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2019年3月25日月曜日

書評 『孤独な帝国 日本の1920年代-ポール・クローデル外交書簡1921~27』(奈良道子訳、草思社文庫、2018)-フランスの国益のために働いていた駐日大使が本国に報告した大正時代の日本

   
『孤独な帝国 日本の1920年代-ポール・クローデル外交書簡1921~27』(ポール・クローデル、奈良道子訳、草思社文庫、2018)は、フランスの国益のために働いていた駐日大使が本国に報告した「大正時代の日本」の記録である。

当時から詩人で劇作家として有名であったクローデルだが、本職は外交官であり、しかも1921年から1927年にかけて、本国での長期休暇をはさんだ足かけ7年間の日本滞在記録である。

この時期は、まさに「大正時代」にそっくりそのまま重なり合う。クローデルは、大正天皇の崩御(1926年12月25日)後の「大喪の礼」への参加を最後に、次の任地であるワシントンに向けて出発する。大喪の礼だけは、どうしても見届ける必要があると本国の了解を得ていた。クローデルは駐米大使として、今度は1929年の「世界大恐慌」をその震源地で体験することになる。


(新任の駐米大使クローデル「TIME誌1927年3月21日号」 Wikipediaより)

1920年代の日本を外交官としての外部の目でみる面白さが本書にある。それもたんなる旅行者の日記や旅行記ではない。外交官の日記でもない。外交官僚が、任地で本国の国益のために働いた記録であり、国益追求のために本国に提言した内容も含まれている。だから、詩人クローデルの別の側面とった読み方も可能だろうが、文筆の才に恵まれた外交官クローデルの公式文書として読むことも可能である。むしろ、後者の読み方のほうが、得るものは多いだろう。

とくに大きな出来事であったのが1923年の関東大震災である。震源地は相模湾沖であり、地震の直接の被害は東京よりも横浜のほうが大きかったのである。東京は地震のあとに拡がった火災が死傷者発生の大きな理由であった。

駐日大使クローデルみずから横浜に救援に赴いており、その記述は現場からのものとして印象深い。横浜は、開国後の日本が最初に開いた国際貿易港の一つであり、フランスにとっては幕末以来、重要な拠点の一つであったからだ。また、幕末以来といえば、幕府の顧問として入っていたフランス人技術者たちにかんする記述もある。フランス人ヴェルニが設計と建設に携わった横須賀のドック(1871年完成)は、2010年代の現在でも現役として使用中だ!


(単行本カバーより)

クローデルが大使として赴任していた当時の日本は、第1次世界大戦による激変後だとはいえ、まだまだ大英帝国が支配する世界であり、貿易関係では米国が最大で、文化面では世界大戦の敗戦国でありながドイツの影響が強いという状態であった。当時の日本では、幕末と比べてもフランスの影響力はきわめて小さなものでしかなかったことが本書を読むとよくわかる。

だからこそ、クローデルは日仏会館の開設に奔走し、日本におけるフランス文化の紹介、フランス語教育の拡充にもチカラを入れているのだ。いわばソフトパワー面からのイメージ向上策であり、極東におけるフランスの国益増進を図ろうとしたわけである。その意味では、きわめて職務に忠実な外交官であった。

1920年代は西欧列強による植民地支配の時代であり、日本からもっとも近いフランスの植民地は仏領インドシナであった。ベトナムを中心としたカンボジアとラオスからなる三カ国である。クローデルは、日本と仏領インドシナとの貿易拡大のためにも奔走している。クローデルは経済分野が専門であり、鉄鋼製品の日本輸出や、世界大戦ではじめて実用化された軍用航空機の販促にもチカラを入れている。フランス売り込みのセールスマンでもあったわけだ。

クローデルがカトリック詩人であったことは有名だが、フランスの国益の観点から「パリ外国宣教会」のプレゼンスの弱体化を憂いている。日本のキリスト教再興は、フランスの宣教師によるものであった。バチカンの方針で、九州の宣教区がイタリアのサレジオ会などに奪われつつあったが、サレジオ会が日本での布教を開始したのは1920年代半ばからである。こういう記述もまた、興味深い。




クローデルには、朝日の中の黒い鳥』(1927年)という日本滞在から生まれたエッセイ集がある。このエッセイ集に登場する文章と、テーマとして重なる記事が、本書に収録された外交書簡にも登場する。ちなみに「黒い鳥」とはカラスのことだが、黒鳥(クロドリ)はクローデル(Claudel)と似た響きがあり、クローデル自身が気に入っていたのだという。


(帯にはイサベル・アジャーニ演じるカミーユ・クローデル)

クローデルといえば、ロダンの女弟子で愛人でもあった美貌の彫刻家カミーユ・クローデルを想起する人もいるだろう。狂女を演じさせたら天下一品のフランス女優イサベル・アジャーニが演じて映画『カミーユ・クローデル』の主人公だが、カミーユはポールの実の姉であった。


(16歳の弟ポールをモデルにしたカミーユの彫刻 Wikipediaより)

外交官になったのも、日本赴任を希望していたからだ。ポール自身、姉の影響もあって日本への関心が芽生えたのだという。ロダンの日本趣味については言うまでもないだろう。

夢がすぐに実現することはなかったが、明治維新とおなじ1868年生まれのクローデルが駐日大使として日本に赴任したのは53歳の円熟期であり、50歳代を日本と密接な関係のもとに過ごしたことになる。これ以上の幸福はなかったのではないだろうか。しかも、日本赴任の前に中国には長く滞在しており、その経験が日本文明の独自性を理解する大きな土台になっていたと考えられる。

それにしても、日本語版のタイトルにある「孤独な帝国」はじつに絶妙なものがあると言わねばならない。第1次世界大戦を連合国の一員として戦った日本だが、台頭する米国との軋轢が増大するなか、ワシントン条約によって日英同盟が廃棄され、日本はアングロサクソン世界から孤立化への道をさまよい始めていた。国際情勢からみれば、日本が孤立を恐れ、不安にかられていた時代でもあるのだ。

大正時代とは、個人の権利が増大した大衆の時代であると同時に、明治時代後期にピークを迎えた健全なナショナリズムが斜陽化していった時代でもある。そんな時代の日本を知ることのできる得がたい記録として、またすぐれた資料として読む興味深い。

それにしても、日本語版の翻訳者は、翻訳者の域を越えて、じつに細かい点まで事実関係の検証作業を行っており、本書の資料的価値を大いに高めている。文庫版は600ページ近いが、最初から最後まで飽きることなく読み進めることのできる内容である。









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