道路の決着』に詳しい。2006年に東京工業大学特任教授、2007年に東京都副知事に任命される(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 猪瀬直樹の作品は、天皇家のイメージを最大限に活用しようとした西武鉄道グループにかんする一連の作品『ミカドの肖像』や、天皇崩御の際の先行事例として大正天皇の崩御と葬儀を描いた『天皇の影法師』などを読んできた。

 だが、これらの作品とほぼ同じ時期に、今回とりあげた『昭和16年夏の敗戦』が書かれていたとはまったく知らなかった。

 じつは読むのは今回がはじめてである。いまから10年以上前、自分がまだ30歳台のときに読んでおけばさらによかったと切に思う。本にも読む時期というものがある。

 この本の主要テーマは、逆サイドからみれば、いわゆる「希望的観測」(wishful thinking)になりがちな日本型エリート(・・もちろん、エリートだけでなく一般の日本人も同様だ)の問題点を描いたところにもある。

 「総力戦研究所」に集められた若きエリートたちによる「模擬内閣」が出したシミュレーション結果は「日本敗戦」。しかし、この結果をプレゼンテーションした東條内閣は、いわば「黙殺」したという。東條英機自身は、克明にメモを取りながらプレゼンを聴いていたらしい。シミュレーションそのものにも多大な関心をもっていたようだ。

 だが、最後に感想を述べる際、東條英機は狼狽していたという。しかも、「口外するな」とクチにしたという。この回想から考えると、数字でみたシミュレーション結論の意味は、じつは政府首脳部はわかっていたのではないかと思われる。

 近衛内閣が崩壊し、昭和天皇の強い意向によって組閣命令を受けた東條英機が、天皇の意思には忠実に従い、ギリギリの最後の最後まで、対米戦を回避すべく、2ヶ月のあいだ苦労に苦労と重ねたことは本書だけでなく、『陸軍省軍務局と日米開戦』(保阪正康、中公文庫、1989)にも詳細に描かれている。

 この事実からも、「東條英機は独裁者であった」などというのが、いかに「妄言」でしかないかがわかるというものだ。内閣総理大臣としての東條英機は、立憲君主制のもとでの役割を演じたに過ぎない。しかも、プロパーの政治家ではなく、陸軍大臣も兼ねていた現役の陸軍大将という「軍事官僚」であったのだ。

 情緒的な感想や直観だけでなく、数字でただしく判断すれば「総力戦研究所」で行われたシミュレーション結果を尊重せざるをえない。数字だけの判断であれば、間違いなく100%の人間が反対したはずなのだ。それは政策決定者とても同じこと。

 すくなくとも国家指導者が、数字の意味がわからなかったとは考えにくい。自分が数字をいじらなくても、説明用にわかりやすくまとめられた数字をみれば、対米戦争の無謀さは十分に理解できただろう。ある意味では、常識的な判断力があれば十分なのであり、しかも日米で国力に大きな差があることは、国民もひろく知っていたからだ。

 しかし、世の中には「結果先にありき」の案件はすくなからずある。そのために「数字をつくる」ことは、現在でも行われていないとは、さすがにわたしも、ないとは断言はできない。

 だから、経済合理性だけで物事が進むと思ったら、それもまた間違いなのである。「つくられた数字」も、それが数字であるという理由だけで通ってしまうことが多々ある。これもまた経済合理性のワナというべきだろう。

 ところで、わたしが大学卒業後の1985年、いちばん最初にはいった会社は銀行系のコンサル会社だったこともあり、20歳台のはじめから、ほぼ毎日のようにシミュレーションをやっていた。その頃、すでにパソコンが導入されていたが、若年層以外では使いこなせる者はなく、年配者は電卓、あるいはソロバンで計算していたものだ。
 
 とはいえ、Excel のような簡易表計算ソフトなど存在しなかったので、パソコンでプログラムを組んでいたのであった。MS の いまはなき Mutiplan の存在を知ったとき、天からの贈り物のように思えたものだ。

 昭和16年当時は、現在のようにパソコンで簡単にシミュレーションできた時代ではない。電卓すらなく(!)、計算はすべて手計算でソロバンで行っていた時代のことだ。それこそエンピツをなめなめ数字を積算していったのである。

 本書にはこの点にかんする言及はないが、ぜひ念頭において読むと、さらに当時の苦労がしのばれることだろう。

 もちろん、30歳代以上の人間も、ぜひよむべき一冊である。



<関連サイト>

総力戦研究所(wikipedia 日本版)
・・なお、「総力戦」(total war)は、第一次世界大戦以降の概念。たんなる軍事力だけでなく、銃後の人間までふくめて国民すべてを巻き込ん取り組まざるをえないという、経済力も人的資源も総動員する戦争形態のこと。「全面戦争」とはまったく異なる概念である


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