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2019年3月21日木曜日

『奇想の系譜展 ― 江戸絵画ミラクルワールド』(東京都立美術館・上野)に行ってきた(2019年3月21日)―「奇想」の絵師たちの作品がここに大集結!



『奇想の系譜展-江戸絵画ミラクルワールド-』(東京都立美術館・上野)に行ってきた(2019年3月21日)。『新・北斎展』と対の美術展で、セットのチケットをネットで購入したまま、なかなか行く暇がなかった。会期が4月7日と迫ってきているので休日を利用して行くことにしたのだ。 

「奇想の系譜展-江戸絵画ミラクルワールド」という、このタイトルそのものがそそるではないか! 美術史家の辻惟雄が発掘し、紹介してきた江戸の奇想画の集大成である。個々のアーチストの展示はすくなからず開催されているが、まとまった形での贅沢な美術展は滅多にない。 

本日(3月21日)は春分の日で祝日ということもあって、想定外に(?)朝からすごい人だった。

個人的には、来館者が少ない方がゆっくり鑑賞できるのでありがたいのだが、こういう美術展の入場者が多いということはいいことだ。

日本人の趣味も、やっと江戸時代中期以降の成熟さを取り戻しつつあるということになるから。「近代」通過後の日本人による日本再発見。 「後近代」は「前近代」の江戸に通ず。 




それぞれの短評による紹介が、またキャッチフレーズ的で見る人の気持ちをそそるのだ。 


「幻想の博物誌 伊藤若冲」(いとう・じゃくちゅう)
「醒めたグロテスク 曽我蕭白」(そが・しょうはく)
「京のエンターテイナー 長沢芦雪」(ながさわ・ろせつ)
「執念のドラマ 岩佐又兵衛」(いわさ・またべえ)
「狩野派きっての知性派 狩野山雪」(かのう・さんせつ)
「奇想の起爆剤 白隠慧鶴」(はくいん・けいかく)
「江戸琳派の鬼才 鈴木其一」(すずき・きいつ)
「幕末浮世絵七変化 歌川国芳」(うたがわ・くによし)


ただし、この並べ方は時系列ではない。それなりの考えあってのことだろう。それは、実際に足を運んでみてのお楽しみということだろう。

 浮世絵師の歌川国芳以外は、浮世絵版画の作品ではないので、サイズの関係からいって鑑賞しやすいのも特徴だ。フェルメールの絵画もそうだが、サイズが小さい浮世絵は美術館での鑑賞には難がある。

江戸時代初期の岩佐又兵衛は、まだ肉筆浮世絵の時代であり、出展されているのは彩色の絵巻物だ。春画ではないので念のため。 

それにしても、インパクトがあったのは、入場するといきなり目に飛び込んでくる伊藤若冲の「象と鯨図屏風」。六曲一双の屏風。墨の濃淡だけで表現したものだが、右手の白像と左手黒鯨のコントラストが鮮やか。北陸の旧家に伝わったもので、2008年夏に存在が知られたばかりなのだそうだ。


(伊藤若冲の「象と鯨屏風図」 実際はでかい!)


このほか、有名な「虎図」(こちらは彩色 マグネットあり)は米国のプライス・コレクション所蔵のものであり、日本にあったら間違いなく国宝級の作品だろう。プライス氏ならずとも、あらためて伊藤若冲には心を奪われるのだ。 

インパクトの大きさといえば、臨済宗僧侶の白隠。巨大な両目を開いた「達磨図」は、実物を見るに限る。とにかくでかいのだ、サイズが。実物のもつ圧倒的な存在感。濃い容貌のインド人。このほか「布袋図」には、渦巻きによって動きと時間が表現されており、マンガっぽい表情には、思わずニヤリとさせられるおかしみがある。座禅や禅問答はすこし脇に置いて、作品そのものを 大いに楽しみたいのが白隠。


(白隠の達磨図 サイズは身長なみででかい!)


歌川国芳は、「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」などの奇想画などのアルチンボルド風の奇想画が面白いだけでなく、作品のほぼすべてが浮世絵版画が中心なので、インパクトという点ではサイズの関係で劣っているのだが、今回は浅草寺に奉納された額絵の「一ツ家」と成田山に奉納された「火消千組の図」が展示されており、こういう作品を目線の高さで、しかも間近で見ることができるのはじつによい。 とくに後者は、一人一人の火消しのディテールに注目したい。

このほか、長沢芦雪の子犬がかわいい。「白像黒牛図屏風」は、伊藤若冲の「象と鯨図屏風」に匹敵するが、黒牛の横に描かれた子犬がかわいいのだ。構図はおなじでも、アクセントをつけて視線をいったんはずす効果がある。これは若冲との違いだ。そして、「降雪狗児図」の子犬もかわいい。これがほんとに江戸時代の作品?と思いたくなる。 


(長沢芦雪の「降雪狗児図」 こちらはこじんまり)


奇想といえば、なんといっても曽我蕭白だろう。だが、今回はワン・ノブ・ゼムの扱いなのが、ちょっと残念。題材を現代の日本人にはあまりなじみのない中国の説話にとっているだけでなく、ちょっとぶっ飛び過ぎているので、曽我蕭白がポピュラリティを得るまでには、さすがに現代日本でもまだ時間がかかるのではないかな、という気もする。 

まあ、いろいろと書いてみたが、ぐだぐだ言わずに「奇想」を楽しむ美術展だといっていいだろう。童心に返って楽しむのが、ただしい見方なのかな、と。 




なお、マグネット3点を購入(写真)。右から白隠の「達磨図」、若冲の「虎図」、芦雪の「白象黒牛図屏風」の一部。今回の美術展では、マグネットは充実している。


(画像をクリック!)



<ブログ内関連記事>

「新・北斎展」(六本木ヒルズ・森アーツギャラリー)に行ってきた(2019年1月26日)-「画狂老人卍」を名乗っていた最晩年88歳の肉筆浮世絵が必見!

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)-「出会い」の喜び、素晴らしさについての本

「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた

「白隠展 HAKUIN-禅画に込めたメッセージ」にいってきた(2013年2月16日)

「没後150年 歌川国芳展」(六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリー)にいってきた-KUNIYOSHI はほんとうにスゴイ!

『酒井抱一と江戸琳派の全貌』(千葉市美術館)の初日にいってきた-没後最大規模のこの回顧展は絶対に見逃してはいけない!

書評 『かわいい琳派』(三戸信恵、東京美術、2014)-「かわいい」という切り口でみた「琳派入門」のビジュアル本

「特別展 雪村-奇想の誕生-」(東京藝術大学大学美術館) にいってきた(2017年5月18日)-なるほど、ここから「奇想」が始まったのか!
・・江戸時代の前の「奇想」の原点的存在


■西洋の「奇想の系譜」

『ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで』(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)にいってきた(2017年8月16日)-ベルギー美術の500年を通観し知的好奇心を刺激する美術展

「アルチンボルド展」(国立西洋美術館・上野)にいってきた(2017年7月7日)-16世紀「マニエリスム」の時代を知的探検する

『神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展』(東京・渋谷 Bunkamura ザ・ミュージアム)にいってきた(2018年1月7日)-2017年に開催された『アルチンボルド展』(国立西洋美術館・上野)を補完する企画展


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2013年12月24日火曜日

書評『バチカン近現代史 ー ローマ教皇たちの「近代」との格闘』(松本佐保、中公新書、2013)ー「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える



『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘』は、フランス革命以降の「政教分離」を推進する「近代国家」の登場で、領土や権威を失い弱体化していったバチカンが、いかにみずからの生き残りをかけて生き抜いてきたかを描いた近現代史である

本書の圧巻は、なんといっても「反近代」の立場を貫いたバチカンが、環境変化にあわせてみずからを「近代化」させつつ、不倶戴天の敵であった「共産主義」という「悪魔」を、武力というハードパワーではなくソフトパワーによって打倒した外交史であり、国際政治史を描いた第Ⅴ章以降にある。

近現代の国際政治のメインプレーヤーが英米を中心とするアングロサクソンであったことは言うまでもないが、これをバイプレイヤーであったバチカンの側から描いてみせたのが本書の最大の特色であろう。

プロテスタント国である米国も英国も「反バチカン」では一貫してきたが、この姿勢に転換が生まれたのが第二次大戦後の冷戦構造の成立であった。

米国にとっては正式な外交関係はなかったものの、実質的な「反共」のパートナーとしてのバチカンの存在は大きかったのだ。カトリック地帯であるポーランドをはじめ、カトリック国であるハンガリーやチェコが共産主義国家ソ連の影響下である共産圏に入ってからは、バチカンのもつネットワークが米国にとっては大きな意味をもったからだ。

無神論を標榜する共産主義はまさに「近代」の産物そのものであり、政教分離を強力に推進したフランス革命以降の「近代」は、バチカンにとっては領土と影響力を失っていった苦難の時代であった。「近代」の推進者であったプロテスタント国の英国や米国とは真逆の状態にあったわけだ。

イタリアの独裁者ムッソリーニとのあいだで締結された「ラテラノ条約」(1929年)がバチカンにとっては反転攻勢のキッカケとなる。世界最小の主権国家・バチカン市国として再出発することになったが、無神論の共産主義との対決姿勢からナチスドイツともかかわりをもち、第二次大戦後は米国に接近することとなった。このプロセスをつうじて国際政治におけるプレイヤーとしての存在感を増し、威信と影響力を回復していく。

「変わらないためには変わらなくてはならない」というのは、ヴィスコンティ監督の『山猫』のなかの有名なセリフだが、バチカンもまた近代世界という環境に適応するために大胆な自己変革を断行する。いわゆる「第二バチカン公会議」(1962~1965年)である。ここには詳述しないが、「第二バチカン公会議」以前と以後の違いは著しい。

冷戦崩壊からすでに20年以上の月日がたち、世界に残る共産党政権が中国や北朝鮮、ベトナムやキューバしか存在しなくなった現在、共産主義との戦いといってもリアリティを欠いているように聞こえるかもしれない。

だが、まさにその共産主義との戦いを同時代人としてリアルタイムで経験してきたわたしのような世代の人間にはじつに感慨深い。この時代を知らない若い世代にはぜひ熟読してしていただきたいと思う。中国共産党が存在し信仰の自由を抑圧する体制がつづく限り、バチカンの戦いが完全に終わったとは言えないからだ。

米国とのパートナーシップのもと共産主義との戦いに勝利し、冷戦構造が崩壊したあとは、ナチスドイツとの関係など過去の歴史が逆風が吹くことにもなった。さらに現在は、聖職者による少年の性的虐待やバチカン銀行によるマネーロンダリングなどさまざまな問題が噴出する渦中にあり対応に苦慮しているが、ラテラノ条約(1929年)以前のことを考えれば乗り切れない問題ではなかろう。

ことしは600年ぶりのローマ教皇退位とバチカンがふたたび大きな注目を浴びたが、清貧を説いたアッシジのフランチェスコから名前をとったあたらしい教皇フランシスコ一世はバチカン改革をすすめることであろう。

これまでバチカンが生き残ることができたカギが「反近代」にあった。「近代」においてはすでに「普遍」ではなく、「アンチ」としての存在感のほうがアイデンティティとしては大きかったバチカンであるが、ようやく「アンチ」ではなく、ポジティブな価値観で人類社会に貢献できるようになったいえようか。

それは、近代世界のなかで確立してきた普遍的原理である「人権」を前面に打ち出し、擁護推進する主体としてである。この意味では、現在のバチカンは単純な「反近代」とはいえないだろう。「近代」を経験し、みずからを「近代化」しつつ「近代」を超えるという課題にチャレンジしているように思われる。

「近代」がすでに終わっているいまだからからこそ、バチカンに目を向ける意味もある。なんといっても世界最古の組織がバチカンである。自己刷新なくして組織は生き延びることができないことの典型的な事例といっていいだろう。

バチカンの秘密文書館にもアクセスし、信者ではないもののカトリック教育を10年間受けてきた著者によるこの新書本は、歴史のなかの存在よりも、リアルタイムでプレイヤーとして活動しているバチカンを理解するために、日本人として読んでおきたい一冊である。


(画像をクリック!)

目 次

はじめに
序章 前近代のバチカン-起源から一七世紀まで
第1章 フランス革命の衝撃-超保守主義の台頭
第2章 ピウス9世の近代化政策と "豹変"-イタリア王国統一への抵抗
第3章 イタリア政治への介入-第一次世界大戦下の多角外交
第4章 ムッソリーニ、ヒトラーへの傾斜-バチカン市国成立と第二次世界大戦
第5章 ピウス12世の反共産主義-冷戦下、米国への接近
第6章 第二バチカン公会議-他宗教との和解と対共産主義・無神論
第7章 独自の対共産圏外交の追求-パウロ6世の意図
第8章 ポーランド人教皇の挑戦-ベルリンの壁崩壊までの道程
第9章 グローバル時代の教皇-宗教・民族紛争への介入
終章 バチカンと国際政治
【コラム】 コンクラーベ-教皇選出
      マリア信仰Ⅰ-信仰承認とピウス9世
      満洲国承認
      バチカンの統治システム
      マリア信仰Ⅱ-ファティマの奇跡とその後
あとがき
参考文献
バチカン近現代史関連年表

著者プロフィール

松本佐保(まつもと・さほ)
1965年神戸市生まれ。88年聖心女子大学文学部歴史社会学科卒業。90年慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。97年英国ウォーリック大学社会史研究所博士課程修了。Ph.D.取得。その間イタリア政府給費留学生としてローマのリソルジメント研究所に研究員として滞在。現在、名古屋市立大学人文社会学部教授。専攻は国際関係史(イギリス、イタリア、バチカン政治・外交・文化史)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 『ローマ法王の権力と闘い』(小坂井澄、講談社+α新書)は、2002年の出版ではあるが、『バチカン近現代史』では取り上げられていないバチカンの組織内の問題を扱っているので、機会があれば参照するとよいだろう。英語なら文献は多いが、日本語だと意外に公平な記述によるまともな本が少ないのがバチカン関連本の世界




PS アメリカの TIME誌恒例の "Person of the Year" は、ことし2013年度は教皇フランシスコ1世(Pope Francis)に決まった。バチカンにあって清貧を実践するイエズス会出身の新教皇への期待といってよいだろう。




<ブログ内関連記事>

■バチカン関係

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)
・・バチカン銀行によるイタリアの政局を巻き込んだマネロン疑惑

書評 『ナガサキ 消えたもう一つの「原爆ドーム」』(高瀬毅、文春文庫、2013 単行本初版 2009)-"最初の被爆地" 広島と "最後の被爆地" 長崎の背後にあった違いとは?
・・冷戦時代における反共政策をとるバチカンとアメリカとの関係

書評 『聖母マリア崇拝の謎-「見えない宗教」の人類学-』(山形孝夫、河出ブックス、2010)-宗教人類学の立場からキリスト教が抱える大きな謎の一つに迫る 

600年ぶりのローマ法王退位と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)
・・教皇フランシスコ一世は清貧を説いたアッシジのフランチェスコから名前をとった

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?

「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ-書物がひらくルネサンス-」(印刷博物館)に行ってきた(2015年7月1日)-15世紀に設立された世界最古の図書館の蔵書を実物展示


■「近代」とは? 「近代」の問題とは?

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・フランス革命とナポレオン戦争の意味

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ


「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・ハプスブルク家に生まれてフランス王室に嫁ぐまでウィーンで過ごしたマリー・アントワネット

『ベルギービール大全』(三輪一記 / 石黒謙吾、アートン、2006) を眺めて知る、ベルギービールの多様で豊穣な世界
・・「かつては修道院醸造所(monastery brewhouse)はフランスにもあったらしいが、フランス革命においてカトリック教会が大打撃を受け、修道院の多くが破壊され、財産が没収された結果、途絶えてしまったらしい」

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・フランス人司祭でイエズス会士のピエール・テイヤール・ド・シャルダンは「近代主義」である「進化論」の主張により「異端」とされ、その著作は「禁書」扱いとなった


■反共産主義

『ソビエト帝国の崩壊』の登場から30年、1991年のソ連崩壊から20年目の本日、この場を借りて今年逝去された小室直樹氏の死をあらためて悼む

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い
・・英米とは異なり、バチカンが「反共」の立場から満洲国を承認した数少ない主権国家のひとつであったことはアタマのなかにいれておいたほうがいい

書評 『ろくでなしのロシア-プーチンとロシア正教-』(中村逸郎、講談社、2013)-「聖なるロシア」と「ろくでなしのロシア」は表裏一体の存在である
・・ソ連崩壊による共産主義敗北後のロシアでいま進行していることは全体主義か?


■継承と承継

「世襲」という 「事業承継」 はけっして容易ではない-それは「権力」をめぐる「覚悟」と「納得」と「信頼」の問題だ!
・・血縁原理を重視する儒教圏、輪廻転生を重視するチベットと異なり、コンクラーベという秘密投票による選挙で後継者を決めるバチカン

(2015年7月7日 情報追加)


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2011年6月18日土曜日

書評『近世の仏教 ― 華ひらく思想と文化(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)― はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい


■はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思い。「近代日本」の解毒剤としても服用をすすめたい一冊■

 戦国時代末期から江戸時代末期にかけての近世は、一般に思われているように「儒教の時代」ではなく、あくまでも「仏教の時代」であった。これが著者の基本認識であり、本書の主要テーマである。

 このテーマを、実に多岐にわたって、かつきわめて簡潔に叙述した本書は、「近世の仏教」については、ほとんど知識をもっていない私のような一般読者にとっては、とにかく初めて知ることだらけなので、大きく目を開かれたという思いでいっぱいだ。いままでの常識が大きく崩れてゆくのを感じる内容の本である。

 仏教伝来から奈良仏教、平安仏教を経て、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった、現在でも主流の仏教教派が誕生したいわゆる「鎌倉新仏教」から、いきなり江戸時代を飛び越えて現在にきてしまうのが、学校で勉強する日本仏教であるが、実際はそう簡単なものではない。

 織田信長による比叡山焼き討ちや石山本願寺との攻防戦、豊臣秀吉の切支丹弾圧などにみられるように、近世初期は宗教勢力と世俗勢力が激しくぶつかり合った時期であった。

 こののちに成立した徳川幕府は、徹底的に宗教を管理する方向に向かい、檀家制度を導入して、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつ・あらためちょう)で一般民衆を管理する。しかも、葬式は仏教式以外はいっさい認めなかったので、仏教は一般民衆のものとして完全に定着した。

 中国や朝鮮とは異なって、儒教はあくまでも倫理の側面にとどまらざるをえなかったのが、東アジアにおいては日本の特色なのである。

 仏教寺院が徳川幕府と癒着して支配の道具になっていたというのは、実は革命政権である明治維新政府によるネガティブ・キャンペーンであり、われわれは学校教育をつうじてずっと洗脳されてきたのであったが、百数十年を経たいま、その呪縛からようやく覚めつつあるというわけだ。

 とくに本書で興味深いのは、中国大陸から江戸時代初期にあらたに伝えられた、座禅と念仏を行う黄檗(おうばく)宗の影響と、木版活字印刷の発展による出版文化の隆盛である。仏教の学問研究が深まり、一般には知られていないが、宗教意識のきわめて高かった仏教僧も多数現れている。これらをつうじて、仏教は信仰として民衆世界にまで広く浸透したのである。

 著者が指摘するように、江戸時代には、仏教がほぼ「国教」に近い存在であったことを知ると、なぜ明治維新に際して、「神仏分離と廃仏毀釈」によって、仏教が徹底的に弾圧されたかが、逆説的な形で理解されるのだ。

 幕末になると儒教の水戸学と復古神道が勢力を増してきて、ついには尊皇攘夷イデオロギーとして猛威を振るうことになったのだが、革命政権というものは、打倒した前政権を徹底的に否定するものだからだ。

 本書を読みながら、何度も「そうだったのか!」と目を開かれる思いがしたが、この思いを多くの人に共有してもらうことによって、「江戸時代の仏教」の存在が一日も早く一般常識となる日が来ることを願うばかりだ。ぜひ一読をすすめたい。


<初出情報>

■bk1書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)
■amazon書評「はじめて詳細を知った「近世の仏教」に大きく目が開かれる思いをした」投稿掲載(2010年10月5日)



 

目 次

近世仏教を見なおす-プロローグ
 ・近世仏教は堕落仏教か
 ・新しい近世仏教像へ
 ・中世仏教観の転換

中世から近世へ
 中世仏教の展開
 信長・秀吉と仏教
 徳川幕府の宗教政策
 天海と家康信仰
 儒教と仏教

開かれた近世
 キリシタンの時代
 キリスト教と仏教の論争
 黄檗(おうばく)宗のもたらしたもの
  明末仏教の興隆/隠元の来日/隠元の教説
 ケンペル、シーボルトと日本の宗教

思想と実践
 大蔵経(だいぞうきょう)の出版
  写本から版本へ/鉄眼版の開版/了翁による鉄眼版普及
  /出版文化のもたらしたもの
 教学の刷新
  文献主義の興隆/霊空の本覚思想批判
 戒律の復興
  具足戒と大乗戒/戒律復興運動と安楽律騒動/普寂と慈雲の場合
 批判的研究
  鳳潭の華厳研究/普寂の鳳潭批判/富永仲基の大乗非仏説
 世俗の倫理
  鈴木正三の職分仏行説/ 盤珪・白隠・慈雲/仏教世俗化の問題点
 諸教との交渉
  排仏論の動向/新井白石の『鬼神論』
  /仏教側の三教一致論と『旧事本紀大成経』

信仰の広がり
 畸人と仏教
  畸人と僧侶/売茶翁高遊外/良寛の漢詩
 女性と仏教
  仏教における女性/祖心尼/橘染子
 民衆の信仰
  多様な庶民信仰/地下信仰と新仏教
 真宗の信仰
  真宗の特殊性/肉食妻帯論/三業惑乱の論争/妙好人の信仰
 信仰と造形
  円空と木喰/仏教絵画の自由表現/『仏像図彙』とギメの仏像収集 

近世から近代へ-エピローグ
 ・仏教から神道へ
   近世思想の変遷/平田篤胤の死生観
 ・近代仏教の形成
   明治初期の神仏関係/島地黙雷と新教の自由
   /近代仏教の重層性
 ・改めて近世を問う
   近世の位置づけ/「顕」と「冥」から見た思想史

あとがき
参考文献

(*江戸時代以降で重要と思われる「小見出し」のみ再録しておいた) 


末木文美士(すえき・ふみひこ)

1949年、山梨県に生まれる。1978年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、国際日本文化研究センター教授。主要著書は、『鎌倉仏教展開論』、『仏典を読む』。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 表紙に描かれているのは、現在の日本では知名度も人気の高い伊藤若沖(いとう・じゃくちゅう)による仏画である。白像の背中にのる普賢菩薩(ふげんぼさつ)像だ。

 伊藤若沖といえば、奇想天外なテーや超絶技巧によって知られるが、じつは熱心な在家仏教信者でもあったらしい。釈迦三尊像なども描いているし、なによりも多く描かれた白像も、実見したものではなく仏教説話からのものだろう。このほか野菜涅槃図なども、仏教的世界の表現であるようだ。

 近年、日本でも伊藤若沖や、曾我蕭白(そが・しょうはく)、また狩野一信(かのう・かずのぶ)といった「奇想画」の系列に属する絵師の作品が再評価され人気が高いが、これらは著者の表現を借りれば、世俗的な「顕」の背後にあらわれた「冥」の世界観の表現であるといえよう。

 本書は近世、とくに江戸時代の仏教の真相を知るうえでは出色の一冊といっていい。わたし自身も、大きく蒙を啓かれた。織田信長の激しい大弾圧によって、宗教としての仏教は弱体化したという固定観念をもっていたからだ。

 日本の仏教史の一般的な教科書的な理解としては、仏教伝来以来の奈良仏教に、平安時代初期に現れた空海と最澄という二大天才的宗教家が流れを作り(真言宗と天台宗)、鎌倉時代に展開した、法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、禅宗、日蓮宗といった、いわゆる鎌倉新仏教が、現代にいたるまでの日本仏教の根幹をなしている、と。

 つまり鎌倉時代から、いきなり明治時代以降の現代まで飛んでしまう。鎌倉時代と明治時代にはさまれた近世、すなわち室町時代後期の戦国時代から江戸時代末期までの仏教は、特筆すべき特徴はないのか、という疑問がでてくるのだが、日本史の教科書では、徳川幕府が導入した檀家制度によって、仏教は形骸化して今日にに至るというような、はなはだしい誤解を与える教育がなされてきた。

 しかし真相は、江戸時代には「仏教はほぼ国教」の位置づけがされていたのである。明治新政府は革命政権としてのイデオロギー明確化の必要からも、徹底的に江戸時代を否定し、近代国家化と神道国教化という奇妙なアマルガムとしての政策を突き進み、大東亜戦争で大きく破綻することになる。

 こういう理解を欠いていると、なぜ明治維新において「神仏分離と廃仏毀釈」という、実質的には激しい仏教弾圧が発生したのか理解できないのである。これについては、修験道について体験記を書いた際に、庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ と題して、全面的に取り上げているので参照していただけると幸いである。

 近世初期に仏教が葬祭儀礼(葬式)をがっちりと握って以来、いまに至るまで、儒教も神道も葬式で主導権を握ることはできないままである。江戸時代においても徳川幕府が葬式は仏教式以外は認めなかったので、本居宣長などの国学者も菩提寺に葬られている。したがって、神道式の葬儀も明治以前は公式には存在しなかったわけだ。

 また、儒者たちも墓は儒教式の置き石にしているが(・・実見はしていないが、東京に大塚先儒墓所がある)、葬儀そのものを朝鮮のような儒教式に行えなかった。この事実から、儒教はあくまでも統治のための学問的基礎を与えただけであって、民衆レベルまで浸透していなかったことが明白である。浸透したのは、世俗倫理という形だけであって、儒教にとって肝心要の魂の問題には踏み込めなかったわけだ。

 「葬式仏教」と揶揄(やゆ)され、ときに非難されているが、知識人の世界とは違って、民衆宗教のレベルでは、依然として冥界についてどう捉えるかという課題は避けて通ることはできないのである。だから「葬式仏教」は根強く生き残っていく。仏教のワクがはずれれば、スピリチュアルに流れるだけの話だ。

 儒教の本質と、日本における儒教の意味については、書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007) に、<書評への付記>として「先祖供養」とはいったい何か?として書いておいた。

 また、書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) にも、日本が儒教国ではないことを朝鮮との対比で書いておいた。

 もうそろそろ、明治維新史観神話の呪縛という洗脳から、われわれは解放される必要があるのではないか? こういったやや巨視的な歴史理解をもとに、これからの日本再生も考えていかねばならないだろう。

 本書は、近代日本の解毒剤としても服用をすすめたい一冊である。




(宇治の黄檗山万福寺で購入した文鎮)


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特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

書評 『若冲になったアメリカ人-ジョー・D・プライス物語-』(ジョー・D・プライス、 山下裕二=インタビュアー、小学館、2007)

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・このなかで紹介した『神々の明治維新』(安丸良夫、岩波新書)は必読書

書評 『お寺の経済学』(中島隆信、ちくま文庫、2010 単行本初版 2005)
・・経済学者による「お寺の経済」。歴史的背景もよく調べて書かれており檀家制度の意味を考える意味でも必読

書評 『テレビ霊能者を斬る-メディアとスピリチュアルの蜜月-』(小池 靖、 ソフトバンク新書、2007)
・・「先祖供養」とはいったい何か?について書いておいた

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・日本は儒教国ではない!ということ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)
・・近代のくびきを離れたいま、ようやく江戸時代のほんとうの姿がわれわれに見えるようになってきた


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