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2023年2月12日日曜日

書評『江戸の読書会 ー 会読の思想史』(前田勉、平凡社選書、2013)ー かつての日本には切磋琢磨する「学び」の世界があった

 

「ようやく」というのは、面白そうな内容だな、使えるかもしれないなと思って即購入してから、あっという間に10年もたってしまったという意味だ。そして、1週間かけてチマチマ読んでいたという意味でもある。 

ちょい見しただけであったこの本は、積ん読しているあいだに平凡社ライブラリーとしてペーパーバック化されてしまった。それだけ読むに値する本だということだ。  


■江戸時代の教育は「寺子屋」だけではない

江戸時代の教育というと、まず第一に想起するのは「寺子屋」であろう。お師匠さんが一人に子どもたちが多数。「手習い」ともいうように、読み書き算盤を習う場である。 

とはいえ、「寺子屋」だけが教育機関だったわけではない。いわゆる「私塾」や「藩校」といったものがあったことを考えなくてはならない。さらにいえば、全国各地の「藩校」の頂点として幕府官立の「昌平黌」(=昌平坂学問所)があったことも。 

「寺子屋」が庶民向けの初等教育であれば、「私塾」や「藩校」は中等教育から高等教育に該当するものであった。ただし、藩校はあくまでも支配身分であった武士のための公的教育機関であった。 

「私塾」は、比較的広い層に開放されていた。その走りともいうべき存在が、18世紀前半の儒者で政治家であった荻生徂徠のものであった。 

徂徠の私塾から、いわゆる「会読」というスタイルの「学び」が始まったのである。とくに19世紀に入ってからは標準メソッド化して、明治維新後の「自由民権運動」にまでつながっているのである。 


■「会読」は18世紀の日本で生まれたメソッド

「会読」とは本書の副題にもなっているように「読書会」と言い換えてもかまわないだろう。

儒学を学ぶにあたって、テキストをめぐってグループ・ディスカッションで読み解いていくメソッドである。スタディ・グループである。大学の文系学部のゼミナールのようなものだ。 

「学び」のメソッドは、だんだんと確立され体系化されていった。まずは「素読」、つぎに「講釈」、そして「会読」である。 

「素読」については、比較的よく知られていることだろう。内容がわかろうとわかるまいと関係なく、漢文を読み下して暗唱するのである。丸暗記である。

「講釈」は先生によるレクチャーである。これは現代でも一般的に行われている。仏教においては「説教」だが、仏教ではこの説教が、話芸として落語に発展していったことは知られている。 

著者は、「会読」の3つの特性として、「相互コミュニケーション性」・「対等性」・「結社性」をあげている。最後の「結社性」とは自主的に結成された集団ということだ。この3つの特性は、同時代の18世紀のヨーロッパや米国でさかんだったフリーメーソンなどの(秘密)結社にも共通するものであった。 フランクリンを想起するとよい。

対等な立場に立って、双方向のコミュニケーションが存在し、自由闊達に、喧々諤々と議論がかわされるのである。

しかしながら、そこではどうしても議論に勝ってやろうという傾向が発生する。競争本能が刺激されるためだ。競争本能は学習を促進する意味でプラスの側面も多いが、同時に負の側面もある。いかにケンカにならずにディベートするか、そこで求められたのが制御システムとしての「虚心」であった。倫理的なストッパーである。

「会読」は荻生徂徠の私塾から全国に広まったが、かれに先行して伊藤仁斎の私塾でも行われていたらしい。

儒教のテキストを中国音で読んで解釈する荻生徂徠のメソッドは、儒教の枠を超えて、蘭学や国学でも行われていくようになった。 ヨコ展開していったわけである。 

「素読」・「講釈」・「会読」の3点セットによって、オランダ語の文献を、日本の古典を、字句にこだわって読んでいくスタイルとして定着することになった。本居宣長のライフワーク『古事記伝』もそうやって出来ていったのである。オランダ語にかんしては福沢諭吉の『福翁自伝』に生き生きと語られている。


■18世紀末から活発化した「藩校」と「会読」

「会読」は私塾の枠を超えて、18世紀半ばからは「藩校」でも行われるようになっていく。本格化したのは、幕府が「昌平黌」で朱子学を官学化し、全国各地の「藩校」がブームになっていった18世紀末以降のことである。 

内憂外患の時期を迎えた日本は、度重なる自然災害、商品経済化、情報化と複雑化にともなって、支配層である幕府でも藩レベルでも、諸問題の解決に対応するための人材育成と人材発掘が喫緊の課題となっていたのだ。幕府も各藩も、いかに財政再建を行うか、その課題が重くのしかかっていた。

そのための基礎教育が朱子学を中心とした儒教をつうじて行われたのであり、行政官僚に必要な論理的思考能力と倫理観が鍛えられることになったのである。 

幕末から明治維新にかけての激動期を切り抜けることができたのは、19世紀前半にはすでに「勉強社会」ができていたからなのだ。 

とはいえ、「科挙」の合格が官僚になるための必要条件であった中国や朝鮮(そしてまた越南 や琉球)とは異なり、19世紀前半段階では受験勉強が自己目的化していたわけではない。

明治維新以降の教育改革によって、日本でもはじめて実質的に「科挙」が導入されることになったと考えていいだろう。 


■「会読」から「演説」が生まれ、「私塾」は「政治結社」化していった

本書は、こういった教育思想史というか、教育社会学的なテーマだけでなく、「会読」のもつ3つの特性、つまり「相互コミュニケーション性」・「対等性」・「結社性」から、「私塾」において政治結社的性格が生まれていくことも取り上げられている。

自由闊達な議論は、儒教のテキストの解釈を越えて、現実問題の討論に発展しがちなのだ。

 具体的には、吉田松陰の「松下村塾」における「諸君」という呼びかけが、福澤諭吉の「演説」を生み出し、そして自由民権運動へとつながっていく。その思想史としての面白さも、「会読」を軸すると見えてくるのである。 

「会読」という日本で生み出されたメソッドだが、明治時代以降には西欧から「教授法」というメソッドが導入され、公的な教育システムから消えていくことになった。 知識の詰め込み教育が、その後長きにわたって続くことになったわけだ。

「会読」は歴史的使命を終えたわけだが、「相互コミュニケーション性」・「対等性」・「結社性」をもちあわせた「読書会」として、オルタナティブな形態として復活してきたのは、ある意味面白いことだ。 

個人的な体験だが、米国の経営大学院であるビジネススクールでは、スタディ・グループをつくってグループディスカッションをすることが奨励されていたことを思い出す。本書を読んでいて、学部時代あのゼミナールや、大学院時代のグループ・ディスカッションを想起しながら読んだのであった。

その意味でも、江戸時代後期の日本に存在した「会読」は、「寺子屋」とともに、振り返ってじっくり考えてみる必要があるといっていいだろう。

かつての日本には切磋琢磨する「学び」の世界があったのだ。世界で活躍するためには「会読」メソッドが必要ではないか?




目 次
はじめに 
第1章 会読の形態と原理
 1 江戸時代になぜ儒教は学ばれたのか
 2 3つの学習方法
 3 会読の3つの原理
第2章 会読の創始
 1 他者と議論する自己修養の場 ー 伊藤仁斎の会読
 2 諸君子との共同翻訳 ー 荻生徂徠の会読
 3 遊びとしての会読
第3章 蘭学と国学
 1 会読の流行
 2 困難な共同翻訳 ー 蘭学の会読
 3 自由討究の精神 ー 国学の会読
 4 蘭学と国学の共通性
第4章 藩校と私塾
 1 学校の2つの原理
 2 私塾の会読と競争
 3 藩士に学問をさせる ー 藩校の会読利用
 4 寛政異学の禁と闊達な討論 ー 昌平坂学問所の会読
 5 全国藩校への会読の普及
第5章 会読の変貌
 1 藩政改革と会読
 2 後期水戸学と議論政治 ー 水戸藩の会読
 3 幕末海防論と古賀侗庵 ー 反独善性と言路洞開
 4 吉田松陰と横議・横行
 5 横井小楠と公論形成
 6 虚心と平等
第6章 会読の終焉
 1 明治初期の会読
 2 学制と輪講
 3 自由民権運動の学習結社と会読
 4 立身出世主義と会読の終焉
おわりに

著者プロフィール
前田勉(まえだ・つとむ)
1956年、埼玉県生まれ。東北大学大学院博士後期課程単位取得退学。愛知教育大学名誉教授。日本思想史学会前会長。専攻は日本思想史。著書に『江戸後期の思想空間』(ぺりかん社。角川源義賞受賞)、『兵学と朱子学・蘭学・国学 ー 近世日本思想史の構図』(平凡社選書、2006)など。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものに情報追加)。




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