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2025年1月12日日曜日

NHK大河ドラマ「べらぼう」第2回(2025年1月12日)も視聴。平賀源内が登場したが「しらが源内」だったはずなのだが・・

 

NHK大河ドラマ「べらぼう」の第2回、18時からBSで視聴。今回も面白かった。 

「男一筋」(!?)という平賀源内が登場、そもそも舞台が吉原であり、子ども向けの番組ではない(はずな)ので番組的にとくに問題はない。 

とはいえ、源内先生が総髪だったのはよしとして、黒髪だったのは違和感あり。 若白髪だったので「しらが源内」(笑)とよばれていたと『平賀源内』(水谷不倒、中公文庫、1977)に書かれていたのだが・・ 。

もっとも、この『平賀源内』ですら、カバー装画には黒髪で総髪姿の画像が掲載されているという、この締まりのないチグハグさ(笑) 




ちなみに平賀源内はベンジャミン・フランクリンとは同時代。その件は、拙著の『フランクリン 人生を切り拓く知恵』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2022)に長い解説文を書いているので、ご参照いただきたく。  

ただし、雷が静電気であることを発見し、避雷針を発明したフランクリンとくらべたら、せいぜいオランダ製のエレキテルを修理した程度の源内はでは、日本人としては残念なことながら、フランクリンとは比較するのも野暮というべきか。 

「万能の天才」であったフランクリンが、あまりにも「べらぼう」だったわけでありましてねえ・・。源内は「器用貧乏」としかいいようがなかったな、と。 



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2024年3月28日木曜日

桜の開花前に上野ミュージアムのハシゴ(+駒込) その1 上野公園で3つの企画展「大吉原展」「子どもの本の夜明け 帝国図書館展」「特別展 中尊寺金色堂」(2024年3月27日) 

 

昨日(2024年3月27日)は晴天となったので、上野でミュージアム(美術館・博物館)めぐりを行うことにした。 

1. 「大吉原展」(東京藝術大学 大学美術館) 
2. 「子どもの本の夜明け 帝国図書館展」(国立国会図書館国際子ども図書館)
3. 「特別展 中尊寺金色堂」(東京国立博物館本館) 

以上が本来の目的であったが、あらたな情報を知って、上野から駒込に移動。 

4. 「キリスト教交流史 ー 宣教師のみた日本、アジア」(東洋文庫ミュージアム) 
5. 「六義園」(駒込) 

徳川時代の江戸から始まり、明治大正の東京、そしていきなり古代に戻って東北、そして戦国時代末期、そして徳川時代前半へと、日本がテーマであることを除いては、まったく脈絡のない「時間旅行」となった。 

以下、簡単に感想を書いておくことにしよう。 



1. 「大吉原展」(東京藝術大学美術館) 

感想としては、前評判が高かった割にイマイチの感あり。200円引きの前売りを買っておいたので1800円で入場したがが、当日入場料2000円は正直いって高い。 

フェミニスト団体がこの企画展を誹謗していたので話題になっていたためか(?)、来客者の半分が女性であった。徳川時代の女性がメインテーマだから、当然といえば当然かもしいれないが。 

展示スペースが地下3階と地上3階に分かれているのはたいへん不便であるが、地上3階の展示はいろいろ工夫があった。廓を模した展示スペースのコマ割りが、吉原の四季に応じているなど。 


(人形師の辻村寿三郎による遊郭の模型 筆者撮影)


とはいえ、せっかく芸大なんだから、廓の模型以外にも、もっと3次元の立体展示があってもよかったのではと思う。プロジェクトマッピングで壁に投射するだけでは能がないのではないか? それこそ、メタバース遊郭くらいあってもよさそうじゃないか。

エロスとタナトスという視点もなし。現代の吉原のソープ街との関連はいっさい触れられず。つまり、社会経済史的要素も薄い。関連産業を含めた吉原のエコシステム(=生態系)として視点がないのだ。残念としかいいようがない。 

修復後の高橋由一の油絵「花魁」(おいらん)を見れたのはよかったが・・・。 


(高橋由一の「花魁」1872年 Wikipediaより)


<参考>
・・「本展学術顧問の田中優子さんは、同展開催にあたって発表した文書の中で、「遊郭を考えるにあたっては、日本文化の集積地、発信地としての性格と、それが売春を基盤としてたという事実の、その両方を同時に理解しなければならない、と思っています。そのどちらか一方の理由によって、もう一方の事実が覆い隠されてはならない、と思います。本展覧会は、その両方を直視するための展覧会です」と述べています。」



2. 「子どもの本の夜明け 帝国図書館展」(国立国会図書館国際子ども図書館) https://www.kodomo.go.jp/event/exhibition/tenji2024-02.html 




国立国会図書館国際子ども図書館の前身は「帝国図書館」。

(帝国図書館の設計図面 筆者撮影)


「国会図書館」にその機能が移転してから「国際子ども図書館」となった。「入場無料」のこの企画展はすばらしい。 

(帝国図書館の閲覧室だった内部の円柱 筆者撮影)


建築物の全面的なリノベーションが終わったので、ようやくなかに入れるようになった。かつての閲覧室が改装されて展示スペースとなった。建築ファンなら必見であろう。

(帝国図書館の階段 筆者撮影)
 

<参考> 『夢見る帝国図書館』

一昨年のことだが、『夢見る帝国図書館』(中島京子、文春文庫、2022)という長編小説を読んだ。ブログにアップするのを忘れていたので、ここに再録しておこう。

まさに本好きのための小説。 普段はほとんど小説は読まないのだが、国会図書館に勤務していた友人の薦めで読んだ。それは正解だった。 

上野にあった帝国図書館は、近代日本の前半の歴史とともにあった。戦後に国会図書館が開設されるまで。 


この小説の主人公は帝国図書館そのものであり、この図書館をめぐる人たちでもある。そして、戦後の日本社会を生きた女性の物語である。 著者とおぼしき作家が語り手の、私小説のようなこの物語は、上野や谷根千を舞台にした都市小説でもある。

土地勘があれば、なおさら楽しめるだろう。 文庫版の解説者は、作家の京極夏彦氏。この解説もまた、本好きにはたまらない。 本好きには、ぜひお薦めしたい。 



3. 「特別展 中尊寺金色堂」(東京国立博物館本館) 

入場待ち長い列ができていて、平日なのに入場するだけで一苦労。入場料は1600円でチケットは事前に100円引きでネットで購入済みだったが、考えが浅かった。 

入場してからもラッシュアワーの通勤電車のような混雑ぶり。 ここはアサイチで行くべきだったかもしれない。


(本館入り口 筆者撮影)


中尊寺の金色堂はむかし実際にいったことがあるので、もともとこの展示会はパスするつもりだったが、藤原三代の栄華の頂点ともいうべき、藤原清衡(ふじわら・きよひら)の「金箔張りの木棺」が必見という情報をX(旧twitter)で知って行くことにした次第だ。 

たしかにこれは門外不出で、おそらく今回が今世紀最後の展示かもしれない。もちろん撮影不可である。


(金色堂の模型。撮影OKなのはこれだけ 筆者撮影)


制作当時は、それはもう金ピカだったのだろうなと想像する。 展示されていた仏像もまたそうなのだろう。日本人も意外と金ピカが好きだからね。

混雑はウンザリなので、はやばやと退散。 

(駒込編につづく)




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2019年4月29日月曜日

「吉原」は日中に歩いてみよう ― 江戸時代の「エロスとタナトス」が集約的に表現された吉原界隈をイマジネーションを駆使して散策する

(吉原神社で購入したパンフレットより)


「吉原」を日中に歩いてみる。「江戸文化の発信地・吉原」を、イマジネーションを駆使して「散歩」してみるのもいいのではないだろうか。

現在では、東京の高級ソープランド街の代名詞として全国的に有名な「吉原」だが、「吉原」といえば江戸時代には「遊郭」として、それこそ全国的な知名度を誇っていたことは、日本史の常識といっていいだろう。

江戸時代初期は、井原西鶴の『好色一代男』に代表されるように、経済と文化の中心地は上方の大坂であったが、江戸時代中期以降は、将軍のお膝元である政治都市の江戸が文化都市としての存在を強くしていく。その一翼を担ったのが吉原遊郭だ。そして吉原の花魁(おいらん)は、まさに「江戸文化の発信者」であった。

正確にいえば、「吉原」ではなく「新吉原」というべきなのだが、というのも、もともと日本橋にあった「吉原」は明暦の大火のあと、浅草方面に移転した。だが、一般に「吉原」といえば、「新吉原」のことを指している。

現在では、残念なことに「吉原」という地名はすでに存在しない。番地でいえば、「台東区千束4丁目」が該当する。だが、幸いなことに、この街区の区割りは、江戸時代の「吉原」そのものだという。


(新吉原=千束4丁目 パンフレット「吉原細見」より)


吉原は、「北枕を避ける目的から東西南北をずらして街路が構成されたため、いまでも隠し里然とした雰囲気が残る」と、『赤線跡を歩く-消えゆく夢の街を訪ねて-』(木村聡、自由国民社、1997)の「吉原」の項にある。

「土地の記憶」というフレーズがあるが、江戸時代の遊郭の地が、現在でもソープランド街であるのは、ある意味では当然のことである。だがそのために、その目的のない人にとっては、夜は歩きにくいかもしれない。だからこそ、日中に歩いてみることを薦めたいのだ。


(日中のソープランド街 筆者撮影) 


現在、かつての「吉原」を想起させるものといえば、「吉原大門」(おおもん)の跡に立つ標柱や、その名を残している吉原神社など、数えるほどしかないが、JRの入谷駅や三ノ輪駅方面、あるいはさらに南千住方面まで散策の範囲を拡げれば、当時をしのぶよすがが散在していることに気づくはずだ。


(「よし原大門」の標柱 筆者撮影)


先日のことになるが、日中に用事があって台東区千束を訪れた際、ついでというわけで吉原を歩いてみた。吉原は、最寄りの駅からは徒歩で10分ないし15分程度は歩くことになる。だから、現在の吉原のソープランドでは送迎サービスが当たり前となっているわけだ。


(千束稲荷神社の境内の樋口一葉記念碑 筆者撮影)


東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅から歩いて南下していくと、千束稲荷神社の境内に樋口一葉の胸像と記念碑がある。そう、ここは近代日本の女流作家の第一号となった樋口一葉が一時期暮らしていた地域であり、名作『たけくらべ』などが生まれたきっかけになった土地なのである。もう少し歩くと旧竜泉寺町であり、そこには「樋口一葉旧居跡」の碑が立っている。


(旧竜泉寺町にある樋口一葉旧居跡の碑 筆者撮影)


吉原の地名をそのまま現在に残しているのが吉原神社だ。観光案内には「吉原神社のご祭神は、稲荷神である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と弁天様である市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運、商売繁昌、技芸上達などのご神徳」とある。吉原神社は、吉原遊郭ゆかりの神社である。


(吉原神社 筆者撮影)


吉原神社の境内には、「吉原今昔図」が掲示されていて、歴史的な変遷を知ることができる。「吉原今昔図」は社務所で販売されているので、興味のある人は購入したらいいだろう。私は、「吉原細見」というパンフレットを購入した。パンフレットには、英語版もある。




吉原の周辺もあわせて散歩しておきたい。三ノ輪駅の近くには、「投げ込み寺」として有名な三ノ輪の浄閑寺(じょうかんじ)がある。浄土宗のお寺である。

ここには、身寄りのない吉原の遊女たちの遺骸が投げ込まれたという浄閑寺には、「新吉原総霊塔」があり、そのなかには無数の骨壺がぎっしりと詰め込まれている。ずいぶん昔にお参りして以来の対面だ。


(「新吉原総霊塔」の内部 筆者撮影)


境内の墓所には、このほか永井荷風の詩碑もある。浅草をこよなく愛した荷風散人は、向島の私娼窟を描いた『墨東綺譚』で有名である。失われ行く江戸情緒を描いた作家だ。浄閑寺にはふさわしい。


(永井荷風の詩碑 筆者撮影)

「エロスとタナトス」(性と死)というフレーズがあるが、吉原遊郭ほど、そのコントラストがくっくりと現れている土地は、ほかにはないのではないか。

「吉原遊郭」だけでなく、その周辺まで脚を伸ばしてみて、はじめて感じ取ることのできるものであると言っておこう。 

三ノ輪の浄閑寺をお参りしたあとは、さらに歩いて南千住まで行ってみるといい。そこはかつて江戸時代の処刑場跡の小塚原(こつかっぱら)と呼ばれる土地である。

 小塚原(こつかっぱら)とは「骨か原」を意味している。掘り返すと、頭蓋骨だけ、あるいは首のない骨が出土するのは、江戸時代の処刑は首切りだったからだ。そこには、供養のために首切り地蔵がある。 

江戸時代の為政者は、「エロスとタナトス」(性と死)が隣り合わせの存在であることを十分意識して、土地政策を実行していたのであろう。


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