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2021年3月18日木曜日

沢木耕太郎氏の傑作ノンフィクション『オリンピア-ナチスの森で』を手引きにレニ・リーフェンシュタールの『オリンピック二部作』を視聴し「1936年ベルリン・オリンピック」について考えてみる(2021年3月)


「2020年東京オリンピック」は「新型コロナウイルス感染症」(COVID-19)のため1年延期となった。延期されたものの、2021年の開催も危ぶまれている。開催されても無観客、あるいは開催されないかもしれない。 

「近代オリンピック」自体、商業主義に汚染されて、本来のスポーツ精神の行方もあやしくなっている。こう言われるようになって久しい。もはやオリンピックそのものが形骸化への道へと転落しつつあるのではないか、と。 

古代ギリシアにおいても、オリンピックは消滅している。始めあれば、終わりあり。それが世の中の理(ことわり)というものだ。すべて常ならず。無常である。
  
「2020年東京オリンピック大会」は、その「終わりの象徴」的存在となりそうだ。 日本は「1940年大会」は開催返上している。二度あることは三度ある。オリンピックが大きな話題になることは、今後すくなくとも21世紀の日本ではもうないだろう。


■『オリンピア-ナチスの森で』(沢木耕太郎)

こんな機会を逃したら、もうこの本を読むことはないかもしれない。そう思って『オリンピア-ナチスの森で』(沢木耕太郎、集英社文庫、2007)を読むことにした。  

2007年に文庫版を購入してから、読む機会を逸したままとなっていたのだ。昨年2020年に読むべきだったのだが、延期となってしまい読書の機会も延期となった。 

ノンフィクション作家の沢木耕太郎氏の本はすべて読んだわけではないが、個人的には1960年前後を扱った『テロルの夏』が最高傑作だと考えている。この『オリンピア-ナチスの森で』は、それよりさらに前の1936年を扱っている。 

沢木氏が最初にこのテーマを取り上げたのが1976年で、オリンピック日本代表団のメンバーへのインタビューを行っている。「1936年ベルリン・オリンピック」から40年後になるが、ギリギリ間に合ったといえよう。

単行本として製作されたのが1998年で、「1936年ベルリン・オリンピック」から62年後となる。ベルリン・オリンピック自体は、現在からすでに85年も前の歴史上の出来事となって久しい。 

知られざるエピソードがふんだんに紹介されているだけでなく、ベルリン大会から始まった「聖火リレー」はナチスの進軍ルートの事前調査、といういまだに流布しているオリンピック伝説が、ことごとく覆される。 


■映画『オリンピア 二部作』の監督レニ・リーフェンシュタール

なんといっても白眉は、序章と終章で全面的に取り上げられているレニ・リーフェンシュタール(1902~2004年)へのインタビューであろう。  

記録映画『オリンピア 二部作』(=『民族の祭典』と『美の祭典』)の監督であるレニは102歳まで生きたが、インタビュー当時は90歳であったにもかかわらず、映画製作にかんしての細部に至るまでの迫真のやりとりが、じつに興味深い。 

レニ・リーフェンシュタールについては、彼女の人生を振り返った記録映画『レニ』は日本で公開された1993年に映画館で見ている。彼女の人生と作品の数々が日本でも大いに話題になったことがあって、私もどっぷり浸かったことがある。

そのときはまだ本人が存命だった。彼女の『自伝』も読んでいる。写真集『ヌバ』も所有している。美しい肉体賛美は、三島由紀夫に通じるものがある。

レニの代表作の1つが、1934年ナチス党大会の記録映画『意志の勝利』で、この30年間で何度も繰り返し視聴している。映画は何度も繰り返し視聴している。 

ナチスへの関与のため「戦後」は、映画製作の現場から遠ざけられていたなか、圧倒的な迫力をもつ写真集『ヌバ』で再登場、まさに表現するために生まれてきたような強烈な個性の持ち主であったレニ。 

そんな彼女の代表作ともいえるのが『オリンピア』(1938年公開)であった。1939年に第2次世界大戦が始まる前に公開され、世界中で大きな賞賛を受けた映画だ。 

沢木耕太郎の『オリンピア-ナチスの森で』で、細部にわたって検証される『オリンピア』だが、じつは完全な記録映画ではなかった。ナチスの宣伝映画でもなかった。あくまでも「美」を追求する表現者であるレニの作品であったというべきなのだ、と。 

なるほど、そういう見方もあるのだなと、久々に映画『オリンピア』を視聴してみることにした。全部を通して見たことがなかったからだ。


■『オリンピア 二部作』を見る

映画『オリンピア』は二部作として構成されている。それぞれ『民族の祭典』は111分、『美の祭典』は89分だ。あわせて200分である。3時間弱の長尺である。

第1部『民族の祭典』の冒頭の20分を越えるシーンは、紀元前の古代ギリシアと1936年当時の現代ドイツをつなぐものだ。アテネのアクロポリスから始まり、聖火リレーがバルカン半島を通ってオリンピック会場までリレーされるシーンは、「オリンピックの思想」を美しい映像として表現したものだ。 

日本選手の活躍するシーンが多い。選手たちの筋肉の躍動が美しいだけでない。選手たちの表情もいい。また日本人観客の表情もいい1936年当時の日本人がそこにある。 

「円盤投げ」から始まる、古代ギリシアに由来する陸上競技でまとめた第1部『民族の祭典』圧巻は、なんといってもマラソンだろう。植民地であった朝鮮半島出身のランナー孫基禎が金メダルを獲得するのだが、表彰台に立った孫の背後に翻る日の丸、流される「君が代」には、複雑な思いを感ぜざるをえない。 

棒高跳びのシーンは、じつは競技そのものではなく、撮り直したものだということは、『オリンピア-ナチスの森で』で初めて知った。記録そのものではないというのは、そういうことだ。マラソンでも映像を反転させて使用しているシーンもあることを知り、実際に確かめて見たが、まさにその通りだった。 

第2部『美の祭典』の圧巻は、なんといってもダイビング(=跳びこみ)。モノクロであるが、空を飛ぶ肉体は、ほんとに美しい。 肉体がもっとも美しく表現されるアングルを駆使したスタイルは、現在に至るまで踏襲されている。

沢木耕太郎の『オリンピア-ナチスの森で』は、レニの『オリンピア』のいい副読本になっている。そういう読み方も可能だ。


■近代オリンピックの行方

沢木耕太郎氏の『オリンピア』は、5部作の予定だったのだという。だが、完成したのは『オリンピア-ナチスの森で』だけである。それほど入魂の仕事なのである。1つの作品を完成させることは、それだけ大変なのだ。 

文庫版の「あとがき」(2007年)で沢木耕太郎氏はこう書いている。「2020年東京オリンピック大会」」の開催が決定される以前のものだ。


オリンピックのサマーゲームは、(・・中略・・)2004年に行われた「アテネ大会」で近代オリンピックはひとつの円環を閉じてしまったような気がしてなりません。 その思いは、次の時代のオリンピックがこれまでよりも印象的な大会になることはあまりないのではないかという危惧を抱かせます。たとえ東京で二度目の大会が開かれたとしても、1964年のオリンピック以上のものにはなりえないでしょう。 


日本だけでなく、世界がオリンピックに熱中するようなことは、もうないのかもしれない。

その意味でも、「1936年ベルリン・オリンピック大会」や「1964年東京オリンピック大会」は、それ自体が大きな意味をもつ近代史の一コマだったのである。








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2016年2月11日木曜日

書評『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』(シュロモ・ヴェネツィア、鳥取絹子訳、河出書房新社、2008)-体験者のみが語ることのできる第一級の貴重な証言


先日(2016年1月28日)、日本で公開された映画『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見たことをキッカケに、買ったまま読んでいなかった『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』をはじめて通読してみることにした。原作とはされていないが、おそらく監督はこの本も参照しているに違いないと思ったからだ。

著者は、ギリシアのテッサロニキ居住のユダヤ系コミュニティに暮らしていたイタリア系ユダヤ人。第二次大戦中にギリシアがドイツによって占領されたのち、強制労働を強いられたのち集団でアウシュヴィッツに送られることになった。

この本は、絶滅収容所を生き残った著者が、解放から52年後にインタビューで語ったなまなましい証言の記録である。原著はフランスで2007年に出版された Sonderkommando : Dans l'enfer des chambres à gaz(=『ゾンダーコマンド:ガス室地獄のなかで』)である。

この本が他のアウシュヴィッツ体験本と違うのは、著者が「特殊任務」についていたことにある。「特殊任務」とは、ドイツ語のゾンダーコマンド(Sonderkommando)のことである。映画でもハンガリー系ユダヤ人以外にもギリシア系ユダヤ人の「特殊任務」が登場するが、当時まだ25歳の著者もまたその一人だったのだ。

読み始めてから、はじめてこの本のもつ重要性に気がついた。アウシュヴィッツ絶滅収容所の体験記は数々あるが、「特殊任務」体験者のものを読んだことはなかったからだ。

映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見てきた(2016年1月28日)-絶滅収容所でゾンダーコマンド(=特殊任務)を遂行していたハンガリー系ユダヤ人の「人間性」を維持するための戦いは・・・ に書いておいたことをここに繰り返しておこう。映画に登場する「特殊任務」を文字化したものだ。

特殊任務の内容とは、収容所のナチス親衛隊SS将校たちの指揮のもと、同胞のユダヤ人たちをガス室に送り込み、遺体を焼却炉で焼き、遺灰を川に捨てるという作業である。断末魔の苦しみの声を聞き、死臭を嗅ぎ、所持品を奪い取るという、きわめて非人間的な行為である。収容所のドイツ人は自ら手を汚さずに、汚れ仕事をユダヤ人に押し付けていたのだ。

だが、映画に描かれていたものは、じっさいの「特殊任務」のリアルをすべて再現したものではないことが本書を読むとわかるのである。あまりものおぞましさに、あえて映像化していないものがあるのだ。映像化をためらったというべきだろう。

著者の証言から引用していおこう。

これはいままで一度も話したことがありません。本当に重くて悲しい話なので、ガス室で見たことを話すのは辛くて仕方がない。人体組織の抵抗力で目が眼窩(がんか)から飛び出した人もいました。身体じゅう出血している人もいれば、自分や他人の排泄物で汚れている人もいました。恐怖とガスの効力で、犠牲者は身体の中のものを全部排出することが多いのです。なかには全体が赤くなった身体もあれば、真っ青なものもあって、みんな違っていました。でも、みんな苦しんで死んでいました。普通の人はガスが注入されて、はい終わりと考えるでしょう。でも、なんという死か!・・・・・・」(P.102)

映像のチカラを借りなくてもイマジネーションできるはずだろう。あまりにもリアルな証言が、これでもかこれでもかと続いている。

さらには、女性の死体から髪の毛を切り取り、死体のクチをこじあけて金歯・義歯を抜くこともまで「特殊任務」のユダヤ人たちがやらさていたことも証言されている。ガス殺以外の汚れ仕事はすべては「特殊任務」が行う仕事だったのである。

おなじく「特殊任務」についていたフランス系ユダヤ人の画家ダヴィッド・オレールが解放後に描いたデッサン画が多数挿入されているが、写真以上のリアリティを感じさせるものがある。

「特殊任務」についていたユダヤ人たちも抹殺される運命にあったのだが、収容所での反乱などがキッカケとなり焼却棟が解体されることになる。そのおかげで、著者もまた奇跡的に生き残ることできた。

そんな著者がようやく語ることができるようになったのは解放から47年たった1992年になってからのことだという。イタリアでも反ユダヤ主義が増えてきたことに危機感をもったからだ。

本書には、著者みずから体験したこと、自分の目で見たこと以外は語られていない。隠蔽も誇張もないリアルな証言である。その意味では第一級の証言である。想像を越えた悲惨な状況をあえて語ることにした著者の勇気と、証言を引き出したインタビュアーには敬意を表したい。



ドイツ占領下のギリシアから強制収容所に送られたユダヤ人

著者はギリシア在住のイタリア系ユダヤ人であった。1492年のスペイン追放で難民となり、イタリアを経てギリシアに定住することになったユダヤ人の末裔である。

移住当時のギリシアはオスマン・トルコ帝国領であったが、同時代の欧州とは違って、トルコは異教徒にも寛容な帝国であった。

独立後のギリシアが第二次大戦中にドイツに占領されたことは、ギリシア国民にとっては大きな災難であったが、とりわけユダヤ人にとっては過酷なものとなったのである。スペイン追放から約450年後には、はるかに上回るスケールの迫害の犠牲者となったからだ。

ギリシア系ユダヤ人はスペインから移住したこともあってスペイン語方言のラディーノ語を母語として使用していた。著者自身はギリシア語も話していたようだが、母親はギリシアにいながらギリシア語は解しなかったようだ。

映画『サウルの息子』の主人公はハンガリー系ユダヤ人だが、おなじユダヤ人といってもハンガリー系とギリシア系とのあいだでは、日常的に使用する言語が違うので意思疎通は容易ではなかったようだ。著者は収容所に入れられてからドイツ語を覚えたという。かつてオーストリア=ハンガリー二重帝国であったハンガリーではドイツ語も使用されていた。

そんなことも、著者の証言から知ることができることも付記しておこう。そういったディテールにかんする証言もまた、本書のリアリティを高めている。

 


目 次

序文 シモーヌ・ヴェイユ(ショアー記念財団会長)
本書によせて ベアトリス・プラスキエ(インタビュアー)

まえがき
第1章 収容前-ギリシャでの生活
第2章 アウシュヴィッツでの最初の一か月
第3章 特殊任務部隊-焼却棟
第4章 特殊任務部隊-ガス室
第5章 反乱と焼却棟の解体
第6章 強制収容所-マウトハウゼン、メルク、エーベンゼー

歴史のノート-ショアー、アウシュヴィッツ、そして特殊任務部隊(マルチェッロ・ペゼッティ)
ギリシャのイタリア系ユダヤ人-大失策の小史(ウンベルト・ジェンティローニ)
ダヴィッド・オレールについて
訳者あとがき



著者プロフィール

シェロモ・ヴェネツィア(Shlomo Venezia)
1923年、ギリシャのテッサロニキ生まれのイタリア系ユダヤ人。21歳のときにアウシュヴィッツ=ビルケナウに強制収容され、特殊任務部隊で同胞の遺体処理という地獄の体験をする。本来なら収容所解放前に抹殺される運命だったが、奇跡的に逃れて生き延びた数少ない生存者のひとり。1992年からこの惨劇を広く伝えるために講演活動を始め、現地へも研究者や政治家などとともに50回近く訪れている。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

翻訳者プロフィール

鳥取絹子(とっとり・きぬこ)
1947年、富山県生まれ。フランス語翻訳家、ジャーナリスト。お茶の水女子大学卒業。翻訳書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見てきた(2016年1月28日)-絶滅収容所でゾンダーコマンド(=特殊任務)を遂行していたハンガリー系ユダヤ人の「人間性」を維持するための戦いは・・・

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・イタリア系ユダヤ人でアウシュヴィッツ生き残りの作家は、最後は自殺してしまう

書評 『毒ガス開発の父ハーバー-愛国心を裏切られた科学者-』(宮田親平、朝日選書、2007)-平時には「窒素空中固定法」で、戦時には「毒ガス」開発で「祖国」ドイツに貢献したユダヤ系科学者の栄光と悲劇
・・「(ハーバーの)没後のことであるが、みずから開発した農薬の殺虫剤チクロンBが、ナチスの絶滅収容所において同胞のユダヤ人の命を抹殺することに使用されるとは、よもや想像だにしなかったであろう。」

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る
・・「『墜落遺体-御巣鷹山の日航機123便-』(飯塚訓、講談社+α文庫、2001 単行本初版 1998)は、事件調査の立場から行われた警察による「遺体確認」の記録である。事故で亡くなったのは520人、しかし墜落事故による遺体はバラバラの断片になってしまったものも多い。 大規模事故における危機管理、真夏の猛暑日の連続のなかでおこなわれた遺体収容作業と遺体確認作業のすさまじい日々・・」  自然死や事故死とは違うのがアウシュヴィッツのガス室から引き出される遺体。死体そのものはまさにモノであるが・・・。

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・「フランス革命もその渦中においては、さまざまな猟奇的副産物(!)を生み出していることに留意しなくてはならない。蝋人形館で有名なマダム・タッソーは、マリー・アントワネットをはじめギロチンで斬首された人々の血のしたたる生首から、蝋(ワックス)で型どりして蝋人形をつくっていた女性なのである!」

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」
・・「バルカン半島の先端に位置し、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の接点に位置するという地政学上の重要性が、この小国の運命をつねに翻弄してきたギリシア」。第二次大戦中のドイツによる占領についても扱われている。


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2015年12月13日日曜日

映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語



映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)。原題は、Woman in Gold である。

家族の思い出が詰まった名画を取り戻すため、前例のない国際裁判でオーストリア政府を訴えることになった老齢の一女性と、彼女の依頼でタッグを組んだ孫世代の駆け出し弁護士の実話にもとづいた映画化である。いわゆる法廷ものの要素もあるヒューマンドラマであり、60年の時空を交錯して展開する重厚な歴史ドラマでもある。

舞台は1998年のアメリカ西海岸のロサンゼルスとオーストリアのウィーン。そして1938年当時のウィーンナチスドイツによるオーストリア併合によって難民として脱出したユダヤ人のファミリーヒストリーでもある。家族の思い出のつまった名画「黄金のアデーレ」はオーストリア・ナチスによって略奪されたのであった。

「黄金のアデーレ」とは「世紀末ウィーン」を代表する画家の一人グスタフ・クリムトの傑作である。ウィーンのベルヴェデーレ宮殿美術館の至宝とさえてきた。全面を金箔で装飾された、メランコリックな表情をうかべる美女の肖像画。そのモデルの女性が、ウィーンに生まれ育った主人公の伯母にあたる人だった。正式名称は、「アデーレ・ブロッホ=バウワーの肖像」という。


(クリムトの「アデーレ・ブロッホ=バウワーの肖像」1907年 wikipediaより)


「世紀末ウィーン」の文化芸術活動を支えてきたパトロンには製鉄業で財を成したウィトゲンシュタイン家などユダヤ系の実業家が多かったが、製糖業で財を成したブロッホ=バウワー家もそのひとつだった。ウィトゲンシュタイン家は、クリムトにマルガレーテ・ウィトゲンシュタインの肖像画を依頼している。ちなみにマルガレーテは、哲学者ルートヴィヒの姉である。

だが、その世紀末ウィーンで屈辱に満ちた青春を送っていたのが美術学生崩れのアドルフ・ヒトラーであったことが、その後のユダヤ人に過酷な運命をもたらしたことは誰が知っていたであろうか。

ブロッホ=バウワー家は実業家のファミリーであったが、親戚にあたる若き弁護士の名はショーンバーグ。「世紀末ウィーン」が生み出した作曲家アルノルト・シェーンベルクの孫にあたるという。ショーンバーグはシェーンベルクの英語読みだ。弁護士の彼は、アメリカ人そのものである。




この物語は、旧世界オーストリアのウィーンから新世界アメリカへの移民の物語でもある。ドイツ語世界から英語世界への移住の物語でもある。その意味では、難民を含めた移民によって成り立ってきた新大陸の国アメリカへの価値観の礼賛という要素もある。

最終的に名画を取り戻すことができたのでサクセスストーリーといえるかもしれないが、ラストまでハラハラしどうしのスリリングな内容で飽きさせない。


(英語版のポスターのほうが映画の内容をよく表現している)



だが、取り戻したのは名画だけではなかったのだ。とくに感動を求めて見に行ったわけではないのに、ラストシーンで感動したのはそのためだ。ユダヤ人の歴史を超えて、人間として普遍的なものを感じるからだろう。 おそらく映画製作者もそう考えて、あえて主人公にはユダヤ系の俳優を使っていないのかもしれない。

背景や歴史について熟知していればなおさら、そうでなくても十分に楽しめる作品である。あるいはこの映画を出発点にして、第一次世界大戦で崩壊する前の「世紀末ウィーン」の芸術や、近現代のユダヤ史について知ることは大いに意味のあることだといえよう。


画像をクリック!




PS ディテールに注目

映画のなかに登場する家族の思い出のひとつに一冊の絵本がある。

日本語訳もされているこの絵本のタイトルは、『ぼうぼうあたま-ちいさいこどものおもしろいはなしとおかしなえ (子どもの近くにいる人たちへ)』(ハインリッヒ・ホフマン作)というものだ。ドイツ語では Struwwelpeter(シュトゥルヴェルペーター)という。

ドイツでは昔から読まれてきた絵本で教訓話なのだが、内容はすごく怖い。絵も怖い。

英語版も読まれており、これがドイツ語世界と英語世界のブリッジにもなっている。映画演出上のの小道具ともいえようか。

この映画をより楽しむためのディテール注目の一例として取り上げてみた。これから『黄金のアデーレ』を映画館で見る際、あるいはDVD化された際には、この絵本が登場するシーンをじっくり見てみるといいだろう。



<関連サイト>

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』  公式サイト



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書評 『ナチスの財宝』(篠田航一、講談社現代新書、2015)-トレジャーハンターからみた戦後ドイツ裏面史
・・ナチスに戦利品として略奪された美術品と財宝

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リヒャルト・シュトラウスのオペラ 『ナクソスのアリアドネ』(バイエルン国立歌劇場日本公演)にいってきた
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2015年11月15日日曜日

書評『ナチスの財宝』(篠田航一、講談社現代新書、2015)― トレジャーハンターからみた戦後ドイツ裏面史



つい先頃(2015年11月6日)、日本で公開されたハリウッド映画の『ミケランジェロ・プロジェクト』(2014年)の原作本ではないが、『ナチスの財宝』(篠田航一、講談社現代新書、2015)は、同じテーマをより広い観点から取り上げた現代史関連の読み物である。

ドイツを中心とした欧州各地における豊富な現地取材と文献調査をベースに、読ませる文章でまとめあげたこのルポはじつに面白い。

トレジャー・ハンターたちの情熱をかきたててきたのは、ヒトラーが構想(妄想?)していた美術館建設のために収集された絵画や彫刻だけではない。帝政時代のロシアにプロイセン王国が寄贈した「琥珀の間」もまたそうだ。さらにその対象は、敗戦前にナチスが隠した金や宝石なども含まれる。

ナチスが「戦利品」として略奪したが、いまだにその行方がわからない数々の財宝。美術品だけでも、略奪された60万点のうち、いまだに10万点が行方不明のままというのだから、ナチスがやった犯罪行為の巨大さとともに、失われた財産の大きさにため息をつかざるを得ない。

この本が面白いのは、ナチスの財宝をめぐるトレジャー・ハンティングが、民間の個人レベルの探索だけではなかったことを明らかにしている点だ。分断国家であった時代の西ドイツはもとより、とくにソ連の息のかかった東ドイツは秘密警察シュタージが総力をあげて取り組んでいたという事実。そして南米も含め欧州外でも徹底的なナチス残党狩りを行っていたユダヤ人団体もまた。

ナチスの略奪品を追うトレジャー・ハンティングをつうじて見えてくるのは、敗戦国ドイツの知られざる裏面史であり、ドイツ語圏を中心とした戦後史でもある。公式には、ナチスドイツ時代を全面的に払拭したはずの西ドイツだが、情報機関や一般人のレベルではかなずしもそうではなかったことが手に取るようにわかる。

そしてまた、ドイツが戦時中に占領した北アフリカにおける略奪行為についての記述は興味深い。ナチスとは一線を画していたドイツ国防軍のロンメル将軍であったが、北アフリカ占領地で親衛隊(SS)が行ったと考えられる略奪行為については、今後さらなる調査研究が研究者やジャーナリストによって行われることを望みたい。欧州地域以外については、まだまだわからないことが多いのだ。

最終章では、ヒトラーの生まれ故郷に近いオーストリアのリンツにおける美術館建設構想が取り上げられている。美術と美術品に対するヒトラーの思いや屈折したウィーンでの青春時代を振り返ることで、ヒトラーが命じ、ナチスが実行した美術品略奪がいかなる動機にもとづいて行われたのか知ることができるだろう。

とにかく面白い読み物である。新聞社のベルリン特派員による、自分自身の好奇心から開始した現地取材から生み出された好著である。著者の好奇心が個人レベルの好奇心を超えている点に、読者は満足を感じるのだろう。

トレジャー・ハンティングほどではないとはいえ、現地取材にはカネと時間がかかるものだ。それを考えれば、新書本一冊の価格などたかが知れている。十二分にお釣りがくる内容だといえよう。

知的エンターテインメントとして楽しみたい一冊である。


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目 次

プロローグ
 「この絵は本物です」
 ナチスの略奪美術品
 ドイツ戦後史の舞台裏
第一章 「琥珀の間」を追え
第二章 消えた「コッホ・コレクション」
第三章 ナチス残党と「闇の組織」
第四章 ロンメル将軍の秘宝
第五章 ヒトラー、美術館建設の野望
エピローグ
参考文献

著者プロフィール

篠田航一(しのだ・こういち)
1973年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。1997年、毎日新聞社入社。甲府支局、武蔵野支局を経て、東京本社社会部で東京地検特捜部などを担当。ドイツ留学後、2011年から4年間、ベルリン特派員として主にドイツの政治・社会情勢のほか、ウクライナ紛争などを現場取材。2015年5月より青森支局次長。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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映画 『ミケランジェロ・プロジェクト』(米国、2014年)をみてきた(2015年11月8日)-ナチスの破壊から美術品を救出した特殊部隊「モニュメンツ・メン」の知られざる偉業

「ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄-」(国立新美術館)に行ってきた(2015年5月6日)-展示の目玉はフェルメールの「天文学者」
・・とりわけヒトラーが好んでいたというのがフェルメールの「天文学者」だという

書評 『紳士の国のインテリジェンス』(川成洋、集英社新書、2007)-英国の情報機関の創設から戦後までを人物中心に描いた好読み物
・・007シリーズの『ゴールドフィンガー』はナチス財宝もテーマのひとつ。原作者のイアン・フレミングは海軍情報部将校としてナチス財宝の件も知っていた

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」
・・美術を愛するヒトラーは美大の受験に二度も失敗。そのひとらーにとってのウィーンは屈折した青春の舞台であった


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2015年11月8日日曜日

映画『ミケランジェロ・プロジェクト』(米国、2014年)をみてきた(2015年11月8日) ― ナチスの破壊から美術品を救出した特殊部隊「モニュメンツ・メン」の知られざる偉業



映画『ミケランジェロ・プロジェクト』(米国、2014年)は、美術好き、とくに西洋美術のファンにとってはいうまでもなく、歴史ドラマや戦争映画が好きな人ならら、これは絶対に見るべき第一級のエンターテインメント作品だ。

キャッチコピーには、「これは、史上最大 最高額のトレジャー・ハンティング!!」とあるが、まさにそのとおりだろう。人気俳優のジョージ・クルーニーが主演を演じているだけでなく、監督・脚本・製作まですべて関与している。まさに非凡な才能と力量が発揮されたハリウッドの娯楽映画である。

生まれ故郷に美術館をつくるという独裁者ヒトラーの夢(妄想?)の実現のため、ナチスによって被占領地のベルギーやフランスから「戦利品」として略奪された絵画や彫刻。これらを奪還し、ユダヤ人を含めた元の持ち主に戻すという、知られざるミッションを帯びた特殊部隊の物語である。映画の冒頭に明記されているように、「実話にもとづく」(Based on a true story)映画化である。

原題は「モニュメンツ・メン」(The Monuments Men)という。これは、第二次大戦後期の1943年から戦後の1951年まで活躍した、連合軍の「記念建造物・美術品・古文書」部の隊員たちを呼んだものだ。「史上最大の作戦」であるノルマンディー上陸作戦のあと、かれらもまたノルマンディーから上陸する。

ヨーロッパ解放をなしとげた戦闘部隊とは異なり、「モニュメンツ・メン」の功績は長く埋もれたままになっていたが、2007年になってようやく(!)、彼らの功績を顕彰する公式決議が米上下院議会でなされ、ゴールドメダルが授与されたのである。




原作は、『ナチ略奪美術品を救え-特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争』(ロバート・エドセル、白水社、2010)、映画公開にあわせて 『ミケランジェロ・プロジェクト-ナチスから美術品を守った男たち-』と改題されて角川文庫から上下二冊の文庫版として出版されている。

日本公開版が『ミケランジェロ・プロジェクト』となっているのは、ベルギーのブリュージュの聖母教会にあるミケランジェロの聖母子像の奪還がこの映画のハイライトだからだろう。

このほか同じくベルギーはヘントの祭壇画や、フェルメールやレンブラント、そしてモネなどの名品が破壊の危機から救出されたのである。残念ながらピカソなどヒトラーが「退廃芸術」としたものは火炎放射器で焼かれてしまっていたが・・・




さまざまな要素がてんこ盛りに詰め込まれていながらスピーディーな展開。最後の最後まで、これでもかこれでもかとハラハラドキドキの場面の連続。そんな内容でありながら、紅一点の魅力的なフランス女性という例外を除いて、主人公たちがみな中年や初老の男性ばかり美術史の研究者、美術館の学芸員や秘書、そして建築家や彫刻家など、およそ職業軍人とは程遠い存在なのも異色だろう。

学者が主人公になるトレジャー・ハンティングものの冒険活劇映画には、スピルバーグ監督の『インディー・ジョーンズ』のシリーズがあるが、同じくナチス時代を舞台背景にしているものの、主人公の考古学者の主人公はあくまでも架空のものである。

これに対して、『ミケランジェロ・プロジェクト』に登場する学者たちはいずれも実在の人物たちで、あくまでも美術品を救い、ヨーロッパ文明が生み出してきたものを守るという使命感に支えられて「作戦」に参加した男たちばかりである。戦死者も出しているのだ。

政戦中のヨーロッパを舞台にしているだけに、ハリウッド映画でありながらヨーロッパ映画の重厚さを感じさせる。ドイツでもロケが行われているので、バイエルン州のノイシュヴァンシュタイン城への道筋など、美しい風景を堪能できる。

全編にみなぎるアメリカ的楽観性が、ハッピーエンドに終わる映画の後味をきわめて良いものとしている。「戦利品」としての美術品を、すべて持ち主に返還するなんていう発想など、ナチスやソ連だけでなく、当時のヨーロッパ人には想像もつかなかったのだ。理想に燃えていたアメリカの黄金時代をうまく描き出しているといえようか。その意味ではノスタルジー映画でもある。

第二次世界大戦では「モニュメンツ・メン」たちの活躍で、多くの美術品が破壊を免れたのであったが、その後の世界ではタリバンによるバーミヤンの巨大石仏の破壊や、イスラーム国(IS)によるイラクのパルミラ遺跡破壊など、貴重な遺跡が破壊されつづけている。もはや、70年後のいまのアメリカには文化破壊をとどめる熱意もチカラもないのであろうか、と嘆息してしまう。

それだけに、「モニュメンツ・メン」たちの存在は、さらに輝かしいものと感じられるのかもしれない。


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<関連サイト>

映画 『ミケランジェロ・プロジェクト』公式サイト 

The Monuments Men(オリジナル)公式サイト(英語)

The Monuments Men | Official Trailer #3 HD | 2014 (トレーラー英語版)

『ミケランジェロ・プロジェクト』ロバート・M・エドゼル著 著者インタビュー (PRESIDENT、2015年11月16日号)

(2016年5月26日 情報追加)



<ブログ内関連記事>




■フェルメール作品

「ルーヴル美術館展 日常を描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄-」(国立新美術館)に行ってきた(2015年5月6日)-展示の目玉はフェルメールの「天文学者」

上野公園でフェルメールの「はしご」-東京都立美術館と国立西洋美術館で開催中の美術展の目玉は「真珠の●飾りの少女」二点

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった


美大の受検に二度失敗したヒトラー:芸術と独裁者

書評 『ヒトラーのウィーン』(中島義道、新潮社、2012)-独裁者ヒトラーにとっての「ウィーン愛憎」

書評 『叙情と闘争-辻井喬*堤清二回顧録-』(辻井 喬、中央公論新社、2009)-経営者と詩人のあいだにある"職業と感性の同一性障害とでも指摘すべきズレ"


ヒトラーが「退廃芸術」として抹殺しようとした表現主義など

「ドイツ表現主義」の画家フランツ・マルクの「青い馬」

「チューリヒ美術館展-印象派からシュルレアリスムまで-」(国立新美術館)にいってきた(2014年11月26日)-チューリヒ美術館は、もっている!

書評 『ピカソ [ピカソ講義]』(岡本太郎/宗 左近、ちくま学芸文庫、2009 原著 1980)-岡本太郎の語る芸術論は、そのまま人生論となっている


共演者マット・デイモンもまたマルチな才能の持ち主

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ

映画 『プロミスト・ランド』(米国、2012)をみてきた(2014年9月8日)-衰退するコミュニティ(=共同体)とプロミスト・ランド(=約束の地)
・・『ミケランジェロ・プロジェクト』では脇役のマット・デイモンは、この映画では主演でかつみずからが脚本を書きプロデュースしていいる

(2026年8月3日 情報追加)


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