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2014年2月7日金曜日

「無憂」という事 ー バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる

(高架鉄道BTSのアソーク駅)

バンコクの都市交通である地下鉄 MRT と高架鉄道 BTS には、気づいている人があまりいないのが残念だが、インドと仏教を想起させる名称の駅がいくつかある。

代表的なものにBTSのアソーク駅MRTのルンピニ駅がある。BTS は Bangkok Mass Transit System(バンコク大量輸送システム)の略。一般に日本人はスカイトレインといっている。MRT は Mass Rapid Transit(大量高速輸送)の略。地下鉄のことだが、東南アジアではMRTの名称が多い。

まず取り上げるべきはルンピニ駅であろう。これは初級編。

ルンピニ(Lumphini)は、ブッダの生誕地。ブッダ釈尊は釈迦族の王子としてルンピニ園で生まれたのであった。場所はインドではなく現在のネパールにある。

バンコク中心部の貴重な緑地にルンピニ公園(Lumphini Park)の名がつけられている。

ルンピニ公園周辺はシーロムとサトーンというバンコク有数のオフィス街であり、東京でいえば大手町と丸の内のようなものだ。そのなかにあるルンピニ公園は丸の内公園のような都会のオアシスである。ランニングをする人たちを見ることもできる。

(ネパールではなくタイはバンコクのルンピニ園)

日本人の多くはルンピニがまさかブッダの生誕地だとは考えないかもしれない。だが国民の95%が仏教徒であるタイ人にとっては「常識」である。


アソーク駅の「アソーク」の意味は?

アソークについては、くわしく書いておく必要がある。

MRTスクンビット駅は BTSアソーク駅との乗り換え駅でもある。乗降客のきわめて多い駅であるが、はたしてアソークが仏教関連の駅名と地名であることを、タイ人以外ではどれだけの人が知っているのだろうか? まあ、そもそもそんなことはあまり考えないものかもしれないが。

アソークはタイ語ではなくパーリ語である。タイは上座仏教国であり、使用されているのがパーリ語だ。大乗仏教で使用されるサンスクリット語(梵語)と同様、パーリ語もまたインドの古典語である。

アソーク(Asok)は、分解すると「ア(a)」・「ソーク(sok)」となる。a は否定を意味する接頭語sok(soke)は「憂い」を意味する名詞二つが合成されて「無・憂」となる。「憂い無し」である。

アソークは、古代インドの仏教王アショカ王の「アショカ」(ashoka)と同じ。アショーカ王のことは、漢語では音をとって「阿育王」としているが、意味をとれば「無憂王」となる。高校世界史の教科書に登場する「アショーカ王の石柱」には 獅子(ライオン)が座っている。

(古代インドの仏教擁護者アショーカ王が建立させた石柱 wikipediaより)

釈迦入滅から200年後のBC3世紀にあらわれたアショーカ王は、インド亜大陸をほぼを統一した君主だが、その前半生は王位をめぐって近親者や家臣、そして民衆も殺害するなど暴虐の限りをつくした暴君であった。

だが、仏教に帰依してのちの後半生においては「仏教の擁護者」でとしてふるまい、領土の各地に仏教守護のための獅子をのせた仏塔を建てさせたのであった。このほか施療院の設置など積極的に奨励した救済事業、あるいは仏教の教えから禁止した項目もきわめて多い。

いわば、「武力」による統治から「法」(=ダルマ)による統治への転換を目指した王であるといえよう。だからこそ、アショーカ王のことを「ブッダの再誕」と称賛する人もいるくらいなのだ。

(アショーカ王の石柱 wikipediaより)

1995年に仏蹟巡礼した際、わたしはインド北部で「アショカ王の石柱」を見ることができたが、実際の石柱は思っていたよりもはるかに高いことがわかった。

(ブッダが悟りを開いたブッダガヤの菩提樹の下にて 1995年)


「無憂」といえば「無憂華」の花

「アソーク」=「アショーカ」=「無憂」(憂い無し)の関係をあきらかにしたが、インドで「無憂」といえば、アショーカ王もさることながら、まずは「無憂華」(むゆうげ)の花について触れておくべきだろう。

無憂華(むゆうげ)は無憂樹(むゆうじゅ)ともいう。英語では Asoka tree、ラテン語の学名は "Saraca asoca"、マメ科の植物で、ブッダ釈尊が生まれた所にあった木とされる。ここでアソークは、さきにあげたブッダ生誕地であるルンピニとつながることになる。

無憂樹は、菩提樹(ぼだいじゅ)、娑羅樹(さらじゅ)とともに「仏教三大聖樹」の一つとされている。菩提樹はブッダがその下で悟りを開いた木娑羅樹釈迦入滅の地クシナガラに生えていた木である。『平家物語』の冒頭にでてくる「娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす」の娑羅双樹である。

それぞれ、無憂樹(=誕生) ⇒ 菩提樹(=悟り) ⇒ 娑羅樹(=入滅)という、ブッダのライフストリーを象徴する樹木なのである。

(無憂華の花 wikipediaより)

この写真を見てもわかるように、無憂華は見るからに憂いなどまったくなさそうな花である。

インドのベンガル地方では、無憂樹の花をつかってアショーカ・ショスティーというプージャー(祭り)をするらしい。『インド花綴り-印度植物誌-』(西岡直樹、木犀社、1988)には、著者がインドの電車で乗り合わせた上流婦人の話として紹介されている。

仏教はもちろん、ヒンドゥー教でも聖樹とされている。原産地はインドとビルマ(=ミャンマー)である。

(無憂華の花 wikipediaより)


仏教歌人・九條武子の「無憂華」(むゆうげ)

無憂華(むゆうげ)といって想起するのは、『九条武子 歌集と無憂華』(のばら社、1968)である。歌人・九條武子が亡くなる一年前(1927年)に出版されたベストセラーの歌文集が、40年後にポケット版として復刊されたものだ。

すでに書店の店頭から消えてひさしいが、なぜか趣味関連の実用書や唱歌や童謡などの楽譜つき歌集の出版で知られる「のばら社」から出版されていた文庫サイズの歌文集である。いかなる経緯で「のばら社」から出版されたのか知らないが、趣味関連の棚に置かれていたこの本で、わたしははじめて九條武子について知った。高校生の頃である。

(『歌集と無憂華』 のばら社版)

九條武子(1887~1928)は、浄土真宗西本願寺第21代法主の二女として京都に生まれた歌人。浄土真宗本願寺派第22世法主・大谷光瑞(おおたに・こうずい)の妹である。

教育家として京都女子大の創立に貢献。仏教婦人会連合本部長もつとめたほか、社会事業家として貧民救済に身をささげた人だ。

そもそも文学史に登場する人ではなく、大手出版社の文庫本として収録されたこともないので、『九条武子 歌集と無憂華』を読んだ人は、それほど多くはないのではないかと思う。

だが、読むと大正時代を中心にした当時の日本を感じることができる内容の歌が多いことに気がつく。日系移民の思いに寄せる歌など、西本願寺の海外布教を反映した内容も多い。歌は佐々木信綱に師事している。

九條武子といえば、もっとも知られているのはつぎの歌であろう。ぜひじっくりと味わっていただきたい。

百人(ももたり)の われにそしりの火はふるも ひとりの人の涙にぞ足る

「大正三美人」の一人とされていたが、おなじく三美人の一人で歌人でもあった柳原白蓮(やなぎはら・びゃくれん)とは違い、九條武子のポートレート写真は、「無憂」というよりも憂いを含んだ表情ばかりなのが印象に残る。「無憂」であることは、その長くはない生涯において、九條武子の終生の憧れであったものか。

『大正美人伝-林きむ子の生涯-』(文春文庫、2003)のなかで、森まゆみ氏は長谷川時雨の『近代美人伝』(1936年)の記述を引きながら、九條武子のことを「外観は瓜実顔の京美人だが、中身は進取の気性に富み、背も高く押し出しもよく、教養、人格とも申し分のない女性と見られていたことがわかる」、と要約している。ポートレートとはずいぶんギャップがある。

長谷川時雨は、「武子さんは、あまり広く愛されて、世間のつくった型へはめられてしまって、聖なる女として苦しんだ」、と書いている。同性の同時代人で、交友関係の間柄であっただけに、的確な観察といえようか。この内面が、ポートレートには写しだされているといっていいのかもしれない。

(九條武子 『近代美人伝』(長谷川時雨)より)

兄の大谷光瑞は西域探検で西本願寺の財政を逼迫させたことをもって法主を辞任したが、その後は日本のアジア進出のプロモーターのような存在として、つねに身を海外に置いていた。上海別邸の庭園を「無憂園」と命名しているが、兄も妹もつくづく「無憂」というコトバが好きだったようだ。

『九條武子-歌集と無憂華』の冒頭に収録されているのが「おん母摩耶(マーヤ)」テーマは「無憂」である。

おん母摩耶
 
おん母マーヤ夫人(ぶにん)は、好んでルンビニー園に遊んだ。園には、無憂樹の花が一面に咲き満ちてゐた。おん母は、正真にして清涼なこの花を、心から愛してをられた。

   よき花よ、うるはしわが友
   ほゝゑみて憂きことをしらず
   春の日はゆたにかにかゞよふ
   けがれなき恵みのすがた
   かぎりなきその栄光
   とこしへの生命をいだけばおとろへもなし
   よき花よ、うるはしわが友

 自然の汚れなき生命を、しみじみと慈しまれたおん母に、大聖釈尊の宿り給ひしは、偶然のことではない。
 大いなる恵みの力をよろこぶものこそ、素純な花の心にもふれ得よう。無心の草木も慈悲のこゝろをもつてふれるとき、憂ひなき心の華がひらく。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

マーヤ夫人が無憂樹の花をとろうと右腕をのばしたその拍子に、脇腹からシッダールタ王子は生まれたのだという。その難産による産褥熱がもとで王子を産んだ7日後に亡くなっている。

(マーヤ夫人と誕生したばかりの王子 タイで売っていたカレンダーより1月)

ブッダ釈尊は物心のつかないうちに生母とは死別したのであった。人は「無憂」を願うものの、まこともって「無憂」とはほど遠い・・・。「人生は苦」であると説いたのはブッダその人であった。

九條武子はについては、仏教界を代表する上流婦人として、社会事業に尽くした生涯であったことにも触れておかねばならない。wikipedia日本語版から引用しておこう。

仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で自身も被災するが一命を取りとめ、全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。

「あそか病院」は東京都江東区にある医療機関。歌の師匠である佐々木信綱による命名で、九條武子の歌集『無憂華』(むゆうげ)にちなんだものである。「あそか病院概要-創立のこころ」には以下のように説明されている。

病める人の母となり、友となって・・・
あそか病院の創始者・九條武子夫人は、建院にあたって、「病める人の母となり友となって、施療とともに精神的な安らぎを与えること」を理念に掲げました。 以来80年余りを経た現在も、夫人の理念は、当院の医療活動すべての根底となっています。 地域とともに歩み、地域から信頼される病院として、より高度で、より心あたたかな医療を追求してやみません。

あそか・・・それは人々の「無憂」を願う心。
関東大震災のとき、西本願寺では、九條武子夫人を中心に救護所を開設して人々の救済に尽くしました。これを始まりとして、7年後1930年、夫人の歌集「無憂華」の印税を基金に充てて設立されたのが当院です。 あそか病院という名称もその無憂華(サンスクリット語・あそか、和名・無憂樹)に因んでつけられたものです。菩提樹、娑羅樹とともに仏教三聖樹の一つとされる無憂樹。多くの人々に、病などの憂いを無くしてさしあげたい・・・。この願いがあそかという病院名にこめられているのです。

(社会福祉法人あそか会の介護ワゴン車 筆者撮影)

九條武子は、関東大震災の震災復興事業の奔走の無理がたたり敗血症を発症、わずか7日後に41歳の若さで往生した。1928年(昭和3年)2月7日のことである。奇しくも本日(2014年2月7日)は没後86年ということになる。いま書いていてはじめて気がついた。

意図したわけではないのだが、なんだか「奇縁」を感じてしまう。浄土系の家に生まれたとはいえ、浄土宗と距離を置いているだけでなく、しかも門徒ではないので、今日の今日までそのことに気がつかなかった。宗門では2月7日を「如月忌」として追悼しているのだという。

九條武子の今際の際(いまわのきわ)については、『人間臨終図巻Ⅰ』(山田風太郎、徳間文庫、2011 単行本初版は1986年)の「四十一歳で死んだ人々」の項をご覧いただきたい。

(ライトアップした築地本願寺 インド風の建築は伊東忠太設計)

同時代人の作家・吉屋信子の回想文を引用する形で、九條武子が当時の一般大衆にとっていかに憧憬と讃歌の対象であったが記されている。病状について日々ラジオと新聞で報道されていたたほど国民的な関心事だったのである。


ヨーロッパにおける「無憂」

「無憂」といえば、プロイセン王国の離宮として18世紀に建造されたドイツの首都ベルリン近郊のポツダムにある「無憂宮」もまた想起する。日本人には「ポツダム宣言」でなじみ深い地名である。

ドイツ文学者で児童文学者でもあった山本有三の『心に太陽を持て』のなかにも「フリードリヒ大王と風車小屋」」というエピソードとして登場するからだ。

(無憂宮の正面にはフランス語で SANS SOUCI の文字がある wikipediaより)

「啓蒙専制君主」であったプロイセン国王フリードリヒ二世(大王)の離宮であった「無憂宮」(Sansouci) は、フランス語の sans souci(サン・スーシ=憂い無し)からきている。18世紀ヨーロッパはフランス語の時代であった。

ロココ時代の欧州は中国趣味と日本趣味がブームであった。無憂宮内部にも中国部屋と日本部屋がある。だが、当時のヨーロッパにはインド趣味というものはなかったようだ。仏教とインド哲学の影響を受けたショーペンウアーの厭世哲学が流行したのは19世紀のことだ。

だから、「サン・スーシ」(無憂)がインドと関係あるのかどうかはわからない。「無憂」にはキリスト教というよりも仏教的な響きを感じるのだが・・・。仏教をふくめたインド思想が本格的に研究されるようになったのは、インドが大英帝国の植民地になった19世紀以降である。

とはいえ、憂いの無い状態は洋の東西を問わず、王侯貴族ならずとも誰もがそうありたいと願う心の状態であろう。

フリードリヒ二世も「大王」といわれただけに、プロイセン王国を軍事力でもって強大化させた軍事的天才であった。この点は古代インドのアショーカ王と共通するものがある。

だが、臣民すべてが「無憂」となることを願ったのか、それとも自分自身の「無憂」を願っただけなのかは定かではない。


「無憂」の実現は社会的実践をつうじて行う

アショカ(Ashoka) という NPO がある。

Innovators for the Public をモットーにしたNPOで、1980年にアメリカ人のビル・ドレイトンによって設立された。生産的でグローバルな市民のための事業モデルを作り、世界中に社会起業家の精神、ソーシャル・アントレプレナーシップを育てることを目的としたものだ。

(アショカのロゴ)

アショカ・ジャパンのウェブサイトには、「アショカ」という名称の由来が書かれている。英語版のサイトから英語も併記しておく。違いに注目してみるのも面白い。

アショカの名前は紀元前3世紀にインド亜大陸を統一したアショカ王にちなんで名付けられています。アショカ王は暴力の払拭、社会福祉の向上、経済の成長に自分の生涯をささげました。彼はその創造性、寛容性、そしてグローバルな視点をもって社会改革に挑んだ歴史を先取りする社会変革者と言えます。因みに、マハトマ・ガンディは、アショカの精神を継承するリーダーです。(英語版 What does 'Ashoka' mean? Named to honor Ashoka, the Indian leader who unified the Indian subcontinent in the 3rd century BC, renouncing violence and dedicating his life to social welfare and economic development. For his creativity, global mindedness and tolerance, Ashoka is renowned as the earliest example of a social innovator.)

アショーカ王にちなんだ命名であることはわかったが、残念ながら「アショーカ」の意味が「無憂」であることには言及されていない。 

「ビジョン&ミッション」も見ておこう。 英語版のサイトから英語も併記しておく。

ビジョン
「Everyone A Changemaker™」(誰もがチェンジメーカー)がアショカの描く未来です。 具体的には、私たち誰もが自分の気づいた社会の綻びを変革する自信と勇気を持つことができる社会であり、そして、変えようとする人に対して周囲が積極的にサポートする社会です。 (Vision: To advance an Everyone a Changemaker world, where anyone can apply the skills of changemaking to solve complex social problems.

ミッション
アショカは、グローバルで革新的かつ公正な競争原理に基づいた市民セクターの形成を目指します。 それは、ソーシャル・アントレプレナーが活躍し、人々がチェンジメーカーとして思考し行動する世界です。(Mission: To support social entrepreneurs who are leading and collaborating with changemakers, in a team of teams model that addresses the fluidity of a rapidly evolving society. Ashoka believes that anyone can learn and apply the critical skills of empathy, team work, leadership and changemaking to be successful in the modern world.)

アショーカ王の精神を現代に活かそうというネーミングであるが、仏教とは直接の関係ないようだ。むしろ国家や民族、宗教などの狭い枠を越えて、世の中を善くしていこうという精神を具体的な活動をつうじて行う社会起業家精神に重点を置いている。

コトバとしては直接表現されていないが、人びとの憂いをなくして「無憂」を目指すというインプリケーションは感じることはできる。

アショーカ王の石柱の台座にある円形の車輪(チャクラ)マークがインド国旗にも使用されていることも、仏教を越えてアショーカ王の功績の大きさをあらわしているのかもしれない。

(アショーカ・チャクラはインド国旗にも使用 wikipediaより)


アショーカ王といってもピンとこない日本人が増えている現在、アメリカ経由で社会的な善をおこなう活動が日本に入ってきたわけであるが、さきにもふれたように、できれば大正時代の日本にも「あそか」というネーミングで社会事業が始まったことを想起してほしいと思う。

生きている人間の「無憂」を実現するための社会事業もまた、仏教が本来取り組むべき課題であるはずなのだ。


バンコクには「無憂」ならざるアソークもある

さて話をタイのバンコクに戻そう。今度は、無憂 ⇒ アショーカ ⇒ アソーク と、逆回しでもう一件アソークについて書いておく。

いまふたたびタイの「民主主義」が揺れているのだが、いまから22年前の1992年の「流血の五月」後の事態収拾にプミポン国王とともに大きな役割を果たしたのがバンコク市長をつとめたチャムローン退役陸軍中将であった。

そのチャムローン氏が深く帰依していたのが「サンティ・アソーク」という新興仏教教団である。サンティ・アソーク(Santhi Asoke)はパーリ語で字義通りの意味は「平和な無憂」。タイ仏教のサンガから離れた新興形仏教教団。

戒律の厳しい上座仏教でも、かなり厳格な教団で、飲食と性にかんする徹底的な禁欲をつうじて欲望を完全にセルフコントロールする修行を行っている。近代社会における都市型宗教といってよい。キリスト教でいえばプロテスタント系のカルヴィニズムのようなものだ。

基本的に政治には関与しないのがタイの上座仏教であるが、サンティ・アソークは積極的に政治にかかわる姿勢であり、チャムローン氏もまたその姿勢を体現するな存在である。


かつて日本でも『タイに民主主義を』(サイマル出版会、1993)という本が出版されているように、チャムロン氏はタイの民主化に大きな役割を果たした人である。

その後はタクシン首相の後見人となったり、2008年のバンコク国際空港閉鎖事件の際には「黄シャツ組」の有力者としてデモをバックアップしている。1992年当時のイメージはすっかり地に落ちた印象がある。

政治に関与しすぎるあまり、どうも晩節を汚しているような印象をもつ。


「備えあれば憂い無し」!?

ただそうありたいと願ったからといって、けっして「無憂」になるわけではない

「無憂」とは静止状態ではない「無憂」の状態が永続することはない。「憂い」に程度の違いがあるように、「無憂」にも程度の違いがある。たとえ物質面で「憂い」が消え去ったとしても、満ち足りた状態に「憂い」が生じてくる。

シッダールタ王子が王宮を出たのもまた、物質的な満ち足りた生活ののなかにありながらも、精神的な「憂い」を払拭することができなかったからだ。「憂」も「無憂」もあくまでも心の状態である。

仏教的世界観の根底には「無常」がある。これは常に動くのをやめないのが世の中のすべてであるという考えだ。一瞬一瞬、世の中も自分も変化しつづけている。すべては生成消滅の相のもとにある。

だから、「無憂」もまた「無常」なのだ。生老病死という人間につきものの精神的な「憂」が無くなることはない。生きている限り、「憂い」は生じてくる。それが人間というものだ。

「備えあれば憂い無し」とはいうが、「備え」とは物質的なものもさることながら、精神面のことをさしていると捉えるべきだろう。

「無憂」もまた「無常」だと認識すること、つねにそう思うことが大事なのである。知識だけでなく、智慧を獲得すべく努力しなくてはならないのである。


終わりに

以上、「アソーク」という駅名の背後にある仏教的・インド的なものをいろいろ引き出してみた。

「無憂」というコトバは仏教辞典にはでてこない。だが、実践仏教においてはきわめて重要だ。そう考えるのは、物心両面において「憂いの無い」状態こそ、誰もが望む状態だからだ。望んでも得られないのが「無憂」だとしても。

以上、長々と書いてきたが、なにかの参考になったのであれば幸いである。

お気づきだと思うが、このブログ記事のタイトルの『無憂ということ』は、小林秀雄の『無常という事』をもじったものだ。タイトルはもじりたが、中身はまったく関係ない。老婆心ながら付記しておく。

(以上)



* 九條武子については、同時代の女性作家で、直接交友関係もあった長谷川時雨による 『新編 近代美人伝(下)』(長谷川時雨、杉本苑子編、岩波文庫、1985)をぜひ参照していただきたい。

** 新規に「あそか会」の介護ワゴン車の写真を一枚挿入した(2018年3月13日 記す)

PS インドネシアの「ボゴール植物園」もまた「無憂」系列

オランダが植民地インドネシアに残したすばらしい遺産の一つに「ボゴール植物園」がある。

(植物園のゲート 茂木靜夫『ボゴール植物園』より wikipedia日本語版) 


ボゴール植物園は、ラフレシアなどの熱帯性植物の宝庫として世界に誇る植物園(botanical garden)の一つだ。わたしもかつて一度訪れたことがあり、個人的には世界一の植物園だと考えている。また再訪してみたいと願っているくらいだ。

調べ物のために wikipedia の記述を読んでいるうちに以下の文章に出会った。ブログ記事執筆後のことである(*太字ゴチックは引用者=さとう)。

(現在のボゴールという地名は)オランダ語名称=「無憂」を意味するボイテンゾルグは、「風土病の憂い無し」という含意で、オランダ人居留地として発展、蘭印総督府(イスタナ)が置かれた。もともと植物園はなく、総督府の庭園だった。ナポレオン戦争でジャワ島支配がイギリスに移った1812~1816年の間、(ラフレシアで知られる)ラッフルズ総督が当地に居住、庭園も改造して、イギリス風庭園とした。夫人である、オリヴィア・マリアンヌは英国より草本を取り寄せ整備を図り、今もこの地に眠る。・・(以下略)・・

インドネシアは、もともとオランダ人は「東インド」と呼んでいたのだが、ここにも「無憂」があったか! 熱帯性気候のなかで暮らす西欧人にとっては風土病からの「無憂」は切実なものであったわけだ。

なお、この記事にはボイテンゾルグと表記されているが、ただしくはバウテンゾルグ(Buitenzorg)のようだ。オランダ語の Zorg は、ドイツ語の Sorg に該当する。ちなみにゾルゲ事件のスパイ・ゾルゲは「憂い」という名字である。バウテンゾルグは、オランダ植民者にとっての 夏の避暑地として建設されたようだ。

1945年8月17日、スカルノとハッタによるインドネシア独立宣言によって、ボゴールと名前が変更された。ちなみにインドネシア初代大統領のスカルノは、ボゴールからもそう遠くはないジャワ島西部のバンドゥン工科大学の出身である。

18世紀の西欧人と「無憂」という願い。もっと突っ込んで調べてみる必要がありそうだ。

(2014年5月11日 記す)



<関連サイト>

Ashoka (wikipedia英語版。日本語版の「アショカ王」よりもはるかに詳細)

Kujo Takeko : A Modern Buddhist Woman (by Dr. Alfred Bloom, Emeritus Professor of Religion, University of Hawaii)
・・九條武子の解説。ハワイには浄土真宗の・・・があり、日系人を中心に信者も多い。海外布教の結果、米国ではハワイや西海岸を中心に米国にも本願寺があり日系人を中心に信者もすくなからずいるからだろう。

無憂華 - J-TEXTS 日本文学電子図書館 で読むことができる。

政治と宗教(仏教) :「サンティアソーク」の動き[政治] 【タイ政治社会の潮流】第91回 (赤木攻(あかぎ・おさむ)大阪外国語大学名誉教授、タイ 2011年2月17日)


<ブログ内関連記事>

タイの「無憂」とタイの「インド」

書評 『赤 vs 黄-タイのアイデンティティ・クライシス-』(ニック・ノスティック、めこん、2012)-分断されたタイの政治状況の臨場感ある現場取材記録
・・「赤シャツ(UDD)側から見れば、日本のエスタブリッシュメントからはいまだに評価の高いチャムロン氏と彼が率いるサンティ・アソーク(Santhi Asoke)という新興仏教教団の性格も見えてくる。黄シャツ(PAD)がカルト化しているという指摘は、なるほどと思わされるのだ。

『Sufficiency Economy: A New Philosophy in the Global World』(足を知る経済)は資本主義のオルタナティブか?-資本主義のオルタナティブ (2)
・・タイのプミポン国王が提唱する仏教にもとづいたサステイナブル経済思想

合掌ポーズの「ワイ」はクセになる-タイのあれこれ(番外編)

タイのあれこれ(17) ヒンドゥー教の神々とタイのインド系市民

成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (7) 断食四日目-いよいよ満願成就、そして断食後に体験の意味を考察してみた(完結篇)
・・「タイの民主政治家チャムロン退役中将・・(中略)・・チャムロン氏は、戒律の厳しい上座仏教でも、かなり厳格なサンティ・アソークという新興宗教の熱心な信者だが、欲望のコントロールによって、自分の人生をすべて政治に捧げている

書評 『「無分別」のすすめ-創出をみちびく知恵-』(久米是志、岩波アクティブ新書、2002)-「自他未分離」状態の意識から仏教の「悟り」も技術開発の「創出」も生み出される
・・「無常」や「無憂」に限らず「無」という接頭語ではじまる仏教というインド哲学の概念は多い。「無分別」もまた


大正時代と関東大震災-九條武子が生きた時代

歌人・九條武子による「聖夜」という七五調の「(大乗)仏教讃歌」を知ってますか?

書評 『恋の華・白蓮事件』(永畑道子、文春文庫、1990)-大正時代を代表する事件の一つ「白蓮事件」の主人公・柳原白蓮を描いたノンフィクション作品
・・姦通罪も覚悟して不倫の恋に走った柳原白蓮がおこした「白蓮事件」。白蓮は、九條武子とともに「大正三美人」の一人とされていた

マンガ 『はいからさんが通る』(大和和紀、講談社、1975~1977年)を一気読み ・・大正時代の東京を舞台にした傑作少女マンガ

映画 「百合子、ダスヴィダーニヤ」(ユーロスペース)をみてきた-ロシア文学者・湯浅芳子という生き方
・・大正時代にはロシアで革命によって労農政府が成立

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む

本日(2013年9月1日)は関東大震災から90年-知られざる震災記録ルポルタージュの文庫本2冊を紹介

「今和次郎 採集講義展」(パナソニック電工 汐留ミュージアム)にいってきた-「路上観察」の原型としての「考現学」誕生プロセスを知る
・・大震災後の東京を路上観察

大震災のあと余震がつづくいま 『方丈記』 を読むことの意味
・・「無常」ということの意味

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)
・・「著者は米国で30年近く過ごしてきた写真家だが、はじめて米国に住み始めた頃、ある米国人から米国人と比較したときの日本人の特性として、日本人には「コンパッションが欠如しているのではないか」という痛切な指摘を受けた体験を「あとがき」に記している。 コンパッション(compassion)とは、著者の表現を使えば「単なる同情を越えて他人の気持ちを思いやり苦しみも喜びも分かち合う」という意味だ。米国ではキリスト教をつうじて社会全体に当たり前のように定着している。コンパッションは仏教でいえば「慈悲の心」、ダライラマ14世が英語の説法でよく使用するコトバでもあるが、仏教国であるはずの現代日本人にコンパッションが欠けていると米国人の眼にうつるというのは、私自身もつらいものを感じる」  近代日本の仏教、とくに浄土真宗にキリスト教が与えた大きな影響について深く考えてみる必要がある

書評 『日本人とキリスト教』(井上章一、角川ソフィア文庫、2013 初版 2001)-「トンデモ」系の「偽史」をとおしてみる日本人のキリスト教観
・・築地本願寺とパイプオルガン


浄土真宗関連

「法然と親鸞 ゆかりの名宝-法然上人八百回忌・親鸞聖人七百五十回忌 特別展」 にいってきた

書評 『目覚める宗教-アメリカが出合った仏教 現代化する仏教の今』(ケネス・タナカ、サンガ新書、2012)-「個人のスピリチュアリティ志向」のなかで仏教が普及するアメリカに読みとるべきもの
・・著者はアメリカ生まれの日系人。浄土真宗の門徒である

(2014年7月20日、8月22日、12月26日 情報追加)


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