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2013年12月26日木曜日

書評『アメリカ精神の源 ー「神のもとにあるこの国」』(ハロラン芙美子、中公新書、1998)ー アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録



副題にある神のもとにあるこの国」(this nation, under Godとは、リンカーン大統領のコトバだそうだ。かの有名なゲティスバーグ演説のなかの一節だ。

そういえば米ドル札や貨幣には In God We Trust と印刷や刻印されていることを思い出す。「われわれは神を信じる」というアメリカ合州国の国是(モットー)である。

ここでいう God(神)とは大文字ではじまる単数形、つまり一神教の神、さらに具体的にいえばキリスト教の神であり、キリスト教が生まれてきた母体のユダヤ教の神でもある。アメリカ人がいう「ユダヤ=キリスト教」的な神ということになる。

1776年に英国から独立してから200年強しかたっていない「近代国家」そのものアメリカ合州国であるが、その根本精神は「旧大陸」のヨーロッパで形成されたキリスト教文明の延長線上にある。

だからアメリカ人は、直接的な系譜として中世ヨーロッパからローマ帝国、さらには聖書世界の古代ユダヤを身近に感じる心性(メンタリティ)をもっているのだ。そこに『アメリカ精神の源』があるからだ。

God(=神)に "l" という一文字をくわえて Go"l" d(=黄金)を信仰していると揶揄されることもある「資本主義国アメリカ」だが、その根本精神に大陸からもたらされた一神教があり、個々人の精神の内奥で神との絶えざる対話が行われてきたことを指摘している著者の語りには、おおいに耳を傾けるべき価値があると思うのである。

そうでないと、アメリカとアメリカ人というものを見誤ってしまうだろう。


アメリカ人ではなく、カトリックの日本人だからこそ書けた内容

1998年に出版された本書『アメリカ精神の源 ー「神のもとにあるこの国」』は購入したまま、いつか読もうと思うながらそのままになっていたのだが、アメリカについてもう一回しっかりと考え直そうと思った際に手にとって読み始めた。あまりにも興味深いので、一気読みはできなかったが、続きを読むのが楽しみで最後まで読み終えてしまった。

著者のハロラン芙美子氏は日米関係を中心にノンフィクショ作品を多く執筆されてきた方。本書出版当時はハワイに在住していたようだ。そのためフィールドワークはハワイを中心にしているが、米本土にもたびたび足を運んで行っている。

本書は、カトリックの洗礼を受けた日本人で、かつ結婚に際してカトリックの配偶者を選んだという立場から、アメリカ人の精神の内部を探求したフィールドワークの記録であり、個人的な心の旅といった内容にもなっている。「私がカトリック教徒だとわかると、アメリカ人は一様にほっとした表情を見せる」(P.22)と著者は書いている。その意味では、アメリカ人ではなく日本人だからこそ書けた内容の本であるといっていいかもしれない。

政治・経済・社会と宗教のかかわりについては、日本語でもよめる本は多い。だが、アメリカ人の宗教にかんする客観的な学術研究ではこぼれおちてしまうのが個人の内面の探求だ。

本書のように、アメリカのキリスト教とユダヤ教について個々のアメリカ人の精神の内奥にまで踏み込んだ本はなかなかない。特定の個人の回想や信仰告白の本は多いが、信者でない限り、その手の本はなかなか読みたいという気持ちにはならない。

もちろん著者というフィルターを濾過したものであるから、著者がどういう人であるか、本書に書かれたプロファイルを読めば、十分に納得のいくものとなる。


■アメリカ人の精神「三重構造」

「第9章 天使の助け」で著者は、アメリカ人の精神を「三重構造」でみている。この見方はひじょうに興味深い。重要な指摘だと思うので、著者の文章を引用させていただくこととしよう(P.274~277)

一番上の層は、誰でも見聞する世俗文化である。高層ビル、ハイウェイ、自動車の洪水、ロボットからコンピュータまで、日に日に機械化されてゆく日常生活、物質生活の快適さを追及することにかけては、アメリカ人は創造力と実行力に溢れている。
 ・・(中略)・・
ところがその世俗文化のすぐ下に、その世俗の欲望を否定し、自己愛をいましめ、この世は「あの世」への過渡にすぎないと繰り返すキリスト教の世界が横たわっている。しかもこの二番目の層は、表面にもしばしば出てきて、日常世界の中で渾然としている。つまり、欲望の権化のような人間でも、心のどこかにそれ以外の価値観が投影しているところがある。最初は二番目の層が一番上にあったのだが、ここ半世紀のうちにいつのまにか、それがひっくり返った。
 ・・(中略)・・
一番下にある層は、二番目と重なっているところもあるが、いわば「超自然意識」とでもいえる合理的、科学的でない神秘、超自然、夢、予感の世界である。・・(中略)・・ 教会が異端として排斥してきた占星術、超能力、秘儀、幻術、魔術は、排斥されればされるほど、地下底流として流れ続けてきた。・・(中略)・・ ここ10年ほどアメリカでは確実に、非科学的、非合理的な世界への関心が深まってきている。論理だけではなく直観、予感、夢、信仰の力といったものの受容がひろまり、真剣に取り上げられている。なかでもマスコミに取り上げられるのが信仰と健康の関係である。・・(後略)・・
(*太字ゴチックは引用者=さとう) 

本書が出版されたのが1998年であるから、それからすでに15年たった現在では、「一番下にある層」はすでに一大潮流となっているといっても言いすぎではない。

この流れは「第10章 神のもとにある国」で取り上げられているトラピスト修道会の修道士トマス・マートン(Thomas Merton 1915~1968)の著作もその流れを準備してきたものであるようだ。「戦後のアメリカ人、それも朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、公民権運動、社会変革の波に翻弄された世代の霊的探求にもっとも深い影響を与えた人」と著者は記している。

現代人にとってのスピリチュアリティの意味を問いかけてきたトマス・マートンの精神遍歴の著作は、アメリカではひじょうに普及しており、アメリカに留学していた頃、わたしも何冊か買って読んでいる。東洋の宗教にも目を開いたマートンは、アメリカに英語で禅仏教を紹介した鈴木大拙(D.T. Suzuki)とも親しく交友関係にあった人だ。旅先のバンコクで53歳で事故死したのは残念なことであった。

ただし、『アメリカ精神の源』を探求する本書は、仏教についても、現在は増加傾向にあるイスラームについても言及はない。あくまでアメリカ社会のメインストリームについての探求に限定している。

本書のメッセージで重要なのは、どんな人でもかならず神や魂について考えており、語ることができるのがアメリカ人だということだ。つねに内なる神との対話をつづけているのである。本来は宗教的であるにかかわらず、それを意識していない日本人との大きな違いである。

そういうアメリカ人と文化や政治経済をつうじてかかわってきたということを日本人は大いに意識すべきであろう。

本書で描かれたようなアメリカ人像をベースにものを考えることが重要だろう。「精神の源」を知らなくては、ほんとうの相互理解はありえないからだ。アメリカで暮らしたことのあるわたしも、本書の内容には大いに納得しながら読み進めた。

品切れになっているのがじつに惜しい本だ。ぜひ重版してほしいし、そうでなくても、古本を購入するなり図書館で借りるなりして、ぜひじっくりと読み進めてほしいと思う。


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目 次
プロローグ
第1章 魂の沈黙の旅
第2章 感謝祭
第3章 至聖の場所へ向けて
第4章 さまざまな礼拝
第5章 栄光と権力
第6章 ダビデの星
第7章 無償の愛
第8章 マグダラのマリア
第9章 天使の助け
第10章 神のもとにある国
エピローグ

著者プロフィール
ハロラン芙美子(はろらん・ふみこ)
1944年1月11日生まれ。ノンフィクション作家。 長崎県大村市生まれ。旧本名・森史子。1962年、福岡県立修猷館高等学校卒、1966年、京都大学文学部史学科卒、1970年、コロンビア大学大学院修士課程修了、1973年まで同大学東アジア研究所勤務、1976年まで日本国際交流センター勤務、1978年、米国人ジャーナリストのリチャード・ハロラン(元ワシントン・ポスト東京支局長、元ニューヨーク・タイムズ東京支局長)と結婚。1977年から1979年まで、ジャパン・エコノミック・インスティテュート勤務。1980年、『ワシントンの町から』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。1990年よりハワイ州ホノルルに住む(wikipedia日本語版より)。


PS アメリカの宗教人口デモグラフィック

プロテスタントの国というイメージのつよいアメリカだが、宗派別でもっとも人口が多いのはカトリックで全人口の約1/4、プロテスタント諸派はそれぞれが独立した宗派で統一体はないので、このような結果となる。これはアタマにいれておくといいだろう。


<関連サイト>

History of 'In God We Trust' (US Department of Treasury)
・・ アメリカ合州国のモットーである In God We Trust の歴史



<ブログ内関連記事>

「ビジネス文明」国アメリカ

書評 『超・格差社会アメリカの真実』(小林由美、文春文庫、2009)-アメリカの本質を知りたいという人には、私はこの一冊をイチオシとして推薦したい


アメリカのビジネス文明とキリスト教・ユダヤ教

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・ユダヤ教、キリスト教と資本主義ビジネスの関係について、ユダヤ教とキリスト教を区分して考えるべきことを私が解説。「ユダヤ・キリスト教」という表現は、誤解を生みやすい。

・・アメリカのビジネスマンでかつユダヤ教ラビの著者による月曜朝の「5分間講話」。現代社会に生きるビジネスパーソンのためのスピリチュアル・リーダーシップのすすめ

マイケル・ムーアの最新作 『キャピタリズム』をみて、資本主義に対するカトリック教会の態度について考える

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)
・・ユダヤ教とそれを源流とする、キリスト教、イスラームという一神教の経済倫理について


オカルトと宗教テロリズム

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」
・・アメリカを中心とした英語圏に特有のオカルト思想について

スティーブ・ジョブズの「読書リスト」-ジョブズの「引き出し」の中身をのぞいてみよう!
・・いわゆる「ニューエイジ」宗教の影響の濃厚なジョブズとカリフォルニア

『エコ・テロリズム-過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ-』(浜野喬士、洋泉社新書y、2009)を手がかりに「シー・シェパード」について考えてみる
・・限りなく宗教的といってもいい英語圏に特有の環境運動の根底にある思想


明治時代の日本人にとっての「英語・アメリカ・キリスト教」

書評 『新島襄-良心之全身ニ充満シタル丈夫-(ミネルヴァ日本評伝選)』(太田雄三、ミネルヴァ書房、2005) -「教育事業家」としての新島襄
・・アメリカ資本主義とプロテスタンティズムの関係が濃厚にあらわれた明治時代のキリスト教日本布教活動

日本が「近代化」に邁進した明治時代初期、アメリカで教育を受けた元祖「帰国子女」たちが日本帰国後に体験した苦悩と苦闘-津田梅子と大山捨松について
・・「英語・アメリカ・キリスト教」

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃、多くの関連本が出版されていた-『誇りてあり-「研成義塾」アメリカに渡る-』(宮原安春、講談社、1988)
・・"神の国"を築くために集団で米国に移民として渡った(!)日本人キリスト教徒たち


キリスト教世界アメリカと仏教

・・本書ではほとんど触れられていない「アメリカの仏教」について日本語でよめる一冊。最近のアメリカ人の精神的傾向も知ることができる

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)
・・「著者は米国で30年近く過ごしてきた写真家だが、はじめて米国に住み始めた頃、ある米国人から米国人と比較したときの日本人の特性として、日本人には「コンパッションが欠如しているのではないか」という痛切な指摘を受けた体験を「あとがき」に記している。 コンパッション(compassion)とは、著者の表現を使えば「単なる同情を越えて他人の気持ちを思いやり苦しみも喜びも分かち合う」という意味だ。米国ではキリスト教をつうじて社会全体に当たり前のように定着している。コンパッションは仏教でいえば「慈悲の心」、ダライラマ14世が英語の説法でよく使用するコトバでもあるが、仏教国であるはずの現代日本人にコンパッションが欠けていると米国人の眼にうつるというのは、私自身もつらいものを感じる」

(2014年3月22日 情報追加および項目再編集)


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