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2011年9月10日土曜日

「法然セミナ ー 2011 苦楽共生」 に参加してきた ー 法然上人の精神はいったいどこへ?


 きょうはこういうセミナーに参加してきた。「法然セミナー2011 「苦楽共生」」。セミナーというよりイベントといったほうがよさそうな内容だが(笑)

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「法然セミナー2011 苦楽共生」
 http://jodo.or.jp/onki800/kinen/presentation/seminar/2011.html
王貞治/宗次郎/八木季生
2011年9月10日(土)浄土宗大本山増上寺 大殿(本堂)
■開場:13:00 ■開演:13:30 ■終演予定:16:30
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 上掲のポスターに書かれているコピーに「苦しい時ほど前を向く。毎日の小さな幸せを信じてみる」とある。このコピーに「じ~んとくるもの」を感じたから出席を決めた。。

 もちろん苦しいことだけでなく、楽しいこともある。苦しいことだけの人生、楽しいことだけの人生。それはありえない。

 本日のテーマは「四苦八苦」。生・老・病・死の「四苦」に、愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)をあわせて「四苦八苦」。これは釈尊仏陀が説かれたことそのもので、まさにそのとおりとしか言いようがない。仏教は苦を見つめることから始まるのだ。仏教は、なによりも観ることに始まる。

 ふだんほとんど念仏も唱えないし、ぜんぜん熱心ではないとはいえ、わたしも浄土宗の家に生まれている。祖父が養子先のお寺から脱出しなければ、わたしも今頃、どこかの浄土宗の寺院で住職でもしていたかもしれない(笑)

 ことしは「法然上人800年大遠忌」である。しかも 「3-11」にはじまった「末法の世」のはじまりでもあるという認識をわたしはもっている。そんな年に、たまには日本仏教の革命家・法然上人のことを考える一日にしたいと思って参加してみた。

 法然上人(1133~1212年)が専修念仏(せんじゅねんぶつ)を広めることで、日本ではじめて仏教を一般民衆の手に届くものにしたことは、まさに日本仏教における革命としかいいようがない。法然上人は、それほど意義ある存在だからだ。 


■セミナー内容についての感想-オカリナの宗次郎さんのコンサートはすばらしかった!

 プログラムのなかでは、オカリナの宗次郎のコンサートは文句なしにすばらしかった。増上寺の本堂のなかでのコンサートは、音響は悪くない。欧州でも教会内部でコンサートを行うことは多いので、とくに違和感はない。

 テレビなどでは見たことがあっても、ライブの演奏を聴くのははじめて。オカリナの澄んだ音色が、自然との共生というテーマにぴったりであっっといっていい。音の響きは魂の響きというが、まさに心に響くものがあった。

 宗次郎氏はトークのなかで、茨城県常陸大宮市に「オカリーナの森」を開設して、土に根ざした生活をしていると語っていたが、そういう「自然との共生」の実践が、すばらしいオカリナの響きに反映しているというのは、そのとおりだろうと思った。

 神社の境内やお寺の境内での演奏がふさわしいのだろうなと思ったのだった。

 宗次郎のオカリナ以外は、それほど印象には残らなかったのは正直なところだ。王貞治氏の話も、野球に関心を失っているわたしにはあまり興味のあるものではなかった。現役時代の王選手のファンではあったが、王監督のファンではないからだろう。

 年配者にとっては、おなじく年配者である王監督の存在そのものが同時代人として意味もあったのだろう。

 ただ一点、話のなかにでてきたジャイアント馬場の話はなつかしかった。ジャイアント馬場はプロレスに転向する前は読売ジャイアンツの投手だったからだ。王選手とは1年ほど同じ時間を共有したという。


■「法然セミナー」でありながら、法然上人の話が皆無とは!?

 増上寺の本堂は散歩の途中に何度も立ち寄ったことはあるが、本堂のなかに入ったのは久々だ。

 本堂のなかに椅子を入れるとコンサート会場としても使えるわけだ。ライティングも行えば演出も十分にできる。本堂のなかには線香の匂いが充満しており、なんだか法事の席に参列しているような気もしたが。

 来場者は、おそらく浄土宗の檀家の関係者が大半だったのではないだろうか。250~300人くらいは入っていたようだ。もっと多いかもしれない)。

 大半はわたしよりもかなり年上の世代であるようだ。リタイアしたご年配者の世代が中心だろう。

 そもそも人間は生まれた以上、かならず死すべき存在であるが、安心して「極楽浄土」にいく手助けをするのを最大の使命としているのが浄土系仏教であろう。

 とはいえ、自分がまだまだ死ぬとは思っていない若い世代には、なかなか湧いてこない感情だろう。これは日本仏教だけでなく、欧州のカトリック教会でも似たようなことらしい。若年層の既存教団離れは否定できない流れのようだ。

 だが、突然死や不慮の事故に巻き込まれて死ぬことは、年が若いかどうかにには関係ないことだ。「3-11」のような大地震と大津波で死ぬ事、これらがいきなり現実となって飛び込んできた。次から次へと自然災害や人災が続いて起こる状況になってきているのだ。日本仏教は果たして、こういう環境の激変にどこまで対応できているのだろうか?

 世の中はふたたび、天変地異が続き、政治も混乱していた平安時代末期から鎌倉時代初期のような、「厭離穢土」(おんりえど)と「欣求浄土」(ごんぐじょうど)の時代相になってきているのではないか? こういう見方があってもおかしくない。

 各種の調査で、「3-11」後に個人の価値観に大きな変化が現れてきていることは報告されている。自分の身の回りでもそれは実感できるはずだ。当然のことながら死生観にも影響がでてきているのではないだろうか?

 だが、会社その他の組織は、こういった個人の価値観の変化にどこまで気が付いているのだろうか、対応できているのだろうか? 宗教組織もまた同じではないだろか? 浄土宗だけではないと思うが、なにか時代認識にズレがあるような気がしてならないのだ。

 講話もあったが、心に響いてくるものはまったくなかった。コトバに人を魅了するものがないのは、法事の際のお坊さんの法話と同じである。可もなく不可もない話。すでに何度も失望しているわたしは、さらに失望を深める結果となってしまった。

 浄土宗のような大きな宗教組織で出世する人というのは、そんなものなのだろうか。行政手腕が高いことは必要だが、せめて聞かせる話をしてもらいたいと思う。政治家もそうだが、上に立つ人はその語るコトバで判断されるものだからだ。

 そもそも、民衆に仏教を布教する際の説教から落語が発生したのは日本芸能史の常識である。面白い話をしないと一般民衆の心をつなぎ止めることができないから、江戸時代の説教は落後みたいに面白いものだったらしい。説教と落語が分離してからは、説教はつまらないものの代名詞となってしまったのかもしれない。


■日本仏教に内部からの変革による再生は可能なのだろうか?

 あらためて既成仏教教団には、まったく何も魅力も感じない自分をあらためて見いだしたのが、きょうの感想だ。

 すでに宗教的情熱をまったく感じることのできない日本仏教の既成教団。ただ単に維持すべき制度と化して久しい組織体。日本で仏教離れが進行しているのは当然だろう。それは「葬式仏教」に対する批判だけではない。神社など、いわゆるパワースポットに若者が引きつけられる現象がさらに増大しているのとは好対照だろう。

 「廃仏毀釈」は仏教弾圧であったが、いま顕在化しつつあるのは、見えないところで進行する「内部崩壊」現象ではないか?

 あらてめて気がつかされたのは「法然上人=浄土宗」ではない、ということであった。わたしがナイーブ過ぎたのかもしれないが、いくら宗祖の法然上人を褒め称えたところで、法然上人の精神と実践から遠いのではないかという気がしてならないのだ。法然上人は祭り上げられてしまったのか?


 「法然共生」(ほうねんともいき)というコンセプトを打ち出し、ロゴもデザイン性豊かな斬新なものとなったが、これは企業組織と同じで、 CI を導入したからすべてが解決するわけがない。

 若者にくらべれば、比較的な意味では死期が近い老人たちにとっては、いまさら宗旨替えすることはないだろう。

 だが、広範な層で「葬式仏教」が既存の仏教教団離れを招いているのは否定できないのである。だがそうははいっても、既存仏教教団から葬式が分離されたら、教団は経済基盤を失うことになるので存続が困難になるだろう。これが日本仏教を支える経済構造であるピラミッド型の「檀家制度」が、あまりにも強固に確立されたがゆえに動脈硬化を招いている実態である。

 きょうのセミナーで何よりも失望したのは、「3-11」の影響が、ただイベントとしての「法然上人800年大遠忌」が延期されたことについてのみ言及されたことだ。

 「3-11」がみずからの立ち位置にいかなる影響があったかの言及がまったくないのだ。わずかな時間のあいだに 2万人以上の人が死んでいるのに、しかも放射能被害がかなり長期にわたって続いており間違いなく被害が顕在化することが明かだというのに、たとえ重要なものだとはいえイベントの延期しかアタマにないのだろかという気がしてしまった。イベントの実務担当者の発言としては許容されても、仏教教団の発言としては、どうも腑に落ちないものを感じる。

 人が死ぬということを、ただたんに仏教のものの見方である「無常」(=常ならず)という「変化の相」として確認しただけなのか?

 世の中はすでに「末法の世」となっているのに、時代認識があまりにもギャップがありすぎる。安定していたヘレニズム期の世界が崩壊し、心の平安(アタラクシア)を求めた人たちがキリスト教に救いを求める方向にいった古代地中海世界を思い出してしまう。

 「3-11」以後もある時期までは「1995年のオウム事件」の頃の終末意識とは違うのではないかと思っていたわたしも、あのときよりもさらに状況はひどくなりつつあるのではないかという気持ちになりつつある。原発事故による放射能の影響が、当初思っていたよりもはるかに長期的で悪い影響を与えつつあることが明らかになってきたからだ。

 こんな時にこそ、末法の世に生きた法然上人の精神と実践が、いまこそ思い出されるべきではないのか? ただ単に宗祖のコトバとしてではなく、「いま、ここに」生きる人間・法然上人のコトバとして。

 「法然原理主義」でもでてこない限り、内部からのほんとうの再生はないのではないかとさえ思う。もちろんここでいう「原理主義」とは、21世紀の「いま、ここで」法然を生きるという意味だが、そんな動きがでてきたらつぶされてしまうのだろうか? すくなくともほんとうの意味での「原点回帰」が不可欠だろう。コトバだけではなく、態度で示さないと。

 日本の仏教教団は、「1995年のオウム事件」の総括もいまだにすることもなく、あれ以来から 16年の月日を浪費したままだ。オウム教団も途中から犯罪組織と変貌していったが、そもそも既存の仏教教団に対するアンチテーゼや異議申し立てとしての意味合いがあったことまで否定すべきではないだろう。。

 日本の仏教教団は、その他もろもろの日本の制度と同様に、制度疲労しているだけでなく、「思考停止状態」なのだろうか? 「物言えば唇寒し」ではないが、何が起きてもモノ言わぬ集団と化してしまったのか? もちろん、教団内部には問題意識の高い人たちもいることだろうが。

 「いま、ここに」生きる現代人の心に響かない仏教とはいったい何なのだろうか?

 チベット仏教のダライラマ14世や、スリランカ上座仏教のスマナサーラ長老の話が、心に響くものがあるのとはあまりにも対照的だ。すくなくともこの二人は、「仏教が科学的」であることを前提に、多くの分野の人たちと積極的な対話を行っているからだろう。狭い教団内でのみ生きている人たちではない。

 浄土宗の周辺にはいても教団内部の人間ではないわたしにとっては、極端な話、どうでもいいといえばどうでもいい話なのだが...
 


<関連サイト>

宗次郎オフィシャルサイト
・・「オカリーナの森」についても書いてある


<ブログ内関連記事>

書評『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)
・・ここまで制度として完成している檀家制度は、そっくりそのまま改革するのは難しいだろう。檀家離れによってボロボロと崩れていきながらも根幹そのものは生き残るだろう。やせ細っていきながらも、まだしばらくは生き続けるか?

書評『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)
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「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験

書評『治癒神イエスの誕生』(山形孝夫、ちくま学芸文庫、2010 単行本初版 1981)

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今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・

ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2009

「3-11」後の個人の価値観の変化に組織は対応できていますか?-個人には「組織からの退出」というオプションもある

(2024年5月15日 情報追加)


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2011年6月18日土曜日

書評『近世の仏教 ― 華ひらく思想と文化(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)― はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい


■はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい一冊■

 戦国時代末期から江戸時代末期にかけての近世は、一般に思われているように「儒教の時代」ではなく、あくまでも「仏教の時代」であった。これが著者の基本認識であり、本書の主要テーマである。

 このテーマを、実に多岐にわたって、かつきわめて簡潔に叙述した本書は、「近世の仏教」については、ほとんど知識をもっていない私のような一般読者にとっては、とにかく初めて知ることだらけなので、大きく目を開かれたという思いでいっぱいだ。いままでの常識が大きく崩れてゆくのを感じる内容の本である。

 仏教伝来から奈良仏教、平安仏教を経て、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった、現在でも主流の仏教教派が誕生したいわゆる「鎌倉新仏教」から、いきなり江戸時代を飛び越えて現在にきてしまうのが、学校で勉強する日本仏教であるが、実際はそう簡単なものではない。

 織田信長による比叡山焼き討ちや石山本願寺との攻防戦、豊臣秀吉の切支丹弾圧などにみられるように、近世初期は宗教勢力と世俗勢力が激しくぶつかり合った時期であった。

 こののちに成立した徳川幕府は、徹底的に宗教を管理する方向に向かい、檀家制度を導入して、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつ・あらためちょう)で一般民衆を管理する。しかも、葬式は仏教式以外はいっさい認めなかったので、仏教は一般民衆のものとして完全に定着した。

 中国や朝鮮とは異なって、儒教はあくまでも倫理の側面にとどまらざるをえなかったのが、東アジアにおいては日本の特色なのである。

 仏教寺院が徳川幕府と癒着して支配の道具になっていたというのは、実は革命政権である明治維新政府によるネガティブ・キャンペーンであり、われわれは学校教育をつうじてずっと洗脳されてきたのであったが、百数十年を経たいま、その呪縛からようやく覚めつつあるというわけだ。

 とくに本書で興味深いのは、中国大陸から江戸時代初期にあらたに伝えられた、座禅と念仏を行う黄檗(おうばく)宗の影響と、木版活字印刷の発展による出版文化の隆盛である。仏教の学問研究が深まり、一般には知られていないが、宗教意識のきわめて高かった仏教僧も多数現れている。これらをつうじて、仏教は信仰として民衆世界にまで広く浸透したのである。

 著者が指摘するように、江戸時代には、仏教がほぼ「国教」に近い存在であったことを知ると、なぜ明治維新に際して、「神仏分離と廃仏毀釈」によって、仏教が徹底的に弾圧されたかが、逆説的な形で理解されるのだ。

 幕末になると儒教の水戸学と復古神道が勢力を増してきて、ついには尊皇攘夷イデオロギーとして猛威を振るうことになったのだが、革命政権というものは、打倒した前政権を徹底的に否定するものだからだ。

 本書を読みながら、何度も「そうだったのか!」と目を開かれる思いがしたが、この思いを多くの人に共有してもらうことによって、「江戸時代の仏教」の存在が一日も早く一般常識となる日が来ることを願うばかりだ。ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)
■amazon書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)



 

目 次

近世仏教を見なおす-プロローグ
 ・近世仏教は堕落仏教か
 ・新しい近世仏教像へ
 ・中世仏教観の転換

中世から近世へ
 中世仏教の展開
 信長・秀吉と仏教
 徳川幕府の宗教政策
 天海と家康信仰
 儒教と仏教

開かれた近世
 キリシタンの時代
 キリスト教と仏教の論争
 黄檗(おうばく)宗のもたらしたもの
  明末仏教の興隆/隠元の来日/隠元の教説
 ケンペル、シーボルトと日本の宗教

思想と実践
 大蔵経(だいぞうきょう)の出版
  写本から版本へ/鉄眼版の開版/了翁による鉄眼版普及
  /出版文化のもたらしたもの
 教学の刷新
  文献主義の興隆/霊空の本覚思想批判
 戒律の復興
  具足戒と大乗戒/戒律復興運動と安楽律騒動/普寂と慈雲の場合
 批判的研究
  鳳潭の華厳研究/普寂の鳳潭批判/富永仲基の大乗非仏説
 世俗の倫理
  鈴木正三の職分仏行説/ 盤珪・白隠・慈雲/仏教世俗化の問題点
 諸教との交渉
  排仏論の動向/新井白石の『鬼神論』
  /仏教側の三教一致論と『旧事本紀大成経』

信仰の広がり
 畸人と仏教
  畸人と僧侶/売茶翁高遊外/良寛の漢詩
 女性と仏教
  仏教における女性/祖心尼/橘染子
 民衆の信仰
  多様な庶民信仰/地下信仰と新仏教
 真宗の信仰
  真宗の特殊性/肉食妻帯論/三業惑乱の論争/妙好人の信仰
 信仰と造形
  円空と木喰/仏教絵画の自由表現/『仏像図彙』とギメの仏像収集 

近世から近代へ-エピローグ
 ・仏教から神道へ
   近世思想の変遷/平田篤胤の死生観
 ・近代仏教の形成
   明治初期の神仏関係/島地黙雷と新教の自由
   /近代仏教の重層性
 ・改めて近世を問う
   近世の位置づけ/「顕」と「冥」から見た思想史

あとがき
参考文献

(*江戸時代以降で重要と思われる「小見出し」のみ再録しておいた) 


末木文美士(すえき・ふみひこ)

1949年、山梨県に生まれる。1978年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際日本文化研究センター教授。主要著書は、『鎌倉仏教展開論』、『仏典を読む』。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 表紙に描かれているのは、現在の日本では知名度も人気の高い伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)による仏画である。白像の背中にのる普賢菩薩(ふげんぼさつ)像だ。

 伊藤若沖といえば、奇想天外なテーや超絶技巧によって知られるが、じつは熱心な在家仏教信者でもあったらしい。釈迦三尊像なども描いているし、なによりも多く描かれた白像も、実見したものではなく仏教説話からのものだろう。このほか野菜涅槃図なども、仏教的世界の表現であるようだ。

 近年、日本でも伊藤若沖や、曾我蕭白(そが・しょうはく)、また狩野一信(かのう・かずのぶ)といった「奇想画」の系列に属する絵師の作品が再評価され人気が高いが、これらは著者の表現を借りれば、世俗的な「顕」の背後にあらわれた「冥」の世界観の表現であるといえよう。

 本書は近世、とくに江戸時代の仏教の真相を知るうえでは出色の一冊といっていい。わたし自身も、大きく蒙を啓かれた。織田信長の激しい大弾圧によって、宗教としての仏教は弱体化したという固定観念をもっていたからだ。

 日本の仏教史の一般的な教科書的な理解としては、仏教伝来以来の奈良仏教に、平安時代初期に現れた空海と最澄という二大天才的宗教家が流れを作り(真言宗と天台宗)、鎌倉時代に展開した、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、禅宗、日蓮宗といった、いわゆる鎌倉新仏教が、現代にいたるまでの日本仏教の根幹をなしている、と。

 つまり鎌倉時代から、いきなり明治時代以降の現代まで飛んでしまう。鎌倉時代と明治時代にはさまれた近世、すなわち室町時代後期の戦国時代から江戸時代末期までの仏教は、特筆すべき特徴はないのか、という疑問がでてくるのだが、日本史の教科書では、徳川幕府が導入した檀家制度によって、仏教は形骸化して今日にに至るというような、はなはだしい誤解を与える教育がなされてきた。

 しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。

 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。

 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。

 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。

 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。

 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。

 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。

 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。

 本書は、近代日本の解毒剤としても服用をすすめたい一冊である。




(宇治の黄檗山万福寺で購入した文鎮)


<ブログ内関連記事>

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・このなかで紹介した『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)は必読書

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)
・・経済学者による「お寺の経済」。歴史的背景もよく調べて書かれており檀家制度の意味を考える意味でも必読

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」とはいったい何か?について書いておいた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本は儒教国ではない!ということ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・近代のくびきを離れたいま、ようやく江戸時代のほんとうの姿がわれわれに見えるようになってきた


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