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2011年6月18日土曜日

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)


はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい一冊

 戦国時代末期から江戸時代末期にかけての近世は、一般に思われているように「儒教の時代」ではなく、あくまでも「仏教の時代」であった。これが著者の基本認識であり、本書の主要テーマである。

 このテーマを、実に多岐にわたって、かつきわめて簡潔に叙述した本書は、「近世の仏教」については、ほとんど知識をもっていない私のような一般読者にとっては、とにかく初めて知ることだらけなので、大きく目を開かれたという思いでいっぱいだ。いままでの常識が大きく崩れてゆくのを感じる内容の本である。

 仏教伝来から奈良仏教、平安仏教を経て、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった、現在でも主流の仏教教派が誕生したいわゆる「鎌倉新仏教」から、いきなり江戸時代を飛び越えて現在にきてしまうのが、学校で勉強する日本仏教であるが、実際はそう簡単なものではない。

 織田信長による比叡山焼き討ちや石山本願寺との攻防戦、豊臣秀吉の切支丹弾圧などにみられるように、近世初期は宗教勢力と世俗勢力が激しくぶつかり合った時期であった。

 こののちに成立した徳川幕府は、徹底的に宗教を管理する方向に向かい、檀家制度を導入して、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつ・あらためちょう)で一般民衆を管理する。しかも、葬式は仏教式以外はいっさい認めなかったので、仏教は一般民衆のものとして完全に定着した。

 中国や朝鮮とは異なって、儒教はあくまでも倫理の側面にとどまらざるをえなかったのが、東アジアにおいては日本の特色なのである。

 仏教寺院が徳川幕府と癒着して支配の道具になっていたというのは、実は革命政権である明治維新政府によるネガティブ・キャンペーンであり、われわれは学校教育をつうじてずっと洗脳されてきたのであったが、百数十年を経たいま、その呪縛からようやく覚めつつあるというわけだ。

 とくに本書で興味深いのは、中国大陸から江戸時代初期にあらたに伝えられた、座禅と念仏を行う黄檗(おうばく)宗の影響と、木版活字印刷の発展による出版文化の隆盛である。仏教の学問研究が深まり、一般には知られていないが、宗教意識のきわめて高かった仏教僧も多数現れている。これらをつうじて、仏教は信仰として民衆世界にまで広く浸透したのである。

 著者が指摘するように、江戸時代には、仏教がほぼ「国教」に近い存在であったことを知ると、なぜ明治維新に際して、「神仏分離と廃仏毀釈」によって、仏教が徹底的に弾圧されたかが、逆説的な形で理解されるのだ。

 幕末になると儒教の水戸学と復古神道が勢力を増してきて、ついには尊皇攘夷イデオロギーとして猛威を振るうことになったのだが、革命政権というものは、打倒した前政権を徹底的に否定するものだからだ。

 本書を読みながら、何度も「そうだったのか!」と目を開かれる思いがしたが、この思いを多くの人に共有してもらうことによって、「江戸時代の仏教」の存在が一日も早く一般常識となる日が来ることを願うばかりだ。ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)
■amazon書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)





目 次

近世仏教を見なおす-プロローグ
 ・近世仏教は堕落仏教か
 ・新しい近世仏教像へ
 ・中世仏教観の転換

中世から近世へ
 中世仏教の展開
 信長・秀吉と仏教
 徳川幕府の宗教政策
 天海と家康信仰
 儒教と仏教

開かれた近世
 キリシタンの時代
 キリスト教と仏教の論争
 黄檗(おうばく)宗のもたらしたもの
  明末仏教の興隆/隠元の来日/隠元の教説
 ケンペル、シーボルトと日本の宗教

思想と実践
 大蔵経(だいぞうきょう)の出版
  写本から版本へ/鉄眼版の開版/了翁による鉄眼版普及
  /出版文化のもたらしたもの
 教学の刷新
  文献主義の興隆/霊空の本覚思想批判
 戒律の復興
  具足戒と大乗戒/戒律復興運動と安楽律騒動/普寂と慈雲の場合
 批判的研究
  鳳潭の華厳研究/普寂の鳳潭批判/富永仲基の大乗非仏説
 世俗の倫理
  鈴木正三の職分仏行説/ 盤珪・白隠・慈雲/仏教世俗化の問題点
 諸教との交渉
  排仏論の動向/新井白石の『鬼神論』
  /仏教側の三教一致論と『旧事本紀大成経』

信仰の広がり
 畸人と仏教
  畸人と僧侶/売茶翁高遊外/良寛の漢詩
 女性と仏教
  仏教における女性/祖心尼/橘染子
 民衆の信仰
  多様な庶民信仰/地下信仰と新仏教
 真宗の信仰
  真宗の特殊性/肉食妻帯論/三業惑乱の論争/妙好人の信仰
 信仰と造形
  円空と木喰/仏教絵画の自由表現/『仏像図彙』とギメの仏像収集 

近世から近代へ-エピローグ
 ・仏教から神道へ
   近世思想の変遷/平田篤胤の死生観
 ・近代仏教の形成
   明治初期の神仏関係/島地黙雷と新教の自由
   /近代仏教の重層性
 ・改めて近世を問う
   近世の位置づけ/「顕」と「冥」から見た思想史

あとがき
参考文献

(*江戸時代以降で重要と思われる「小見出し」のみ再録しておいた) 


末木文美士(すえき・ふみひこ)

1949年、山梨県に生まれる。1978年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際日本文化研究センター教授。主要著書は、『鎌倉仏教展開論』、『仏典を読む』。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 表紙に描かれているのは、現在の日本では知名度も人気の高い伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)による仏画である。白像の背中にのる普賢菩薩(ふげんぼさつ)像だ。

 伊藤若沖といえば、奇想天外なテーや超絶技巧によって知られるが、じつは熱心な在家仏教信者でもあったらしい。釈迦三尊像なども描いているし、なによりも多く描かれた白像も、実見したものではなく仏教説話からのものだろう。このほか野菜涅槃図なども、仏教的世界の表現であるようだ。

 近年、日本でも伊藤若沖や、曾我蕭白(そが・しょうはく)、また狩野一信(かのう・かずのぶ)といった「奇想画」の系列に属する絵師の作品が再評価され人気が高いが、これらは著者の表現を借りれば、世俗的な「顕」の背後にあらわれた「冥」の世界観の表現であるといえよう。

 本書は近世、とくに江戸時代の仏教の真相を知るうえでは出色の一冊といっていい。わたし自身も、大きく蒙を啓かれた。織田信長の激しい大弾圧によって、宗教としての仏教は弱体化したという固定観念をもっていたからだ。

 日本の仏教史の一般的な教科書的な理解としては、仏教伝来以来の奈良仏教に、平安時代初期に現れた空海と最澄という二大天才的宗教家が流れを作り(真言宗と天台宗)、鎌倉時代に展開した、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、禅宗、日蓮宗といった、いわゆる鎌倉新仏教が、現代にいたるまでの日本仏教の根幹をなしている、と。

 つまり鎌倉時代から、いきなり明治時代以降の現代まで飛んでしまう。鎌倉時代と明治時代にはさまれた近世、すなわち室町時代後期の戦国時代から江戸時代末期までの仏教は、特筆すべき特徴はないのか、という疑問がでてくるのだが、日本史の教科書では、徳川幕府が導入した檀家制度によって、仏教は形骸化して今日にに至るというような、はなはだしい誤解を与える教育がなされてきた。

 しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。

 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。

 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。

 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。

 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。

 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。

 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。

 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。

 本書は、近代日本の解毒剤としても服用をすすめたい一冊である。




(宇治の黄檗山万福寺で購入した文鎮)


<ブログ内関連記事>

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・このなかで紹介した『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)は必読書

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)
・・経済学者による「お寺の経済」。歴史的背景もよく調べて書かれており檀家制度の意味を考える意味でも必読

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」とはいったい何か?について書いておいた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本は儒教国ではない!ということ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・近代のくびきを離れたいま、ようやく江戸時代のほんとうの姿がわれわれに見えるようになってきた





(2012年7月3日発売の拙著です)







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